ドラゴン巣の決闘1
時は少し遡る。歓迎の宴会が終わった次の日の事である。夕餉の時間、恩寵の騎士であるアカツキは村を回ってみたいと言い出した。ブルーノ候が大笑いして、私の仕事を代わってくれるのかい?と揶揄すると、アカツキは聞えよがしに溜息をついてフォークとナイフを置いた。
「三年か五年に一度、飢饉が起こっていませんか?」
「……、イシュタルはそんな事を心配して君を選んだのかな?」
「いいえ。これは俺の意思です」
「意思、か。だがな、アカツキ殿。我々イシュタルの民は君に魔王討伐を期待している。言い換えれば、それ以上の事は期待していないし、求めてもいない」
アカツキが向ける苦い表情を受け止めて、ブルーノ候は更に句を継いだ。
「君が自由にしたいというのならば、権力を得ろ。信用を得ろ。やるべき事を成して功績を積み上げろ」
ブルーノ候が言い放つと、同じ食卓を囲んでいる奥方が苦笑いをしながら口を挟んだ。
「それはあなたがお義父様にいつも言われていたお小言じゃないですか」
「うるさい、昔の事などいいだろう」
「ですがアカツキ様の仰る事ももっともですよ。私はアカツキ様にお考えがあるのならば、是非とも伺ってみたいと思います」
「お前まで何を言い出すんだ、リュディビーヌ」
奥方が握りしめたフォークを静かに置いて、静かに立ち上がった。ブルーノ候を正面から睨みつけて、強い怒りを抑えるかのように息を荒くしている。
「この際、言わせていただきますよ。私は秋が来るたびに心配でならないのです。洗いざらしのボロ着を身にまとって年貢減免の訴えに館に押し掛ける人々の顔の青さを、あなたはご覧になって?彼らに家族がいて、厳罰を言い渡されるかも知れない危険を冒しても生きる為には他に方法が無いあの人たちの顔を!」
「見てるよ、だが、ヴァランスだけではない、どこでも同じ事だ!飢饉が無ければ素晴らしい?当然の事ではないか!私が当主になってから民達をずっと薄情に捨て置いていたとでも思うのか!」
ブルーノ候は食卓を叩く。子供たちは怯えた表情を浮かべていたが、長男のヤンだけは顔をしっかり上げて二人のやり合いをしっかり見ている。
「でしたら!イシュタルのお導きでこの世界に来られたアカツキ様が、何をやろうとやるまいと今までと同じではないですか!三年か五年に一度の飢饉があると、誰もアカツキ様に言おうともしない事を気付いて心配なさっているではないですか!」
「いいかリュディビーヌ、三つ言いたい事がある。飢饉をどうやって止めるか、この世界では誰も知らない。王宮も諸侯も頭を悩ませている。二つ目は、胡散臭い錬金術師に騙されて土地を駄目にされた連中が多い。三つめは、私はアカツキ殿を信用していない」
「何ですって、王宮から預かった恩寵の騎士様をそのように!」
「だが、まだ何もやっていない。そうだな、アカツキ?王宮での件は聞いているが、ヴァランスで実際に何かをやり遂げてはいない。私は貴殿を何者か全く知らないのだ。そのような状態で、我が領土を云々して貰いたくはない。わかるな、アカツキ。いや、アカツキコウタロウ」
全員の視線がアカツキに集まる。アカツキは怖気もせずに応えた。
「はい、ブルーノ候が仰ることは分かります。俺は何をすれば信用してもらえますか」
アカツキの冷静な態度と言葉に、ブルーノ候も奥方も肩透かしを食らったらしく、奥方が再び席に座るとブルーノ候はアカツキの問いに答えた。
「ヴァランスの南方に、ドラゴン巣がある。強敵だが、恩寵の騎士ならば倒せる筈だ」
「なんと、ドラゴン巣にアカツキ様を送り込むつもりなのですか!?」
「女は黙れ。男同士でしか分からない話だ」
思案気な顔をしていたアカツキは、二人の会話が途切れた所で喋った。
「いいでしょう。ただ、……」
「ただ、何だ」
「……いえ、実際にして見せた方が早いでしょう。俺にドラゴン退治を任せてください」
「ふん。いいだろう、見事やりおおせたら村を一つ任せてやる。いつ出立する?」
「明日、ドラゴン巣に向かいます」
「良かろう、騎士団の精鋭いくらかと人夫、荷馬車を用意する。マトラ」
「仰せの通りに」
食堂の端で控えていた騎士団長のマトラが畏まり、部屋を出て行った。
「ドラゴンの首を氷漬けにでもして我が前に持って来い。そうすれば信用してやる」
「必ず氷漬けかどうかは俺が判断するので」
「何でも良いわ。とにかく討ち取って参れ」
