作戦2:不貞行為(2)
オルゴールの鍵を回す。
蓋を持ち上げれば、馴染みある優しい音色が流れた。穏やかな夜にぴったりな曲だけれど、今は音楽を楽しむために開けたのではない。
箱型のそれには、折りたたまれた紙と小瓶が入っていた。取り出し、次の依頼書を入れて鍵を締める。これを私室の机に置いておけば、いつの間にか中身が消え、また頼んだ物が現れる。
まるで魔法のオルゴールだ。
実際は私の実家、フォレステン侯爵家の諜報員と通じる箱である。
当主である父にしか仕えない、他の者には姿も見せない相手だからこそ、こんな面倒なやり取りをしなければならない。
修道院での一件は、彼等によって直ちに父へ知らされた。
怒られるかと思いきや、逆に協力してくれるらしい。諜報員を数名貸してくれた。
それだけ父も、サミュエルの現状を憂いてるのだろう。
取り出した紙を広げる。エドウィンについての調書だ。
簡潔に書かれた文章へ目を通す。
事前知識の通り、プロイル男爵家の嫡男で爵位継承予定。家族構成、財務状況は特に問題ない。領地経営に携わりながら、皇城勤務もこなしている。いずれの評価も概ね良し。
うん。男爵家ではあるけれど、次の結婚相手として悪くない。
12年前……コーラルク伯爵家の茶会で同席している。
あまりに昔の事で記憶が曖昧だ。彼は伯爵の甥でもあるから、紹介くらいされただろうか。
かさりと紙がズレる。一枚かと思っていたら、二枚だったようだ。この件で続く情報がある事に些か喜び、紙を前後入れ替える。
「…………えっ」
思わず声が漏れた。
『エドウィンが成人した際、エレノアが未婚であった場合の結婚を約束。
特記事項
エレノア皇太子妃への異常行動
・スケジュール調査
・一部の公務及び夜会における尾行、監視
・使用済グラスの収集
・容姿を似せた人形の作成
・着用ドレス及び装飾品の複製
(以下、本年コーラルク伯爵家舞踏会より)
・人形の処分
・新規ドレス及び装飾品の作成
・私室付近への立ち入り ※1
・連日の手紙及び不審物の送付 ※2
サミュエル皇太子への異常行動
・連日の手紙及び不審物の送付 ※2
※1 皇太子付き近衛騎士により退けられる
※2 皇太子付き補佐官により廃棄 』
「…………」
一旦、紙の前後を戻した。
息を吸い、吐き出す。
やり直すように、もう一度同じ動作をした。
書いてある内容は変わらない。
紙を裏返し、表へ返す。
やはり書いてある内容は変わらない。
―― コンコンコンッ
肩が跳ねる。
ただ扉がノックされただけなのに、胸が嫌に大きく鳴った。
「エレノア様、寝室へ。サミュエル殿下が戻られます」
侍女のゾーイだ。無意識に息をつく。
私は何を恐れているのか。
「今行くわ」
紙に火をつけ、暖かくなり使っていない暖炉へ捨てた。小瓶は鍵付きの引き出しへ入れる。
廊下ではなく続き部屋への扉を開けると、ゾーイが待っていた。
「ほら、急いでください。殿下をお待たせ出来ませんから」
急かされ、彼女ともう一枚扉をくぐり寝室へ入る。
修道院での一件以来、ゾーイは何かと私よりサミュエルの肩を持つようになった。扱いも何だか雑だ。
「まだ怒ってるのね」
「怒っています」
「どうしたら機嫌を直してくれるかしら」
「この痴話喧嘩を終わらせていただければ、機嫌は直ります」
「喧嘩なんてしてないわ」
私がソファに腰掛け、ゾーイや他の侍女が照明を減らしたところで、サミュエルが入ってきた。入浴後のため、少し髪が湿っている。
彼の合図で皆が下がっていく。グラスにワインを注いだ侍女が部屋を出ると、二人きりになった。
いつものようにサミュエルが隣へ腰を下ろす。私は座り直して距離を取った。
「……どうした」
「いえ、貴方にも近寄らない方が良いかと思いまして」
貴方に“も”とは、先日近寄るなと注意されたエドウィンと並べている。
先ほどの調書、私室へ近づいたエドウィンを追い返したのも、送付物を廃棄したのも、サミュエル付きの者と書いてあった。
つまり、彼の近衛騎士が私の部屋付近を巡回し、補佐官が手紙をチェックしている。
監視。この一点において、サミュエルはエドウィンより上だ。私の行動で不利益を被らないか、見ているのだろう。
修道院への手紙がすり替えられて当然だった。
「そうかも知れないな」
彼は楽しそうに笑い、グラスを傾けた。今さら監視に気づいたと笑われている気がする。
ワインは私の分も用意されていた。けれどエドウィンの件がショックで、食欲も何もかも減退している。飲む気にならない。
眉を寄せてグラスを眺めていると、頰に触れられた。
「疲れているのか」
「……それほどでもありません」
手から離れるように顔を背ける。
サミュエルはグラスを置き立ち上がると、私を抱き上げた。
騎士に混じって剣術の訓練をするような人だ。女性一人、苦もなく運んでいく。
フワリとベッドへ降ろされた。
「君はもう寝ると良い」
「……サミュエル様は?」
「添い寝が欲しいか」
「…………いいえ」
シーツを被り、彼に背を向ける。
頭を撫でられた。
手が離れても気配を追ってしまう。
一度ソファの方へ行き、灯りを消しながら戻って来る。
ベッドが揺れると、温もりに包まれた。
耳元で囁かれる。
「エレノア、良い夢を」
「………おやすみなさい」
再び頭を撫でてくれる手が、ざわついた胸を静めていく。
優しさにくるまれ…………分不相応に、心地よい眠りについた。