作戦5:犯罪行為(2)
「なぜ、私がこんな事を…」
傍らに立つシモンが顔を歪めた。実の姉しか聞いてないからか、文句が多い。
「そう思うなら、ついて来なければ良いのよ」
「……サミュエル殿下の意向ですから」
言いながらため息をつき、壁に背を預けた。
彼と共に、遠くで談笑するサミュエルを見やる。隣にはベンシード伯爵の姿があった。
「可哀想に。私の弟というだけで監視に回されて」
手を伸ばし、軽く頭を撫でてあげる。嫌そうに睨まれた。
近頃、夜会でサミュエルが離れる間、シモンが私の下へ残されるようになった。どれだけ連れ立って歩いても、変な噂が立たない人選だ。
「憐れむ気持ちがあるなら、不穏な行動は控えてください」
「不穏な行動……ね。義弟とお茶をしてるだけなのだけど」
まぁ、私も離縁する気が無ければ、敢えていま、彼に近づかなかっただろう。
サミュエルが皇太子になり、不正や犯罪の取り締まりが強化された。貴族も多く是正勧告、あるいは処罰を受け、そういった者達の大半が……驚くことにサミュエル支持者へと変貌した。
しかし、何事にも例外はある。恨みを持つ者や、一部の未だ処罰から逃れてる面々は、サミュエルが皇帝となる事を良しとしていない。
愚かにも、彼を皇太子の座から引きずり下ろし、丸め込み易そうな第二皇子を皇太子に据えようと画策してるのだ。
確かに、ハリー皇子はサミュエルより柔らかい人柄だし、能力を比較すれば大概兄より劣る。けれど、決して愚者ではない。
何より人を見る目があり、ハエ共はことごとく退けられている。
そこで私、最もサミュエルを陥れ易い人物であり、彼との不和が噂されては打ち消すを繰り返してる妃が、皇子に近づく。
あちらは私を取り入れられるか探ってくるはずだ。
上手く懐に入り込み、適度に片棒担ぎながら、情報を父にリークする。ハエ諸共、父によって捕縛されれば、全て丸く収まる算段だ。
なのに……サミュエルはシモンを使って、相手方との接触を阻んでいる。
「なぜ、邪魔するのかしら」
「……殿下のお立場になって考えれば、分かるのでは」
シモンが咎めるような目を向けた。同じような目を返す。
「あら、私が裏切るとでも?」
サミュエルの立場から見れば、私が見せかけではなく第二皇子派と手を組み、彼を陥れる可能性もある。けれど、そんな風に思われるのは心外だ。
この弟は私をよく知っている。サミュエルを裏切らないと、分かってるという事だ。
「命令に従うだけが良い臣下とは限らないでしょう。何がサミュエル様のためになるか、いま一度考えてみたら?」
シモンから離れようと歩き出す。けれど、やはりというか、彼は追いかけて来た。
「姉上は自分で考えて動き過ぎです。殿下の意向も汲んでください」
「十分に汲んでるつもりよ。でも……そうね。最近は掴みきれない所もあるわ」
何度考えても、サミュエルが離縁を拒む理由が分からない。
私の為にそんな事をしてるなら、情を断ち切ってあげるべきだ。そう思い行動してきた。けれど……妨害がいつまでも続く。
今回だって、私達の築いてきた関係を思えば、裏切る可能性は低いと判断できるはずだ。シモンの言うような理由とは思えない。
後ろから、再びため息が聞こえた。
「姉上は全く分かっていません」
弟の言葉に立ち止まり、振り返る。目を鋭くして、わざと不穏な空気をかもし出した。
「貴方は何か分かっているの?」
壁際での言い合いと違い、いくらか周囲の視線を感じる。サミュエルの側近である彼とは、仲が悪いと思われたい。
思惑を察してか、シモンは先ほどまでの不機嫌な態度とは打って変わり、子供に対するような柔らかい笑みを向けた。
「はい。姉上には教えませんが」
「言えない事かしら」
「自分で気づくべき事です」
気づくべき事?
