作戦6:診断書(1)
パチパチと、暖炉の火が音を立てる。今季初めての火入れだ。
昼だというのに、空は雲が覆っていて薄暗い。燃える紅が、やたら鮮やかに見えた。
「どこか……具合が悪いのですか?」
ゾーイが茶器を用意しながら、不安げに声をかける。理由を告げず医師を呼んだからだ。
「いいえ。健康そのものよ」
敢えて言うなら、少し喉が渇いている。早くお茶を飲みたいけれど、すぐに来客があるのだから、大人しく待っていた方が良い。
数分もしない内に扉がノックされた。
ゾーイが対応に向かい、途中で立ち止まる。思い詰めた表情で振り返った。
「エレノア様っ!」
私の下へ戻って来る。何が悲しいのか、今にも泣きそうだ。……仕方のない子。
「何かしら」
「聞かなくても良い事を、聞くおつもりですか?」
「………」
彼女は私が何をしようとしているか、分かってるのだろう。けれど、聞かなくても良い……とは同意できない。
「やはり、先生にはお戻りいただきましょう」
「あら、それはダメよ。呼びつけて追い返すなんて」
ゾーイが俯き、首を振った。
「今のままで、何がいけないのでしょう。好き勝手言う外野からは、サミュエル殿下が守ってくださいます。お二人は愛し合っていらっしゃる。夫婦には、それで十分ではありませんか」
私の手を取り、両手で包み込む。
優しく、綺麗な心を持った、私の侍女。何だかんだ言いつつ、結局は主人の幸せを願ってくれている。
愛し合ってる……とは誤解だけれど、今のままが一番というのは間違ってない。あくまで、私にとっては。
けれど、私だってサミュエルの妻であり臣下だ。同じように主人の幸せを願っている。
「サミュエル様にとっても、このままで良いと言えるかしら」
「…………それは…」
言葉に詰まるゾーイの手を撫でた。彼女の瞳が揺れる。
「……他に方法は無いのですか」
「もう、10年かけて試し尽くしたわ」
「………」
頰にキスをして、微笑んだ。
ゾーイはまだ何か言いたげな顔をしていたけれど、扉へ戻ってくれる。客人を迎え入れた。
長い髪を後ろでまとめ、白衣をまとった女性が入室する。
「エレノア妃殿下。本日は如何なさいましたか」
緊張をほぐすような笑みを浮かべながら、すぐに私の側へ寄り、顔色を見てくれる。
「ごきげんよう、ラフィ。今日は、体調が悪い訳じゃないのよ」
彼女は、女性皇族を診察する専門の医師だ。健康自慢の私だけれど、ラフィには定期的にお世話になっている。
「少し話をしたいの。一緒にお茶でもいかがかしら」
私の隣、暖炉に近く、庭園の見える席を勧めた。ゾーイがお茶を淹れる。
ラフィは表情を硬くし、けれど覚悟していたのか、迷いなく席に着いた。
お茶の注がれる音を聞きながら、何か話のタネにと庭園を見やる。寒いなりに美しく整えられていたけれど、どこか寂しく感じる。仕方ない。ここは初夏が最も美しい庭だ。
庭ではなく茶葉の話でもしようかと思い、紅茶を口にした。
「申し訳ありません」
突然の謝罪に、しかし大きな驚きは無く、落ち着いて声へと目を向ける。ラフィが頭を下げていた。
「そろそろ、私から問いただされるとでも、教えられたのかしら」
「………」
「正直に答える許可は貰った?」
「……はい」
息をつく。サミュエルも、やっと邪魔するのをやめたらしい。平和的に事を進められるようで何よりだ。
しかし、それなら離婚申立書にサインして欲しいとも思う。
「申し訳ありません」
ラフィが言葉を重ねた。
そんなに謝る必要はない。彼女は言われた通りにしただけだ。
「顔を上げて。過ぎた事は水に流しましょう」
「しかし……」
「今から、ちゃんと報告してくれれば十分よ」
謝ってるのは、事実を捻じ曲げた報告について。
父、フォレステン侯爵の勧めで行われる検査。結婚3年目からずっと、サミュエルと共に受け続けている。
結果はいつも同じ、異常なし。
最初は、そんな事もあるだろうと思っていた。医学は日々進歩しているけれど、全てを解き明かせる訳ではない。何か問題があっても、検査結果には出なかったのだろうと。
けれど、自分に出来る事は無いかと独学で調べる内、一つの事実に気づいてしまった。
どう考えても……私に問題がある。
検査結果の詳細を求めたけれど、拒否された。誰かが虚偽の報告をさせていると気づき、サミュエルに伝えるも、流されてしまう。彼こそが、指示した人だったから。
顔を上げたラフィが、すがるような目をして口を開いた。
「ひとつ、先にお伝えさせてください」
彼女がそう願い出た事で、何を言われるか分かってしまった。
あまり聞きたくない。けれど、言わせないのも可哀想だ。
「……いいわ」
「ありがとうございます」
ラフィから目を逸らし、テーブルに向き直る。意識する事なく、手がティーカップへ伸びた。気を落ち着かせるように口へ運ぶ。
「今までの報告、これも……決して、真っ赤な嘘ではございません」
「……そう」
「決定的な問題では無いのです。お二人にも、まだ可能性があります」
「……そうね」
希望は常にある。それは、とても残酷な事だった。
可能性にすがり、何度も期待して、期待して……裏切られる。その繰り返しが際限なく続き、実現しないまま時が流れた。
サミュエルだって可能性があったからこそ、誰も傷つかない未来を願ったのだろう。
そうして、10年を無駄にした。
私はもっと早く諦めるべきだった。別れてあげるべきだった。
希望に振り回された自分が愚かしい。
「その可能性って、どれほど小さいものかしら」
ラフィはまた表情を硬く、険しくした。拳が握りしめられる。
「無いのと、変わらないほどでしょう?」
ゾーイに紙とペン、インクを用意させる。
彼女も眉間にシワを寄せていたけれど、指示には従ってくれた。
「診断書をお願いするわ」
「診断書……ですか。お時間頂けるなら、検査結果をお持ちしますが」
「いいえ。ここで書いて欲しいの」
はっきりと、あくまで診断書を依頼する。ラフィは首を傾げながらも、早速ペンを走らせた。
ティーカップを置き、ひとつ言い足す。
「書き方には気をつけて」
「……?」
「可能性は、無いものと取れるように」
「っ……!それは」
彼女の唇に指を当て、反論を止めた。
微笑み、内緒話をするように顔を近づける。
「ねぇ、サミュエル様って素敵でしょう?」
「ぇ……」
突然の夫自慢に、ラフィは戸惑いの表情を浮かべた。
「ただ見た目が良いだけじゃない。政治、経済、外交、統率術、何を取っても優れていて、憎いくらいに完璧だわ。きっと、歴代類を見ない賢帝となるでしょう」
「……はい」
「そんな人の血が、途絶えて良いのかしら」
「っ……」
身を離し、改めて向き直る。
「サミュエル様の次は、私が変なお願いをしてごめんなさい。でも心配しないで。もし何かあっても、貴女の責任が問われないよう取り計らうし、フォレステン侯爵家が後ろ盾となるわ」
俯き、未だほぼ白紙の診断書を見つめるラフィに、駄目押しのひと言を告げる。
「ねぇ、お願い。あの人を…………私から解放したいの」
ゴトンと、音を立てて薪が焼け折れた。




