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朱夏

作者: 紅崎

割愛。


長年好意を抱いていた幼馴染みがとうの昔に死んでいたことが発覚した。

地元の高校を卒業後都内にマンションを借りて大学に通った私は、彼女から送られてくる手紙が唯一ふるさとを知る機会だった。不思議と寂しいという気持ちにはならず、長期休暇も仲間と遊びに行くばかりであまり帰らない。年末年始に戻っても、その姿を見かけたとて、寄ることを怠った。


哀悼。


この御時世、電子媒体でやりとりをすればいいのにと言った私を、彼女は鼻で笑った。文字には心がこもっているのだと。字の調子で、消した跡で、かすれ具合で。

それに、簡単に送れてしまう言葉より届きにくい言葉の方が相手のことをよく考えて書けるし待ち遠しくて読む嬉しさが増すと、笑った。


蕩心。


そのまま都内に就職した私は、その忙しさに一時期筆を折った。社会に出て一人になるというのは時に本当に苦しいもので、その、『苦しい』なんて一言に済ませてしまうのが実に憎たらしいことだった。自分のことで手いっぱいで、何度もネクタイで輪を作る練習をしては、誰も止めてくれる人などおらず自分でほどいた。

地元で就職したと、こっちの返事も待たずに送られてくる手紙の中の彼女は楽しそうで。

「死にたい」などと簡単に書く人種が嫌いで、曲げた筆で楽しい生活を彼女に送るのも気持ち悪い。


深遠。


慣れてしまったのか、人の波に上手く身を隠す術を見つけたのか。心の中にもう一人が座れるほどの隙間を作った私はまた郵便ポストに通い出す。

その頃ようやく、手紙が待ち遠しくて嬉しいものだという彼女の言葉の意味がわかった。

すでにふるさとを離れ両手に収まらぬ月日が経っていた。しばらく帰っていなかったことを思い出し、久しぶりに、直接話したいと思った。

手紙もよく読み込んでいなかったから、彼女と自分の価値観が大人になるにつれてズレていくような気がして、口から出せばよく考えない言葉が出る気がして。それを照れ隠しの言い訳に逃げたのだ。青い男女なんてそんなものだ。話すのが怖い若葉だ。


煙雲。


いつだって人があやまちに気付くのは全て終わった後だ。

私は急に有給を取って実家へ帰ると、両親に彼女のことに聞いた。単に彼女がどこに勤めており、いつなら会えそうか知りたかっただけのこと。手紙で聞いておけば良かったと思ったのは新幹線の中だったのだから仕方あるまい。

彼らはひどく驚いた。仕事で頭がおかしくなったのかと、夢を見ているのかと聞かれた。困惑していれば、どうして知らないのかと逆に聞かれた。



「――――ちゃんなら、もう何年も前に自殺したじゃないか。あんた、文通してたんだろう? そういう連絡が行かなかった? 手紙だってもうずいぶん来てないだろう」



知らない。私は何も知らない。それはありえない話だ。彼女から送られてきた一番新しい手紙は一週間前なのだから。

狐に化かされたような気持ちで、まるで悪い冗談を聞かされているように詳細に耳を傾けた。

彼女は高校卒業後隣町の会社に就職したが、そこでかつての私よりもひどい目にあっていた。両親もよそから噂で聞いた話だ。どこまで尾ひれがついたかわかったものではないが、上司に妙な気に入られ方をしたこと、同僚にいじめられ孤立したこと、掘れば掘るだけ出てくる暗い話にもうたくさんだった。