考えても、すぐには思い当たらない。肩をすくめて流した。
「あの……」
「とにかく、いくら姉が好きだからって、後追いは卒業したら?」
「連れ回された事はあっても、後を追った記憶などありません」
「あ、あの……!」
「そうだったかしら。いつも私の後ろにくっついて来て……」
「エ、エレノア妃殿下!」
名前を呼ばれて振り返る。気の弱そうな少女が、両手をまごつかせながら不安げに立っていた。
覚えのない顔だ。身なりや所作から言って、男爵家か子爵家の者だろうか。
「ごきげんよう。お声がけ頂いてたのに、すぐ気がつかなくて……ごめんなさい」
緊張を和らげるように微笑む。けれど、彼女は顔を青くして視線を彷徨わせたままだ。
不審な様子に、近衛騎士が間に割って入った。
「あ、あの、その……えっと」
―― パシャッ
口ごもる彼女とは反対側で、水音が響く。
見れば、私とシモンの服が赤く濡れていた。見知らぬ青年が、両手に空のワイングラスを持っている。
「あぁ!申し訳ありません!お召し物を汚してしまいました!」
今度は青年がシモンと私の間に入った。
「すぐに汚れを落としましょう。いえ、替えの衣服をご用意いたします」
「あの……で、殿下はこちらへ……」
青年がシモンを押し、少女が私を引っ張る。この場にいるからには貴族なのだろうけれど、品のない動きだ。あまり教育されてない。
シモンと顔を見合わせた。
使い捨ての駒による、雑な演技。何とも……お粗末。
「手を離してください。貴女も」
シモンが青年を振りほどき、私を引き寄せた。私も抵抗せず、腕の中に納まる。
おそらく、少女について行けば私の望む相手と会えるのだろう。けれど、名乗りもしない人物について行くほど、無鉄砲にはなれない。
近衛騎士が不審な二人組を取り囲んだ所で、今夜の主催であるメニルク伯爵が騒ぎを聞きつけ現れた。
青年と少女とが、身元確認のため警備に引き連れられて行く。
「私の屋敷で不快な思いさせてしまい、大変申し訳ありません。まずはどうぞ、別室へお移りください」
壮年の少し膨よかな伯爵が息子と娘に命じ、私達をそれぞれ案内させた。私は皇太子夫妻のために用意された部屋、シモンは紳士用の休憩室へ。
ドレスの汚れは、ぱっと見の印象より大きかった。こんな姿では帰れない。けれど、替えを取りに行かせてたらサミュエルの帰城が遅れてしまう。
ドレスを貸してくれるという伯爵令嬢の申し出を受け、すぐ着替える事にした。
近衛騎士は廊下に残し、私と伯爵令嬢、屋敷の侍女だけが入室する。
「サミュエル殿下をお呼びしますか?」
慣れない侍女にリボンを外されながら、首を左右に振った。
パートナーに何かあれば、駆けつけるのが一般的だ。けれど、たかだかワインを掛けられたくらいで彼を煩わせたくない。それに……。
「また……お叱りを受けてしまうもの」
ぎりぎり聞こえるだろう声で、ぽそりと呟いた。悲しげに目を伏せる。
「エレノア妃殿下……」
伯爵令嬢から気遣わしげな視線を送られ、取り繕うように微笑んだ。彼女も似たような表情を返す。
「父が本日のお詫びに、殿下を茶会で持て成したいと申しております。いかがでしょうか」
思った通りの申し出だ。
茶会ならば、サミュエルを伴わず私個人で参加できる。“お二人”ではなく“殿下”と言ったのだから、シモンは招待されないだろう。
やはり、こちらが本命。
「お心遣い、ありがとうございます」
用意されたドレスに袖を通す。
私には華美で、少し大きかった。