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作戦1:修道院(2)

 

 顔面を蹴り飛ばしても、よろしくて?


「エレノア、次は聖堂のモップ掛けをお願いします。私はここに座っていますから、分からない事があれば遠慮なく聞いてください」


 優しげに微笑まれ、モップを渡される。広い聖堂で、他にモップを持つ者などいない。

 疲れ果てていても、染み付いた笑顔は自然と出てきて、元来の負けず嫌いが弱音を吐かせなかった。


「はい、院長様」


 頭の中で床に院長の顔を浮かべ、口をめがけて水をかける。さらに、その鼻へモップを擦り付けた。

 適当に掃除すれば、ここぞとばかりに嫌味を言われるだろう。文句の付けようが無いほど綺麗にしてやる!


 床一面に気に食わない微笑みを並べ、端から力強くこすっていく。

 くらえ!くらえ!くらえ!!


 慣れない生活で困らないようにと、1週間だけ、修道院長が直々に指導してくれていた。

 確かに、聞けば何でも教えてくれる。問題は仕事量だ。


 次から次へと大量の仕事を割り振られた。気のせいではなく、明らかに他の者より多い。

 初日は3割り増し、二日目は5割り増しとどんどん増え、もはや2倍の量をこなしている。


 そう、こなしている。

 子供の頃から要領が良く、貴族の娘にしては体力もある私だからこそ、出来ていると思う。他の令嬢なら、もっと追い詰められていた。


 新人イジメだ。しかも、合理的な。

 閉鎖的な世界で、逃げ場など無い。肉体的に追い詰め続け、そこで聖書の教えを繰り返し説く。薄っぺらい信仰心で来た者も、心から神へ祈るようになるだろう。

 これは人心掌握術の一つだ。


「終わりました。確認をお願いします」

「まぁ、素晴らしい。速いし、とても丁寧な仕事ですね」


 おかげ様で。掃除などした事もなかったのに、この6日間ですっかり板についた。


「では、次はこちらを書庫まで運んでください」


 院長が手で示したのは、本日寄贈された本だ。いずれも分厚く、100冊はある。

 これも、一人で運べと?


「……少々、休憩を頂いても宜しいでしょうか」

「もちろんです。けれど夕食の支度が始まるまでには、お願いしますね」


 それって、休んでる暇ありませんね。


「私は部屋へ戻ります。では、また夕食で」


 曲がった背で歩く姿は、手を差し伸べたくなるものだ。今は軽く張り倒したい。


 やって…………やりますとも!!


 重たい本を抱え階段を駆け上り、駆け下りる。足下に憎い顔を思い浮かべ踏みにじりながら、結局21回繰り返した。


 その後は夕食の支度、落ち着いて食べる間もなく片付け、2日ぶりの入浴は共同浴場の清掃付きだった。


 寝室へ戻ると、相部屋の3人は既に寝息を立てていた。

 自分のベッドへ腰掛け、頭からベールを取る。貼り付いていた笑顔がやっと剥がれた。


「…………………疲れた」


 ぽてりと倒れ込む。今すぐ眠りたい。

 けれど酷使された身体があちこち痛く、なかなか寝つけない。


 外でフクロウが鳴いた。繁殖活動か、連日うるさい。

 ここで生活していると、漏れ聞こえる外の様子なんて、この鳴き声くらいだ。


 ……お父様に、迷惑をかけてるだろうな。


 父は皇帝に仕え、宰相職に就いている。私が断りなく修道院へ入ってしまい、憤ってる事だろう。


 父だけではない。夫であるサミュエルも迷惑を被るはずだ。

 そろそろ彼が北部の視察から帰る。

 怒るだろうか。それとも、私から解放されて安堵する?


 離婚を拒否してくれるのは、10年連れ添った情からだ。本心では離縁したいに違いない。もはや、私に価値など無いのだから。


 短い髪に触れる。まだ毛先が硬い。髪を切ったのは未練を断ち切る為でもあった。

 もうずっと前、サミュエルが美しい髪だと言ってくれたのを、まだ覚えている。おそらく、ただのお世辞。それでも嬉しかったのは、私が彼に恋していたから。


 この髪にも慣れてきた。温もりのないベッドにも、じきに慣れるだろう。


 徐々に疲労感が痛みを上回り、ゆっくり眠りへと落ちていく。

 夢の中で、サミュエルは異国の王女と寄り添っていた。




 修道院長が私を指導、もとい虐める最後の日は、太陽も昇っていない早朝に始まった。つまり、あまり寝ていない。


 炊き出しに使うパン生地を黙々と成形し、釜で焼いた。朝のお祈りだけが休憩時間で、炊き出しの裏方、洗濯、畑仕事。いずれも他人の倍は働かされる。

 昼食後は、無駄に高い塔の螺旋階段を一人で拭き掃除し…………ここで、体力の限界が来てしまった。


 立ち上がりたくない。

 ……けれど、立ち上がるしかない。終わったら院長室へと言われている。

 よろよろ歩き始めた。


 神なんて信じていない。いくら心を込めて祈りを捧げようと、決して届かなかった。

 だというのに、もう信仰の扉を開いても良い気分だ。本当によく出来たシステムと感心する。

 この期間と仕事量、いったい誰が決めたのだろう。


 院長室まで辿り着くと、話し声が聞こえた。誰か来ているらしい。

 来客中なら、入らず待っていても良いだろうか。どうせ、また仕事を言い渡される。


 少し考え、誘惑を打ち消す。

 正直に、これ以上は無理だと言おう。プライドが傷つくだけで、追い出されはしない。

 持ち上げるのもつらい手でノックし、名を告げた。


「どうぞ」


 想像通り、入室を許可された。

 急な来客など滅多にない。来客中に入っても良いから、呼ばれているのだ。

 扉を開け…………そして閉めた。


 …………………………今のは?


