冬至の宵越し2
起きると、そこは元の世界だった。病院ですらない、普通の部屋だ。暗い部屋の中でパソコンのモニターがスクリーンセーバーを起動させて明滅している。ベッドから体を起こすと、妙な違和感に囚われた。その原因はすぐに理解できた。
「俺の部屋じゃねえ……」
妙に頭が重い。夢だとしても散らかり方が乱雑過ぎる。積み上げられた薄い本とPCゲーム。テレビ。閉め切ったカーテン。外を覗くと夜だった。電柱の張り巡らされた住宅街は間違いなく日本ではあるけれども、全く知らない場所だった。高さから見て、家の二階であるように思えた。
「どこだここは」
そして前髪も長い。頭を撫でると、半年や一年ぐらいは髪を切っていないんじゃないかと思った。ふと、尿意に襲われる。夢だとしたら何もかもが生々しいが、そんな事を言っている場合でもない。立ち上がると、足元に転がっていたペットボトルを蹴ってしまった。暗さに慣れた目で見ると、泡立った液体が八割ほど入っている。俺は見なかった事にして、部屋の扉を開けた。部屋の外は目立った埃も無く掃除がされているが、足元に何かが置いてあるのに気づいた。布を被せている上に、メモがセロハンテープで張り付けてある。
『康彦へ 今日はクリスマスなので、腕を振るいました。しっかり食べてね 母より』
俺は床にお盆で置かれた食事を部屋に持ち込み、丁度スペースの空いている所に置くと、トイレを探しに廊下に出た。真夜中の他人の家をうろつきまわるのは気が引けるが、康彦になってしまった俺にはそれ以外に選択肢が無かった。運の良いというか、出て左手にトイレらしい扉がある。用を足すと水を流し、俺は部屋に戻ろうとした。その時だった。
「康彦?」
トイレのドアを出た瞬間、中年の疲れ切った顔をしたおばさんが階段の所から顔を覗かせていた。俺は早足で部屋のドアを開けて閉めた。鍵は一応閉めておいたが、それ以上の追及は無かった。ひとまず安心すると、パソコンの前に座ってキーボードのCTRLキーを押した。画面が切り替わり、最後に作業した画面が表示された。ブラウザで地図サイトを開くと、現在地と自分の家の距離を確認する。とても遠かった。
「なんだこの状況」
頭がおかしくなりそうだ。その時、モニターの画面が乱れてパソコンがフリーズした。自動的に再起動し始めたのを見ているしかなかった。すると、『夕ご飯でも食べながら待っていなさい、暁幸太郎』というメッセージが表示された。こんな事をする奴、いや出来る奴はあいつしかいない。イシュタルだ。
(嘘だろお前。今度はホラー映画かよ)
見ていると次々とプログラムが起動し、全てのウィンドウでログが流れ続ける。画面を見ていてもどうにもならないので大人しく食事をしていると、部屋のドアがノックされた。
「康彦。お味噌汁、あったかいの持ってきたよ」
康彦がどんなキャラか知らないが、俺は構わずドアを開けておばさんから味噌汁を受け取った。そして黙って閉める。多分こうだろう。
「お代わりもあるからね?」
「いらない」
多分こうなんじゃないだろうか。それきり、おばさんの声はしなくなった。黙々と食べていると、パソコンが再び再起動して普通の画面になってメッセージが表示される。
『地球へようこそ!』
聞き覚えのある、お姉さまキャラっぽい元気な声がかすかに聞こえる。ごついヘッドフォンを見つけると頭に付けた。
(うるせえよイシュタルお前何のつもりだ)
『ええ、多少の説明はいるようね。あなたは眠りにつく瞬間に願ってしまったのよ。もっと勉強しておけば良かったって。だから、この世界に魂だけ戻って来られるように工夫してあげたの』
俺は机に突っ伏しつつ頭を抱えた。そういう事じゃない。そういう事じゃないんだイシュタル。
『まあ、お聞きなさいアカツキコウタロウ。またの名を、銀魔術師イヴニングスター』
(その名で俺を呼ぶな)
『この者は、あなたとともにネットゲームで巨大ギルドを作った黄金聖騎士ルシファー。あなたが入院してから起こった権力争いに敗れてギルドを追放されたのよ』
(マジか康彦)
『あなたという腹心を失ったルシファーは、自己中心的な性格を抑えきれず徐々に求心力を失い、最終的に吊るし上げられて追われるように自ら座を退いたのよ。それが今日、クリスマスイヴという日にね』
(それで?)
