作戦3:失踪 -迷宮編-(2)
失踪。
教会が認める離婚理由の一つだ。
理由は簡単。行方不明者は一定期間を過ぎると、亡くなったと判断される。
単に死別と扱う事も出来るけれど、再婚するなら必ず離婚の手続きが行われる。
そうしなければ、後から行方不明者が現れた際、非常にややこしくなってしまうからだ。
……ここもダメか。
ランプをストールで覆い、隠し通路の暗がりから外を伺う。
雨に打たれる騎士団員が一人、二人、三人……。
皇城周辺とはいえ、警備が多過ぎる。
私の知ってる出口は2つ。その両方に過剰な警備が敷かれていた。
サミュエルが何か理由を付けて、人を増やしたのだろう。
留守を狙って私が逃げるのは読まれていたらしい。
仕方なく、来た道を引き返す。
引き返すと言っても、城内へ戻る事は出来ない。この隠し通路、入るも出るも一方通行だ。城内から通路に入る仕掛けはいくつもあるけれど、逆は無い。
通路を進み、来る時も立ち寄った場所で止まる。
長方形の壁石が並ぶ中、こっそり紛れている正方形のそれを押す。小部屋の扉が開いた。
皇太子夫妻に割り当てられた隠し部屋だ。
平民に変装するための衣服や簡単な武器、保存食などが置いてある。
石造りの椅子に座り、一息つく。
途端、鼻先を何かが掠めた。
「は……はっ…くしゅっ」
口元を押さえ、鼻を軽く擦る。
どうも、この部屋は身体に合わないようだ。毎年秋に保存食の補充をしているけれど……必ずくしゃみが出る。
さて、気を取り直し、これからどうしようか。
案は2つ。
一つは、日が暮れるまで待ち、夜闇に潜んで警備を抜ける案。
騎士団員の目を私がかい潜れるかは分からないけれど、昼間に逃げるよりは成功率が高いだろう。
ただ、市中での事を考えれば、出来るだけ昼の内に外へ出たい。
もう一つは、数多ある他の出口を探す案。
無駄に広い隠し通路、サミュエルは36の出口があると言っていた。
さすがに、それら全てに警備は付けられないはずだ。警備がないなら昼に悠々と逃げられる。
けれど、ここは人を迷わせるように作られている。まず出口を見つける事自体が難しいし、知らない区域に入るのは少々危ない。
考えていると、また鼻がムズムズしてきた。
「っくしゅ……くしゅんっ!………っくし」
……あまり、この部屋にはいない方が良いみたいだ。
コツ…コツ…コツ…
知ってる場所から離れ過ぎないよう、気をつけながら進む。どの道も湾曲していて、方向が分かりにくい。すぐ迷ってしまいそうだ。
やはり、出口を探し歩くのは無謀に思える。
考えて、足を止めた。これ以上進むのはやめておこう。
懐中時計で時間を確認すると、ちょうど夕食時だった。日が長くなったとは言え、もう外も暗くなり始めるだろう。
踵を返そうとした所で、違和感に足を止める。
耳をすました。
……ッ……ッ……ッ
自分のものではない、靴音が聞こえる。
人など入ってこないと思っていたのに……これは誤算だ。
音から逃げるように進む。自然、知らない道を行く事になってしまった。頭の中で必死に道順を描く。
視界の先で、ゆらりと灯りが揺れた。
逃げたつもりが、思いのほか道が曲がっていたせいで、逆に近づいてしまったようだ。
こちらのランプを隠し、慌てて引き返す。ひとつ前の分岐で別の道を選び、また逃げる。
そんな事を何度も繰り返した。
こちらと違い、知らない靴音には迷いがない。私を追いかけてるようにも感じられ、徐々に追い詰められる。
いったい誰が、何をしているんだ。
ここに入れるのは原則、皇族だけ。サミュエルが出ているから、考えられるのは皇帝陛下、皇后陛下、第二皇子のハリー様だ。
私を探しに来た?……いや、サミュエル以外の皇族が自ら捜索するのは変だ。
他の目的で入り、不審者がいたから追いかけた?……これもおかしい。不審者から最も遠ざかるべき人達なのだから。
ふと、目の前の壁石が正方形であると気づく。
押せば、想像通り扉が開いた。素早く入り、鍵を閉める。
……ッ……ッ……ッ……カッ…カッ…カッ
大きくなった足音が、私のいる小部屋の前で止まった。
ノック音が響く。
「エレノア妃殿下」
聞こえた声に、耳を疑う。想定したどの声とも違った。
―― ベ、ベンシード伯爵?!
なぜ勝手に隠し通路へ入っている!! いや、なぜ入り方を知っている!!
疑問が浮かぶも、口には出せない。話しかけて、居場所を白状するのが躊躇われた。
逃げる時は音を立てないよう気を使った。構造やタイミング的に、部屋へ入る瞬間は見られてなかったと思う。
おそらく、伯爵はハッタリで声をかけている。
鍵のかかった小部屋は確かに怪しい。けれど、他にも同じような場所はいくつかあった。いないと判断すれば去るはずだ。
「…………」
「皇城へお戻りください」
「…………」
各小部屋、出入口は2つある。反対側の扉から出るという選択肢もある……けれど、先ほどのように追い詰められる気しかしない。
黙して様子を伺う。
沈黙を守っていると、鼻先を何かが掠めた。
あ…………まずい。
ぐっと鼻をつまみ、顔に力を入れる。
しかし、生理現象には抗えなかった。
「ひっ……くしゅん!」