作戦4:失踪 -市中編-(4)
立ち上がり、座る。
「………」
手を揉み合わせた。
夕食も入浴も済ませ、あとは寝るだけ。寝るだけだ。
無理強いしないと言われた。けれど、断る理由も無い。致しておけば、今後もしサミュエルに探し当てられたとしても、不貞行為を理由に離縁できる。
……いや、一商家で起きた事くらいサミュエルなら簡単に揉み消せるか。それなら、ここでしても意味がない?
再び立ち上がり、また座る。
違う。少しでも可能性があるなら、出来ることはしておくべきだ。そもそも、他の男と寝た女をサミュエルは繋ぎ止めたりしない。
迷う事はない。ここで取るべき行動は決まってる。
決まってる……はず、なのに、妙に胸がざわめき、逃げ出したくなる。
生娘でもないのに、緊張してるのだろうか。
落ち着かない理由を考え、ハッとして立ち上がる。
ロルフがサミュエルの部下ではなく、けれど私の正体を知る者だったら?
皇太子を廃そうとする一派の手下か、ただ身代金を得たい誘拐犯の可能性もある。
……いや、それなら私の地位を知っていたとしても、丁寧に扱う必要が無い。
座り直す。もう何度もこんな事を繰り返している。
「………っっ」
焦燥にかられ、やはり立ち上がる。理由は分からないけれど、どうしても落ち着かない。
虫の知らせというものもある。念のため、万が一のために、逃走経路だけは確認しておこう。
無理やり自分を納得させ、窓辺へ寄った。
開けようとして、目を見開く。
「う、嘘……」
両開きに見えた窓が、しかしそれは装飾で、はめ殺しの窓だった。3つある窓、全てがそうだ。
軽く叩いてみれば、返ってきた音が窓の頑丈さを教えてくれた。
扉に駆け寄り、ノブを捻る。ガチャガチャと無情な音を立てた。
息を飲む。
………いつ?いつの間に閉じ込められたの?
思い返し、ある事実に気づく。
入浴後この部屋に入るまで、廊下には必ず誰かしら人がいた。他の場所へ行く時はロルフや母親などが連れ添い、一人には決してならなかった。
ずっとだ。この屋敷についてからずっと、私は軟禁状態だった。
ぶるりと震える。
この部屋、日当たりが良く窓が開かないというのに、あまり暑くない。何か涼しく保つ仕掛けがあるのだろう。
それが効き過ぎてるのか、あるいは自分の置かれた状況に気づいたからか、鳥肌が立った。
ショールを羽織り、大きく深呼吸する。
怖じ気付いてる場合じゃない。私が人質か何かになって、サミュエルに悪影響が出たら堪らない。
最悪、私は切り捨てられるだろうけれど、それでは彼の評判が落ちてしまう。
もう一度、ドア、窓、壁の細部まで確認した。……出られそうにない。ここは人を閉じ込めるための部屋と思った方が良さそうだ。
となれば、逃げるには相手の隙をつくしかない。ロルフが宣言通りここへ来るのなら、その時がチャンスだ。
隠れられそうな場所を探す。ベッドの下、クローゼットの中、カーテンの裏………見つかるのは、子供の隠れんぼみたいな場所だけ。
……ふむ。
しばし考え、ひとつ隠れ場所を定める。
相手を誘導するためベッドに枕で膨らみを作った後、明かりを消し、身を潜めた。
コチ、コチと、時計の音だけが響く。
その時がいつ来るか分からない。緊張で身体の動きが鈍らないよう、落ち着いた呼吸だけは意識して、じっと待つ。
夜も更けた頃、廊下に足音が響いた。
顔を歪める。人の気配は複数だ。廊下の端に一人、扉の前に二人いると分かる。
三人を相手に、逃げられるか。
……考えなくても分かる。限りなく不可能に近い。今夜は大人しく従って、別の機会を探る方が良いだろう。
頭ではそう結論づけられる……のに、胸が騒ぎ、行動を決め切れない。
悩んでいるうち、扉が開かれた。一人だけ入ってくる。
まずベッドへ足が向けられるかと思いきや、全てお見通しかのようにこちら、開いた扉の陰を覗いてきた。
その気配を感じ、反射で動いてしまう。
待ってる間にシミュレーションした通り、思い切り体当たりしたのだ。
この後、部屋の前にいる二人目から逃れ、廊下の三人目から逃れる……なんて到底無理。これは相手が一人、ないし二人の時でなければ成功は見込めない。
なぜ、大人しく出来なかったのだろう。
しかも、一人目の人物さえ抜けられなかったようだ。いとも簡単に受け止められ、抱きしめ拘束されてしまう。
「熱い出迎えだな、エレノア」
もがこうとした手が、止まる。
「ぁ………」
顔をあげ、廊下の灯りを背負った相手を捉える。見慣れた翡翠の瞳、平民の装いに似合わない豊かなブロンド。
全身の力が抜ければ、サミュエルが抱きとめてくれた。
視界の端にロルフが映る。部屋の前で立ち止まった人は、彼だったようだ。
片手で頭を押さえる。結局、ロルフはサミュエルの部下だった訳だ。誘いに乗る素振りを見せられ、私が判断を誤ってしまったという事。……悔しい。
ロルフは出会った時と同じ優しげな笑みを浮かべた後、ランプだけ残し扉を閉めた。
サミュエルが私を抱き上げ、ベッドへ歩を進める。
ころりと転がされてしまった。
「サミュエル様?」
「もう遅い。今夜はここに泊まる」
……サミュエルが、商家の屋敷に?
警備の面は大丈夫なのだろうか。
「案ずるな。抜かりない」
私の問いを先読みされ答えられた。
まぁ、それはそうだろう。彼は抜かり無さすぎる。おかげで、いつまで経っても離縁してあげられない。
サミュエルが当然のように、外してポケットへ入れていたはずの結婚指輪を取り出す。薬指に嵌められ、額へ口付けられた。
変に盛られていた枕をどかし、彼もベッドへ潜り込む。
密着するのはいつもの事だけれど、普段よりベッドが小さいからか、心なし狭く感じた。
「……私は別の部屋へ移動しましょう」
ベッドから降りようとして、強く抱き寄せられる。
うなじに唇を寄せられた。
「独り寝は、寂しいのだろう?」
耳元で囁かれた、冷たく、低い声に、ゾクリとする。
頰が羞恥に染まった。
サミュエルの声に、反応してしまった自分が恥ずかしい。
同じような声でエドウィンに近づくなと注意された日、声色と反するように、彼はひたすら甘く優しく私に触れた。
トロトロに溶け、もはや何が何だか分からなくなった頃、サミュエルという人を刻み込まれる。
別れてあげようとしてるのに、彼なしで生きられなくなる行為をするなんて、意地が悪い。
そう思いつつ、期待もしてるのがまた恥ずかしい。両手で顔を覆い、縮こまった。
耳の後ろで小さな笑いが漏れる。その吐息にさえ、肩が跳ねてしまった。
「これでは、加減など出来ないな」
髪を撫でるようにして振り向かされ、唇を奪われる。
あぁ。この場にいるのが、私じゃなければ。
申し訳なさに、胸の奥がツンと痛んだ。