『彼は世界の全てを呪った。しかし、あなたの事をふと思い出して心の底から心配したのよ。病気は治っただろうかってね』
(信じたんだそれ)
『他のギルドのメンバーはあなたの事を信じなかった。ルシファーに嫌気がさして去ったのだって噂されていたのよ』
(よっしぶっ殺すか)
パソコンを起動すると、デスクトップにあるアイコンをクリックしてゲームを起動した。そして自分のアカウントを入れてログインする。除名はされていないらしい。
『うわ、イヴさんだ!久しぶり!』
『病気治ったんですか?』
『マジかイヴさん!戻ってきてくれたんだ!』
『悪いなお前ら。ちょっと良くなったから挨拶だけしたかったんだ。ルシファーいる?』
『……すいません、俺ら、ルシファーさんとちょっといざこざ起こして辞めちゃったんです』
『辞めさせたんだろ?今のギルドマスター誰?』
その瞬間、俺はギルドからBANされた。ゲームを落とすと、椅子にもたれかかる。
『それでいいの?』
(うるせえ。名前残ってたら胸糞悪いんだよ)
『面白そうだわ。少し貸しなさい』
イシュタルが俺の手を操り、再びゲームを起動した。それから一時間で、俺達のギルドは壊滅した。ガチャも攻撃も命中も回避も全ての確率を操って限界まで効率を追求した戦術が、三百人以上いたメンバーを全て一回以上殺した。ギルドマスターに至っては多分五十回ぐらいは殺している。抵抗や反撃が全く無くなると、イシュタルはチャットにメッセージを書き込む。
『争いというのはこうするものよ。よく覚えておきなさい』
『これが報復の虐殺か……』
『漢wwwwwwww漢おるwwwwwww』
『お空きれい』
『ボコボコに殺されたけどgj』
『実機TASとかいうレベルじゃねーぞ!』
『伝説を見たワロス』
『神?インターネットで見た』
『衛生兵!核兵器持って来い!!!!(錯乱)』
『俺の装備返せよください(´;ω;`)』
『ほらよ。>ALL』
『突然の慈悲に草生える』
『今日追加された最強装備ががががが』
『イヴさん憤怒の重課金に恐怖覚えますよ』
『ではまた縁があれば会いましょう』
『くっ、殺せ!』
『イヴさん実は鬼女?』
『成仏しろ>女騎士』
『乙ー』
チャットが盛り上がる中、イシュタルはゲームを再起動してアカウントを康彦のものに入れ直した。一回ログインしてすぐログアウトする事で、康彦が次にゲームを起動しても気付くことは無い筈だ。
『私はいつもやり過ぎる。それが例え自分の愛する世界であっても。久しぶりに、気兼ねなく戦えたわ』
寂しそうに不穏極まりない事を呟きながら、イシュタルは今度は俺の手を借りずにパソコンを直接操ってブラウザを開いた。何もしなくても検索バーに文字が入力され、すごいスピードで画面が切り替わっていく。
『クニバヤスヒコは願った。また、あなたと一緒に冒険したい、と。あなた次第で望みを叶えてあげてもいいのよ』
(ねえよ。ヤスヒコはリアルで生きるべきだ。あの世界で起こっている事は難し過ぎる)
『あなたは、ヤスヒコのリアルというのをどれだけ知ってるの?』
(それは知らねえけどよ)
『じゃあ、見に行きましょう。私に体を委ねなさい』
(俺の体じゃねえ)
イシュタルは俺の抗議を無視して、空になった食器の乗ったお盆を持って部屋の外に出た。そこには、父親らしき人物が仁王立ちしていた。
「康彦、今日は調子が良さそうだな。働かずに食う飯はうまいか?」
いきなりラスボスみたいなのが来た。話には聞くが、これは辛い。
「お父さん、そんなに厳しい事言わないで。やっと部屋から出てきてくれたのよ」
「うるさい!お前は黙ってろ!そんな風だから、康彦はいつまで経っても甘えが抜けないんだ!」
それはねえだろうと思ったが、口が動かない。康彦は俯いて父親と目を合わさない。
(これ、康彦起きてる?)
(康彦はね、高校の時にひどい裏切りにあったのよ。それ以来、他人を信用できないでいるの)
直接的な質問には答えず、康彦情報を返してくる。俺は様子を見る以外に何も出来なさそうだ。待っていると、康彦が口を開いた。
「うるさいのは、あんただ」
「何だ?口答えするのか?ごく潰しの癖に」
「うるさいのはあんただって言ったんだよ。俺が困ってる時に、あんたは何かしてくれたか?」
「お、俺は仕事が忙しくてだな……」
「だったら、あんたの会社で働かせてくれよ。息子が家に引きこもってるのがみっともないんだろ?なあ?」
「それとこれとは……」
康彦は顔を上げて、父親を睨みつける。そうして、父親の横を通り過ぎようとした。
「康彦、お盆は貰うからね。お父さん、今日は」
「もういい。お前、何の受け売りかは知らんが、自分の言った事をよく覚えておけ」
父親はそう言って、母親と共に階段を下りて行った。
(これまずくないか)
(いいのよ。ヤスヒコの父親は自動車を作る会社の役員だから、何かしら仕事はあるわ)
(……すまねえヤスヒコ)
俺達が話していると、康彦は自分の部屋に戻った。そして、喋った。俺達に向けて。
「誰だよ、俺の頭の中で話している奴ら」
(あら、聞こえていたのね)
「何勝手なことを言ってくれてんだ。あんな奴に頼まなくたって、RMTでいくらでも稼げるんだよ」
(でも、これからはそうじゃない。自分でも分かっているんでしょ?)
「うるさい、うるさい、うるさい。出ていけよ俺の頭の中から」
(そう。でも、イヴはどう思うかしら。彼に対して恥ずかしくない生き方を出来ているの?)
「……ネットの中でなら、俺は自由でいられた。だけど、同じだった。あんたが神様なら教えて欲しい。イヴは元気か」
(ええ。元気よ)
「それだけ聞けたら十分だ。俺は寝る」
(おやすみなさい。また会いましょう)
次の瞬間、例の星空空間に俺とイシュタルは立っていた。俺は溜息をついて、イシュタルを見返した。
「人の人生を操って楽しいか?」
「私は彼の口を軽くしてあげただけよ。思ってもない事を言わせてはいないわ」
「で、康彦をどうする気だ」
「考えるわ。あなた達の願いを叶えて、私や私の世界の役に立ってもらう。いい取引でしょ?」
俺は何か言い返そうとしたが、意識が急に無くなっていく。眩しい光が俺を包み、俺の感覚はどこかに落ちていった。