作戦6:診断書(3)
形式だけ神に跪き、全く心のこもらない祈りを捧げた。
ステンドグラスから落ちる月明かりの中、皇帝陛下から順に頭を上げる。厳かな雰囲気を保ったまま、礼拝堂を出て大広間へ移動し始めた。
通路は半屋外のため、一時的に外衣を羽織る。真冬の冷たい風が頰を撫でた。寒さに丸まりそうな背を伸ばし、皇族の一人としてサミュエルと並び歩く。
今夜は、一年の終わりにして始まり。神が一夜にして世界を創り出したと言われる、創世祭の日だ。
皇城では国中の貴族を集めたパーティーが催される。
穏やかに新年を迎えようとする国民に、水を差すことは出来ない。陛下に診断書を渡したにも関わらず、私が未だ皇太子妃の座にいるのは、ただそれだけの理由だ。
年明け一週間後に、離縁する運びとなっている。
サミュエルからの妨害も無い。
離婚理由から作って来た今までとは訳が違う。診断書には強めの言葉選びをさせたけれど、嘘を書かせた訳じゃない。不妊は偽りようのない事実。妨害のしようが無いのだ。
フゥとため息が漏れる。これは安堵のため息。そうに違いない。
何気なく、隣のサミュエルを盗み見た。ちょうど逆光で、月の光を受けた髪が半分透き通っている。
神秘的な面差しに、息を飲んだ。視線に気づいた彼と目が合う。
「なんだ。今さら見惚れてるのか」
冗談のように囁かれ、まさに見惚れていたとは言えず、ぷいと顔をそらした。
いつもと同じ、他愛ないやり取り。けれど今は、チクチクと胸を刺されるような気持ちになった。
もうすぐ……終わり。
この夜が明ければ、きっと瞬く間に離縁の日となる。長過ぎた彼との関係が、幕を閉じる。
パーティー会場である大広間へ着き、外衣をはずして壇上に並んだ。
静寂に満ちた礼拝堂とは打って変わり、人が多く熱気あふれる会場は、冬を一時忘れさせる。
皇帝陛下がお言葉を述べてる間、陛下よりも多くの視線を私達が集めた。既に診断書の件も、離縁する件も、広く知れ渡っている。
憐れみの目、蔑みの目、好奇の目、はたまた、見当違いな期待の目。
私だけでなく、サミュエルがこれらに晒されてる事が堪らなく不快だ。胃の中がグルグルと掻き回されるような気分に、吐き気がした。
陛下のお言葉が終わり、私達が壇上から下がっても視線は引かない。
異様な空気の中、しかしサミュエルはお構いなく、普段通り幾人かに話し掛ける。相手も、さすがサミュエルに声を掛けられる人物といった所か、視線を物ともせず対応し、一方で私の件には不用意に触れなかった。
「サミュエル皇太子殿下、エレノア妃殿下、ご機嫌いかがでしょうか」
徐々に好奇の目が減って来た頃、愛らしく頬を染めた令嬢が、数名の友人を連れ現れた。
「お初にお目にかかります。私はアントース伯爵の娘、クリスティンと申します。春の北方視察では、私どもの領地まで足を運んでいただけたこと、真に感謝しております」
お辞儀する彼女を見て、歪みそうになる口元を扇で隠した。
随分と前の、お礼だこと。
取ってつけたような挨拶の理由、勇気づけるように背中を押すご友人方。彼女の本当の目的は、誰の目にも明らかだ。
サミュエルはほぼ必ず、夜会で私から離れる時間を持つというのに、それを待てなかったらしい。
なかなか神経の太い人だと思いながらも、友好的に微笑んだ。
彼女は繰り返し、淡いブロンドを耳にかけアピールする。その髪色が次の妃の条件とでも言うように。
彼女だけではない。周囲で指を咥えて見てる令嬢や親達も、皆、同じように考えている。
二度目だからだ。金以外の髪色をした皇太子妃が、身籠もらず離縁するのが。
本来、子が出来ないのは離婚の理由にならない。夫婦が神前で誓うのは、生涯より添う事で、子を成す事ではないからだ。
けれど二代前の皇帝が皇太子だった頃、ブルネットの髪を持った妃が子を成せず、帝位継承が危ぶまれた。そのため、教会は皇帝と皇太子に限り、不妊による離婚を認めるに至ったのだ。
ここ十数代ブロンドの妃が続いてる中、稀に現れたそれ以外の妃が揃って離縁となっては、もはや皇族はそういう定めにあると思われて仕方ない。
アルメリア皇国で金髪は珍しい。国内で年頃の令嬢と限れば、極僅かだ。その中で、彼女は家格の低い方となる。
多少の無礼を承知で来たのは、そんな自信と焦りからだろう。
「殿下のおかげで、今年の収穫量は飛躍的に増えました。来年の春にお越しいただく際は、より良い報告とお持てなしが出来るかと思います」
何度も練習したのか、精一杯、綺麗な笑顔を作る彼女は……とても健気だ。サミュエルが紳士的な微笑みを向ければ、赤みを増す頬がまた可愛らしい。
私にも、こんな純真無垢な頃があっただろうか。……無かった気がする。
「アントース伯爵領は、湖と渡り鳥が美しかったな。エレノア、興味はあるか?」
「え?…ぇ、はい」
サミュエルが急に話を振ってきて驚き、適当に返事をしてしまった。
美しい自然は好きだから、嘘にはなっていない。
「では次は、妻と訪れるとしよう」
腰を引かれ、身体を密着させられる。額にキスを落とされた。
…………は?
アントース伯爵令嬢も、その友人も、聞き耳を立てていた周囲の人々も、ギョッと目を剥く。
驚きと戸惑いにざわめく中、私は顔にこそ出さなかったけれど、頭は疑問符でいっぱいだった。
言い放ったサミュエルだけが平然とし、簡単に別れの挨拶をして、私を連れその場を立ち去る。
来年の、春。
その頃には当然、私達は夫婦でなくなっている。再婚相手はまだ決まってないだろう。
いったい……何??
私と新婚旅行ならぬ、離婚旅行にでも行く気なの??
サミュエルの言動が理解できず、連れられるがまま歩く内に、ダンスホールまで下りてきていた。手にしてた扇もいつの間にか取られ、誰かに預けられている。
右手を掬い上げられた。腰の抱き方も変わり、自然と私も彼の肩に左手を添える。
ふっと、楽団の演奏が止まった。
不自然な止まり方に首を捻り、目を向ける。ベンシード伯爵が演奏者に何か指示を出していた。
新たに流れ始めたのは、神の祝福に感謝を捧げる楽曲。創世祭でも使われるけれど、それ以上に婚約や結婚の披露パーティーで使われる事が多い。
10年前、私達もこの曲を踊った。
「踊れるな」
サミュエルが否定を許さない声色で問いかけ、少年のように悪戯っぽく笑う。
答えも聞かずに足を動かした。




