俺、この戦いが終わったら死ぬんだ
マリーとミレーユは黒い髪に白い肌を持つ、美しい双子の孤児だった。修道院で育てられた二人は、性格がまるで違っていた。活発な姉のミレーユは同じ年代の友達が多かったが、マリーは大人達の言う事を聞く地味な子供だった。マリーには緑色のリボンが付けられ、ミレーユは青いリボンを付けられた。悪戯好きのミレーユは何度も緑色のリボンを付けたりマリーに青いリボンを付けたりして言い付けに逆らったが、何故だか大人達を騙す事は難しかった。
「あはは、またミレーユが緑色になってる」
「うるさい、今日は完璧にマリーになるんだから!」
「だって、讃美歌全部覚えてるマリーになれっこなんかないよ」
「そうだよミレーユ。マリーは木登りなんてしないんだから」
「したもん!マリーだって、木登りくらいできるんだから!」
実際、マリーは木登りが出来た。ミレーユと間違われて降りなさいと言われた時に木の枝から直接地面に飛び降りてから、マリーは木登りを絶対にしてはいけないと厳命された。それ以来、色違いのリボンを付けるように二人は言い渡されたのだ。
「マリーは強いの!私よりもずっと!」
ミレーユはマリーになりたがった。子供達はミレーユの悪ふざけを面白がったが、大人達は彼女達の将来を本当に心配していた。そんな時だった、交流のある侯爵の使いが修道院を訪れたのは。
「面白い子供がおりますな。そこの木に登って本を読んでいたのだが、声を掛けると飛び降りて無言で走り去っていった。あの元気さは素晴らしい、青いリボンを付けた女の子を召使の見習いに引き取りたい」
その時に大人達は双子や子供達の手口が変わったのに気づいた。奉仕の時間以外はマリーが隠れていて、ミレーユはマリーから大人達とのやり取りを聞き出して、演じていたのだ。他の子供達もミレーユに協力しているのは明らかだった。当初は軽く考えていた修道院長のシスターも、これ以上の面倒を見ては他の子供達に悪い影響をもたらすと考えざるを得なかった。
「マトラ様、実はマリーはミレーユという双子の姉がいるのです。彼女たちは孤児でお互いの他に血の繋がっている者はいませんが、見分けが付かないので大変な苦労をしております。だからと言って、引き離すのも心苦しく……」
当時、ブルーノ候の騎士隊長になったばかりのマトラは、使えそうな『駒』を探していた。初老に差し掛かった修道院長の話をずっと聞いていたが、彼女が言葉に詰まったあたりで切り出した。
「御心配をお察し申し上げる。それで、修道院にとっても厄介の種になっているのですな。二人とも引き取るというのは、難しいと仰りたいので?」
修道院に度々訪れるマトラの言葉に、修道院長は逡巡したが、少しの沈黙の後に意を決したように答えた。
「いえ、他ならぬブルーノ侯爵にこそお願いしたい事です。あの双子を、引き取って下さい。どうか、世間から離れたヴァランスこそ彼女達に相応しい場所だと、私は信じたいのです。あの子達は見かけよりもずっと気性が強い、世に出てはきっと生きていかれないでしょう」
結果、双子はブルーノ候の召使として引き取られる事になった。リボンは持っていく事を許されたが、決して付けてはいけないとマトラに申し付けられた。なまじ目印を付ける事で混乱すると、マトラは事の本質をそう判断していたのだ。それから時が経ち、恩寵の騎士が現れた。
「えっと、賢い方の……」
「はい!アカツキ様、何か御用で!」
「なあミレーユ、マリーを呼んで来てくれないか」
「マリーは茶を沸かしておりますが?」
「うん、分かるから」
開墾作業に一区切りを付けて、農民達や騎士達は休憩しながら行軍用の錫の椀で配られた茶を飲んでいた。
「ミレーユではな、少し差支えがあるのでな」
「見た目は同じなのに、こうも違うといっそ面白いな」
「んー?お二人とも、仰る事が良く分かりませんが?」
座ってる二人に笑顔で迫るミレーユにアカツキとマトラは顔を見合わせて、お互いに諦めの表情を浮かべた。
「そりゃ、分かんないだろうな」
「ある意味では、女よりも女らしいのかも知れませんな。その点、マリーは良く分かっているのだが」
