表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/34

作戦6:診断書(1)

 パチパチと、暖炉の火が音を立てる。今季初めての火入れだ。

 昼だというのに、空は雲が覆っていて薄暗い。燃える紅が、やたら鮮やかに見えた。


「どこか……具合が悪いのですか?」


 ゾーイが茶器を用意しながら、不安げに声をかける。理由を告げず医師を呼んだからだ。


「いいえ。健康そのものよ」


 敢えて言うなら、少し喉が渇いている。早くお茶を飲みたいけれど、すぐに来客があるのだから、大人しく待っていた方が良い。


 数分もしない内に扉がノックされた。

 ゾーイが対応に向かい、途中で立ち止まる。思い詰めた表情で振り返った。


「エレノア様っ!」


 私の下へ戻って来る。何が悲しいのか、今にも泣きそうだ。……仕方のない子。


「何かしら」

「聞かなくても良い事を、聞くおつもりですか?」

「………」


 彼女は私が何をしようとしているか、分かってるのだろう。けれど、聞かなくても良い……とは同意できない。


「やはり、先生にはお戻りいただきましょう」

「あら、それはダメよ。呼びつけて追い返すなんて」


 ゾーイが俯き、首を振った。


「今のままで、何がいけないのでしょう。好き勝手言う外野からは、サミュエル殿下が守ってくださいます。お二人は愛し合っていらっしゃる。夫婦には、それで十分ではありませんか」


 私の手を取り、両手で包み込む。

 優しく、綺麗な心を持った、私の侍女。何だかんだ言いつつ、結局は主人の幸せを願ってくれている。

 愛し合ってる……とは誤解だけれど、今のままが一番というのは間違ってない。あくまで、私にとっては。


 けれど、私だってサミュエルの妻であり臣下だ。同じように主人の幸せを願っている。


「サミュエル様にとっても、このままで良いと言えるかしら」

「…………それは…」


 言葉に詰まるゾーイの手を撫でた。彼女の瞳が揺れる。


「……他に方法は無いのですか」

「もう、10年かけて試し尽くしたわ」

「………」


 頰にキスをして、微笑んだ。

 ゾーイはまだ何か言いたげな顔をしていたけれど、扉へ戻ってくれる。客人を迎え入れた。

 長い髪を後ろでまとめ、白衣をまとった女性が入室する。


「エレノア妃殿下。本日は如何なさいましたか」


 緊張をほぐすような笑みを浮かべながら、すぐに私の側へ寄り、顔色を見てくれる。


「ごきげんよう、ラフィ。今日は、体調が悪い訳じゃないのよ」


 彼女は、女性皇族を診察する専門の医師だ。健康自慢の私だけれど、ラフィには定期的にお世話になっている。


「少し話をしたいの。一緒にお茶でもいかがかしら」


 私の隣、暖炉に近く、庭園の見える席を勧めた。ゾーイがお茶を淹れる。

 ラフィは表情を硬くし、けれど覚悟していたのか、迷いなく席に着いた。


 お茶の注がれる音を聞きながら、何か話のタネにと庭園を見やる。寒いなりに美しく整えられていたけれど、どこか寂しく感じる。仕方ない。ここは初夏が最も美しい庭だ。

 庭ではなく茶葉の話でもしようかと思い、紅茶を口にした。


「申し訳ありません」


 突然の謝罪に、しかし大きな驚きは無く、落ち着いて声へと目を向ける。ラフィが頭を下げていた。


「そろそろ、私から問いただされるとでも、教えられたのかしら」

「………」

「正直に答える許可は貰った?」

「……はい」


 息をつく。サミュエルも、やっと邪魔するのをやめたらしい。平和的に事を進められるようで何よりだ。

 しかし、それなら離婚申立書にサインして欲しいとも思う。


「申し訳ありません」


 ラフィが言葉を重ねた。

 そんなに謝る必要はない。彼女は言われた通りにしただけだ。


「顔を上げて。過ぎた事は水に流しましょう」

「しかし……」

「今から、ちゃんと報告してくれれば十分よ」


 謝ってるのは、事実を捻じ曲げた報告について。

 父、フォレステン侯爵の勧めで行われる検査。結婚3年目からずっと、サミュエルと共に受け続けている。


 結果はいつも同じ、異常なし。


 最初は、そんな事もあるだろうと思っていた。医学は日々進歩しているけれど、全てを解き明かせる訳ではない。何か問題があっても、検査結果には出なかったのだろうと。


 けれど、自分に出来る事は無いかと独学で調べる内、一つの事実に気づいてしまった。

 どう考えても……私に問題がある。


 検査結果の詳細を求めたけれど、拒否された。誰かが虚偽の報告をさせていると気づき、サミュエルに伝えるも、流されてしまう。彼こそが、指示した人だったから。


 顔を上げたラフィが、すがるような目をして口を開いた。


「ひとつ、先にお伝えさせてください」


 彼女がそう願い出た事で、何を言われるか分かってしまった。

 あまり聞きたくない。けれど、言わせないのも可哀想だ。


「……いいわ」

「ありがとうございます」


 ラフィから目を逸らし、テーブルに向き直る。意識する事なく、手がティーカップへ伸びた。気を落ち着かせるように口へ運ぶ。


「今までの報告、これも……決して、真っ赤な嘘ではございません」

「……そう」

「決定的な問題では無いのです。お二人にも、まだ可能性があります」

「……そうね」


 希望は常にある。それは、とても残酷な事だった。

 可能性にすがり、何度も期待して、期待して……裏切られる。その繰り返しが際限なく続き、実現しないまま時が流れた。


 サミュエルだって可能性があったからこそ、誰も傷つかない未来を願ったのだろう。

 そうして、10年を無駄にした。


 私はもっと早く諦めるべきだった。別れてあげるべきだった。

 希望に振り回された自分が愚かしい。


「その可能性って、どれほど小さいものかしら」


 ラフィはまた表情を硬く、険しくした。拳が握りしめられる。


「無いのと、変わらないほどでしょう?」


 ゾーイに紙とペン、インクを用意させる。

 彼女も眉間にシワを寄せていたけれど、指示には従ってくれた。


「診断書をお願いするわ」

「診断書……ですか。お時間頂けるなら、検査結果をお持ちしますが」

「いいえ。ここで書いて欲しいの」


 はっきりと、あくまで診断書を依頼する。ラフィは首を傾げながらも、早速ペンを走らせた。

 ティーカップを置き、ひとつ言い足す。


「書き方には気をつけて」

「……?」

「可能性は、無いものと取れるように」

「っ……!それは」


 彼女の唇に指を当て、反論を止めた。

 微笑み、内緒話をするように顔を近づける。


「ねぇ、サミュエル様って素敵でしょう?」

「ぇ……」


 突然の夫自慢に、ラフィは戸惑いの表情を浮かべた。


「ただ見た目が良いだけじゃない。政治、経済、外交、統率術、何を取っても優れていて、憎いくらいに完璧だわ。きっと、歴代類を見ない賢帝となるでしょう」

「……はい」

「そんな人の血が、途絶えて良いのかしら」

「っ……」


 身を離し、改めて向き直る。


「サミュエル様の次は、私が変なお願いをしてごめんなさい。でも心配しないで。もし何かあっても、貴女の責任が問われないよう取り計らうし、フォレステン侯爵家が後ろ盾となるわ」


 俯き、未だほぼ白紙の診断書を見つめるラフィに、駄目押しのひと言を告げる。


「ねぇ、お願い。あの人を…………私から解放したいの」


 ゴトンと、音を立てて薪が焼け折れた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