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回想:始まりの日(2)

「………」

「………」


 二人の間に沈黙が落ちる。


「くっ……」


 堪え切れず、吹き出した。

 顔を背け、込み上げる笑いをやり過ごす。


 何とも無礼な女だ。

 繰り返し足を踏み付け、求婚される前に断って来るとは。俺に物怖じせず、ここまで酷い態度を取った者は……未だかつていない。

 怒るよりも先に、笑ってしまった。


 予想した反応と違ったからか、エレノアは驚きに目を丸くし、しかしすぐに淑女らしく微笑んだ。


「面白いですか? 私はちっとも面白くありません」


 また足を踏みつけようとする。

 いい加減やめさせるかと、今度は避けてやった。

 すると、分かってはいたが、エレノアがバランスを崩し倒れそうになる。ダンスパートナーを転ばせる気は無いので、抱きとめてやった。


「っ……!」


 密着したからか、彼女の肩に力が入る。

 周囲からも小さな悲鳴が上がった。

 ほどなく身体を離すと、エレノアの貼り付けた笑みに迎えられた。


「…………申し訳ありません。気分が優れないので、ここで失礼します」


 言うが早いか、彼女は俺を残し、勝手にダンスホールから出て行く。

 皇子相手というのを抜きにしても、曲の途中でパートナーを放って行くとは……マナー違反も良い所だ。


 近くで見ていた令嬢が、パートナーの足を踏んでダンスを止めた。


「殿下、よろしければ、私が代わってお相手いたします」


 それを見た他の令嬢等も、次々とダンスを止めて群がって来る。

 軽く手で制す。


「気持ちだけ受け取ろう。置き去りにされる男は、俺だけにしておきたい」


 彼女等が恥をかかないよう微笑んで感謝を示し、しかしこれ以上マナー違反者が出る前にと、俺もこの場から離れた。


 さて、どう判断したものか。

 気になるのは……エレノアがこんな無礼を働き、最も損をするのが彼女自身という所だ。

 それが分からぬ愚か者、ではなく、そこまでして皇子の不興を買いたかったと考えられる。


 可能性は3つか。


 真実、他に想いを寄せる相手がいる可能性。

 俺には、他人の女を奪う趣味などない。結婚後に余計な問題が起きるのもごめんだ。


 しかし、エレノアは成人するまで侯爵領からほとんど出ていない。調べさせた限り、異性との継続的な関わりは無かった。

 結婚の約束といえば、戯れに男爵家の子供としたくらいのはず。


 もう1つの可能性は、親の教育に反発し、皇族を嫌ってるというもの。

 これはなかなか筋が通る。しかし、縁談に乗り気でなかったフォレステン侯爵令息がそれを黙ったまま、俺達を引き合わせたというのは引っかかる。


 最後の1つは………。


 ダンスホールを出ると、弱り顔の召使いが右往左往していた。手には先ほどエレノアが預けた扇がある。

 抜けた所があるのか、はたまた平然として見えて実は狼狽えてでもいたのか、彼女が受け取り忘れたようだ。

 良い口実になると扇を預かり、彼を仕事へ戻してやった。


 会場内で、好奇の視線を集めてる場所は無い。ならば外だろうと当たりをつけ、テラスへ出る。

 果たして、エレノアを見つけた。


 今は一年で最も日の長い時期だ。

 夜会が始まったばかりのこの時刻は、まだ陽も落ち切ってなく、西から強い光を放っていた。庭園に残る、昼過ぎまで降っていた雨へ反射する。


 逆光の中、エレノアは物憂げに睫毛を伏せていた。

 髪や白いドレスは別の色味に見える。アクアマリンの装飾が、草木の雨粒と共に輝いた。

 幻想的なその様は、彼女が自然を統べる女神か何かに見えるほどだった。




「……サミュエル皇子殿下?」


 声をかける前に、エレノアが俺の存在に気づいた。信じられないものを見る目で、頭から足の先まで確認される。


 それもそうだろう。

 衆人環視の中、あれだけコケにされて、逃げるように去った女を追いかけて来たのだから。情けない男と噂される恐れさえある。

 しかし、それならそれで良い。次から次へ寄って来る令嬢を、少し面倒に感じていた頃だ。


「わざわざ扇を届けに来たのですか?恥というものを知らないのでしょうか」


 笑顔で口元を隠し、毒を吐く。その姿は女神などとはかけ離れていて、例えるなら毒花か狐だなと思った。


「一つ言っておこう。君がいかに態度を厳しくしようと、俺の婚約者候補からは外れない」

「っ……」


 鋭い視線を向けられる。

 その険悪な雰囲気を壊すように、彼女の後ろをヒラヒラと、蝶が舞った。