「へえ?私に色んな事を仕込んだマトラ様が、そのように仰せで?」
「何も言われて恥ずかしい事は教えていない。誤解を招く事を言うな」
「では、マトラ様から仕込まれた『技芸』を披露してもよろしいのですね?」
マトラが厄介そうに顔を背ける。こうなるとミレーユは引き下がらない。アカツキもあさっての方を見やって、もう何もかもが間に合わない事を知った。ミレーユは手をクロスさせて、外套の前をはだけるとスカートの両側を膝まで引き上げた。
「何教えたんだお前」
「曲芸を少々」
スカートに隠した複数の短剣を引き抜いて地面に落とす。黒髪を振り乱してナイフを次々と蹴り上げ、両手に六本の短剣を掴んだ。三本の短剣を握った右手を二人に突き出し、ドヤ顔で言い放った。
「召使にも名誉というのが御座います。私の何が不足なのでしょうか」
二人は黙っていた。ミレーユが短剣を振って何か言おうとした時、その背後から声がした。
「軽薄短慮が服を着て歩いているような奴だな」
その声にミレーユが振り向くと、マトラが立ち上がって挨拶をした。
「これはフェブリエ様。当主がご挨拶の機会を頂き、恐悦至極に御座います」
アカツキも立ち上がり、小さく会釈をする。
「俺はアカツキコウタロウだ。マトラから聞いたが、王宮のお偉いさんらしいな」
ミレーユは素早く三回転して持っていた短剣を空中に放り投げると、外套の裾をつまみ上げて恭しく礼をした。
「ブルーノ候に仕える召使の一人、ミレーユで御座います」
言って体を起こすと、空中から落ちてくる短剣を次々と掴み、五本目までは軽く掴み取った。だが。甲高い金属音と共に、六本目が再び跳ね上がった。
「面白い余興だな。ミレーユか、覚えておこう」
「以後、お見知り置きを」
短剣を跳ね上げたフェブリエが剣を鞘に納めるのと、ミレーユがよろめきつつ少しずれた場所に落ちる短剣を掴んだのは同時に見えた。マトラが頭を抱えながら言った。
「ミレーユ、お前達はアカツキ殿が良いというから帯同しているのだ。今後、ブルーノ候を訪れる人々全てに今の余興を見せつける積りなら、考えねばならんな」
「あら、マトラ様。私も相手は見ますよ」
「お前の目はどうなってるんだ」
アカツキもマトラもフェブリエの後に控えている王宮魔術師のレマも呆れていると、フェブリエが口を開いた。
「良い、畏まった楽団よりは好きだ」
「お褒め頂き、嬉しく思います」
短剣を外套の内側に仕舞ったミレーユが笑顔で応える。流石にこの場でスカートの内側を身繕いする程の肝の太さは無いようだが、六本の短剣はいくらなんでも重くないだろうか。
「皮の外套は武器を隠しても目立たぬか……、考えねばならんな」
「フェブリエ様、恩寵の騎士に用があったのではないですか」
「ああ、その積りだったが、時間が惜しい。私は早く王宮に戻らねばならん。だが、一つだけアカツキに聞いておくことがある」
真剣な顔でアカツキの顔を眺めていたフェブリエは、おもむろに問うた。
「アカツキ、お前はこの戦いが終わったら何がしたい?」
問われたアカツキは咳ばらいをすると、答えるのを逡巡するように頭を掻いて目を逸らす。
「まあ、元の世界に帰りたいかな」
フェブリエはアカツキの表情を観察していたが、ふと何も見ていないような眼で遠くを見ているのを見逃さなかった。ただ冷静なだけの人間がするような眼ではないと感じた。
「そうか。帰れればいいな。行くぞレマ」
「本当に何をしに来たんですか!」
「恩寵の騎士がどんな人物か見たかっただけだ」
マトラだけが略礼をし、アカツキとミレーユはただ不思議そうな顔で見送っていた。乗り付けていた箱馬車に乗り込み、近衛騎士達は去っていった。
「アカツキ殿、少しお話があります」
「俺も確認しておきたい事がある」
二人はお互いに顔を見合わせると、ミレーユを置いて歩き出した。
「男二人で何の話ですか?」
「別に何もねえよ」
マトラは、主人がフェブリエにほぼ全てを話したのを悟った。一筋縄ではいかないとは思っていたが、計算し直さなければならない計画は意外に多くなりそうである。具体的には、アカツキに『粉を掛ける』必要があるかも知れないと、考え始めていた。