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恩寵の騎士

 俺は豪華な部屋で目を覚まし、いわゆる軟禁状態で過ごした。着ていた制服は取り上げられて、代わりにこの世界の服を着ている。浴場に連れていかれて一風呂浴びてる内に制服は無くなっていて、メイドと女騎士が監視する中で用意された服を若干ビビりながら素早く着たが、当然に全て見られている。筋肉の付き方がどうのとか立ち居振る舞いがこうのとか真顔で何やら話し合いながら、ずっと観察されていたのはとても恥ずかしかった。


 あれから三日、やる事が無い。食事は一日三回、食前食後に軽いストレッチと筋トレを1セットずつの計6セット、お茶は午前と午後の二回、昼食後しばらくしてメイドが掃除にやってくると女騎士四人に囲まれて外を歩かされる。会話はほとんどなく、四方を回廊に囲まれた中庭だけは自由に歩き回れた。一度、丸く刈られた低木の根元に屈んで土を見ていると、話しかけられた。


「アカツキ殿、何をなさっておいでですか?」

「土がな、よくほぐれている」

「は?」

「ほらこれ、指でつまむと簡単にバラバラになる。湿気もいい按配で、よく手入れされている証拠だ」

「庭師に伝えておきましょう。きっと喜ぶでしょう」


 薄々感じたのは、俺はこの世界の人間との接触をまだ許されていないという事だ。女騎士が話しかけてきたのも、ただ単に何をやっているのか確かめたかっただけなのだろう。いわば、危険人物扱いをされているのだ。それは不思議でも何でもなかった。


 部屋に戻ってくると、あとはお茶と夕食しか娯楽がない。浴場は断り、お湯とタオルを運んできてもらって体を拭く。そして寝るだけだ。暇を持て余していた俺は、机に本がいくらか並べてあるのを見つけた。何気なく手に取ると、知らない言語の筈なのに意味が分かる。これも女神イシュタルの力なのだろうか。しかし本の言語が全く違うという事は、どうして俺はこの世界の人間と話が通じるのか、疑問に思った。


「あー、あー、あー。あーいーうーえーおー」


 これは日本語で間違いない。意識して発声練習をしていると、誰かが扉を開けて部屋に入ってきた。メイドの若い女性だ。俺の奇行に若干怯えながら、用件を言った。


「あの、コッペル様が面会なさりたいといらっしゃっています」

「コッペルって誰だったっけ……。いいよ。ちょうど暇してたんだ」


 返事をすると、魔法使いの老人が部屋に滑り込んでいた。俺が最初に来た部屋でイシュタルにイシドールの命乞いをしていた老人だ。召使の人は後ずさりしながら踵を返し、外に出るとすぐ扉を閉めた。扉がきっちりしまっているのを振り向いて確認してから、コッペルは話を切り出した。


「アカツキ。単刀直入に尋ねるが、うぬは元の世界に帰りたいのか?」


 コッペルの言葉に、俺は少し考えて返事をした。


「ああ。当然だろ?なんでわざわざそんな事を聞くんだ」

「うぬは、向こうの世界では不治の病で死に掛けているそうじゃな」


 その言葉に、俺の頭が真っ白になる。ここ3日間は普通に暮らしていたから、すっかり忘れていた。もしかしたら、無意識的に考えないようにしていたのかも知れない。


「……あの金髪のバカ女が何を言ったかは知らないが、あんたらに関係あるかよ」

「金髪のバカ女、か。いくらイシュタル様でもお前にとっては異界の存在でしかないのじゃろう。だからこそ、なのかもしれんのかのう」

「何が言いたいんだ」

「ふむ」


 頷いたきり、コッペルは思案気に考え込んだ。部屋の扉が開き、先ほどとは別のメイド二人がお茶らしき一式とお菓子を盆にのせて入ってきた。無言で部屋のテーブルに置くとスカートの裾をつまんで頭を下げ、落ち着き払った様子で部屋を出ていった。


