月のない夜
新月の夜、ブルーノ候領ヴァランスの南方に存在する町ヴァランシエンヌに、王宮から出発した遣エスランサ使節団が宿を取っていた。使節団はヴァランスで合流するアカツキとマリーを含めて総勢180名となる。行軍の練習が行われ、付け焼刃的な訓練ではあるが見掛けだけは立派な使節団になった。
「やはり、雑役隊にバラつきがあるな」
「当然です。真っ当に訓練しろと仰るのならば一か月は頂きたかった」
「冗談だマナドゥ。いくら訓練しても無駄という連中に比べればずっとマシだ」
「フェブリエ様。それは魔術師に対する侮辱と受け取ってよろしいのでしょうか」
「侮辱でいいから、不出来なわしを置いて行ってくれ。後生じゃ……」
「不老不死とは言え、少しは運動した方が良いですよ」
「無理じゃ。この寒さの中では不老不死と言えども凍死するわい……、なんで夜明け前に出るんじゃ……」
隊長団だけの酒場で打ち合わせをしている使節団の隊長六人の内、四人が女性である。彼女らの輪に入れない男二人は、カウンターで温めた葡萄酒をやりながらエスランサの状況を話し合っていた。
「見せかけは景気がいいが、汚職が横行して国民は疲弊している。軍も貴族も聖職者も腐敗して魔王と戦うどころではないな」
「噂では流民と化した民衆を連れ戻す為に懸賞金まで掛けられているというが?」
「違うな。流民を捕まえた者は奴隷として使って良いという勅令が出ている。奴隷商人の景気はとても良いらしい」
「ならば、魔王よりもエスランサ王の首級を上げるべきだろう」
「それが問題だ。民衆の中には魔王よりひどい国王をノルディノと恩寵の騎士が打倒してくれると、本気で信じている者もいる」
「冗談だぞ?」
「ああ、ピエールは知らなかったか。外務大臣のディルマン殿が前例通りにエスランサに使節を送ると決定した時、国王軍元帥のリオタール殿が強硬に反対して対立していた。今回の使節団が成り立ったのは、ひとえにアカツキの言動によるところが大きい」
「ふむ。恩寵の騎士がドラゴン狩りで手心を加えたという噂が関係あるのか?」
ピエール・ド・ラファージュの問いに、ケビン・ノエル・ド・セニエは黙って紫色の布に包んだ何かを置いた。包みを開くと、一つの矢尻が現れた。
「エルフが作ったドラゴン狩りの矢尻だ。呪いが掛かっているから気を付けて触れ」
「触る気はないが、どうやってこんな物を手に入れたんだ」
「これはドラゴン狩りの証拠だ。ヴァランスのドラゴン巣にはエルフの群れが棲んでいるらしい。布越しであれば呪いの影響はない」
「よくそんな物を持ち歩けるな」
「仕事なのでね」
砂と埃にまみれた矢尻をラファージュは布越しに恐る恐る持ち上げる。黒曜石で作られた矢尻には模様が彫られ、溝は暗く赤い色で染められている。
「……、黒曜石をよく削るな」
「だが、全ては符合する。人間を殺すのにはあまりにも手間を掛け過ぎるからな」
「なるほどな。すると、今でもドラゴン巣は?」
「まだドラゴン巣だ。エルフと交流が生まれたらしく、次のドラゴン狩りは私達も混ぜろと、冗談も言えるくらいに打ち解けているそうだ」
「あのエルフがか」
「エルフだけではない。農民達もアカツキを信じてよく働くようになったし、ブルーノ候も苦しい財務をやりくりしながら資金の面で助けているそうだ」
「ほう。どんな奴か、会うのが楽しみだな」
「おや、最初から恩寵の騎士目当てではなかったのか?」
「もっとだ。最初以上に興味が出て来たよ」
二人して笑っていると、背後から使節団長兼騎士隊長のフェブリエが話しかけてきた。
「面白そうな話をしている所悪いが、そろそろ出立の時間だ。準備しろ」
「今度は君もどうだい?お互いに面白い話が聞けそうだ」
「売文屋と話すような事は何もないな。迂闊な事を言えば私の首がはねられそうだ」
本気とも冗談ともつかないやり取りをセニエが混ぜ返す。
「おや、私の首の心配をしてくれているのかな?」
「貴様はさっさと死ね。あと半刻で出るから、間に合わなくなっても知らんぞ」
フェブリエは言い捨てて酒場を出て行った。ラファージュが立ち上がると、雑役隊の副官達が寄って来た。
「あと半刻で全員叩き起こせ。遅れたら置いていくぞ」
ラファージュの命令に副官達は急ぎ足で外に向かう。温くなったワインを呷ったセニエに、一枚の折り畳んだ新聞を差し出した。
「なんだ?」
「あんた達が探している情報はこれかな?」
セニエは折り畳んだ新聞に描かれた、弾丸の構造図を見つめた。一方が平べったい短い筒状で、中に火薬を詰めているらしい。精巧な形状に細かな解説が書いてあり、作ろうと思えば簡単に出来そうだった。
「どこでこれを手に入れた?」
「さあな。俺達はあんた達と違って民衆と対等だ。余計な詮索はしないのが流儀でね」
「良く分かった。参考にしよう」
セニエの返事を待たずに、ラファージュは酒場を後にした。後姿を見送ると、新聞を懐に入れて席を立った。
「流儀、か。我々の知らない世界もあるものだな」
気が付くと、酒場に残っているのは秘書隊だけであった。セニエは不機嫌そうに呟いた。
「無能は必要ないと、何度となく言った筈だ。再びクレテイユの地を踏むまでに気を抜いたら、命は無いと思え」
「隊長さん方、込み入った話の最中に悪いが、後片付けをしたいんだがね」
「ああ。これで足りるか?」
「これで……、いや、やめてくれ。良く分からない大金を貰うくらいなら、踏み倒された方がマシだ。王宮に請求するから早く出て行ってくれ。あんたみたいな物騒な奴から貰う義理はねえよ」
「手間を掛けさせて悪いな。行くぞ」
外は真っ暗だった。ヴァランスに向かう方に、松明の燃え盛る炎が列を作っていた。いくつかある幌馬車の一つに乗り込むと、秘書隊の隊員は全て揃っていた。
「諸君は素晴らしい。次にクレテイユに着くまでその調子で頼むぞ」
セニエの言葉に、隊員達は思い思いに返事をする。軍とは違って、規律などあってないようなものだ。両側に付けられたベンチの先頭に座り、冷たい幕に頭を預けて、そのまま寝てしまった。