作戦2:不貞行為(5)
「不届き者!!」
私が尻餅をついた所で、近衛騎士等が瞬く間にエドウィンを捕らえた。
捻り上げられた手から短剣が落ちる。
汚れなんて一切ついてない、綺麗な剣先だ。
「………」
放心してしまう。
ゆっくりお腹をさすった。抉られたような感触はない。ドレスにさえ傷ひとつ無い。殴られたような痛みだけがある。
「離せ!!離せ!!僕はエレノア様と…!!」
エドウィンが騎士に引きずられて行く。声を上げるから俄かに人を集めていた。
喧騒をどこか遠くに聞きながら、短剣を手に取る。
試しにバルコニーの床へ突き刺す。抵抗なく刺さった……ように見える。引き抜く。床にはもちろん、傷など無い。
指で先端を押してみる。剣身がすっぽりと柄に入り込んだ。
これはオモチャだ。
「面白いか」
落ち着き払った声に顔を上げると、サミュエルが傍らに立っていた。
「これは何ですか」
「見ての通りだ」
差し伸べられた手を取り、覚束ない足で立ち上がる。
支えるように肩を寄せられた。
身体が冷えていたと実感する。
気温のせいではない。外とはいえ、夏の訪れを感じさせる生ぬるい風が吹いている。
本気で……殺されると思ったからだ。
彼も気づいたのか、腕を擦ってくれる。
「泣くなら、胸を貸そう」
「……ご冗談を」
どの口が言う。
この凶行を仕組んだのは、十中八九、サミュエルだ。
そう思うのに、彼に髪を撫でられ、温もりに触れ、香りに包まれ、ホッと息をついてしまう。
全身を預けたくなるのを抑え、代わりに両手でオモチャを握りしめた。
彼の顔を見たら、きっと甘えたい気持ちが大きくなる。
わざと視線を逸らすと、変なものが目に入った。サミュエルの補佐であるベンシード伯爵が、膝をついている。
音を立てず、オモチャと同じ装飾の短剣をバルコニーの床に置いた。
「………あれは?」
「あの男が元々持ち込んでいた物だ」
話しながら手を伸ばし、私の持つオモチャを取ろうとする。
ハッとして、避けた。
サミュエルは、エドウィンを嵌めようとしている。
おそらく、ベンシード伯爵が置いたのは真剣だ。
バルコニーにいるのは私達3人だけ。室内にいる人達は引っ立てられてるエドウィンに目を向けている。今のは、私のほか誰も見ていなかった。
エドウィンの手にしてた物がオモチャか真剣かで、罪の重さは大きく変わる。同じ不敬罪でも、前者なら短期間の禁固刑、後者なら極刑を免れない。
「エドウィン様に何か問題が?」
「……」
「彼はプロイル男爵家の嫡男として、申し分ない仕事をしています。政治に対する考え方もお父上と同じ。今後、貴方と対立する関係にはならないでしょう」
彼の父、プロイル男爵は優秀な人だ。領地経営はクリーンで円滑。議会ではサミュエルに賛同する事が多く、良好な関係を築いている。
この件でエドウィンが処刑されれば、どうなるか分からない。
「仕事や政治が全てか?」
「っ……」
そういえば、サミュエルに変な物を送りつけていた。私への想いが強すぎて、多少攻撃的な部分があったかも知れない。
けれど、たったそれだけで処刑台送りは……どう考えてもやり過ぎだ。
「貴方らしくありません」
腕から離れる。
騒ぎの方へ向かおうとして、肩を引かれた。
「どこへ行く」
「騎士等へ説明を。彼とは、よく出来た品で遊んでいただけですから」
「……先にも言ったが、持ち込まれたのはそこに置いた短剣の方だ」
「なら、尚更です」
真剣とオモチャとをすり替えたのだろう。
その時点で咎めていれば、エドウィンはもっと軽い罪で済んだ。
これでは、私達二人でイタズラにエドウィンを陥れたような状況だ。
私が変な態度を取らなければ、彼の異常行動は一人で完結していた。
サミュエルが焚き付けなければ、強い感情は内に留まっていた。
今夜、彼と二人きりにならなければ……
“ あの男には近寄るな ”
前の夜会で言われた言葉が蘇る。
そうだ。もし、言いつけ通りエドウィンに近寄らなければ…きっと事件は起こらなかった。
サミュエルの顔を見る。
あの時と同じ、鋭く澄んだ瞳をしていた。
「エリー、君は自覚が足りない」
大きな手で頰を撫でられる。
まとう雰囲気とは対照的な、割れ物に触れるような優しい手つきだ。
「何であれ、あの男は君を害そうとした。もう近づくな」
……わざとなの?
