出立
ミサを終えて、前列に座っていた隊長団から礼拝堂を退出しようとした。しかし、礼拝堂の外でその隊列を一人の老騎士が遮った。ブルーノ候に任命された騎士隊長のマトラだった。マトラは深々と例をすると、何かを言わせる前に切り出した。
「アカツキ殿、例のドラゴンがエルフを引き連れて館の前に居座っております」
その場にいた全員の視線がアカツキに集まる。後ろにいた副隊長が礼拝堂の方に号令を発し、人の動きを止めた。
「ほう、ドラゴンか。久しく見ていないのう」
「決闘に勝ったと聞いていたが、討ち漏らしただけか?」
「いえ、我らの友人に出陣の前祝いをしたいと、エルフが申し入れてきました」
マトラはフェブリエに対して答えた。ルヴァデは無視された事を意にも介せずに目を輝かせている。
「ミサの最中にこそこそとドラゴンと話をしていたという訳ですか。私にも声をかけて下さればいいのに」
物見高い雑役隊々長のラファージュの言葉に、誰だお前はと言いたげな表情をマトラはしたが、仮にも隊長格であろうという忖度から特に何も言わなかった。
「イザベルの奴は、多分面白半分でからかいに来ただけだ。俺が話をする」
アカツキがそう言ってマトラの横をすり抜けた。ヤンの古い礼服を仕立て直した上に旅用の外套と一時代前の剣を佩いた姿は、年齢なりにではあるが威厳を纏わせている。
「皆様は、よろしいので?」
マトラが意地悪そうに行く先を開けると、使節団長を兼務する騎士隊々長のフェブリエが後ろを振り返って命令を下した。
「副隊長以下は、館の中で待機だ。最悪の場合は、各隊を指揮して王宮まで落ち延びよ。一人でも王宮に辿り着けば、王国もドラゴンらを捨て置かないだろう。何にせよ、矜持を以って振舞え」
言い捨てると、フェブリエ以下隊長らがアカツキを追って歩き出した。ドラゴン相手では少数精鋭が最も効率的である。それぞれが自らの武器や杖に力を込めて、館の玄関から外に出た。見ると先に出ていたアカツキが、たった一人で巨大なドラゴンと相対している。その周りを、こちらを優に三倍は超える数のエルフ達が整列していた。
「何しに来たもあるまい、友よ。人間同士では慶事には祝う風習があるというだろう。英雄の出立に訪れない訳があろうか?」
「必ず倒すとは限らないがな」
「私を間抜けだと思っているのかな?貴様が敗れても代わりの手はいくらでもある。せいぜい、魔王に一撃くらわす程度を期待するだけだな」
「用件はそれだけか?」
「ん?まあこんな所だろうな。だが、お前の力の使い方には少し言いたい事があるな。一々失神するほど力を放出していては、いくら強くても物の数にもならん。火地風水の混成魔法以外に取柄は無いのか?」
アカツキが何か言い返そうとした時、後ろから頭を杖で小突かれる。
「イザベルと言ったか。お主の言う事はもっともじゃ。こやつはどの程度使えるのじゃ?」
アカツキの頭を後ろから小突いたフェブリエが、イザベルに向かって問いかける。敵意は無いと判断したようだった。イザベルは無視して、巨体から伸びた長い首をアカツキの方に向ける。
「いずれ一度は、使い物にならなくなる時が来るかも知れないな。アカツキ、貴様は何の為に戦う?己の故郷でもないのに、何を意固地になっているのだ。強い力を用いて自分の国を建てればいいではないか。畑を耕していたいのだろう?」
「それは違う。俺は助けたいから助けるんだ。守る為に戦う必要があるなら、俺はこの力を使いたい」
「ふん、貴様は何様だ?この世界の人間は無能だとでもいうのか?」
「俺は、この世界に来てからも多くの事を学んで多くの事を知った。だったら、この世界で何か良い事をしたい。大体、俺は薄情な人間ではないと、お前が言ったんだぞ」
「はは、そうだったかな。ならば、学ぶがいい。知るがいい。言って置くが、……いや、これはまあいいか」
「用が済んだら帰れ。みんなビビってる」
「やれやれ、言い甲斐のある奴だな。それと、貴様は剣には向いていない。いくら騎士の成りをしてもな」
「うるせえよ帰れ」
「魔法剣でも覚えればまた違うだろうがな。では、また会おう勇者よ」
イザベルが言うと、馬に跨ったエルフが一騎前に出て、何かの包みを投げ落とした。
「草の種だ。いくつかの小さな包みに違う種を分けて入れてある。農業に覚えがあるという貴殿なら何をどうすればいいか分かるだろう」
「気が利くな。ありがとう」
「それがネズミに齧られたり腐らない内に帰ってくるんだな」