「茶でも飲まんか」


 呑気さに呆れながらも、話し相手に飢えていたので断りもしなかった。何も言わずに椅子に座ると、コッペルは対面の椅子にローブを掛けて座った。首にでかい帯みたいなのを掛けている以外は、俺と同じ服だ。俺の上着は騎士が来ているのと同じデザインで、色は黒い。あとはズボン、シャツは同じで、おそらく下着も同じだろう。今俺が身に着けているのは長袖の綿の肌着と、股引のように膝まで伸びているパンツだ。


「服は俺の世界とあんま変わんねえな」

「国王がお変わりになってからの、町の者が作った新しい服を王宮でも着れるようになったんじゃ。いつの頃じゃったかのう、王が服装を一新して王宮でも平時は着てよい事になって、皆大喜びじゃ。洗うのも手間ではないから、家の者も助かっての」

「伝統って大変だな」

「あの襟首を長く伸ばして細い布を巻きつける服は、うぬの世界では普通なのかの」

「そうだな、仕事をしたり改まった場では大体あの服だ。だけど、それ以外では違わないな」

「ほっほ。人間が考える事は同じという事じゃな」


 コッペルと服飾談義をしながら、俺は紋章の入った円盤状の砂糖菓子を一つ取って口の中に放り込む。


「どうじゃ、味は」

「あ?砂糖の味しかしないな」

「……」


 無機質な甘ったるさに辟易して、ティーカップの茶色い液体を口の中に流し込む。普通の紅茶より苦みが強いが、砂糖の塊と良く合う。ふと気づくと、コッペルが珍しい物を見たような顔で俺を見ていた。


「なんだよ」


 その問いには答えず、コッペルはシュガーポットの蓋を開いて大匙で3倍ほどの砂糖をお茶に放り込み、小さなポットからミルクをたっぷり注いだ。その飲み方に俺が驚いていると、コッペルが口を開いた。


「なんじゃ」

「……別に」


 無言の時間が流れる。お互いに相手が何を考えているのか気になる筈だが、いかんせん共通の話題が無い。俺は若干ぬるくなった茶を飲み干して、お代わりを注ごうと手を伸ばす。


「注いでやろう」

「お、サンキュ」


 コッペルはティーポットを手にすると俺のカップになみなみと注ぐ。


「何もいれんじゃろ。多い方が冷めにくい」

「……ジャム、というのは知っているか」


 さり気なく、俺は問いかけた。別にジャムを知っているかどうかは関係なく、間違いなく"ジャム"と発言するのが重要だった。それで通じるかどうか。


「果物を鍋にかけて潰しながら煮詰めて作る、保存食じゃな。農民などが作っていると聞く」

「俺の世界にも同じようなものがある。子供の時につまみ食いして母さんに怒られた」

「ふはは、違う世界の人間でもやる事は同じじゃのお。で、ジャム、とはなんじゃ」


 元の発音で話すとちゃんと聞こえるらしいのは分かったが、それでも意味は伝わっている。この様子だと、コッペルに聞いた方が早そうだ。


「なんで俺の言葉が普通に通じるのか、理由が知りたい」

「ふぉ、それはお前の発したり聞いたりした言葉が分かるような加護がかかっているのじゃ。その内、気付かんでも自分でこちらの言葉を喋るようになる」

「そっか。だったら余計な事は言わない方が良さそうだな」


 俺の冗談にやや笑ったコッペルが、改めて俺の顔を見る。強い眼光からは、先ほどまでの穏やかさは消えていた。


「アカツキ、うぬは何が聞きたい」

「召喚されたのは、俺が初めてか?」

「ふむ。歴史で言えば百年に一回は恩寵の騎士を召喚しておる。召喚された騎士の伝承を読むと、うぬの世界とは時間の流れは違うようじゃがな」

「その一回で何人も呼んだりするのか?」

「普通はせんの。我々は召喚を女神イシュタルに願うだけで、誰を選ぶかはイシュタル次第じゃ。女神がわざわざ選んだ者を軽んじたりしては、不興を買う事になる。イシドールのようにな」