目的は二つ。エドウィンを陥れる事と、言いつけを守らない私が、恐ろしい目に遭う事?
「………」
いや、そんなはずはない。
私に言う事を聞かせたいなら、もっと直接罰を与えた方が簡単で効果的だ。
手を払い、顔を背ける。
「自覚が足りないのは貴方でしょう、サム。安易に人を排除しては、味方がいなくなります」
進もうとすると、ベンシード伯爵が間に入って通せんぼした。
「通してください」
つい癖で、微笑んでお願いしてしまった。彼は無言のまま動かない。
もう一度サミュエルに肩を引かれる。
「行くな」
「嫌です」
今度はちゃんと睨み上げた。けれど、これはよく彼が喜ぶ顔だったと思い出す。サミュエルには微笑めば良かった。
「男性二人で取り囲んで、恥ずかしくありませんか」
「君が行って助けたら、あの男がどうなるか分からないのか」
「分かります。けれど、それとこれとは別問題です」
また手を払いのける。簡単に外れた。
私が本気で嫌がってる時、サミュエルは力任せに押さえつけたりしない。
だから、ベンシード伯爵さえどうにかすれば進める。
「今度は皇太子妃として命令します。そこを退きなさい」
「………」
伯爵は眉ひとつ動かさないまま、サミュエルを見た。
ため息が落とされる。
「これ以上言っても、聞かないな」
そう言って、サミュエルが手を差し出す。
「望み通りにしよう」
説明しに行くから、オモチャを寄越せという事らしい。
確かに、私が行って変な気を持たせるより、サミュエルが行って恩を売る方が良い。
「……信用しても良いのですか?」
「俺は妻に甘いだろう」
彼は必要なら平気で嘘をつく人だ。
一方で、言う通り、家族と思っている相手には甘い面がある。私が不機嫌になるのも嫌がるだろう。
そもそも、エドウィンを処刑しようとした理由自体が希薄だ。
「……騙したら、許しませんよ」
手渡すと、サミュエルはすぐさまバルコニーを出た。
私も見届けるため室内へ戻る。お目付役なのか、ベンシード伯爵は私の側に残った。
ここから離れてはいるけれど、エドウィンはまだ会場を出ていなかった。野次馬に阻まれ、思うように進めていないようだ。
サミュエルが騎士を引き止め、オモチャを取り出し、私の望んだ通りの説明をした。
その姿を見て胸を撫で下ろす。
エドウィンが助かったからではない。サミュエルが不用意に敵を作らず済んだからだ。
きっとエドウィンの目には、彼が命の恩人にさえ映っているだろう。
「こちらで、よろしいでしょうか」
急に近くで聞こえた声に視線を移す。
使用人がベンシード伯爵にテーブルナプキンを数枚渡していた。
よく見ると、伯爵は騒動で私が落とした扇を持っている。
それにぐるぐるとナプキンを巻き付け始めた。
「……何をしているのかしら」
一見すると随分と不可解な行動だ。けれど、私には心当たりがある。
伯爵は私を一瞥した後、2枚目のナプキンを手に取った。
「薬が漏れるのを防ぎます」
想像通りの答えだ。
厚手の布で二重に包まれた扇は、彼の懐に仕舞われた。サミュエルに渡されるのだろう。
「なぜ、薬がついていると?」
エドウィンにはまだ薬の効果が出ていなかった。見たところ、ベンシード伯爵にも薬が効いた様子はない。
誰にも効果が現れる前に、あの薬の存在に気づくのは不可能なはず。
「……他人より、鼻が利きます」
鼻が利く?比喩だろうか。
言葉通りなら、ほぼ無臭の薬を嗅ぎ分けた事になる。そんなの犬並みの嗅覚だ。
「素晴らしい能力をお持ちなのね」
「………」
彼はだいたい無表情で、何を考えているか分からない。
いずれにせよ、サミュエルが近くに置くだけあって、油断ならない人のようだ。
伯爵とのやり取りに気を取られ、私はひとつ見逃していた。
騒ぎが収まった後、サミュエルがエドウィンに耳打ちしていたのだ。
「俺がお前を野放しにすると思うな。死ぬ方がマシであったと、嘆くがいい」