 しばし頭も身体も固まる。疲労で思考力が落ちていた。

 その間に修道院長が私を追って扉を開ける。


「エレノア、どうしました」

「……来客中だったようなので」

「えぇ、貴女のお迎えです」


 曇りない笑顔を向けられた。


 ……院長様?私を追い出す気なの?


 引きつりそうになりながらも、微笑み返して尋ねる。


「神は、全ての者に手を差し伸べているのでは?」

「はい。その通りですよ」


 彼女はシワを深くし、私の肩に手を添えた。院長室へ入らされる。


「お、お待ちください。私はまだ」

「久しぶりだな、エレノア」


 先ほど目にした客人が、私の手を引いた。今度は彼に肩を抱かれる。

 今は抵抗する力など残っていない。立ってるだけで精一杯だ。


「…………お久しぶりです、サミュエル皇太子殿下」

「もう修道院での生活は終わりだ。普段通り呼べば良い」


 か、勝手に決めるな!

 文句を言いたいけれど、今は状況が飲み込めない。


「エレノア妃殿下、ここでの1週間はいかがでしたか」


 修道院長が、皇太子妃に対する形で話しかけてきた。帰る前に振り返りでもしようといった風情だ。


「……とても充実しておりました。けれど、まだまだ学び足りません。どうか、今しばらく私を置いてください」

「まぁ。そのように言って頂けて光栄です」


 本気で言っているのに、社交辞令かのように返される。


「最初は半信半疑でしたが、手紙の通り、他の者の2倍、3倍と献身され、感動いたしました」


 手紙の……通り?


「皆が殿下のお姿に刺激を受けました。多忙な身でありながら、1週間でも神に仕える期間を持っていただけた事、感謝いたします」


 まるで、初めから短期間で帰ると決まっていたような、そんな口ぶりだ。


 ようやく状況が見えてきた。すぐさま訂正しなければならない。

 口を開いた所で、顔ごとサミュエルの胸に押し付けられた。彼の香りに包まれる。


「エレノア妃殿下? いかがされましたか」

「どうやら、感極まったようだ」


 私から胸へ飛び込んだように言わないで欲しい。

 無い力で抜け出ようとしたら、拍子抜けするほど簡単に離れられた。驚いた口に何か入れられる。


「……!」


 甘い。大粒の飴だ。


「世話になった。我々はこれで失礼する」

「いえ、お世話になったのはこちらの方です。滞在いただき、ありがとうございました」


 修道院長が別れの挨拶を口にし、礼をした。

 今すぐ、滞在を続けたいと伝えなければならない。社交辞令でなく、本気だと。


 けれど、口を開けば飴が入ってると分かってしまう。私を皇太子妃として敬い、接している彼女に……そんな無礼な姿は見せられない。


 何の反応もない私に、修道院長が首を傾げた。


「っ………」


 く、悔しい。

 これでは、別れの礼を返すしかない。


 屈辱に手を握りしめながらも、顔は歪めず礼をした。

 サミュエルにさり気なく支えられ部屋を出る。



「着替えるか?」


 掃除で汚れた服を見て、着替えを促された。確かにこの格好で帰ったら奇異の目を向けられる。

 けれど、いま話したいのはそんな事じゃない。


「……手紙をすり替えましたね」


 飴を含んだまま話す。サミュエルに対する無礼など気にしない。


「人聞きが悪い。君の手紙を誤って紛失した者がいたから、代筆してやっただけだ」

「誤って……そして、代筆ですか」

「修道院へ送る手紙だ。内容は容易に想像できる」


 彼が想像したのは、手紙の内容だけではない。

 私の体力を計算し、迎えに来る日、ちょうど抵抗できないよう仕事を与えた。

 私の性格を把握し、不自然な仕事量も新人イジメと考えることを確信していた。


 反骨心で弱音を言わず、かつ院長を嫌い必要以上に話さない。そうと分かっていたから、こんな手を選べたのだ。


「私が仕事量に文句を言っていれば、手紙の代筆に気づけたでしょうね」

「俺の妻は、なかなか強情だからな」

「私の夫は、なかなか人が悪いわ」


 サミュエルがここまで邪魔してくると思わなかった。悔しいけれど、完敗だ。今日は大人しく帰るしかない。

 着替えのために賓客用の控え室へ入る。


 ーー パタン


 扉が閉められた。室内には私とサミュエルだけだ。


「着替えます。出て行ってください」

「久しぶりに会ったんだ。もう少し堪能させてくれ」


 疲れてる身体を労わるように、優しく抱きしめられた。

 再び彼の香りに包まれ、不本意ながら肩の力が抜けてしまう。


 いつも髪を撫でるのと同じ手つきで、ベール越しに頭を撫でられた。邪魔に感じたのか、外される。


 サミュエルの動きが止まった。


「………切ったのか」


 しまった。髪のことを忘れていた。みっともないと思われただろうか。


「はい。邪魔だったので」


 動揺なんて微塵も見せず、先ほどと同じ冷たい声で答えた。


 短い髪を撫でられる。勝手が違うのか、どこかぎこちない。

 その手が頬を辿り、顎に添えられた。近づいてきた口元を手で押さえる。


「まだ、修道院内です」

「…そうか」


 同意する様子に手を下ろすと、その隙に口付けられた。


「っ…んぅ……」


 どうしたのだろう。サミュエルは場所をわきまえる人なのに。

 ほどなくして唇が離される。


「……甘いな」

「…貴方のせいです」


 事実を言っただけなのに、気に食わなかったのか、もう一度口付けられた。



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