表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/34

回想:始まりの日(3)

 

「それで……後は何だ」


 書類を机へ落とし、執務室へ訪ねて来た二人を見やる。

 彼等はより顔を青くして俯いた。女の方は手が震えている。

 なかなか核心に触れないから促しただけなのだが、必要以上に怖がらせたようだ。


 渡された検査結果に目を通したが、特に大きな問題は見当たらなかった。

 強いて言うなら、エレノアの結果に思わしくない点がある。しかし、これだけでは報告に来た医師等の表情を説明できない。

 まだ何かあるはずだ。


 初老の男性医師が、若い女性医師の手から書類を取り、代わりに前へ出た。


「参考として、彼女の研究データも併せて提出いたします」


 受け取り、内容を確認する。

 研究の概略を記したものと、その根拠データをまとめたもの。


「本来なら、まだ殿下にお見せできる段階ではありません。しかし、今回の検査と極めて関連性が高かったため、報告させていただきました」


 確かに必要なデータが足りていない。しかし、大部分の実証は済んでるようだ。

 かなり信憑性がある。


 これを信用するならば……エレノアは生涯、子を成せないと見て良いだろう。

 いま気まぐれにペンを投げ、それがたまたま部屋の隅にある小さな花瓶へ入る…………彼女が子を産む確率は、それくらい低い。


「他の者には、まだ報告してないな」


 念のため尋ねれば、肯定される。

 この件について、一番に報告を受けるのは今後も俺のはずだ。


「エレノアとフォレステン侯爵にはデータを渡さず、検査に問題点が無かった事だけ伝えろ」

「かしこまりました」

「研究は近々発表予定か?」

「はい。1年後を目処に、準備を進めております」


 ……急ぐ必要があるな。


 医師等を帰し、研究資料を傍らのシモンへ渡す。

 彼は忠実な男だから、独断で姉や父親に情報を漏らす事などない。


「この研究について、外部へ漏れないよう手を回せ」

「はい」

「それと……キャロラインとバン侯爵令息との婚約を早める。侯爵邸への訪問予定を1週間以内に入れろ」

「……はい」


 エレノアが自身の事について知れば、即刻、離縁を申し出るに違いない。断ろうとも、強引に手続きを進めるだろう。

 研究発表後、彼女に情報が行かないよう手を回すことは可能だが……子がいつまでも出来なければ、いずれ誤魔化すのにも限界が来る。


 確か教会では、曾祖父の不妊による離婚を認めた事について、反発が大きくなっていた。権力に負け、教義を蔑ろにしたと。

 勝手に離婚成立を撤回され、当時から今へ続く帝位継承に疑念が生まれては困る。いずれ介入するつもりだったが……それを早めよう。


 フォレステン侯爵にも直接話をつける必要がある。彼へ流れる情報は簡単に止められない。

 教会の懐柔にかかる時間を考えれば――


 はたと思考が止まる。シモンの様子がおかしい。

 指示を受ければ即座に動く彼が、物言いたげな目でこちらを見ていた。


「なんだ」

「……いえ」


 悩んでるのか、言葉が続かない。

 ペンを置き、手を組む。目で先を促せば、彼は決心した様子で口を開いた。


「キャロライン皇女殿下とバン侯爵令息とのご婚約は、教会との繋がりを深めるものと理解しています」

「違いないな」

「それを今、早めるご決断をされたという事は、離縁を……なさらないおつもりですか」


 なぜ、そんな当たり前のことを聞くのかと、一瞬でも思ってしまった。

 全く当たり前ではない。


「姉との結婚における最大のメリットは、いつでも切り捨てられる事だったはずです」


 抜け落ちを他人に指摘されるなど、もしかすると生まれて初めてかも知れない。

 シモンの言う通りだ。


 そもそも、子を成す為だけに結婚したのだから、それが叶わなければ婚姻を続ける理由などない。

 自己犠牲心の強いフォレステン侯爵家の娘なら、いつでも離婚に応じる。

 離縁する方が当たり前だ。


 ただし、そうすれば……エレノアはすぐに再婚するだろう。


 ゾワリと悪寒が走り、総毛立つような感覚に襲われた。

 彼女に他の男が触れると想像しただけで、相手を斬り刻みたくなる。もし現実となれば、事実そうするだろう。

 論理性も合理性も無い、倫理的にも問題のある衝動だ。


「っ……申し訳ありません!!出過ぎた事を申し上げました!」


 シモンが血の気の引いた顔で謝罪し、頭を下げた。

 知らず、感情が表に出ていたらしい。


「……謝る必要は無い」


 にわかには信じられず、口元へ手を当てる。

 いつも周囲へ与える印象や影響を計算して、表情を作っていた。特に負の感情を伴うものであれば、尚更だ。

 それを怠るとは…………怒りで我を忘れた?


「殿下?」


 わずかに血色の戻った顔で、シモンが困惑の表情を浮かべる。

 当然だろう。先ほどから、俺自身も説明できないような、不可解な言動をしている。



 なるほど。

 これが、愛だの恋だのというものか。



 今さら気づくとは……存外、俺は鈍い男だったようだ。

 思い返せば、これは求婚した当初から芽生えていた。おかしな話だ。それと知らぬまま、恋愛結婚したらしい。


「シモン」

「はい」

「俺がエレノアを手放すという選択肢は、未来永劫、無いものと思え」

「……かしこまりました」


 状況を正確に捉え、やっと平素と同じ態度を取れた。

 シモンもまた同様で、通常通り手際よく書類を整え、一時退室するため扉へ向かう。


 中断した仕事に戻ろうとペンを取り、ふと試したくなった。

 気まぐれに、それを放り投げる。


 明確な意図なく飛ばされたペンは、回転しながら高く上がり、シャンデリアに引っかかって方向を変えた。落ちてきた所でシモンの開けた扉へぶつかり、装飾の角度ゆえか再び跳ね上がる。

 部屋の壁に当たった後、流線型のランプシェードに沿って落ち……



 ―― カランッ


 隅にある、小さな花瓶へと吸い込まれた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