作戦3:失踪 -迷宮編-(1)
窓から濡れる街並みを眺め、ため息をつく。
今日も雨、昨日も雨、一昨日も雨……おそらく、明日も雨。
否応無く憂鬱な気持ちにさせられる。
サミュエルを乗せた馬車が、雨粒を跳ねさせながら遠ざかって行く。
見えなくなるまで、ただ眺めた。
「風邪を召されますよ」
ゾーイがストールを掛けてくれた。
陽が出てないせいか、ここ数日は季節が逆戻りしたように肌寒い。
「心配なさらなくとも、サミュエル殿下は誠実な方です」
「………心配なんかしてないわ」
むしろ私に義理立てしないで、さっさと離縁してほしい。
サミュエルは3日ほど、マリチマ公爵領の港で視察を行う。明後日の夜は貿易相手、ルクセン王国の大使と会食する予定だ。
あの国は長らくアルメリア皇国と縁を繋ぎたがっている。11年前は第一王女がサミュエルの妃候補筆頭だった。
私達が離婚寸前という噂は海を越えていたようで、今回の会食に合わせ、非公式ながら未婚の第四王女が来ているらしい。
……まぁ、それも無駄なこと。私と別れても、今さらルクセン王国とは婚姻を結ばないだろう。昔と違い、皇国側にメリットが少ない。
選ぶならグリュック帝国かキトル公国か……ボヌショワ王国もあり得る。サミュエルなら再婚だろうと引く手数多だ。
「そんな暗い顔をなさらないでください。杞憂ですよ」
「暗い顔? 嬉しそうの間違いでしょう」
ふいと窓から離れた。
サロンに置かれたソファへ腰掛ける。
テーブルにはお茶のセットと本が数冊置かれていた。
今日の午後は予定が無い。けれど雨が降っていては外出も出来ない。こういう日は、静かに読書をして過ごす。
それを知ってる侍女等は、何も言わずとも用意を整えてくれた。
お茶を飲み、本を開く。
慣れた形式で書かれているから、どんどん読み進められる。……けれど、敢えてゆっくりページをめくった。まるで集中できてないように、同じ箇所をじっと眺める。
ため息をつき、軽く頭を押さえた。
「……エレノア様? いかがなさいましたか」
「雨のせいかしら、少し頭痛がするの」
「まぁ!大変! 午前中お会いした侯爵夫人から、風邪をいただいたのでしょうか」
ひと言断って、ゾーイが額に手を当てた。
「熱は……無さそうですね。しかし、ご無理なさらず、おやすみになられては」
「……そうね。そうしようかしら」
本をぱたりと閉じ、常より鈍い動作で立ち上がる。
心持ち左右に揺れながら歩けば、心配したゾーイが支えてくれた。
「お医者様にも診てもらいましょう」
「いいえ。きっと眠れば良くなるわ」
彼女はお人好しだ。修道院の件はもう許してくれたらしい。
よたよた歩き、時間をかけて私室へ移動する。
隅にある小さなベッドへ横たわった。久しぶりに使うからか、嗅ぎ慣れない匂いがする。
「鎮痛剤をお持ちしました」
「そこに置いておいて。貴女達も下がって良いわ」
「私はここで……」
「ごめんなさい。一人になりたいの」
ゾーイが眉尻を下げる。
見ない振りするように、素っ気なくシーツに潜り込んだ。
「……では、隣に控えております。何か御用がありましたら、ベルを鳴らしてくださいね」
「ありがとう」
水を注ぐ音、ベルを置く音、カーテンを引く音、侍女が出て行って扉の閉まる音がした。最後に雨の音だけが残る。
―― サァァァァ……
基本的に雨は鬱陶しくて嫌いだ。けれど、この音だけは悪くない。
シーツから顔を出し、辺りを見回した。誰もいない。
ペロリと舌を出す。
音を立てないようベッドから降りた。
ゾーイがいるのと反対の扉へ寄り、耳をそばだてる。物音がしないのを確認して開けた。それをもう一回繰り返す。
そうして、サミュエルと私の寝室へ辿り着いた。
暖炉の内側に手を這わせ、手触りの違う部分を押す。
隣にある棚、右端の引き出しを抜き取り、内部側面の窪みに指をかけて引く。
カタンと小さな音がしたら、今度は抜いた引き出しを奥まで強く押し入れた。
そのまま棚全体を手前にズラす。
ーー ギギギギギッ
軋んだ音は、これが積み重ねてきた年月を物語っている。
人ひとり、やっと通れる隙間が開く。その奥には暗闇が続いていた。
有事の際、皇族が使う隠し通路だ。
「っ………」
悪魔が口を開けたような暗闇は、ひとりで入るのを僅かに躊躇わせた。
小さく深呼吸する。
暖炉の上からランプを取り、火をつけた。
するりと隙間に身を滑らせ、隠し扉を閉める。
開けた時と同じ軋んだ音がした後、寝室は何事もなかったかのように静まり返った。
再び、雨音だけが残る。
―― サァァァァァ……