存在の理由
王都クレテイユ。ノルディノ王国の中央に位置し、王宮の他には上級貴族達の館が塀を連ねている。成り立ちは、時代を経て雑然とした古い都グランモイスを嫌った先代の王が上級貴族を連れて遷都を強行したのだが、彼ら王族や貴族の日用を為して生計を立てる民達も集まり、幸運が重なりながら繁栄していた。以前の都グランモイスは貴族の分家や下級貴族が移り住み、旧王宮はグランモイスの執務を司る官僚達が受け継いで都市の運営や裁判などが行われる場所となっている。
「恩寵の騎士が、学校を?」
「はい。ブルーノ候より、恩寵の騎士が行う事業の費用について、王宮に協力を求める書状が来ております。恩寵の騎士に渡されるべき禄を担保として費用を肩代わりしているが、春に向けてヴァランスの財政が苦しくなるのが見込まれるので、取り急ぎアカツキ殿の禄を先払いして欲しいとの申し出です」
ノルディノ王女セレナ=ソフィー・ヴァトー・ド・フォルジュハイムは、彼女の警護隊長を兼務する近衛騎士ジョゼ・ミカエル・ド・フェブリエの報告を聞き、水やりの手を止めた。おとがいに左手の指を当てて思案気にしたが、不思議そうにフェブリエを見返した。
「報告は聞きました。よしなに」
「セレナ様」
フェブリエはもどかしげに呼び掛けた。今日は冬にも関わらず日差しが強く、花園は暖かかい。普段着にしている絹の白いドレスに黄色いガウンを羽織り、王女セレナはあちらこちらの花壇をじょうろを持って歩き回っている。
「何か?」
「姫は辺境の荒れ地を耕させる為に恩寵の騎士を召喚したのでは御座いません。全ては魔王を討たせる為なのですよ」
「侍女とね、薔薇の種を播いたの。この花壇に沢山播いたけど薔薇を種から育てるのは難しくて、一本でも芽を出せば良い方だって庭師に言われたわ」
「姫様」
「ジョゼ。二人きりの時はセレナと呼ぶ約束よ?嫌だわ、ジョゼは最近忘れやすいから」
緩やかに波打つ金色の髪に赤いルビーが輝く銀のティアラを付けたセレナが、寂しそうな笑顔で不平を口にする。暗い顔のジョゼはそれには応えず、本題を蒸し返した。
「今度の魔王は、本当の魔王では御座いません。イシュタルに力を与えられたアカツキの敵ではない。居場所さえ突き止めれば……」
「フェブリエ。私たちは何度、このような茶番を繰り返さなければならないの?」
「そう、容易く……、……茶番?」
セレナはじょうろを胸元で大事そうに抱えて、ジョゼの顔を真正面に見つめている。微笑みは消えて、冗談を言ったような雰囲気では決してない。
「茶番よ。イシュタルが創った世界でしょう?イシュタルが魔王を倒せばいいのではなくて?」
「な、何を仰っているのですか」
「近衛騎士ジョゼ・ミカエル・ド・フェブリエ。ノルディノ王女セレナ=ソフィー・ヴァトー・ド・フォルジュハイムの名に置いて命じます。私の質問に答えなさい」
セレナは一歩ずつジョゼに迫り、ジョゼは何も答えられない。ついに直前まで来た時に、黙ってじょうろをジョゼに押し付けた。
「異世界から死に瀕した戦士を呼んで、その者の名誉はどうなるのです。彼らの世界にも神はいるのに、何故彼らの神は勇敢な戦士を違う世界で再び死なせて、彼らは何の為に死ぬのですか。二度も弔われるのですか」
そう言うとジョゼの差している剣を引き抜き、踵を返して薔薇の種を播いた花壇に歩み寄り、逆手に持った剣を土に突き刺した。ジョゼはその光景をただ見ているしかなかった。
「御覧なさい、ジョゼ。剣で花は咲かないでしょう?」
振り向いたセレナの顔は、今までに見た事が無い苛立ちで覆われていた。目を逸らすわけにもいかず、ジョゼは意を決して花壇に近づいていく。