エルフが列に戻ると、転移魔法の青白い光がドラゴン達を包んだ。彼らの姿が消えると、遠くの山のふもとで同じような青い光が輝いているのが見えた。
「レマ、あれをどう考える」
「そうですね」
王宮魔術師で魔術師隊々長のソフィー・レマと錬金術師隊長のカミーユ・ド・ルヴァデが前に出てドラゴン達のいた場所を眺める。フェブリエを振り返ったレマの顔はひどく険しかった。
「地面に隊列を整え直した跡がありません。あの数を転移させる高い精度は並大抵の技量ではないですね」
「奴らめは他に娯楽が無いからの。ジャラジャラと魔導具をぶら下げた連中がおったのを見ておらんか?」
「あれに勝つにはどうすればいい?」
「隙を突かれて嵌められとるのじゃ。どうしようもないわい」
フェブリエの問いにルヴァデが吐き捨てて、溜息をついた。
「エスランサでも同じ事があるかも知れんな。相当に荒れているそうじゃ」
「ふむ……、あのドラゴンもそういう事を伝えたかったとでも?」
「アカツキは余程気に入られたのう。そんな事よりもフェブリエ」
「何だ」
「慣れない気を使うお主よりも、今のお主の方が儂は好きじゃがの?」
咳ばらいをしたフェブリエはルヴァデを無視して館の中に入り、副隊長たちに命令を発した。
「急ぎ出立する故、アカツキ殿と私とでブルーノ候に挨拶をしてくる。戻るまでに準備を整えておけ」
命ぜられた副隊長達はお互いに軽く話し合い、当初の予定通りに整然と使節団を退出させた。マトラはフェブリエとアカツキを主人が待っている謁見の間に案内した。部屋の奥で豪勢な椅子に腰掛けて頬杖を突くブルーノ候は、入って来た二人を見ずに呟いた。
「エルフもいたそうだな」
「餞別に草の種を持って来ました」
「そうか。この荒れ野も少しは見目が良くなるな」
アカツキの言葉に頷いたきり、ブルーノ候は黙った。誰も何も言わずにいると、再び喋り出す。
「国王より、壮行のお言葉を賜っている。本来なら国王の代理として閲兵も任じられているが、それどころでも無かろう」
辺境の侯爵が見せる異常なまでの冷静さに、フェブリエは内心で驚いていた。
「だが、それ以上に私は大事な領地を国王より預かっている。アカツキがドラゴンを倒さなかった事でエルフとも争う理由が薄くなったのは喜ぶべきだ。我々は存在さえ知らなかったのだからな」
淡々と語る侯爵の視線は、ただただ大きな窓の向こう側に向けられている。
「アカツキ、貴様には戦いの才能よりも素晴らしい才能があるのかも知れない。それが戦いを否定する物ではなかろうかと私は思っている。だが、もしそうなら貴様はこの世界の醜さをまざまざと見せつけられるであろう」
ブルーノ候は肩を揉み、居住まいを正してアカツキに向けて言った。
「この世界を救うか見捨てるか選ぶのは貴様の自由だ。後は『生き残った者で続きをやる』。気兼ねなく、自分の欲する処で生きるがいい」
「……さあな。今の俺は、困っている人達を助けたい。それが理由ではおかしいか」
「ふむ。もう行け。茶番に付き合わせて悪かった」
アカツキは踵を返して扉に向かい歩き出した。フェブリエは座したままのブルーノ候に向かって正礼をし、王国礼賛の章句を唱えた。
「全てはフォルジュハイムの栄光の為に」
「我らは共にフォルジュハイムの栄光の元にあらん事を」
ブルーノ候が返礼を返す。礼賛は下位の者が上位の者に先んじて行い、上位の者は返礼として礼賛を返す。階級の他、王命を受けていたりと色んな事情により優越が決まる。近衛騎士が王都以外に赴く時は大抵が王命を受けているので多くの場合に上位者となるが、本来の地位で言えば近衛騎士の地位は領主より低いのだ。まして侯爵が国王の名代として閲兵を委ねられているのであるから、何も議論の余地はない。
「ジョゼ・ミカエル・ド・フェブリエ。エスランサの宮廷は腐っていると聞く。その真っすぐさが差支えとなって恩寵の騎士の足手まといとなってはいかんぞ」
「は。御忠告ゆめゆめ忘れぬように肝に銘じます」
フェブリエは深々とお辞儀をして、謁見の間を退出していった。ブルーノ候は一人、椅子に座ったままで感慨深そうに独り言を呟いた。
「ヤンも、王宮勤めをさせてみるか。あれは少々、世間を知らなさ過ぎる……」
世界の危機もどこへやら、ブルーノ候の関心は息子の将来へと向いていた。自分でも呑気だと思っていたが、『生きている者が続きをやる』という言葉に対する、彼なりの答えがそれだと思えたのだ。