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作戦5:犯罪行為(5)

 目が覚め、瞼を持ち上げる。

 赤紫の灯りで照らされた天井は、見覚えの無いものだった。

 それの意味する所……攫われた事実に気づき、寝起きでぼんやりしていた頭が覚醒する。


 身体を起こし、視界に映った自らの姿にギョッとした。着ていたのは薄いシュミーズドレス一枚、それだけ。他には何も身につけてない。

 ほぼ反射で辺りを見回したけれど、他に人の姿は無かった。小さく息をつく。


 服装は心許ない。けれど、拘束もない。

  一般的な貴婦人なら羞恥心が枷となり、ベッドから出られなくなるだろう。

 しかし生憎、私はそんな柔な神経をしていない。無駄に肌触りの良い布地を感じながら、足をベッドから下ろした。


 立ち上がり、改めて部屋を確認する。

 壁には、鏡や絵画が趣味良く飾られていた。位の高い部屋と窺える。

 それなりに広いのに、あるのはベッドだけだ。


 たった一つの窓へ寄り、分厚いカーテンを引く。けれどそこは窓ではなく、続き部屋への入り口だった。

 大きい机と、それを囲む書棚が見える。応接セットや補佐が使う机もあり、窓が無いことを除けば執務室によく似ていた。


 机に積まれた書類を手に取る。ベッドルームから差す僅かな明かりで照らした。

 目にした内容で、即座に自身の置かれた状況を理解する。


 ここはメニルク伯爵領にある娼館、そこの支配人室だ。隣の部屋で、自らも客をもてなせる作り。

 書類には禁止薬物の製造や使用、誘拐、人身売買に関して、赤裸々に書き記されていた。いずれも、支配人のサインで締めくくられている。

 見覚えのない女性名。けれど、字には嫌というほど覚えがあった。


 私の筆跡だ。

 正確には私の筆跡を真似たもの。よく出来ている。


 パッと、書類を切るように一筋、明かりが差した。見る間に広がり、部屋を照らす。


「おやおや。ベッドへ篭らず、こんな所にいるとは……やはり、見かけ通りの方ではないようだ」


 音もなく開かれた支配人室の扉。そこにメニルク伯爵が立っていた。後ろに黒装束の者も数人見える。

 防音が施されていたのか、廊下から、今まで聞こえなかった嬌声が漏れてきた。


「貴方も、見かけ通りの方では無いようですね」


 書類でなるべく身を隠しながら、蔑むように微笑んで返す。

 立派な紳士のように見える彼は、私の姿を上から下へ無遠慮に眺めていた。


 おそらく、ここはメニルク伯爵の部屋。隣は、専ら自分が楽しむために使用していたのだろう。

 社交界でそんな噂は聞かないけれど、実は相当な好色家なのかも知れない。


 どう逃げたものかと様子を窺うも、良い案が浮かばないまま距離を詰められる。

 伸ばされた手を避け、隣の部屋……不本意ながらベッドルームへ逃げた。


 こちらの部屋の扉へ駆け寄り、ドアノブに手を掛ける。しかし、硬い石のように押しても引いてもビクともしない。


「無駄なことですよ」


 後ろから抱きしめられ、身を強張らせる。それでも、鳩尾を打とうと勢いよく肘を引いた。

 あっさり躱され、引いた手を取られてしまう。そのまま、引きずるようにベッドへ連れて行かれる。


「書類をご覧になったのなら、貴女の辿る未来が見えたでしょう?」

「…………見えた未来と、今の状況が繋がりません」


 書類から見えたのは、断頭台。


 皇太子妃が、犯罪行為で塗り固めたような娼館の支配人。自身も薬物を乱用し、戯れに客を取っていた。

 その異変に愚かな皇太子は気付かず、ここの領主であり、行方不明の妃を追っていたメニルク伯爵が罪を暴く。

 サミュエルは皇太子の座を追われ、私は全ての罪を背負って処刑される。


 伯爵が描いただろう、その筋書きに、私と彼とが共に過ごすくだりは無い。


「分かりませんか? 答えは簡単です。サミュエル殿下を繋ぎ止める貴女に、とても興味があるのですよ」


 投げ捨てるようにベッドへ寝かされ、覆い被さられる。


「私を満足させられたなら、断罪は先延ばしにしましょう」


 耳元で囁かれ、背筋を虫が這うような不快感に襲われた。

 首の急所を狙い、拳を突き出す。けれど、やはり軽々止められた。両手を押さえられる。


「そう暴れないでください。貴女より若い男でないと、不満ですか?」


 突拍子もない言葉に、メニルク伯爵を見上げた。

 私より……若い男?


「大分、自由に過ごされていたでしょう。エドウィン・プロイルと親密な仲であった事は分かっています。ベンシード伯爵と消えた夜や、平民の家で明かした夜があった事も。…………まったく、気楽なものですね」


 そんな情報まで流されていたのかと納得するや否や、付け足された言葉、聞きたくない話の気配に、身体が固まった。


「貴女がどれだけ遊ぼうと、許されぬ間違いは起こり得ないのですから」


 鋭い槍で突き刺された。そんな錯覚がするほど、胸が痛む。

 面と向かってこんな事を言われたのは、初めてだ。


 想像していた。分かっていた。

 全ては公然の秘密。

 だってもう、10年だもの。


 抵抗を止めたままの私に、メニルク伯爵が顔を近づける。


 今の状況は、彼が作り出したように見えて……実はサミュエルが仕組んだものだ。

 伯爵が私を押し倒すのは、計算外?それとも、計算の内?

 後者なら……私は流れに身を任せた方が良いのだろう。ここで襲われるのが役目。彼の時間を奪った、償い。


「さぁ、私とも楽しみましょう、エレノア様。いや……エリー」


 唇が触れ合おうとした、その時――



「気安くその名を呼ぶな」



 ――聞く者を皆、凍りつかせる声が響いた。


 開かなかったはずの扉が開け放たれ、光に意識が奪われた刹那。急速に間合いを詰めたサミュエルが、メニルク伯爵の背後に現れた。


 金の髪を揺らし、緑眼で獲物を捉える。

 掲げられた白銀の剣が、何の躊躇いもなく振り下ろされた。



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