106話 ここは天国……?
聖都シュルプ滞在二日目。
窓から差す柔らかな日差しで目を覚ました。平和すぎて、反対に怖くなってしまうくらいの朝だ。窓を開けると新鮮で美味しい空気が部屋へと流れ込んでくる。
結局ヴェネーフィクスのメンバーとアマツの6人でシュルプの宿を取った私達。ここまで飛空船を操縦してくれたパイロット、アボシも一緒に泊まろうと誘ったが……
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「本当に? 大丈夫だよ!」
「ここはアレナ聖教国…… 何が起こるかわからない以上、私まで飛空船を離れるというわけにはいきませんから……」
「でも……」
「私のことなら気にしないでください! それよりもお嬢様のこと、よろしくお願い申し上げます!」
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頑なに、1人飛空船に残ると言い続けたアボシ。何度か説得はしたが、飛空船に何かがあったらミドウに顔向けが出来ない。自分の事は大丈夫と繰り返すアボシに、私達はついつい甘えてしまったというわけだ。
せめて、何か美味しいモノでも買っていかなければ…… どうせ今日は本格的にシュルプの街を調査するつもりだったし、きっと何か名物の食べ物というのも見つかるに違いないだろう。
そんな事を考えながら、洗面台で顔を洗う。冷たい水が何とも言いがたいほどに気持ちいい。爽やかな一日のはじまりに、心も少し高ぶる。
「イーナさまぁ~~ おはよぉ~~」
寝ぼけ眼のまま、私の下へとやってきたルカ。まだ寝癖の残った、ぼさぼさの髪のまま目をこすらせ近づいてきたルカの背後へと回る。
「ほら、そんなぼさぼさの髪じゃせっかくの可愛い顔が台無しだよ!」
まだ無造作のまま暴れていたルカの髪へと櫛を通し、髪を優しく整えていく。最初こそ抵抗はあったものの、気が付けばこうしてルカの髪を整えるのにもずいぶんと慣れてきた。と言うよりもこうして普通に女の子らしくしていると言うことが、自分の中で自然になってきていたのだ。何とも慣れというのは恐ろしいものだ。
「ほら、出来たよ!」
最初こそ寝ぼけたままのルカではあったが、いつの間にやらすっかり目覚めたようで、いつもの元気いっぱいのルカへと変わっていた。
「ありがとう! イーナ様! じゃあ今度はイーナ様の番ね!」
優しく私の髪をとかしてくれるルカ。ルカの髪を整えるのに慣れてきたとは言ったが、こうしてルカに髪をとかしてもらうと言うことも私の中ではもうすっかり日常へと変わっていた。この姿になってわかったことだが、こうして誰かに髪をとかしてもらうというのもなかなかに心地よい。この姿へと変わったのもなかなか悪いことばかりではないというか、むしろ今の方が幸せであるような、そんな気がしている。
「出来た! 今日も可愛く結んだよ!」
「ありがとうルカ!」
朝の支度も終わり、宿の朝ご飯を食べた私達は、早速聖都シュルプの街へと繰り出した。天気は晴天、暑くもなく寒くもなく、心地よい風が街を吹き抜けていく。きっと今日は何か良いことがありそうだ、と思わず呟きたくなるほどの絶好の日和である。
「イーナちゃんなんだかご機嫌ですね!」
「うん、思ったよりもずっといい所だなって思って!」
「まあね~~ あまり情報がなかったと言うことで、無駄に考えすぎていただけかも知れないしね~~」
「おい、油断はするなよ」
「わかってるって~~」
釘を刺すルートに、飄々と答えるアマツ。そして、ちょうどアマツが言葉を返したタイミングとほぼ同時に、人の賑わう市街地に平和を切り裂くような高い声が響き渡る。
「きゃーーー! 泥棒!」
「泥棒!?」
思わず声のした方を振り向く。私だけじゃない、ルカも、ナーシェも、ルートもアマツも、そしてテオも、一斉に声のした方へと視線を送る。
ざわざわと喧噪が鳴り響く中、人混みをかき分けるように走る人の姿。まだまだ背は小さく、おそらくは子供……
だけど……
こんな平和そうな街で、どうして子供が泥棒を……?
突然の騒動に、あっけにとられていた私達。すると、さらに人混みの奥からやってきた幾人ものローブに身を包んだ人達が、犯人と思わしき人物がいるその場所へと近づいていった。
「大人しくしろ! 無駄な抵抗はよせ!」
複数のローブを身に纏った男達に完全に包囲された子供。大事そうに鞄を抱えた子供は、必死の形相で、男達に向かって言葉を返す。
「うるさい! 金が必要なんだ! こうしないと…… こうしないと……」
だが、そんな子供の様子など意に介することもなく、包囲を続けたままじりじりと子供に近づいていくローブに身を包んだ男達。私達と同じように、その光景を眺めていた市民達の中から声が聞こえてくる。
「魔道士様達が来てくれたからもう安全だわ……」
「こんな白昼から盗みなんて……」
魔道士…… あいつらが昨日話に聞いていた、アレナ聖教会のお抱えの魔道士というわけだろう。こうして魔道士達が治安を守っているからこそ、こんな平和な街が保たれているのには違いなさそうだ。だが……
「大人しく跪け! さもなくば子供とて容赦はせん!」
「嫌だ! 母ちゃんの…… 母ちゃんの為にお金がいるんだ!」
いくら犯罪を犯したとは言え、相手はまだ年端のない子供。大の大人達がこうして包囲して、威圧して、そこまでする必要は果たしてあるのだろうか。涙を目に浮かべたまま叫ぶ子供に対し、さらに声を荒げる魔道士。
「跪け!!」
一瞬びくりとした子供だったが、それでもなお大事そうに抱えた鞄からは手を離さない。ぎゅっと握りしめて、必死の形相で魔道士達をにらみつける。
「よしわかった。やれ!」
魔道士の1人がそう叫ぶと、子供を取り囲んでいた魔道士達が一気に子供に向けて魔法を放つ。氷の刃が一気に子供へと突き刺さる。断末魔のような声を上げる子供。突然に目の前で起こった光景に、私達ももはや言葉を失っていた。
「……そんな、ここまで……」
血を流し、すっかり動かなくなった子供。魔道士の1人がゆっくりと子供へと近づいていき、そして地に這いつくばった子供を見下したまま、冷たく言葉を言い放つ。
「所詮、お前らは下の世界の住人なんだ。身の程を弁えろ。連れて行け!」
すぐに魔道士達が子供を袋へと投げ入れ、そのまま袋ごと何処かへと持っていく。一体あの子はどうなってしまうのか。そんな事を考えながら、事の顛末をただただ見守っていただけの私達。そんなとき、ふと安堵した市民達の声が私達の耳へと届く。
「本当に…… 汚らわしいったらありゃしない……」
「あんな分際でここに足を踏み入れようだなんて……」
先ほどまで天国のように見えていた聖都シュルプの街が、一気に地獄のようなそんな姿へと変えた瞬間だった。いくら罪を犯したと言え、さっきの子供の話しぶりからすると、なにやら事情はありそうな様子ではあった。本当は詳しく事情を聞いてみたいところではあった。だが、私達とてどうすることも出来ない。下手にここで目立つわけにも行かないのだ。
「イーナちゃん…… これって……」
ここにいる皆も同じことを思っていたのだろう。ナーシェが気まずそうな表情のまま呟く。何とも言えない、虚無感が私の身体を襲う。そして、それと同時に、ふと私達の背後から、おそらくは私達に向けたであろう小さな声が聞こえてきた。
「これが、この国の現実だよ」




