作戦2:不貞行為(4)
「ケネス殿とは、どのような話を?」
「ちょっとした言伝を頼まれ、伝えておりました」
ダンスホールへ下り、捻りのないステップを踏む。エドウィンは相変わらずリードが下手だ。
腰へ回された手は、やはり少し気持ち悪い。夏も近いのに寒気がした。
「そうですか。貴女と踊る彼を見て、恥ずかしながら嫉妬いたしました」
「まぁ……!」
一度目を伏せ、切なげに見上げる。さっきケネスにしたのと同じ表情だ。
肩に置いていた手をずらし、首筋に這わせる。
「嫉妬なんて必要ありません。私の心には、ただ一人しかおりませんから」
「……っ!」
それは貴方ではないけれど。
エドウィンが急にダンスを止めた。バルコニーに向かって歩き出す。
さっきの言葉が効いたのか、二人きりになりたいようだ。
目だけで会場内のサミュエルを探した。
まだ遠くで公爵と話している。休憩室には圧倒的に私達の方が近い。
今日、事を起こすか。
チャンスはまたいつ巡って来るか分からない。
近衛騎士から預けていた扇を受け取り、外へ出る。
月は雲に覆われていて見えない。いつ雨が降り出してもおかしくない空模様だ。
おかげか、他に人影はなかった。
ドレスの隠しポケットから小瓶を取り出す。
こっそり中身を扇の先へ振りかけた。
「静かな夜ですね」
扇を持った手でエドウィンの胸を撫で、先端を彼の顔に近づける。
媚薬だ。ほぼ無色無臭で、身体の反応が出る前には気づかれない。
揮発性で、吸い込めばまず軽い発熱と発汗が起きる。心配した振りで休憩室へ連れ込み、扇であおぎ続ければ徐々に効果が増す。
既婚者においそれと手を出してくれる人間なんて、そういない。最後の一歩を踏み込んでもらうため、用意しておいた。
「………」
エドウィンがさっきから喋らない。
顔を盗み見る。暗くて分かり難いけれど、まだ薬が効いた様子ではなかった。
「……エドウィン様?」
「………」
こちらを見た。変わらぬ笑顔だ。よく見たら、目が笑っていなかった。
「誰のことです」
「……え?」
誰……とは、何の話だろう。
首を傾げたら、そこへ噛み付くように覆い被さってきた。一瞬で嫌悪感が駆け巡る。
「!!エドウィン様、ダメです!」
お馬鹿さん!バルコニーで始める気か!
そんなの行き着く前に近衛騎士に止められ、悪評だけ立ってしまう!
ここまで急に効く薬じゃない。何なんだ。彼に薬は不要だったのか。
逃れようとするも、エドウィンが強い力で押さえ付ける。
「貴女の心にいるのは、誰ですか!!」
「っ……!」
抵抗の手を止めてしまった。
私の身体から離された顔は、もはや口元も笑っていなかった。今にも泣き出しそうだ。
「僕がどれだけエレノア様を想おうと……手に入れる事は叶わない。心はあいつに捕われたままなんだ……!」
「ど、どうしてそのような事を」
「言われたのですよ! 皇太子殿下、本人から、自信たっぷりに」
サミュエルが??
言ってることは事実だけれど、それをエドウィンに伝えて何の得がある。
「エドウィン様、お願いです。惑わされないで」
「エレノア様……」
「私の心は、貴方と共にあります」
「………」
嘘も方便。
手を取って両手で包み込む……振りをしてやっと拘束から逃れた。
彼はポトリポトリと涙を落とす。まるで子供だ。
ハンカチを取り出し、拭ってあげた。
「エレノア様。貴女は昔から変わらず……美しく、お優しい」
今夜はもう諦めよう。
この子を泣き止ませて、その気にさせて、連れ込んで、なんて時間が足りない。
「…………そして嘘つきだ」
ため息が出るのをぐっと耐えた。本当に子供のような事を言っている。
母親のような気持ちを心がけ、呆れを隠しながら肩を撫でてあげると……想定外の物が目に飛び込んできた。
彼が懐から取り出した、装飾の美しい短剣だ。
反射的に飛び退く。
けれど狭いバルコニー、逃げ場は少ない。
「お、落ち着いて。いったいどうしたの」
「最初から分かっていました。僕はあいつを振り向かせるための、ただの道具なのでしょう?」
全然分かってない。
「違うわ。話を聞いて」
「結局、全てあいつの言う通りなんだ。エレノア様と共にあるためには、こうするしかない」
「どうして、そうなるの!!」
ダメだ。彼とは結婚できない。
こんな状況でも冷静でいられた。すぐ近く、バルコニーのカーテン越しに近衛騎士がいるからだ。
短剣は死角で見えてないだろうけれど、ただならぬ雰囲気にこちらの様子を伺ってくれている。
視線で、彼を捕らえるように合図した。
すぐ取り押さえてくれる。……そう思っていた。
しかし、騎士達は私を無視した。
「!!?」
「どうか、来世では僕を愛してください」
エドウィンが短剣を構える。
短い距離、勢いづけて身を寄せて来た。
ほんの僅かな時間のはずなのに、妙に長く感じる。
近衛騎士が私を助けない。おそらく誰かが事前に指示したから。
エドウィンが感情を高ぶらせている。サミュエルが煽ったから。
短剣は、男爵家の者が持つには装飾が凝り過ぎている。彼より身分の高い者が与えたに違いない。
……いらない私は、サミュエルに殺される?
―――ドッ…
鈍い音がして、お腹に激痛が走る。
男性一人分の重みを受け、倒れた。