「俺にとって有益か否か、それだけが判断基準だ」

「……それならば、なぜ私なのですか」


 髪へキスを落とすように、蝶がとまる。

 白い羽がゆっくり開閉するたび、光を反射して煌めいた。


 蝶が羽を休めるその様は、エレノアを再び人ならざる者に見せる。森の妖精か、華の化身か。

 際立った所もないのに、趣があり、そんな事を思わせる……不思議な面立ちだ。


「殿下?」


 急に黙り込んだ俺をエレノアが(いぶか)しむ。


「あぁ、いや……」


 彼女は蝶に気づいてないようだ。

 遠目には美しい蝶も、やはり虫は虫で、そのグロテスクさを嫌う令嬢は多い。中には虫が寄って来ただけで失神する者もいる。

 エレノアがそこまでか弱いかは分からないが、気づかれる前に対処しておく方が無難だ。


 そっと手で追い払う。

 指先に髪が触れ、乾いた音を立てた。


「すまない。美しい髪だな」


 不自然な動作を問う視線に、適当なお世辞と笑顔でごまかす。

 呼応するように、彼女も作られた笑顔を浮かべた。


 しかし、その顔のまま、徐々に頰は赤みを増して行く。まるで、褒められた事に照れてるようだ。

 エレノアの髪は客観的に言って美しい。褒められた事も一度や二度では無いはずだ。

 それに逐一、こんな反応を示すのか?


「……いま少し、触れても構わないか」


 確かめる為に、再び髪へ手を伸ばす。

 拒否された時のことを考えていたが、彼女は何も言わなかった。


 耳元から手を差し込み、長い髪を辿る。

 サラサラと指を抜ける髪は、思いのほか触り心地が良い。あっという間に先端まで来てしまったのが惜しく、指から離れる前に掴んだ。

 毛先へ口付けながら、エレノアの様子を盗み見る。


 背にする夕陽に焼かれたかのように頬を染め、瞳を揺らしていた。込められていたのは、戸惑い、疑念、そして………羨望と恋情だ。


 自然と笑みが溢れる。

 狐の面の下に隠していたのが、こんな可愛らしい好意だったとは。




 決めた。


「エレノア、君を俺の妻にする」


 彼女の肩がビクリと跳ねる。

 強く口を引き結んだかと思うと、またよく出来た笑みに戻った。


「お受けできません」


 二歩三歩と下がり、距離を取られる。

 手から髪がするりと落ちた。


「私の問いに、答えを頂いておりません。サミュエル殿下に有益な方であれば、ルクセン王国の第一王女殿下、キトル公国の公女様、グリュック帝国の第二王女殿下など、より良いお相手がいらっしゃるはずです」


 スラスラと述べられた名に感心する。よく勉強してるじゃないか。

 これは公にしてる情報で判断できる、利益の多い順に並べた婚約者候補だ。ルクセン王国の王女以外、社交界でもあまり話題になっていない。


 思った通り、彼女はフォレステン侯爵令息と同じだ。

 皇子妃、皇太子妃、果ては皇后になれる立場を捨て、自分より有益な相手を選ぶよう促している。


「いいや。いずれも、君が思うほどメリットは大きくない」

「……っ」


 口を閉じ、考えを巡らせるように視線を外した。

 逐一説明せずとも、俺の発言が意味する所に気づいたのだろう。


「誰と結婚しようと、それ自体にあまり益は無い。しかし、世継ぎを残す為にも妃は必要だ」

「……だから、メリットも無ければデメリットも無い、けれど最も手間はかからない……私、という訳ですか」


 微笑んで肯定する。


「一目で恋に落ちたとでも言った方が良かったか?」

「あら、なんてロマンチックな方でしょう。そうであれば、謹んで申し出をお受けいたします」


 お互い、似たような笑顔を向けあう。

 会場へ連れ立って戻るため、手を差し出した。エレノアが重ねようとして……寸前で止める。


「……正式な婚約は、1ヶ月後のルクセン王国、3ヶ月後のキトル公国との会談を終え、その結果を確認してからにいたしましょう」


 条件を出し、手を引っ込めた。

 ならば仕方ないと、腰を抱く。


「断る」


 エレノアが頰を赤らめ、抗議の目を向けた。完成された笑みより、こちらの方が見ていて面白い。


「どうしてもと言うなら……結婚までに状況が変われば、躊躇なく婚約破棄すると約束しよう」

「…………婚約破棄にも、手間はかかります」

「俺を見くびるな」


 腰を引くのとは反対の手で髪に触れる。

 近づいた顔に、エレノアの動きが止まった。


 やはり、感触の良い髪だ。ずっと触れていたくなる。

 これを必ず手に入れるという意志を込め、婚約前と自覚しながらも、唇を奪った。


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