作戦6:診断書(4)
「どういうつもりですか」
10年前、招待客を魅了するため散々練習したステップを踏む。
さすがに忘れてる部分もあるけれど、そこは……おそらく完璧に覚えている、サミュエルを見て合わせた。
「何のことだ?」
「来春の北方視察の件です。もし離婚後の私を同行させる気ならば、それはお断りします」
ゆったり優雅に、しかし時に素早くメリハリを付けて……。揺れるドレスの裾、なびく髪の形まで意識する。
二人で踊るのは久しぶりだけれど、リードの上手さも手伝って、なかなか良い感じだ。元より目立っていた私達が、更に人目を引きつけ始めた。
「誰も別れた妻と行くとは言っていない」
それなりに難しいステップの最中で答えられる。
……じゃぁ、新しい妻と?
そんなに速く再婚できるだろうか。引く手数多と言っても、結婚には手順がある。
もう相手を見定めていて、根回しが済んでいる?……もしそうなら、誤解を招く言い方はしないでほしい。
「考え事とは、余裕だな」
サミュエルが紳士然とした微笑みを浮かべた。嫌な予感がする。
けれどいつもの癖で、つい応じるように微笑み返してしまった。
曲調に合わせ、不自然にならない限界まで足の動きが速まる。それでいてターンにアレンジや、突然の方向転換などが加わった。神経をとがらせ、サミュエルの動きを注視する。
彼の狙った通り、余裕は無くなってきた。でも、やられっぱなしは癪に触る。タイミングを見計らい、私も得意のステップを入れ込んだ。
「それでこそ俺の妻だ」
「あら、これを条件にしては再婚できなくなりますよ」
自分で言うのも何だけれど、私はかなりダンスが上手い方だ。彼にここまで付いて来れる女性は多くない。
証拠のように、ターンやステップが変わるたび周囲から歓声が上がる。もはやホール中の注目を集めていた。
踊っていた人達までもが足を止め、観客に回る。おかげで私達の使えるスペースが広がった。それを無駄にせず大きく動き、より多様なターンやステップを繰り出す。
ーー 楽しい。
ひと時も気は抜けない。けれど、それとは別で頬が緩む。淑女の仮面ではなく、私、エレノア自身の笑みが溢れた。
サミュエルにとっての私がそうであるように、私とここまで踊れる相手は……彼しかいない。
「楽しそうだな」
見上げれば、私と同じようにサミュエルも笑っていた。
「サミュエル様も楽しめているようで、何よりです」
「より面白くしてやろう」
曲のラストへ近づき、盛り上がり始めた演奏と共に、足の動きがまた速くなる。ホールいっぱいを螺旋状に動き、徐々に中央へ向かった。
複雑なアレンジは無くなり、ターンがひたすら速く、速く、速く、速くなる。
連続スピンターン。もつれそうになる足、目が回らないよう動かす顔、美しい軌跡となるよう固定した腕と背、全てに神経を巡らせた。
どよめきが上がる中、抜かりなく、音楽の締めくくりも聞き逃さない。
大きく背を反らし、サミュエルに支えられる姿勢で…………ピタリと止まった。
ほぅっと息が漏れる。
それが合図だったかのように、大きく拍手が巻き起こった。
あまりに盛大な拍手で、わずかに揺れたシャンデリアが辺りを煌めかせる。
ダンスの前と違い、取り囲むのは称賛一色の目。
震えそうになる唇を密かに噛んだ。
「上出来だ」
笑顔で歓声に答えるサミュエルから、いらない合格判定を貰った。
荒く呼吸し胸を上下させる私に対して、サミュエルはまだ余裕が見える。……悔しい。
拍手が落ち着き始めた頃、話し掛けられる前にダンスホールから離れた。
人混みから逃れ、休憩室へ移動する。大広間を出れば、冬の空気が火照った頬を冷ましてくれた。
じわじわと、実感する。
あぁ……きっと、これが彼と踊る最後のダンスだった。
離婚した後までこんな事をしてたら、再婚相手が気を悪くする。彼はもう私の夫ではなくなるのだから、今後は不用意に触れることも叶わない。
実感が増すごとに、熱くなっていた身も心もみるみる冷えて行った。
「……エレノア?」
休憩室に入ってすぐ立ち止まった私を、サミュエルが訝しがる。
言えば良い。清々しく、笑いながら。
良い思い出になりました、今までありがとうございましたと。
そう思うのに……違う言葉が口をつきそうになる。
それがどんな言葉なのか、自分でも分からない。分かりたくもない。
「………」
黙って俯く私の頰に、手が添えられる。これまで幾度となく私へ伸ばされてきた手。
ゆっくり上げさせられた顔に……
―― ぺたり、淑女の笑みを貼りつけた。
「少し……疲れが出たようです。差し支え無ければ、今夜はお暇させてください」
サミュエルの手を取り、返すように胸元へ押し付ける。
「ならば俺も戻ろう」
「いいえ。侍女も呼びますから、独りで大丈夫です。サミュエル様はまだ御用が残っておいででしょう」
間もなく皇太子妃でなくなる私と違い、サミュエルは会うべき人が多い。特に今夜は、普段あまり帝都へ来ない人達も参加している。まだまだ、彼の夜は長い。
休憩室から立ち去ろうとして、案の定、手を取られた。来なくて良いという訴えは無視される。
上着を掛けられ、腰を支えられ、大事に大事に私室までエスコートされた。
「手数をお掛けしました。では本日はここで、おやすみなさい」
本音を見透かす瞳は見ないようにし、手短に挨拶する。
独りにしろという頑なな態度に、ひとつ、ため息が落とされた。
「……分かった。では、よく休め」
頭を撫で、そのまま髪を梳いて先端に口付けられる。
「………」
少しも変わらない、貼り付けた笑顔のまま扉を閉めた。
足音が遠くなるのを聞いて、ずるずると、その場に座り込む。どうなってるか分からない顔を両手で覆った。
「……エレノア様?」
心配するゾーイの呼びかけにも答えず、しばらくそのまま……動けなかった。




