ドラゴン巣の決闘3
ドラゴン巣。ただの住処ではなく、ドラゴンが生活の用にする地域一帯を指して言う。これから向かうヴァランスのドラゴン巣と呼ばれる場所は、マトラの話から推測するに針葉樹林をもっぱらとした典型的な亜寒帯の森であり、山間の中で他のモンスターと共存するドラゴンが暮らしている。
「ところでマトラ、大事な事を聞きたいんだが」
「何ですかな、アカツキ殿」
「そのドラゴン、倒す必要はあるか?」
「……そうですなあ」
幌馬車の中は長椅子兼荷物入れの箱が両側に付き、背もたれがついている。マトラは一番奥に座るアカツキの対面で言葉を受けて、背中の板にもたれ掛かり、顎ひげを手で梳いて眉間に深いしわを刻んだ。
「教会に言わせれば、ドラゴンは魔王に与する邪悪の存在でありますからなあ……」
絞り出すように言葉を選んだマトラが横目でアカツキの様子を探ると、特に驚いた様子も無かったので話を続ける事にした。
「先代の頃ですかな。正教会が権勢を振りかざすようになったのです。魔王が現れる度に凶暴化するモンスターを根絶するべきだと主張し、教会の最高機関である枢機卿会議で決定したのですが……」
アカツキは腕を組んで頷いている。別に取り繕ったという様子もない。
「それで?」
さり気なくマトラが後方の空模様を見る振りをして騎士達を一瞥すると、誰もアカツキ程に平然としていなかった。黙って聞いていたアカツキは、指を振って話の続きを引き取る。
「つまり、だ。ドラゴンやモンスターがいた所で本当は何も困らないが、教会、いや正教会が自分達の沽券の為にドラゴン狩りを煽ってるって訳か」
「ふむ、落ち着いていらっしゃるが、なんとも血生臭い世界から来られたのですな」
「こんな話をして大丈夫か?みんな青ざめてるけど」
「そうですかな?」
マトラが乗り合わせた一同を睨みつけると、各々俯いたり外を眺めたりして何も聞いていないかのように振舞った。
「いやあ、今年は豊作でよかったな!」
「そうだな!酒場で飲んでても嫌味を言われないしな!」
誰かが口火を切って、突如として雑談が始まった。騒がしくなった幌馬車の中で話を続ける事は出来なかったが、アカツキは別に怒るでもなく退屈そうに黙り込む。マトラは正直助かったと思った。
ドラゴン巣のある森に辿り着いた時には、昼食の時間はとっくに過ぎていた。寒空の中で焚火が起こされ、窮屈な荷馬車から出た人々が濁った空の下で思い思いに体を動かしたり立ち働いていた。アカツキがパンと酒だけで良いと申し出ると、マトラはパンと酒と干し肉を用意するように命じた。
「干し肉が無ければ悪酔いしますぞ、アカツキ殿。あまり酒を嗜まないようですから、水を用意させましょうか?」
「いい。飲み水は貴重だからな」
イシュタルの加護を受けた恩寵の騎士が放つ貧乏くさい言葉に、騎士達は心を突き刺される思いをした。アカツキは干し肉を齧りながら酒で飲みこみ、堅いパンに齧りつく。
「アカツキ殿の世界では、水が貴重なのですか?」
「……、『世界』では貴重だが、俺は豊かな国にいた。『俺の国』では、『果汁が酒より』も安かった」
輪になって同じ焚火を囲んでいる誰かが、歯ぎしりの音を立てる。果汁など、この世界では貴族の中でも裕福な者が冗談で飲むような物でしかないのだから。誰かが声を上げた。
「果汁というのは美味しいのですか」
「美味いぞ。だが、それで病気が治るわけではない」
「ええい、黙らんか!剣の腕が伴わないのに口先だけ動かしおって、誰に対して何を言っているのか分からんのならば歩いて帰れ!」
騎士隊長のマトラが怒鳴ると、場は静かになった。その時の事だった。アカツキとマトラの背後で火の柱が伸びあがり、炎が消えると一人の人影が現れた。
「久しぶりであるな、マトラ。興味深い話をしていたようだが、我にも聞かせて貰おうか」
アカツキは振り向いた。そこには、男の恰好をした褐色の美女が面白そうに佇んでいる。黒に近い茶色の真っすぐな髪をした彼女を見たマトラが、心の底から嫌そうな顔で立ち上がった。
