凍り付く風
古城の最も高い塔の上で、男は佇んでいた。風が吹きすさぶ中、手の内で角の丸いサイコロを弄びながら、地上を見下ろす眼は冷たい。気配に気づいて振り返ると、ルーカスが背後に立っていた。
「よお、ネストール。また小遣い稼ぎの算段か?」
「ルーカスか。人聞きが悪いな」
「顔が広いお前の事だ。ノルディノの動きも読んでやがったんだろ?」
「悪い冗談だ。もし信じていればと、後悔していた所だ」
予期しない本音の吐露に、ルーカスは意表を突かれた。誰よりも表情を作るのが上手いネストールが本心を言う事など滅多にない。ネストールは胸壁にもたれかかり、皮肉な冷笑でルーカスを見返す。
「ほお?いやに正直じゃねえか。勝負を投げたか?」
「迷っている。今更、貴族共の使い走りをしても大して割に合わないしな」
「こりゃ珍しいな。金の為ならなんでもやるネストール様がよ」
「イシュタルは忙しいらしい。俺の事なんか構っちゃらんねえ程にあの騎士様にお熱なんだろうよ」
「もしかして振られちまったか?ずっと気に入られていたのにな」
「だが、悪い事ばかりでもない。月のない夜なのに、景色がはっきり見える」
突然の殺気を感じたルーカスは反射的に手を振って飛んできた何かを掴む。手の中を覗くと、ネストールのサイコロが二つ収まっていた。
「流石は"銀狼の耳"ルーカスだ。老いぼれても衰えちゃいねえ」
「何のつもりだ?笑えねえ悪ふざけだ」
「そう怒るなって。あんたにだけは触らせなかった取って置きだ」
ネストールの言葉を不思議に思ったルーカスは、手の中のサイコロに目を落とす。その時、雲の切れ間から月明かりが塔を照らした。
「ほう。良く出来てるな」
「だろ?」
六面のサイコロの目は六のゾロ目だった。一つづつ摘み上げて改めると、ルーカスは感心したように呻く。
「こう投げりゃいいのか」
言った端から、サイコロは飛んだ。指の間で受け止めたネストールが手の内をルーカスに向けると、一のゾロ目が揃っていた。
「残念。俺の勝ちだルーカス」
「おかしいな。確かに六が出たと思ったんだが」
「冗談だよ。あんたにイカサマするほど俺の肝は太くない」
ネストールがサイコロを懐に入れると、ルーカスは用件を切り出した。
「それでだな、エスランサの連中がナバラにちょっかいを掛けてきてるんだが、お前噛んでるか?」
「まあな。俺も顔が広いから、中には勘違いしている間抜けもいる。適当に話を合わせちゃいるが、どうやら完全に当てにされているらしい」
「だろうな。金でいくらでも転ぶ奴だとでも思われてるんだろ?」
「笑うぜ。俺には金どころか娘までくれるって貴族までいるんだ。冗談だと思うだろ?」
「銀狼一家に義理立てしなくていいぞルーカス。銀狼一家などと威勢はいいが、過去の栄光にすがって落ちぶれた山賊でしかない。さっさと足を洗え」
「ふん。いくらルーカスでもそんな指図をされたくはない。それより、貴族の連中はノルディノの使節団がナバラを通るとは今日まで知らなかった筈だ」
「だろうな。奴らは貴族とは名ばかりの、エスランサ本国で領地を得られなかったあぶれ者だ。揃いも揃って能無しばかりだ」
「そう思うだろ?しかし、だ。これが満更馬鹿にはできない」
「どういう事だ?」
薄い光を放つ三日月が雲に遮られて暗くなる。ネストールの表情は見えないが、不敵な笑顔をしているのだろう。ルーカスが黙っていると、ネストールは話し出した。
「なあ、ルーカス。俺は貴族の娘が遊ばれて産んだ子供だ。先代に拾われた命だが、この"幸運"ネストールをナバラの賭場で知らない人間はいない」
「それがどうした?」
「ナバラの貴族には馬鹿が多いが、そいつらのガキは満更馬鹿でもない。俺と同じようにな」
「わからんな。お前は貴族の子弟連中を使って何かやろうとしているのか」
「俺は手伝ってやってるだけさ。奴らは金と頭を使ってエスランサとノルディノの両方と伝手を継いだ。アインラントにも繋がりをつけようとしている」
「何が目的だ?」
訝し気なルーカスに、ネストールは答えた。
「ナバラの独立さ。エスランサは今、失政の連続で民衆の不満が溜まっている。だが、エスランサに飼われている貴族連中はまだエスランサに忠誠を誓う気でいる。遊んでいるようでいて頭のいい若いガキ共の方がエスランサの現状をよく知っていて、巻き添えは御免だって言いだしているのさ」
「本気か?腐ってもエスランサは十万の軍勢を備える強国だぞ。どうやって対抗する気だ」
「エスランサの流民がナバラに流れ込んできているのは知ってるだろ?そいつらに武器をやれば一万は調達できる」
「……使い物になるのか?お前の話を信じてナバラ中で使い物になりそうなやつを集めても一万五千、合わせて二万五千だ。どうやって戦う気だ」
「おっと、乗り気だなルーカス。方法はある。恩寵の騎士が残した戦術を書き残した禁書を手に入れた」
「禁書だと?」
「ああ。エスランサの繋がりで手に入った。今は戦争ごっこと称して試している所だ」
「信じられんな。エスランサにも根を伸ばしているのか。では、恩寵の騎士も我々の味方に出来るか?」
「それがな、あの恩寵の騎士はどうやら駄目らしい。威勢はいいが、戦いとなると怖気づくガキだ」
ルーカスは黙っている。普段よりも口数の多いネストールの言葉を注意深く聞いている。
「あんたも見ていたんだろう?アベルの奴には悪いが、決闘で殺しを躊躇う奴は腑抜けだ。人間一人をどうこう出来ない奴が魔王を倒す?面白い冗談だ」
「なるほど、大体話は分かった。しかしだ、恩寵の騎士がアベルを殺していれば、俺達もタダで済ますわけにはいかなかったな?」
「ああ、そうだ。だが、それも偶然だろ?奴は甘ちゃんだが運は強いらしい。あるいは、俺の運を分けてやったのかもな?」
「まあいい。大事なのはこれからの話だ。一つ言えるとすれば、恩寵の騎士もイシュタルのお気に入りだって事だ。舐めてかかると裏目に出るぞ」
「うん?あんたにしては入れ込むじゃないか。分かった、頭の隅に置いておくよ」
「お前も今日は聞き分けがいいな。まあいい、好きにしろ」
「ああ。首尾がうまく運べば、銀狼一家にも悪い話ではないだろ?俺は借りは必ず返す。先代に誓ってな」
再び雲間が切れて明るくなる。ルーカスの視界には誰もいなかった。
「若いな。目先の鉄火場に飛びつきたがるのは、奴も同じだったか」
独り呟いて、ルーカスは階段を下りて行った。風の止んだナバラの空は、地上を覆いつつある不穏な兆しをただ見下ろしていた。