作戦5:犯罪行為(1)
「やぁ、義姉さん。二日ぶりだね」
執務机に向かっていた彼は、書類を補佐官に渡し立ち上がった。
「ごきげんよう、ハリー様」
微笑み、挨拶を交わす。
彼はサミュエルの弟であり、帝位継承順位、第二位のハリー皇子だ。
「またお茶しに来たの?」
「はい。今日はセキリュウ国の茶と菓子をお持ちしました」
「お、いいね。まぁ、座ってよ」
ラフな言葉使いと、品のある所作でソファを勧められる。
私達が座るとすぐ、用意を整えていたゾーイがティーセットを並べた。
ハリー皇子がお茶を口にし、ひと息つく。
「なんか、最近よく来るね」
「ご迷惑でしたか?」
「僕は構わないよ。でも、義姉さんだって暇じゃないでしょ」
話しながら、ひと口大……と言うには大きい菓子をパクリと頬張った。その様子は少年のようで、可愛らしく見える。
サミュエルと違い愛嬌のある人だ。兄弟ながら、まとう雰囲気は全く違う。
「ハリー様と過ごす時間はとても楽しく、つい足が向いてしまいます」
「わぁお。それ、兄さんの前では絶対言わないでね」
気候の話、持ち込んだ茶や菓子の話、日常生活についての他愛ない話をしてるうち、すぐ私の立ち去る時間となった。
問題ない。大事なのは会話内容ではなく、ここに足を運んでるという事実だ。
流れるように次の約束を取り付け、挨拶をして別れた。
執務室を出ると、毎度のことながら、門前払いを受けてる人達が目に入る。手土産を持ってきた使いの者ばかりだ。微笑みかけ、印象付けておく。
ぜひ主人に伝えて欲しい。皇太子妃の私が、ハリー皇子の下へ通っていると。
「今度は、何を企んでるのですか」
人が見えなくなった所で、ゾーイが話しかけてきた。眉をひそめている。
「企むだなんて。可愛い義弟とのお茶を楽しんでるだけよ」
目も合わせずに、とぼけて返した。
しかし実際、ハリー皇子とのお茶はそれなりに楽しい。人好きのする性格で、周りの人達を和ませる。
当然のように女性にも好かれるけれど、未だ独身だ。彼は微妙な立ち場にあるため、結婚相手の選定が難しい。反面、方々から結婚を急かされてもいる。
この件については、ただただ申し訳なく思う。
「ハリー殿下ではなく、サミュエル殿下とお茶をなさっては?」
「あら。朝も夜も顔を合わせてるのに、昼間まで会いに行く必要なんて無いわ」
「朝も夜も顔を合わせていながら、お二人には会話が足りないように思います」
ゾーイの苦言を聞き流し、私室へ戻って夜会の準備を始めた。
淡い黄色のドレスに、ハリー皇子の瞳を意識し、アクアマリンが施されたネックレスとイヤリングを選ぶ。
「こちらの方が合いますよ」
私の指示を無視し、ゾーイはエメラルドのネックレスを取り出した。大粒の宝石が印象的で、強くサミュエルの瞳を思い起こさせる。
私は彼の妻だと、そう主張してるようだ。
「それは奥に仕舞っておいて。しばらく使わないわ」
他の侍女に片付けるよう指示し、準備を進める。
いざ装飾を付ける段になり、やはり首に回されたエメラルドのネックレスは自分で外し、選んだ通りのものに付け替えた。
代わりなのか、髪にサミュエルから貰ったガラスの蝶を加えられる。アクアマリンと合うので、ここは妥協し受け入れておく。
隣の部屋へ移ると、既にサミュエルが待っていた。
「お待たせいたしました」
「いや……」
いつもと変わらぬ雰囲気で振り返った彼は、けれど私の姿を捉えて、急に黙り込んだ。
何も言わず、ただ見つめられる。
「…………何か?」
様子のおかしさに声をかけた。
サミュエルは答えないまま、イヤリングへ手を伸ばす。指先で耳たぶを撫でた。
「なるほど。ハリーの瞳の色か」
くすぐったさと後ろめたさに、ピクリと肩が揺れる。
私のしようとしてる事なんて、全部バレてるのだろう。また邪魔されて、何もかも無駄に終わるのかも知れない。
そしたら……避けていた手段を取るしか無くなる。そうなった時のことを想像し、鉛を飲み込んだような不快感を覚えた。
顔が歪まないよう意識し微笑んでいると、サミュエルが手を滑らせ、髪をひと房すくった。
「俺に対してだけは、逆効果だな」
「……ぇ」
訳の分からない言葉に、沈んでいた思考が引き戻される。逆効果とはどういう事か。
彼が髪へ口付けた。長さが無いから、やたら顔が近い。
「君は分からないままで良い」
特別なことは何も無かったかのように、いつもと同じく手を取り、エスコートを始める。
少し気にはなったけれど、考えるのはやめた。夜会に向けて頭を切り替える。
私がこれからやろうとしてる事は、一歩間違えれば大惨事になる。上手く立ち回らなければならない。
やるのは……犯罪行為。離縁せざるを得ないほどの罪を犯す。
ただし、単に捕まるだけではダメだ。サミュエルまで非難を浴びてしまうし、実家のフォレステン侯爵家だってただでは済まない。
そこで、第二皇子の周りを飛び回るハエを利用する。
彼の下へ通い始めて、ふた月。そろそろ、向こうからアクションがあって良い頃だ。
淑女の仮面をかぶり、気を引き締めた。
「………サミュエル様?」
しびれを切らし、隣で庭を眺めているサミュエルに問いかけた。
会場に着いて主催者を含む数人と話してから……ずっとテラスのベンチで過ごしている。
「なんだ」
間近で囁かれた。
私の頭を肩へ寄せたまま、髪を弄び続ける。
「もう、会場へ戻りませんか」
「今夜一晩くらい、何もせず、君と過ごしても良いだろう」
……良くない。あまり夫婦仲が良いと思われては困る。
けれど、サミュエルを諌める気にはならなかった。最初から休みの日ならともかく、夜会に赴いてから彼がこんな事を言うのは珍しい。
社交を投げ出したいくらい……疲れてるのだろうか。
「飲み物を取って参りましょう」
彼を労わりつつ、一人の時間を得ようと立ち上がり、すぐ引き戻された。
サミュエルが私の肩を抱き、振り向いてベンシード伯爵に合図を送る。しばらくして、給仕がシャンパンと薄手の毛布を持ってきた。
夜風を避けるように毛布を掛けられる。
まだまだ長居するつもりのようだ。休憩室へ行けば良いのにと思いつつ、この薄暗がりが落ち着く気持ちも分かった。
サミュエルがここで休み続けるには、私が離れる訳にいかない。妃と二人でテラスにいるからこそ、誰も話しかけて来ないのだ。
ため息をついた。
こんな事は滅多にないのだから、彼の望むままにしてあげよう。
諸々の事は忘れて大人しく寄り添えば、サミュエルの体温を感じる。
遠くから聞こえる楽団の演奏と、野の虫達の演奏とが重なるのを聴いて過ごした。