ブルーノ候が立ち上がって部屋を出ていくと、奥方は途方に暮れた顔でアカツキに話しかける。
「ねえ、アカツキ様。あなた、本当にドラゴンを討ち取れるの?でも、ドラゴン一匹と村一つが引き換えだなんてあんまりだわ。ああ、ごめんなさいね。あの人も王様から領土を預かる手前、本心ではないのよ?無理しなくてもいいのよ、あなたはヤンとそんなに変わらない年なのよ。出来なかったからと言って恥ではないわ」
「お母様、それは違います。僕もお父様と同じ意見です」
奥方の言葉を遮ってヤンが喋った。
「アカツキ、君は飢饉の原因が分かるのかい?」
茶色い髪の目鼻立ち整った貴族の息子が、アカツキを探るような目つきをしながら問うた。アカツキは顎に手を当てて、記憶を紡ぐように目を上に遣る。
「三年や五年って周期が決まっていて、目立った害虫もいないなら連作障害、同じ作物を作り続けると畑が悪くなる現象が俺の世界では知られているかな」
「どうして同じ作物を作り続けると連作障害というのになるんだ?」
「何ていうのかな……、窒素・リン酸・カリウムというのは知ってるか?」
「ううん。全然」
アカツキは予想だにしない難問にぶつかった。この世界ではあまり化学が進んでいないのだ。分からない概念を一から教えるというのは、手に余りそうに思える。
「俺の世界では栄養素とか元素とか、目に見えない物質で世界が構成されているんだ」
「元素……、火地風水の四元素ではないの?」
「そうそうそう、それそれ。その四元素は畑にもあって、四元素が偏ると畑が悪くなる。ただ、四元素を偏らせないと出来ない作物もあるけどね」
「ふーん、なるほど、四元素が偏ると連作障害になる……」
納得しているヤンを見て、俺は少し安堵した。本当はいい加減な事を言えないが、今は仕方が無いと妥協した。
「じゃあ、麦が連作障害を起こすなら、どうやって畑を良くするの?」
「ねえ、ヤン。アカツキ様は明日ドラゴン狩りに行くのよ。もうお休みにならないと、ねえ?」
奥方がヤンを嗜めて、アカツキに目配せした。
「この子ったら、興味を持ったらいつまでも話し続けるからごめんなさいね。悪い子じゃないのよ」
「母さん、僕もドラゴン狩りに行きたい」
「ダメよ!遊びに行くんじゃないんだから!」
「だって!僕だって将来は侯爵になって当主になるんだよ!恩寵の騎士が何をするのか見届けなきゃ!」
目配せの意味を理解したアカツキは、なるべく優しい言葉を選んで言った。
「いや、ヤンは連れていけない。俺もドラゴンの強さとか分かってないからさ」
「アカツキ、君は僕を見くびるのかい?だったら剣の腕を見てから!」
「やめなさい。アカツキ様は魔術師なのだから、そうよねアカツキ?」
「嘘だ!アカツキはイシドールの奴を足蹴で倒したらしいじゃないか!アカツキが弱い訳ない!」
「黙りなさい、ヤン!」
乾いた音が食堂に鳴り響いた。奥方がヤンの顔を平手で張って、怒りをあらわにした。
「目の前にいない貴族を侮辱するだなんて、ヤンはそんなに卑怯な子だったのかしら!恥を知りなさい!」
皆が黙ってしまった。気まずい空気に辟易していると、いつの間にかアカツキの両側にメイドが挟むように立っていた。
「アカツキ様、明日もお早い事ですから、お休みになってください」
「お湯を使われるのでしたら、後でお持ちいたします」
二人のメイドは双子らしく良く似ていた。黒髪で肌は白く、不思議な佇まいをしていた。王宮にいたメイドに比べると華やかさが無いが、服さえ変えれば遜色はないかも知れない。年齢も自分とそうは変わらないようにアカツキには見える。
「ああ、そうするよ。ヤン、ドラゴンの事は俺に任せてくれ。連作障害の続きは帰って来てからじっくり話せると思うから」
ヤンは返事をしなかった。メイド達は鶏を追い立てるように無言でアカツキを急かし、食堂の外へと導いていった。
「ヤン、恩寵の騎士というのは、ただ強い力を持っているだけではないの。あなたにもいずれ話すわ」
「お母様……」
「さあ、寝ましょう。ヤンも見送りぐらいはするわよね?あなた達もお休みの時間よ」
ヤンの頭を撫でた奥方のリュディビーヌは年下の兄妹達を引き連れて食堂を出て行った。一人取り残されたヤンは、食器を片付ける召使たちを背に窓の外を見ていた。蝋燭が一本を残して吹き消されると、満天の星空が黒い雲の切れ間から地上を覗いていた。