ドラゴン巣の決闘2
ブルーノ候の居館には周囲に空堀が巡らされ、高い壁の建つ四隅に櫓が建っている。出発の準備が整う間に起きてしまったアカツキは、騎士の一人を伴って堀の外を散策していた。
「アカツキ様から見て、この館はどうですか」
「どうとは?」
「決まっているではないですか。どう攻めるのか、お考えを伺いたい」
騎士の問いに、アカツキは少し考えた。ハッキリ言っていい物かどうか躊躇ったが、騎士の強い眼光に折れて正直に言う事にした。
「千人入るかどうかの館で、周囲には一万人が包囲できそうな平地が広がっている。それと堀の形がいびつで、丁度ここあたりかな。俺ならこの堀を埋めて破城槌で壁を破壊する。あとは、言う必要あるか?」
「流石は恩寵の騎士様です。兵学も良く心得ていらっしゃる」
大袈裟にも思える騎士の称えようにアカツキは内心で辟易した。向こうの世界では戦争をモチーフにするオンラインゲームが流行っていて、自分の最高ランキングが日本で4000番台、つまり俺より強い奴が4000人以上いるというのは言わない方がよさそうだと思った。
「どうしてそんな事を聞いたんだ?」
「……ええ、若いのに良く心得ていらっしゃる。あなた様が来られた世界では、何があったのですか」
空気が変わる。剣こそ抜くような気配は無いが、アカツキに対して強い意志を向けてきている。
「どういう意味だ?」
「私から申すべき事ではないのですが……」
「だったら言うな」
この話の流れだと、学校の平和教育で得た知識を持ち出すことになるが、この純粋な騎士に向かって話す内容は無いようだとアカツキは思った。核兵器と生物兵器と化学兵器、総力戦、近代化の光と闇、AK47、民族浄化と経済戦争に情報戦。etc。アカツキにはひどく難しい話を簡単にする気にはなれなかったし、出来なかった。だが、騎士はなおも続ける。
「この世界は、死に満ちております!アカツキ様は、恩寵の騎士は魔王を倒す以上には何もお考えが無いのですか!それで、民達は何が救われるのですか!争う為だけに人間は作られたのだとでも仰るのですか!」
騎士の言葉に、アカツキは振り返った。この領地どころかノルディノ一国を超える数の人間が毎年死に続ける世界、それが『俺のいた世界』だ。感情的には共感するが、だからこそ優しい言葉を掛ける気にはなれない。
「知ってる。死に満ちているのは俺の世界も同じだ。もう黙れ」
冷淡な返事に騎士は苛立って石を堀に蹴り入れた。水音に振り向くと、空堀の下には少し水が溜まっている。砂の多い地質であるが、掘り下げて泥や粘土があれば、利用できるかもしれないと考えた。屈みこんで観察していたアカツキはふと、騎士に問うてみた。
「なあ」
「なんでしょうか」
「飢饉と魔王、どっちが怖い?」
俺の問いに騎士は目を泳がせた。しばらく黙り込んで考えてる様子だったが、彼は溜息をついて観念したように答えた。
「女神イシュタルは魔王の討伐をお望みでありますから」
「……まあ、分かんねえよな」
「それと、この地方ではあまりありませんが、疫病も恐れられています」
「疫病、かあ……」
見上げると、乾いた風が吹いている。空は切れ切れの雲に覆われているが、遮られなかった青色が綺麗なグラデーションで雲を彩っていた。空を眺めて黙り込んだアカツキに、流石の若い騎士もそれ以上話を続ける事は良くないと察した。
「そろそろ、お戻りになりませんと」
「どっちが近い?」
「このまま歩いた方が早いかと」
何事も無かったかのように、二人は館の周りを歩き始めた。正門を入ったすぐ中には石畳の広場があり、大人の背丈ほどの塀に囲まれて奥にもう一つ門があった。飢饉の時には奥の門を閉ざし、騎士隊長が訴えを承る慣習があると騎士が話した。広場には3台の荷馬車と2代の幌馬車が用意されていて、騎士達と農民達が混ざりあって荷馬車に荷物を積み込んでいた。
「では、アカツキ様。私はこれで」
「ああ、うん、ありがとう」
荷積みの方に混ざっていった騎士は、農民達に混ざって木箱や武器を荷馬車に運び込む。ブルーノ候の下では騎士達も貴族然とせず、泥や砂埃にまみれる事も厭わないようだ。
「やあ、アカツキ殿。散策はいかがでしたかな」
騎士団長のマトラが話しかけてきた。
「この辺りは、井戸を掘ると粘土が出るのか?」
「良い粘土はありますが、焼き物にするには薪にする木がありませんでな。ティーカップなどはミュルーズがよろしい品を揃えております」
こいつ出来るなと、アカツキは内心で感心した。だが、本題はそうではなかった。
「溜池が作れるかもしれない」
「溜池、ですか」
「丘を切り崩してそこを粘土で囲い込めば、地面よりも高い溜池が作れる筈だ。ドラゴン退治が無事に終わったら溜池を一つ作って試したい」
「魔王退治はしないのですか?アカツキ殿のしたい事は、何年もかかりそうな気がしますが」
「本当に、魔王を倒せば世界は平和になるのか?」
「……、何を仰っているのか、分かりかねますな」
「俺は、俺の世界では、何千万人が戦争で死んだ。一回の戦争でだ」
敢えてマトラの顔を見ずに言った。
「俺は本当の世界、俺の世界では不治の病として死にかけてるんだ。いや、もう死んでいるかも知れない」
上に右手の手の平を向けて突き出すと、王宮での出来事を思い出して魔法を使う感覚を再現した。すると、手の平から不思議な炎が舞い上がった。赤、黒、白、青の四色が交わった太い炎が真っすぐ空に向かって突き立った。広場にいた者達が驚き、怯えだした。
「何の真似か、アカツキ殿」
「この炎でドラゴンを倒す。魔王も倒す。そんな事をしようって奴がどんな力を持っているか、気にならないのか?」
マトラは上を見上げて、炎の先を見た。放つ熱気が老骨には応えたが、意地で身動ぎもせずにいた。
「アカツキ殿のお気持ちは分かり申しました。では、参りましょうか」
その言葉にアカツキは炎を収めると、広場の者達は詰み込みを終えていて、騎士達も乗り込んで後はアカツキとマトラを待つだけになっていた。一番近くのマトラが平然としているからこそ、滞りなく終わったような物だとアカツキは直感した。ふと、アカツキは騎士にした質問をマトラに投げかけてみた。
「なあ、マトラ。魔王を倒すのと飢饉を無くすのと、どっちがいい?」
「両方やっていただければ幸いかと」
強かで飄々とした即答に、アカツキは思わず噴き出す。
「それはそうだろうな。頑張るよ」
「是非も無く」
二人が先頭の幌馬車に乗り込むと、一団は広場から次々と走り出した。向かう先はドラゴンの住まい、ドラゴン巣だ。揺れる幌馬車に揺られながら、無言のアカツキは思案気に腕を組んでいた。