夜明け前の風が一番冷たい
夜明け前の寒空の下、俺とマリーは旅姿で輪郭の白む山を眺めていた。月のない空の下、星が太陽の輝きに覆われて次々と姿を隠していく。
「寒いな」
「そうですね」
マリーとの会話はそれで途切れ、顔も寒さ除けのフードに隠されて見えない。つまらない思いをしていないだろうかと気にしていると、ふと讃美歌のようなメロディが聞こえた。マリーが歌っているのだと気づき、綺麗な歌声に思わず聞き入る。空の半分が赤く染まった頃、山の向こうから太陽が徐々に登ってくる。ロングトーンで歌が終わると、俺は拍手した。
「上手いな」
「ふふ、修道院では姉さんと二人でよく歌ったんですよ」
振り向いたマリーの顔は珍しく得意げで、ミレーユとよく似ている。双子なのだから当然と言えば当然なのだが、普段はそれを意識しないぐらいに雰囲気が違っているから、改めて驚かされる。
「今のは、旅立つ人の無事を祈って贈る歌です」
「マリーも旅立つだろ」
「細かい事は良いんです」
ミレーユみたいな事を言いながらくるりと回る。心なしかはしゃいでいるのは気のせいだろうか。その時、吹き晒す風の中に馬車が近づいてくる音がかすかに聞こえた。こちらが風下なので、感覚よりももっと遠い筈だ。
「来たな」
「アカツキ様は耳が良いんですね」
「マリーだって分かってるよな。なんで音で気づいたって分かった?」
「当然です。だって、耳が良くなければ歌は歌えませんから」
「なるほどな」
俺が納得すると、ちょっと浮かれたような表情のマリーは歌い出した。いや、違う。歌うというよりは呟くような小声で、節が無い。体を妙な感覚が包み、見えない圧力に押されるような感じは、以前にどこかで覚えがあった。俺は思わずマリーに手を伸ばしたが、透明な壁でもあるかのようにそれ以上は近づけなかった。印を切ったマリーが空に向かって手を広げて叫んだ。
「尊き女神よ、闇から光を取り出した偉大な御業を為したがごとく、福音を述べ伝う為に旅立つ我々から闇を遠ざけ給え」
マリーの体を眩い光が包み、光は風となって見渡す限りの大地を行き渡った。遠くの方で、何かが光に纏わりつかれている。それも複数。恐らくは使節団全部がマリーの光に捕らわれているのだろう。
「な、何をやったんだ」
「神聖魔法です。アカツキ様の魔力には敵いませんが、私にもこれぐらいの事は出来ます」
「あ、ああ。頼もしいな」
実際、眠気は吹き飛んでいた。俺を包む光は暖かく、寒さを忘れさせた。
「アカツキ様。私はあなたに生きて欲しいのです。あなたが元の世界に帰りたいというのであれば、元の世界で生きる方法を探しましょう。そうでなければ、私は悲しいのです」
マリーの言葉に答えられないでいたが、気づくと光に纏わりつかれた集団の中から火花のように飛び出した小さな光が近づいてきている。それも凄まじい速度でだ。同じ光をマリーも見ていた。
「俺の推理によるとだな、あれは怒っていると思う」
「私も同感です」
「何でやった?」
「いえ。知識としては知っていたのですが、あまりにも難しいというので、一度試してみたかったのです」
あの姉にしてこの妹ありと思わざるを得ない。逃げる訳にもいかず待っていたら結局来たのは使節団団長の近衛騎士フェブリエで、俺達は二人して散々に怒られる事になった。