剣と魔法
王宮魔術師であり使節団の魔術師隊々長のソフィー・レマは、先端に太陽と月をあしらった杖を地面に突き立てて、アカツキが使った赤黒青白の混合魔法を再現していた。衆人環視の中、杖の先に脂汗を流しながらようやく幼子の拳ほどの大きさの不思議な光を放つ球体を作り上げていた。アカツキのそれに比べると遥かに小さいが、誰の目から見ても同じ物ではあった。
「ふむ……」
フェブリエは、間近で見る光球を興味深く観察している。おもむろに外套の懐から短剣を取り出して自分の髪を一房切り取り、両手で引っ張って慎重に近づける。球体に触れた髪は溶けるように吸い込まれ、真ん中を失くした髪の毛の房はそれぞれの手の内で垂れた。球体の幅とほぼ同じ長さが短くなっている。
「消えます」
レマが告げると、球体は光の片鱗を落としながらしぼんで消えた。後ろにふらついたレマを魔術師が支え、他の魔術師がフェブリエから髪の房を丁重に受け取る。
「跡形もないとは、この事だな」
呑気に感心しているフェブリエに、レマは呆れた顔を隠さなかった。何が目的でレマ自らが見世物同然になってまでアカツキの魔法を再現しているのか、いまいち良く分かっていないようだ。
「そうではなくて!あなたは誰に何をけしかけたのか分かっていないでしょう!」
雪原の中、王宮魔術師は杖を挟んで近衛騎士と対峙して怒りをあらわにして叫んだ。フェブリエは少し戸惑ったが、顔には出さずに平静を装った。
「決闘を挑まれて応じる以上は、互いに命を賭けるのは当然だ。いつまでもイシドールの時のように手緩い考えでは、アカツキ自身が命を失う事も有り得よう」
「武門の考えです!魔術は人の命を奪う為に研鑽されて来たのではないのです、目先の生き死にを考えなければならない事態がそもそも失敗、敗北だと私は考えるのですがね!」
「魔術を侮るのではないが、貴様ら魔術師はどうも理屈ばかりが先んじるな。綺麗事ばかりでは物事は進まない、戦わなければならない時に甘い考えを持っていては、命がいくらあっても足りぬ。アカツキはいい加減に覚悟を持つべきだ」
「覚悟!ただの蛮勇ではないですか!そもそもナバラを通ると決めたのは、」
「そこまでじゃ!青二才共が、何を難しく言い争っておる!」
互いの言い分が平行線を辿り始めた時、割って入ったのは錬金術師隊々長のルヴァデだった。金と銀の蛇が絡み合う杖で、レマの杖を叩く。
「良いか、ここはノルディノ王国ではない。エスランサ王国じゃ。何もかも思い通りに運ぶ訳が無かろう?好き好んで雪道で立ち往生したのでもなければ、山賊に助けて貰う代わりに決闘を申し込まれるなどと誰も思っておらんかったじゃろう。誰が死のうが生きようがなるようにしかならんし、魔王が消えていなくなる訳でもないんじゃ。少しは頭を冷やすがいいわ」
「そうだそうだ!お嬢ちゃん小さいのに賢いな!」
「じゃろ?儂はこう見えてとても賢いんじゃ。分かる奴には分かるのう?」
集まって来ていた群衆の中からの野次を耳聡く拾ったルヴァデは、声のした方へと得意げに振り向いた。
「遠慮せんでいいぞ。お主、儂らに用があるんじゃろう?後ろめたい話でないのなら、この場で聞いてやらんこともない」
「……、くくく、現実は厳しいな。お伽噺じゃ、人々を苦しめていた魔王を恩寵の騎士とその仲間が倒してめでたしめでたしだが、実際はこんなもんなのかね」
皮肉と共に群衆の中から出てきたのは、剛健な雰囲気を纏ってはいるが老人だった。ルヴァデは一目見てある事に気が付いた。
「その外套、似合っておらんな」
「ああ。若いもんから借りたんだが、薄くて敵わねえ。よくこんなもん着て仕事が出来るもんだ」
「子供は見掛けさえ整えれば強くなったような気がするもんじゃ。分を知らんのも若さかの」
「違いねえ。俺も昔は着飾って浮名を流したもんよ。若気の至りって奴だな!」
二人して笑い合って盛り上がりそうになっている所を、フェブリエの咳払いが遮る。
「貴殿は何者だ?あのアベルとかいう者の仲間か?」