「なんでイシドールみたいな奴がいたんだ。百年に一回の大事な儀式なんじゃねえの?」

「下らぬ話じゃ。イシドールはあの通りの軽薄で虚栄心の塊のような男だが、家柄ばかり高くての」


 黙ってしまったコッペルの様子に、俺はそれ以上イシドールの話題をするのは賢明ではないと悟った。


「恩寵の騎士って何だ?」

「恩寵の騎士とは何か、何であろうな」


 自分自身に問うように呟いて、コッペルはカップの中身を一気に呷る。少々咳き込んで、カップをソーサーの上に置いた。


「イシュタルの名代、恩寵の騎士。真の名を失わせた神、救世主。魔術と科学という叡智の双子。神とは何か。絶対的な力を備える全知全能の専制君主か、あるいは禁忌さえ犯す自由という獣を解き放った無能な牧人か。はっきり言おう。うぬの疑問は、儂には分からん」

「あんたが分かんねえなら俺にもわかんねえな。ともかくも、俺というのは何だか分からない恩寵の騎士という訳だ」

「ふむ。どういう意味かの」

「え?理解不可能な奴なんだろ?ただ単にこっちに来れただけで恩寵の騎士って呼んでるなら、難しく考える必要は無いだろ?」

「理解不可能……、か。確かに、イシュタルなら有り得なくもない……」


 長い髭を撫でながら、コッペルは探るように問いを発した。


「うぬは、本当に元の世界に帰りたいのかの?即座に死ぬか、すでに死んでいるかも知れないのに」

「俺は約束したんだ。鳥になって家に戻るって」


 俺の言葉に、コッペルは手を叩いて笑った。何が面白いのか俺には全く分からない。


「はははは、殊勝な男じゃのアカツキ。恩寵の騎士の伝承には全て目を通したが、どうやらうぬは信用できるらしい」


 少しイラっと来た。見透かしているような態度に思わず腕を組んで背中を背もたれに預けると、俺はコッペルを睨みつけた。


「見ず知らずの人間なんかいきなり信用できるわけねえだろ。ガキだからって舐めてんのか?」

「ふん、虚勢を張るでないわ。言われるがままに三日も大人しく押し込められている奴なぞ、何を今更疑うのか」

「ふざけんなよ。俺はおもちゃじゃねえ、俺にも感情ってのがある。いつまでも下手に出ていると思うんなら、俺にも考えがあるぞ」


 俺が凄むと、コッペルは馬鹿にしたような笑顔で俺を見返した。このジジイも食えない性格をしているようだ。


「ほう?では手始めに儂を殺すか?イシュタルの力を使って」

「発想おかしいだろ。気に入らない奴は殺すとか、そんな風に思ってるならさっさと殺せよ。今まで何してたんだ」

「そうじゃのう。うぬの言う通りじゃ。召喚の間で暴れる恩寵の騎士など前代未聞であったから、はっきり言えば儂らはうぬを殺して召喚をやり直すかどうか、この三日間寝ずに話し合った」


 コッペルの言葉に俺は思わず舌打ちをする。いくらなんでも、気分が悪過ぎる。


「で、あんたが差し向けられた訳だ。じゃあ、殺すなら殺せ。俺はどんな形でも元の世界に帰る」

「話を急ぐな。うぬがイシドールを庇ったのが話をややこしくしてな。様子を見ようという事になった」


 またもやイシドールの名前が出て、俺は困惑した。あんなのが俺の命と何の関係があるのか繋がらないが、確かにややこしそうだ。


「ふーん。ま、あれだけ脅かした後じゃ、大人しくしてるんだろうな」

「普通はそうなるもんじゃと、みな思っておったんじゃがな」


 この様子だと、イシドールは悪い意味で普通ではなかったようだ。嫌な予感がする。


「奴は今、謹慎させられておるのじゃがな、お前と同じように閉じ込められて、この三日間喚き散らしているそうじゃ。あれは、もう駄目かの。当主は追放する気でおるわ」


 深いため息交じりにコッペルは言い捨てた。やっぱりと俺は思わずにはいられなかった。


「……俺には関係のない話だな」

「奴の言い分では、俺が恩寵の騎士だったらこんな事にはならなかった、異世界の人間に力を与えるイシュタルがおかしいなどと、聞くに耐えん暴言を吐いたそうじゃ。何とも浅ましい、本物の恩寵の騎士が優雅に茶を嗜んでいるのに、下らぬ虚栄心で醜態を晒す奴には言い訳もあるまい」


