④
「なんの真似だ? ここはお前の出る幕ではない!」
少年の突然の登場に、ジュードが苦虫を噛みつぶしたような表情になる。
兄様、とジュード王子のことを呼ぶ人物はこの王国には一人しかいない。
ジュード王子の弟である、第二王子のフィオナルドだった。
フィオナルド王子は、攻略対象のキャラクターではない。
ヒロインであるセシリアとはあまり絡みがない、どちらかというと設定上存在するだけのキャラクターであるはずだった。
その第二王子が、なぜ査問を中断させたのか。
傍聴席が騒然となる中、フィオナルドは皆の視線を一身に受けてもまったく平然としていた。
ジュード王子は二十歳で、フィオナルドは十二歳のはず。
年の離れた兄に対しても、臆することなく話し出す。
「いいえ。ローレル侯爵令嬢とそのメイドの処遇は、僕に大いに関係あるんです」
「なんだと……? どういうことだ!」
「ローレル侯爵家は、僕のものになったからですよ」
「は……?」
ジュードは豆鉄砲を喰らった鳩よろしく、間抜けな声を出した。
対して、フィオナルドは落ち着いて話を続ける。
その冷静な態度は、とても十二歳の少年のものとは思えなかった。
事の成り行きを見守るため、傍聴席は水を打ったように静まり返っていた。
「僕のものになったというと語弊がありますね。正しくは、僕が侯爵家の所有地の領主代行に任命されたのです」
「だから、なぜだ!? あそこは王国の中でも特に重要な土地だろう! お前ごときが領主代行になれるわけがない!」
ローレル侯爵領地はサフィロスの王城からほど近い場所にある。
広大で肥沃な農地を所有し、国家の食料庫としても、また税収の面からもこの王国を支える屋台骨となる重要な土地である。
その土地の領主代行を任されるとは、ただ事ではない。
それも、たった十二歳の少年にである。
普通に考えれば、とても務まるものではない。
しかし兄に罵倒されても、フィオナルドは涼しい顔である。
「ローレル侯爵領は財政悪化が著しく、父上は僕を視察のために彼の地へ半年ほど遣わせていたんです。ご存知でしたか? 侯爵家は借金まみれだということを」
その言葉に会場は大きくどよめいた。
証人席ではダリアが血相を変えている。
王国一の大貴族の台所事情を大勢の前で暴露されるとは夢にも思っていなかったに違いない。
「借金返済はなんとか目処がついたんですが、ローレル侯爵は領地経営の失態により父上の不興を買いました。そこで僕が引き続き領主代行として領地経営をすることになったんです。土地家屋すべてが、現在は僕ーー第二王子の直轄領扱いとなってます。使用人も、もちろん含めて」
そこで、フィオナルドは初めてノエルに顔を向けた。
フィオナルドの海の色の瞳と、ノエルの灰色の瞳が交差する。
そこで、ノエルはハッとした。
フィオナルドの声は、独房にいたときに見た夢の中の声とそっくりなのだ。
(あの声はこういっていた。「明日、必ず助けてあげますから」と……)
あれは、フィオナルドだったのではないか。
ノエルの心に湧き上がった疑問は、ジュードの怒声によりかき消された。
「なんだと……! 父上は私を差し置いて、お前にそんな重要な役割を任せたというのか! たった、十二歳のお前に……。父上は何をお考えなのだ!」
フィオナルドは微笑した。
「僕にはうつつを抜かす女性もおりませんし、暇な身分ですから」
「なんだと……!」
セシリア嬢にかまけていることを暗に揶揄したフィオナルドである。
ジュードはもはや剣に手をかけそうな勢いであった。
査問委員会で刃傷沙汰など、あっていいはずがない。
ましてや、王子二人の争いなど国家問題になってしまう。
しかしフィオナルドは素知らぬ顔でてきぱきと一枚の書状を出した。
「これが父上から賜ったローレル侯爵領地の領主代行の任命書です。ここにこう書いてあります。『ローレル侯爵は領地経営に失敗した責を負い、今後は一家共々、領民に混じり田畑を耕し、領地経営を一から学び直すこと』ーーつまり、兄様がダリア嬢を国外追放などせずとも、彼女は貴族としての生活を手放すことになるのです」
「なんと……あのローレル侯爵家が……」
「ダリア様が平民と一緒に田畑を耕すだと……。それは国外追放に勝るとも劣らぬ……」
その場のどよめきが落ち着くのを待ってから、フィオナルドは書状の残りを読み上げた。
「さらにこうあります。『屋敷及びその使用人は、第二王子フィオナルドの管理下に置くこと』。つまり、ノエル・グリーグはこの僕のもの。僕は、僕のメイドの弁護人としてここに名乗りをあげます」
「そんなことがまかり通ると思っているのか!」
ジュードの顔はもはや真っ赤であった。
フィオナルドは空であった弁護人席につく。
よく通る声ではっきりといった。
「巷では、査問委員会の査問とは名ばかりで、実際は裁判を経ずに独断で刑を下してしまうことで有名なのですよ。ノエルに弁護人もいないのは非人道的では?」
「この娘は罪を犯したのだぞ! 平民が貴族に仇なすことなど許されぬ!」
「それも主人のダリア嬢に強要されてのことでしょう。この娘の本意ではありません」
さきほど、ダリアはノエルに命じて毒針を仕込ませようとしたことを認めてしまっている。
「ダリア嬢にしても、侯爵令嬢の身分を剥奪し国外追放など、父上の許可も得ずにできるとお思いですか?」
「ぐっ……」
ジュードは言葉を詰まらせる。
すごい……。
ノエルはフィオナルドから目を離せなかった。
十二歳なんて、とても思えない。
まさに天才少年であった。
それに、なんて美しい少年なんだろう。
…………こんな時に不遜だわ、ノエル。
自分を戒めるように、頭に浮かんだ思いを振り払う。
会場では、フィオナルドが手をゆるめずジュードに意見していた。
「ダリア嬢は兄上の気を引こうとイタズラが過ぎただけではありませんか。それを国外追放だの、メイドは極刑だの、無粋では?」
「……そうだそうだ! ジュード王子はお赦しになるべきだ!」
「いくらセシリア嬢が大切といえど、やり過ぎですわよね……」
「もとはといえばジュード王子がダリア嬢にはっきりと断らないから……」
あちこちでジュード王子への批判が聞かれる。
フィオナルドの登場により、聴衆はノエルに同情的であった。
「わ、わかった……刑は取りやめる。査問委員会はここに終了を宣言する!」
ジュードの終了宣言に、わっと会場が沸く。
セシリアは悔しそうな表情で、さっさと退席してしまった。
ダリアは泣き崩れている。
そして、ノエルはただただ呆然としていた。
フィオナルドが近づいてくる。
「これで貴女は自由です。と、いっても僕のものになるんですけど……」
「あなたの……もの?」
「はい」
フィオナルドはにこりと笑った。
「さあ、行きましょうか」
ノエルはフィオナルドについて、騒然となっている会場を後にした。
外に出た二人を迎えたのはクラシックな自動乗用車だった。
この世界では、馬や馬車が主流だが、数は少ないものの自動乗用車も存在している。
「フィオ様! 早くこちらに」
「ありがとう、サビー」
フィオナルドの使用人と思われる若い男性が運転席からさっと降り、車の扉を開けてくれる。
押し込まれるように車に乗り込む。
すでに外は夕闇に包まれようとしていた。
自動乗用車は王城を後にし、走り去っていった……。