出発式
ブルーノ候の屋敷の礼拝堂に、アカツキとマリーを含む使節団180名が詰め込まれていた。本当は外に式場を作って国王から命を受けたブルーノ候が閲兵と出発式を行う予定であったが、前日に式の段取りをなぞっていたブルーノ候があまりの寒さに辟易して予定が変更された。急遽ミサを修道院が使節団に献上したがっているという口実で、出発式も礼拝堂で行う事になったのだ。司祭が福音を述べる間に列席者達は起立しているが、最前列でふらふらしている少女がいた。錬金術師隊長のルヴァデだった。
「眠いのじゃ……、儂はもう駄目じゃフェブリエ……」
「起きていて下さい」
「聖典第53章英雄の詩じゃろ……、フードを被っていれば分からんわい……」
「首が傾いてますよ」
「儂、この職が解かれたら山奥で塩を売り歩いて暮らすんじゃ……」
「起きて下さい」
使節団長を任命されたフェブリエはぐずるルヴァデを起きていさせるのに苦労していた。齢七歳の頃に『不死の呪い』を受けたとされ、正教会で七十年近くの年季を務めてからノルディノ王国に帰って来たと伝えられている。祖国への帰還にはノルディノから出国できないという条件が付けられて、本来は使節団に加わる事は出来ないのだが、その正教会から特例が認められて嫌々に同道を承服した経緯がある。
「全く、正教会も都合がいいわい。人の事を化け物呼ばわりしておきながら、その化け物に別の化け物を倒しに行けというんじゃからな」
「声が大きいですよ」
「愚痴でも言わんと起きてられんわい」
司祭の声が気持ち大きくなる。フェブリエと目が合った司祭は片目をつぶって頷き、そのままにさせて置けと言外に言っている。フェブリエはフード越しにルヴァデの頭をワシャワシャしてそれ以上何も言わなかった。流石に座りこそしなかったが、棒立ちのまま完全に眠りこけていた。
「……叡智を以て天を作った方に感謝せよ。慈しみは永遠に」
「……命まで永遠にしていらんわい」
福音朗読の結びに対してルヴァデが毒づいた。フェブリエの小さな咳払いを意に介せず、首を回して伸びをする。
「思った以上に本格的じゃな。章丸々を朗読するとは思わなんだ」
「ルヴァデ殿、隊長としての威厳も御座います。そのようでは示しが付かないですよ」
「見える所でばかり気取っても何にもならんじゃろ。聖典を通読した回数はお主より多いわい」
「左様ですか」
「昔のお主は『御託で戦いは出来ない』などと言っていたのに、つまらない大人になったのう」
「やめて下さい」
ルヴァデは最初に会った時から何も変わっていない。フェブリエの事だけでなくあらゆる王宮の事情に通じていて、ルヴァデに目を付けられた者はいつの間にか消えているとすら言われている。誰の印象にも残らぬままに消えていくとはどういう気分であろうか。
「はー、後は塩パンの欠片を食べて歌うだけじゃな。ようやく眠れるわい」
そして、友情を結んだ相手が年を取っていく姿を見る気分がどういう物か、それも想像だにしない。昔は守っているつもりであったのが、段々と頭を垂れられるようになっていく光景がどう見えているのか、フェブリエには考えられなかった。