 情けないという顔で語るコッペルの言葉に、俺は疑問を感じた。


「いや、異世界の人間に力を与えるのはおかしくないか?この世界で誰か探せばいいんじゃないか」

「イシドールのような奴がいるからではないかの。しがらみの無い異世界の人間が望ましい事もあるのかも知れん」

「俺のいた世界も褒められるほど素晴らしい世界じゃないけどな」

「知っておる。恩寵の騎士の伝承には、うぬの世界の歴史も多少は書いてあるのでな」

「じゃあ、世界大戦の話も」

「その話は知らぬことにしておけ。いらぬ誤解の元じゃ」


 コッペルの顔が、一瞬凄まじい形相になった。俺が黙ると、何事も無かったかのように話を逸らした。


「うぬがイシドールの奴を殺しておれば、いや、イシュタルを止めていなければ奴は汚名を被らずに死ねたのじゃがの」

「あんたも頭下げてたよな」

「形だけじゃ。召喚の間でなければ見捨てていたわい」

「じゃあ仮に俺が焼き殺しても氷漬けにしても良かったって事か。ひでえな」

「じゃが、それではうぬもただでは済まんかったじゃろうな。召喚の間を血で汚さんでよかったわい」

「形だけ助けただけだ」

「しかし、何にせよ同じじゃったかもしれんの。イシュタルの怒りを買うとは、愚かな」


 吐き捨てるように呟いて、コッペルが立ち上がった。ローブを再び羽織ると、座っている俺の顔を見降ろした。


「改めて問うが、恩寵の騎士。儂らは他ならぬうぬと取引がしたい。うぬの望みを叶える代わりに、この世界を助けてはもらえんか」

「助ける?救うではなく?」

「一つ、魔王を倒してくれればよい。この際言っておくのじゃが、奴は恩寵の騎士の子孫じゃ」


 何でもないような口調に頷きかけたが、俺は驚いて椅子を蹴った。


「な、魔王が恩寵の騎士?」

「恩寵の騎士の子孫じゃな。要は普通の人間じゃ。この国の、いやこの世界の最重要機密じゃからの、くれぐれも公言せぬようにの」

「ちょっと待て。何でそんな話を俺にした?」

「儂はな、口が軽いんじゃ。くれぐれも秘密にの」

「俺は普通に人を殺しに行くのか?」

「まだ、殺すと決まったわけでもあるまい。形だけでもイシドールの為に命乞いをしてやったのうぬであるから、案外に考え付く事もあるじゃろう。では、またいずれの」


 言うだけ言って、さっさとコッペルは部屋を出て行った。扉の閉まる音を聞いて、俺は再び椅子に座り込んだ。少しボンヤリしてから、ふと外が見たくて窓に近づいた。見下ろすと、コッペルが馬車に乗り込むところだった。


「魔王を倒せば、元の世界に帰してやる、という事か」


 だが、腑に落ちない。魔王を倒すのが世界を救う事になるのだろうか。そんなに簡単な話なら、女神イシュタルが直接戦えば終わるだけの話ではないのかと、素直に疑問に思う。コッペルはもしかすれば、それを分かった上で俺に質問させなかったような気もする。


「ちっ、今度会ったら問い詰めてやる」


 窓から馬車を見下ろしていると、護衛らしい兵士の一人が俺に気づいた。見た所、普通の人間だ。異世界の武器や鎧はヨーロッパっぽいなと思って眺めていると、俺に気付いた彼は後ずさりをしだし、ついには武器を投げ捨てて逃げ出した。即座に取り押さえられて、隊長らしき男が叫ぶのが聞こえる。俺は流石に遠慮して窓際から離れた。


「そりゃまあ、来て早々に人を殺しそうになった奴は怖いよな。まるで俺が魔王みたいだ」


 だが、取引をしたいというコッペルの言い様では、少しくらいわがままを言っても通りそうだ。当面、暇つぶしになりそうな事はないか考えると、一つこの世界の野菜でも育てたいなとぼんやり思った。

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