作戦1:修道院(1)
「きゃぁぁあ!!!」
侍女が悲鳴を上げた。
そんな叫ぶような事じゃない。お構いなしにハサミを操る。
ジャキジャキジャキッ
なかなか小気味良い音だ。
切られた髪が手からパサパサ落ちていくのも、日常にない感覚で面白い。
「エ、エレノア様!!どうかお止めください!」
「そうね、整えるのは貴女に任せるわ」
ジャキジャキジャキッ ジャキンッ!
楽しい時間はすぐ終わってしまう。もう右も左も切ってしまった。雑に切られた髪が不揃いに揺れている。
戸惑う侍女に微笑み、ハサミを渡す。
彼女は受け取りはしたものの、見ている方が辛くなるような、悲痛な表情を浮かべた。
背を向け、黙って待つ。
ゾーイは結婚前から仕える侍女だ。刃物を持っていても、安心して背を向けられる。
ため息が聞こえ、そっと髪へ触れられた。少しくすぐったい。
「エレノア様の…美しい御髪が……」
呟き、私とは違って軽やかな音を立てながら、髪を整え始めた。
惜しむほどの髪ではなかったと思う。癖の無いストレートだったけれど、それだけだ。
昔は自慢の金髪だった。
ここアルメリア皇国を象徴する色、高位貴族にしか現れない珍しい色。そして、歴代の皇太子妃と同じ色。
けれど、私の髪は紛い物だったようだ。
年々色が濃くなり、今はもはや明るめのブラウンとなっている。
「サミュエル殿下が、何と仰られるか…」
「何も言わないでしょう」
見せる気なんて無いから。
「はぁ…帰り着くまでに伸びる、なんて事はありませんよ」
帰る気も無い。
それを言って引き止められても困るので、口をつぐんだ。
今いるのは、カンタザー女子修道院だ。
皇室が寄付を行なう四大修道院の一つで、年1回は皇族が奉仕活動に赴いている。皇后は他用で忙しく、3人いた皇女は全員嫁いでしまったため、今年は私が訪問した。
このチャンスを逃す手はない。
先日、サミュエルに10通目の離婚申立書を捨てられ、強硬手段を取ると決めた。
修道院は、離縁したい者の駆け込み先だ。
既婚者はシスターになれないけれど、俗世と離れた生活は送れる。それが一定期間続けば、婚姻の継続が困難として、他方の同意無く離婚申し立てできるのだ。
「こちらで、いかがでしょうか」
ゾーイの声に、少し伏せていた瞼を上げる。
腰まであった髪は、ちょうど首筋が見える長さで切り揃えられていた。
「さすが、上手に切るわね」
「はぁ……これでは夜会で笑われます」
こんな髪をした女性、社交界にはいない。
けれど、シスターには見られる髪型だ。長い髪は手間がかかる。見た目より実用性を考えるなら、短い方が良いに決まってる。
私も髪に頓着できなくなるだろう。切ってしまった方が良い。
「エレノア様、もう話してる時間は無くなりましたよ」
「えぇ、そうね。行きましょうか」
床に落ちていた髪は既に片付けられていた。椅子から腰を上げ、賓客用に設えられた部屋を出る。
冷たさ残る春先の空気が、むき出しの首を掠めた。
既に奉仕活動は終わっている。生活困窮者への炊き出し、孤児への絵本読み聞かせを行い、もう汚れた衣服からも着替えた。
後は修道院長へ挨拶して帰るだけだ。……表向きは。
院長室の扉をゾーイがノックする。優しげな声に促され、入室した。
笑んだ形にシワのできた女性が、曲がった背を更に曲げてお辞儀し、迎えてくれる。
「エレノア妃殿下、本日は真にありがとうございました。皆、とても喜んでおります」
「お役に立てたのなら何よりです」
目線を合わせ、礼を返した。
「……ときに、私のお送りした手紙は届いてるでしょうか」
「はい、確かに。神は全ての者に手を差し伸べていらっしゃいます」
修道院長が合図し、近くにいたシスターが私に衣服を手渡す。彼女の着ている修道服を黒に染めず、生成りのままにしたものだ。
ゾーイが首を捻った。他の私付きの侍女や近衛騎士等も、皆が思案顔でいる。
修道院の世話になりたいと、手紙を書いた。けれど、それは誰にも言っていない。どこで漏れるか分からないからだ。
「……エレノア様?」
堪らずといったように声をかけられた。
振り返り、眉尻を下げながら微笑む。
「ごめんなさいね。貴女達だけで帰ってちょうだい」
「そ、そんな事、出来ませんっ」
「もう決めたことなの」
入って来たのと反対側の扉が開かれ、そちらへ進む。通り抜ければ、私はもう皇太子妃として扱われなくなる。
「エレノア様!嫌です、お待ちください!」
髪を切った時と同じような顔をしてるゾーイに手を振り、けれど聞く耳など持たず部屋を後にした。
私は何とも勝手な主人だ。離縁に成功して修道院を出ても、ゾーイはもう仕えてくれないかも知れない。
「……よろしかったのでしょうか」
隣を行く修道院長が話しかけてきた。
「分かりません。祈りを捧げる日々の中で、その答えを出したいと思います」
目を伏せ、彼女の喜びそうな返答をしてみた。
これから平民と同じに扱われる。修道院長には嫌われない方が良い。
「そうですか。……では、エレノア、こちらで着替えてください。一人で出来ますか」
「はい。身の回りの事なら問題ありません」
普通、侯爵家の生まれである女性は一人で着替えなど出来ない。この日の為に練習しておいた。
「着替え終わったら、また私の下へ。本日から仕事を割り当てます」
「ありがとうございます、院長様」
「カンタザー女子修道院へようこそ。貴女に神の加護があらん事を祈っています」
彼女の瞳から、ギラリと、柔和な顔に似つかわしくない光が漏れた。
ぞくりと寒気がする。短い髪は、思いのほか冷えるようだ。