「これはこれは、イフリートの名代、イザベル様。ご機嫌いかがですか?」
「私にも人間の間者を使う程度の知恵はある。夜中にこそこそと馬車を乗り入れさせていたらしいな。ご機嫌?これ以上無いくらいに不機嫌だ。それで、そのアカツキとやらが恩寵の騎士か?」
「俺だが」
平然と食事を続けるアカツキをしばらく眺めていた美女は、マトラに顔を向けた。
「なあ、マトラ。何故に彼は恩寵の騎士として呼ばれたのだろうな」
「……何が言いたい」
「今回の魔王は前回の恩寵の騎士の子孫だ。そのような半端者に我々は屈したりしないのだが、正教会は何故に魔王討伐を声高に言うのか?私にはそれが不思議でならん」
話を聞いていたアカツキが驚いて言った。
「お前それ言っていいのかよ」
マトラは額を手で覆った。アカツキの言葉で、聞いていた者達に誤魔化しようが無くなってしまったのだ。イザベルは愉快そうに笑い、堅いパンを噛みしめているアカツキに近づいて行った。
「なあ、恩寵の騎士。貴様は『日本人』か?」
「『日本人』だが……」
「『ナガサキ』とか『ヒロシマ』とか、聞き覚えは無いか?」
「あったら何だ。核兵器の作り方でも教えてくれるのか?」
「ははは。そういう事か。イシュタルも今回は何か思ったのであろうかな」
アカツキはイザベルを無視して食事を続けた。黙々と咀嚼しているのを見て、イザベルはアカツキの正面に立った。
「E=mc^2」
イザベルがこの世界で知られていない筈の数式を呟くと、アカツキの動きが止まる。イザベルは地面に片膝を突いて小石を拾い上げると、地面に何かの絵を描いた。アカツキはそれがリトルボーイとファットマンの構造図だと理解した。
「見覚えがあるか?」
手に着いた砂埃を払い、立ち上がったイザベルをアカツキは睨みつけた。
「お前、何が言いたいんだ」
「魔王はそれを使いたいらしい。前回の恩寵の騎士は魔王を倒した後に行方をくらました。なんでも、『ナチス』とかいう国の、偉い人間であったそうだが、お前の知識に『ナチス』というのはあるか?」
アカツキは、呆然とした顔でイザベルを見上げていた。マトラにせよ騎士団員たちにせよ、恩寵の騎士が浮かべる表情を見て、意味は分からないがとんでもない話をしているのだろうかとは察しがついた。
「魔王はどこにいる」
「分からん」
「分からないじゃねえよ!世界滅ぶぞ!」
血相を変えたアカツキが、食事を地面に置いて立ち上がる。
「まあ、落ち着けアカツキ。正教会には密かに伝えている。我も理不尽に虐殺をされたい訳がないからな」
「正教会は、信じたのか」
「前回の恩寵の騎士は最初から言動がおかしかったらしいから、当時は多くの間者が奴を目指したそうだ。犠牲も多かったが、その子孫が知っていそうな話は大体把握していたらしいな」
「考える事は同じって事か。でも、お前らドラゴンは正教会に敵視されているんじゃないのか」
「形だけさ。ドラゴンが魔王の手先で、ドラゴンを倒さないと魔王と相対できないとなれば、人間達の関心はドラゴンに向き続けることになる。もちろん、人間に狩られるような間抜けは必要ないし関係も無い。どうだ、合理的だろう?」
イザベルは両手を広げてアカツキに迫る。顎を上げて首筋すら見せつけている。恩寵の騎士に向かってはっきりと挑発していた。
「お前らもイシュタルの手下か?」
「あいつを好きなドラゴンは稀だな。中には聖竜として上に上がる者もいるが、気が知れん」
「で、何でお前は人間の姿をしているんだ」
「人間の魔術師に変化の術を教えてもらった。人間になっている内は食う量が減るから便利だ」
「ドラゴンって簡単な奴だな」
「だから我の森もこれほど豊かになったのだ。たまには我が本当の肉体を腐らせないように動かしたり色々と忙しいが、慣れると楽ではあるな」
マトラが聞えよがしに咳き込む。アカツキは最初の用件を思い出して、イザベルに向かって話を切り出した。