彼女は私に「死にたい」と言わずに死んだらしい。あまりに、実感のわかないことだ。なら、この十年ちかく、私に手紙を書いていたのは誰なのか。


雲箋。


後日私が彼女の家を訪ねると、出てきたのは彼女の双子の妹だった。私の表情を見て全てを察したらしく、なんの言葉もなしにその場に泣き崩れてしまった。



「お姉ちゃんと貴方が両思いなのは知っていました。文通なんてロマンチックなことをしているのも」



玄関でいつまでもそうしているわけにもいかず、私達は公園へやって来てブランコに座った。私達が乗るには少しばかり小さい。

隣を見れば赤い目がすべり台を眺めている。



「お姉ちゃんは自分の部屋で、カミソリで首を切って死にました。第一発見者は私です」


生々しい話に、私はゾッとした。ネクタイなど今はしていないのに、無意識にそれを緩めようと手を動かしていた。


「床にお姉ちゃんが倒れていて、一目で手後れだと分かりました。私は駆け寄ろうとして、机の上に、一つの手紙がおいてあることに気が付いたんです。貴方宛の遺書でした」


「届いてないけど」


「送りませんでしたから」


「…………」


「文通を続けたかったんです。お姉ちゃんの代わりに」



私はお姉ちゃんの遺書を誰にもまだ読まれていないことを確認し自分のポケットに隠すのに夢中で、床に飛び散った血にも気付かないほどでした、ひどい女でしょう? と、彼女は笑った。

昔、そんな小説を読んだことがある気がした。



「私も貴方のことが好きだったんです」



彼女と同じ顔と声でそう言う。あまりに虚しい告白だった。

いつから私達は一緒だったろうか。いつから私は片方に思い入れするようになったのだろうか。いつからこの姉妹を分けるようになったのだろうか。

少しもときめかない私の心は残酷だ。



「…………正直ここまで気付かれないとは思っていませんでした。すぐにバレてしまうと思っていたのに、本当に貴方はお姉ちゃんの手紙をちゃんと読んでいたのか不安になるほどに、いつの間にかそのまま月日が過ぎていくんです。

貴方にとって手紙の送り主がお姉ちゃんでも私でも変わらなかったなら、どうして私はダメなんだろう。…………そう考えるのが心底嫌でした」


「…………」


「手紙を書くのは嫌いでした。そもそも言葉が嫌いでした。形にすれば何かが伝わるって言うけれど、心から外に出した途端それは不純物が混じってどこかズレて、思い通りに伝わるなんてことはないんです。貴方に嘘を付き続けながら、湾曲すると知りながら伝え続ける勇気がありませんでした。かといって真実を伝える勇気もない自分が何より嫌いでした」



影が二つ並んでいる。子供の影ちょうど三つ分くらいの大きさだろうか。私達の足から離れて遊び出してしまえばいいのに。砂場でお城でもトンネルでも好きに作ってくれればいい。作ってくれ。



「…………私のわがままで貴方には謝っても謝りきれないことをしました。…………本当に、ごめんなさい」



逃げるように去っていく彼女を、何故か止める気にもならなかった。呆れているのかもしれないし、本当に死んでいたことが分かって放心しているのかもしれないし、何も気付かなかっただろう自分に嫌気がさしたのかもしれない。


何年も前の手紙まではとっておいていないが、もし読み返せば、自殺した彼女の苦悩も、自己嫌悪と私への好意で揺れる彼女の苦痛も、伝わってくるのだろうか。文字には心がこもっているという。字の調子、消した跡、かすれ具合に。本当にそうだろうか。それはただの読み手の深読みではないのか。私が注意不足だったのか。

手紙の向こうに本当に人間などいたのだろうか。


けれどもし、私が深読みしていたら。彼女らの異変に気付けていたのなら。自殺も成り代わりもなく、ここに三人で座っている今があるのだろうか。


それを惜しく思うなら私はもっと、手間を惜しむべきてはなかった。今さら死を悲しみいたむことの何に意味があろう。どろどろの心では満足に今を受け止めることすらできぬ。

君は深くて、遠いところにいる。立ち上る線香の煙も届かぬところにいる。他者からの手紙と気付かない私に愛想をつかしてくれればいい。そのまま私から遠く遠くへ離れていってくれればいい。



「なんだろうなぁ」



会いにも行かないで、強い関心もないで、私は本当に彼女が好きだったのだろうか。どこが好きだったのだろうか。顔? 声? 性格?

青い日の私はどこで死んでしまったのだろうか。



「なんでなんだろうなぁ…………」



この気持ちを文字に起こすのはやめておく。


錆びた遊具の赤い音が、子供時代の終わりを確かに告げていた。

好きだったものが別のものに入れ替わっていた。しかしそれは姿形性能も全て前と変わっていなくて。なら後者を好きになれないのは何故なのか。

本当に変わってしまったのは、誰だったのだろうか。

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