「……剣では、花は咲きませぬ」
「知っているわ。私は子供の頃からずっと、花を見てきているの。剣を好むような花があれば、持って来てちょうだいな、ジョゼ?」
ジョゼからじょうろを引き取ったセレナは、残りの水を近くの花壇にまいた。
「冬の間に咲く花は健気で美しいわね。ヴァランスの件、都合が悪いなら私の手許金から出してあげる。だけれども、ブルーノ候もアカツキコウタロウも何らかの考えがあるのでしょうから、そのように取り計らいなさい」
「は、しかし」
「では、私が財務大臣に直接申し付けましょうか」
穏やかだが、その声は乾いていて冷たかった。セレナの命を拒絶するのは出来そうにない。
「私が万事取り計らわせて頂きます。全てはフォルジュハイムの栄光の為に」
「よしなに」
正礼で見送るジョゼを振り向かず、セレナは侍女と共に花園を出ていった。入れ替わりに王宮魔術師のコッペルが入ってきた。話を聞いていたのは明らかである。あるいは、セレナがわざと気づかない振りをして聞かせていたのかも知れない。
「昔を思い出すのう。セレナ姫は昔から、気に入らない事はどこまでも気に入らないと譲らんかった。あのご気性はこれからもずっと変わらんじゃろう」
「コッペル老、私に御用か?」
「エスランサじゃ。次の新月には、アカツキ殿に発ってもらう」
「エスランサ?恩寵の騎士が発つのは春だと……」
疑問に思ったフェブリエが言いかけて、コッペルの言葉の意味に気付いて眼に光が戻る。もしかして、西国エスランサに魔王がいるのではないか。
「新月……、今月はすでに半分が過ぎていますが、アカツキは剣の修行が足りないとブルーノ候の手紙にありました」
「アカツキ殿は目立ち過ぎた。本来なら半年は戦士として最低必要な技芸を学ばせたかったが、恩寵の騎士だけでなくヴァランスそのものも善政を始めたと注目を集めている。これ以上、同じ場所にはいさせられん」
「本当にそれだけの理由で?」
「全て後手に回った。今回の魔王は、本当の魔王ではない。恩寵の騎士の子孫じゃ。仔細は言えんが、それ故に我々は気付かなかったのじゃ。召喚の儀さえ遅きに失したくらいじゃからの」
苦い顔をするコッペルに、アカツキがした事の重大さを思った。
「しかし、姫様が……」
「その件は儂が引き受けよう。ついでに、うぬはアカツキ殿と帯同してもらいたいのじゃ。意味は分かるの?」
「姫様に行動を逐一知らせるという事でしょうか?」
「もう一つある。行く先を視察して参れ。姫様には儂から頼んで置くから、アカツキ殿に命令を届けたらそのまま発ってもらうぞ」
「……」
「全く、姫様にも儂にもうぬが頼りじゃ。もう一つ言わなければならんことがあるが」
「まだあるのですか?」
「魔王やその居城を見つけても手出しをするな。これは、国王からの密命じゃ」
「何故?」
「恩寵の騎士を歩かせて、魔王の出方を見る。奴は盆地の中に都市を造ったらしい。天然の要害であるし内部の状況も分からんからからこちらからは攻められんが、向こうから刺客を送ってくるなら殺してしまって構わん。生け捕りにしても本当の事を吐かせる事は叶わんからの」
「場所は?」
「教えぬ。絶対に一人も欠く事無く生きて帰るんじゃ。さもなくば近衛騎士の職を解かれる事も覚悟してもらうからの」
「……よろしいでしょう。お申し付けの通りに致しましょう」
フェブリエが軽く会釈をすると、コッペルは先ほどまで王女が水やりをしていた花壇を見て回る。
「剣では花は咲かない、とはの。またとんでもない難題じゃな」
「では、私はこれで」
「良い。久しぶりに手強い生徒であるわい」
妙に嬉しそうな声で呟く老人に背を向けて、近衛騎士は花園を後にした。