「ああ。俺は"銀狼の心臓"セベーロだ。今じゃケチな山賊に落ちぶれちまったが、銀狼一家はナダル王家が途絶えるまでは王国騎士団の一部隊でな、騎士団だった頃からやってるのは俺と"銀狼の耳"ルーカスくらいだ。アベルは銀狼一家の頭領で、先代の忘れ形見よ」
「ほう?通りで剣捌きは見事だったわけだ。ノルディノでもあれ程の剣士はそうはいない」
「はっはっは!もしかして、あんたか!アベルと斬り合いして勝ったってのは!だとしたら、斧を吹き飛ばしたっていう恩寵の騎士様はどなただ?」
「あれはの、魔力を使い過ぎてぶっ倒れおったわい」
あまりに口の軽いルヴァデに、レマが慌てた。
「ルヴァデ様!」
「なんじゃレマ。お主も得意げに四属性混合の魔法をやって消耗していたではないか。今更何を隠す」
「それは……」
レマを軽くあしらったルヴァデは、双蛇の杖を突き直してセベーロに向き直る。
「で、銀狼一家と名乗るからには、商談をしに来たのであろう?お主らの頭領の気紛れに付き合ってやったんじゃ。こちらも見合う対価を貰わなければの?」
「それなんだがな、アベルの奴をノルディノに帰るまで使ってやってほしい」
「ほう?頭領を差し出すのか?確かに強いが、ただ強いだけであるのならば見た通りに間に合っておるぞ?」
「ナバラを通る間は、通行と宿と荷物の安全を保障しよう。ずっと物見高い連中に囲まれては、身動きが取れないように思うがな?」
「確かに、の……」
「例えアベルの奴が殺されていたとしても、間抜けに手向ける花はねえ。何にせよあんたらとイザコザを起こさずに済ませたいのがナダル自治領の総意だろうからな。俺ら銀狼一家も評議会に連なっている。ナダルにいる間は信用してくれていい」
「ふむ。間抜けに手向ける花はない、か。のう、間抜け。いや、団長、悪い話ではなさそうに思うがの?」
「アベルは生まれてこの方、ナバラを出た事がねえ。一度は外の世界を見させれば、悪い頭も少しはましになるように思うんだ。あいつはオマケとしても、満更悪い話ではない筈だ」
「なるほどのう。セニエ、お主はどう考えるのじゃ」
秘書隊々長のケビン・ノエル・ド・セニエは、外套のフードを目深に被って進み出てきた。
「悪い話どころではありませんね。我々だけではきっと収拾が付けられない。かえってお申し出頂いたのは願ったり叶ったりですよ」
「だ、そうじゃ。フェブリエ。他に道はないように思うがの?」
少し考えるようにしたフェブリエだが、表情を見るにそれほど悪い話であるとも思っていないらしい。
「……、分かった。セベーロ殿、ナバラにいる間はよろしく頼む」
「こちらこそ、だ。おいホアキン、アベルにこっちに来るように言って、お前はこのお祭り騒ぎを終わらせろ」
「うへえ、面倒くせえ」
「それだけじゃねえぞ。お前、使節団の方々がナバラを通る間に宿の手配をしろ」
「はあ!?二百人近くの宿を毎日準備するのか!?」
「たった二百人じゃねえか。なあに、一月もかからんよな団長?」
「宿と言うほど大袈裟でなくてもいい。天幕も持ってきているし、幌馬車もあるからそこまで気を使わなくていい」
「おい、ホアキン、ナバラはノルディノの使節団の方々に野宿をさせるようなケチな連中の集まりか?」
「はいはい、わかったよセベーロ。全部あんたの言う通りにすりゃあいいんだろ」
「そういうこった。しかし……」
セベーロはふと、フードに覆われたセニエの顔を覗き込むように首を伸ばした。セニエは不思議そうにセベーロを見返す。
「何か?」
「ホアキンが言ってたすげえ色男ってあんたの事だな。こいつ、村にお気に入りの女がいるから、手を出してやってくれるなよ」
「おいセベーロ、何言ってんだあんた!?」
「ああ、なるほど。善処しましょう」
「善処じゃねえよ、タニアに手を出したら承知しねえからな!」
「心配すんな。ノルディノの使節団の皆さんは俺らと違ってお行儀がいいんだ。なあ、団長殿?」
「当然だ。ノルディノの誇りに泥をかける輩は私が斬り殺す」
「おっと、長話をしてる場合じゃねえ。村に話付けてくる」
剣呑な雰囲気を敏感に察知したホアキンはさっさと行ってしまった。程なくして群衆は散り、暗くなる頃には今日の宿となる村に到着した。