「なあ、間抜け。命乞いをしてくれないか」
言うや否や、突然にアカツキが赤黒青白の四色の炎をイザベルに向かって放った。騎士団達は昼飯を放り出して幌馬車に集まった。踏み留まっていたマトラが剣を抜くと、彼らも習うように剣を抜き放つ。
「遅い。前の奴はもっと隙が無かったぞ」
いつの間にかアカツキの後ろにいたイザベルが、アカツキの背中を蹴り飛ばす。地に伏したアカツキを見下ろす竜の女王は血よりも赤い禍々しい炎の剣を右手から出して、ただアカツキだけを見て近づいていく。
「恩寵の騎士、もう一度だけ猶予をやろう。殺す気で来い」
横に倒れて丸くうずくまっているアカツキは反応しない。ただ、目だけを向けて、イザベルを見上げている。その目にイザベルは疑問を抱いた。何を見ているのだ?そう思った瞬間、イザベルは後ろに飛び退いていた。虚空を、地面から噴き出した四色の炎が飲み込んだ。着地に失敗したイザベルは転がりながら見境なく炎の剣を振り回して地面に炭色の模様を描いた。だが、先に立ち上がったアカツキが、四色の炎を右手でかざしている。
「ドラゴンってのは、その程度か」
「良かろうよ。私を殺しても本体は骸が残る。私を倒したなら首でも何でも持っていくがいい」
「イザベル、お前はブルーノ候に恭順しろ」
「はっ、イシュタルに媚びを売るよりも難しいな!」
焦がした地面から爆炎が巻き起こり、地上を這うケダモノのようにアカツキ達に迫ってきた。そう、アカツキ『達』に。十数発の爆炎の内、恩寵の騎士を狙うのはたった一つ。幌馬車に背中を向けていたアカツキは瞬時にイザベルの狙いに気づき、出来る限り後ろに飛び退いて手を広げて叫んだ。
「間に、合ええええええええええええええええええ」
次の瞬間、巨大な氷の防壁がアカツキの前から真横に広がった。防壁は所々が砕けて蒸発した。だが多くは消沈したり幌馬車まで届かなかったりして、人の被害は全く無かった。ただ、一つの問題が発生した。
「貴様が薄情な人間でなくて助かったよ。最期に、何か言い残す事はあるか?」
またしても後ろを取られたアカツキは左腕を極められて、首筋には白刃の冷たさが伝わってきた。アカツキは邪魔そうに剣を首で押すと、溜息を吐いた。
「この世界の事はこの世界で生きる人間が続きをやるべきだ。そう、イシュタルに伝えてくれ」
「ぶっ、笑わせるな!」
高らかに笑い声を上げたイザベルは、極めた左腕を引きずって逆時計回りにアカツキを振り向かせると、体全体をぶちかまして地面に叩きつけた。あまりの痛さに悶絶して仰向けになると、逆さまの視界に剣を構えるマトラが写り込んだ。
「勝負あったな。これ以上の愚弄は許さんぞ」
「はははは、アカツキとやら、面白いな!マトラ、こいつは我が友に足る。紹介しろ」
イザベルは言って嬉しそうに、手を叩いて哄笑した。敵意を隠さず睨みつけるマトラを見返すと、面倒くさそうに髪を梳いた。これ以上の戦いは無意味だと悟るしかなかった。
「……、皆、剣を収めい」
その声に転がって見上げると、騎士隊長マトラの後ろには騎士達がそれぞれ剣を抜いて控えていた。騎士隊長が率先して剣を収めると、ガチャガチャと金属の擦れる音が鳴り響いた。アカツキは体を起こすが立ち上がる力も無く、その場に座り込んだ。
「ふん、こいつは魔術師向きだが、思考は騎士そのものだな。イシュタルが好きそうな奴だ」
「弱くて悪かったな」
「ああ悪い。とても悪い。ドラゴン狩りに来ておきながら高が五十の命を惜しんで致命的な隙を作るなど、あってはならん事だ。なあ、お前たちもそう思うだろう?」
そう言って山を見上げたイザベルを警戒しつつマトラが同じ方向を見上げると、薄く木が生えている山の山頂に弓を携えたエルフの一団を見出して思わず震えた。
「誠意も真摯さも相手による。あれらは私の盟友だ。別に何も指図はしていないが、この『決闘』をどう思ったのかな?なあ、その弓で教えてやれ」
