白銀の狼
エスランサ王国とノルディノ王国を繋ぐ街道を、使節団の一行が進む。国境に差し掛かった頃には正午を過ぎ、20両の幌馬車が雪に降られながら西を目指している。ヴァランスを出た頃から増えていった雪は地面を滑りやすくして、車列の前進を阻んでいる。轍を踏んで四苦八苦する車列を、白く染まった山の中腹から望遠鏡で眺めている人物がいた。
「なんだあ?カモかと思ったら、兵士や騎士がゾロゾロ出てきやがる」
立ち往生しかかっている幌馬車から次々と乗員が下りてくる。望遠鏡越しによく見ていると、誰かがこちらを振り向いた。外套を着こんでフードを被っているのと、手に持っている背丈より大きい杖からして魔法使いのようだ。垣間見える顔立ちは古い彫刻のように美しく体格も回りと比べると細いから、恐らく女だろうと見当を付けた。
「いやにこっちを見るなあ。なんかあんのか?」
独り言を呟いていると、いきなり後ろから殴られた。振り向くと、白い毛皮の外套を羽織った若い男が見下ろしていた。
「お頭!」
「馬鹿かホアキン。お前気付かれてんだよ」
「ええ?」
お頭と呼ばれた男は、まだ分かっていないホアキンから望遠鏡を取り上げて覗き込む。何人か集めてこちらを見ながら何か話している。
「お前、アレを見てどう思った」
「そりゃあ、女だったらお頭好みでしょ」
「間違いねえな。ああいうのは無理に襲うより口説いた方が楽しいタイプだ」
「それお頭が惚れてんすよ」
男が手を振ると、女の魔法使いはあからさまに嫌そうに顔を背けた。男は嬉しそうに笑い声を上げる。
「よし、決めた!あいつを俺の嫁にする!」
「は?襲っちまうんですか?」
「馬鹿野郎が何を見てんだ!あんな軍隊を襲撃するとかお前の頭はどうなってんだよ!」
「痛い、痛いっす。叩くのやめてもらっていいすか」
ホアキンが抗議の声を上げても構わず男は叩き続けて笑った。こうなるとこの男は止めても聞かないとは思ったが、流石に二つ返事で承服も出来ない相談だった。
「いや、お頭、じゃねえ、アベルの兄貴、あんたは一体何をやろうって積りで?」
「決まってるだろ。お近づきになるんだよ」
「どうやって?」
「あいつらは雪道に慣れてないらしいから、それだけでどうとでもなるさ。ま、俺についてこい」
「見張りはもういいんですか?」
「バレてちゃ意味ないだろ。しつこく見て喧嘩売ってると思われても損しかねえ。行くぞ」
「へい」
二人してアジトの古城に帰ると、居間には荒くれた連中が暖を取って酒を飲んだり賭け事をしたりで思い思いにくつろいでいた。アベルは部屋に響き渡る大声で叫ぶ。
「おい、てめえら!面白い『お客さん』が来たぞ!総出で歓迎して差し上げるから、用意しやがれ!」
先ほどまで騒いでいた荒くれ共は静まり返り、視線がホアキンに集まる。妙にはしゃいでいる時のアベルに二つ返事ではいと言い兼ねるのは、皆同じであった。こうなるのが分かっていたホアキンは、頭領を横目で窺いながら口を開いた。
「ノルディノの王国軍がよ、今そこで立ち往生してんだ。見物に行こうぜって事だな、お頭は?」
「まあ、そういう事だ。付いてきたい奴だけ付いて来い!」
ホアキンの機転に乗っかったアベルが言うと、静まり返った居間にいる誰かが口笛を鳴らした。それを切欠に荒くれ共が騒ぎ出す。
「俺は乗った!行くぞ手前ら、お客様に恥ずかしくない汚い一張羅を着て広場に集まれ!」
「なあ、弱けりゃ身ぐるみ剥がしちまってもいいんだよな!」
「そりゃそうだろ!俺達は山賊だぜ!見た目だけの奴に世間の厳しさを教えてやるのが務めよ!」
「行きたい奴は勝手に行け。あの調子のお頭についていくなら留守番してた方がマシだ」
「女だ女。ノルディノの女騎士は美人が多いって評判だろ。どうせ『あいつ嫁にする』とか言い出してんだろ」
「ああ。ホアキンの言い振りに乗っかるくらいだ。女が絡むとお頭はダメだ」
「うるせえよ手前ら、女みてえにベラベラと口だけ動かしやがる奴はいらねえ!すぐ出るぞ!」
散々好き勝手に言ってる連中にアベルが叫んで外に飛び出すと、ノリのいい連中が一気に付いて行こうとして出口で混雑を起こしていた。どけだのお前が邪魔だのと言い争いつつ、娯楽に飢えていた荒くれ共は舞い上がっていて仕方が無かった。一方で、留守番組を決め込む連中にホアキンは両手を合わせて済まなさそうな仕草を見せた。
「で、だ。ホアキン、お頭が目を付けた女ってどんな奴だ?」
古参のルーカスが問いかけると、ホアキンは肩をすくめて苦笑いをした。
「魔法使いだ。見張り場から道を見てたら気付かれた。女を囲んでた騎士や兵士もありゃあ、何の為にこんな辺境来る気になったのか分からん、精鋭中の精鋭だと思うぜ」
「お前の感想はいらん。数は何人だ」
「幌馬車で20、それも普通よりでかいし、四頭立てに六頭立てが5台混じってる。いくらお頭でもやべえって気付いてるくらいだ」
「だからお前、『見物』ってわざわざ言ってお頭も満更に否定しない訳か。あの腐れ坊主、襲っちゃいけねえ奴ほど突っかかりたがるから厄介だ」
「頼むぜルーカス。先代の親友だったあんたが頼りだ。生きてる内だけでいいから、お頭を見捨てないでやってくれ」
「知らん。俺は狩りに行ってくる。手前の遠眼鏡を貸せや」
「あ、ああ」
「最近目が悪くてな、『獲物』と『仲間』の区別がつかねえ。あのガキに『生き急ぐな』っつっとけ」
「ありがてえ。俺はお頭についていく。残ってる奴は万が一の事を考えていてくれ。多少の事は文句言わねえ」
ホアキンの言葉に、留守番の連中は無言で応えた。一人、老人が杯を爪弾いて酒を注いだ。名をセベーロと言い、ルーカスと同じく先代と共に戦った最古参である。
「ちっ、今日の爺さんはご機嫌だな」
賭けすごろくをしていた男が椅子を蹴って立ち上がった。それを合図に、留守番組は自分の武器を改め出す。
「よし、話は決まりだ。皆頼むぜ」
「ホアキン、帰る時には村で酒を買って来てくれ。それで祝い酒だ」
「ああ、セベーロ。必ず戻るからな」
そう言ってホアキンは居間から出て行く。セベーロ以外にホアキンに興味を示す者はいなかったが、それぞれの武器を見る目は妙に輝いていた。
「なあセベーロの爺さん、積み荷は何なんだろうな」
「知らん」
にべもなく答えると、セベーロは杯の葡萄酒を一気に呷った。