「ぐっ、それでも誇り高いドラゴンの端くれか貴様はぁ!」
マトラが叫ぶが、何が起こっているのか分からない騎士団員達は困惑するしかなかった。その時、同じエルフを見上げていたアカツキが呟いた。
「射線が下過ぎる。動かない方が助かりやすい」
だが、アカツキの予想を上回る事態が起きた。矢は確かに飛んできたが、その狙いはアカツキ達ではなかった。
「だろうな」
最初、矢はアカツキの言う通りにかなり手前の地面に刺さったが、矢の雨は素早く竜の化身に向かって矛先を変えた。イザベルは踊るように飛んできた矢を避けた。刺さった矢と飛んでくる矢がぶつかって爆ぜ、すぐ横にいたアカツキは木片を浴びせかけられて目を庇った。ようやく事態を把握した騎士団員達が目を見張っていると、誰かが叫んだ。
「エルフ達が下りて来るぞ!」
その叫びを聞いたかのように、エルフの一人が矢を矢筒にしまって弓を片手で振り上げた。敵意を感じない友好的な撤退に騎士団達は戸惑っていた。
「私を倒したところで、あのドラゴン巣はエルフ巣になるだけでしかない。その約束を取り交わしているからな」
「いつの間にエルフが……」
マトラが思わず左手で柄を掴んで呟くと、イザベルが答えた。
「故郷を追われて旅をしていたエルフが奴隷商人を襲って、仲間のエルフを引き連れて逃げ込んできたのさ。木の扱いが上手くてな、仲良くなってしまった」
「先代からはそのような事は聞いていなかったが……」
「人間同士、秘密の一つや二つはあるのだろう。代替わりしてからブルーノ候は来なくなったがな?」
「……我らの当主は、王宮や教会との付き合いが御座いますでな。私もイザベルとアカツキ殿が何の話をしておられたのか、気にはなりますかな」
アカツキはマトラから向けられた視線に、鬱陶しそうな顔をした。
「人間同士、秘密の一つ二つはあるな」
「そう仰せであれば、仕方のない事で御座いますな」
やり取りを聞いていたイザベルが、愉快そうに手を叩いた。
「良い、良い。今当主に恭順を誓うことはせぬが、良い。この恩寵の騎士が信頼するブルーノ候であるとは、知って置いてやる」
「相変わらずの、イザベル殿ですな」
「そうであろう。なあ、アカツキ。友誼の印に何かやろう。人間の好きそうな宝石が有り余っているのだが、どうであろうか」
「……、森が豊かだと言ったな?」
「ああ?それはまあ、ヴァランスの中では豊かではあるかな」
「土、土が欲しい。それと、エルフは木を手入れする時に枝を切り落としたりしている筈だが、それも欲しい」
「うん?訳の分からぬ物を欲しがるのだな。荷馬車を貸してくれれば、奴らにアカツキの役に立ちそうな物を運ばせよう。何が目的か、言えば必ず役に立つ物を選ばせるが?」
「じゃあ、この荒地で畑を作りたい。それだけ伝えてくれ」
「良かろう、アカツキ。貴様とは良い酒が飲めそうだが、今日は忙しい。お引き取り願って構わないかな?」
イザベルの言葉に、マトラが食いつく。
「ふむ、間者が帰ってくるのですかな」
「そんな所だ。知りたければ、マトラだけは残ってもいいぞ」
「知らない方が良いことも御座いますので」
「分かっているなら、悪いが引き下がってくれ。ブルーノ候に宜しく伝えてくれ」
そう言って、イザベルは炎を巻き上げて消え去った。後には、アカツキとマトラ、騎士団員と人夫達が取り残された。マトラが呼ばわう。
「死んだ者は、おるか」
「おりません。騎士も人夫も欠けた者はありません」
「アカツキ殿、今日は帰りますぞ」
「なあ、誠意も真摯さも、相手によるな?」
「何を仰りたいので?」
「酒と干し肉を積み出せ。それぐらいはしていいだろ?」
アカツキの言葉にマトラは少し考えたが、頷いて騎士らに命じた。
「酒と干し肉を降ろせ!化外に情けを掛けられて、礼儀の一つもあろう!」
それきり、アカツキは意識を失ってしまった。燃費悪すぎだと思いながら、アカツキは地面に倒れ込んだ。