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「お嬢様! このような場所に来られては困ります! ローレル侯爵に知られたらなんとしたことか……」
「お黙り! すぐに済ませますから、お前はそこでお待ち」
話し声が廊下の奥からノエルのいる独房に近づいてくる。
高飛車な話し方で、誰だかはすぐにわかった。
……ノエルの主人、ローレル侯爵令嬢のダリアだ。
使用人を付き従えて、父親に内緒でノエルの様子を見に来たのだろう。
しかし、あのダリアのことだ。
まさか慰問であるはずはない。
ノエルはベッドの上から降りた。
すぐにダリアは独房を見つけて檻の前に立った。
悪役令嬢らしく、腰に手を当てて仁王立ち、である。
頭のてっぺんから腰まで届くほどの赤い巻毛に、濃い緑の瞳。
瞳の色に合わせた緑のドレスは一級品なのであろうが、いかんせん気の強さが全面ににじみ出ているので、ドレスより軍服が似合いそうだ。
独房の中にいるノエルに、吐き捨てるようにいった。
「ここにいたのね。ああ、それにしてもなんて汚らしいんでしょう! こんな場所に一分といたくないわ。用件だけいいます。お前の失態のせいで、明日、わたくしたちは査問を受けなくてはならなくなりました」
「…………」
部下の失態に対して、ダリアは怒りを抑えられないようだった。
本来であれば、ダリアの悪事の片棒を担がされて独房に入れられたメイドを気遣ってもよさそうなものなのだが、もちろんダリアにはそんな考えは思い浮かばないようだった。
「そこでお前はこうおっしゃい。『すべての所業は私の独断で行いました。ダリア様は何もお知りになりません』とね。返事は?」
怒りに燃えるダリアの言葉を、ノエルは黙って聞いていたが、これにはさすがに開いた口が塞がらなかった。
そっくり返って指示するお嬢様を、ノエルは白けた表情で見つめる。
つまり、ダリアはノエルにすべての罪をなすりつける気なのである。
セシリアのドレスに毒針を仕込むように指示したのは、間違いなくダリアであるのに、である。
とんでもない主人である。
悪事をなすのを強要しただけでなく、さらにバレたらその罪も被れというのは、まさしくパワハラの極みであった。
しかし、ノエルは静かに答えた。
「……わかりました。そのようにいたします」
「あら……。素直ですこと」
ダリアは拍子抜けしたようだった。
それは、ひとえにノエルがこれから起こる出来事をすでに知っているからにほかならない。
査問委員会の席でノエルに罪を着せようとしたダリアは、逆にノエルに罪をどんどん暴かれてしまい、国外追放される。
しかし、それによりノエルが罪を逃れることはないのだ。
ーー貴族を害しようとした罪は、極刑ーー。
今さら、ダリアの罪を暴き立てても自分が助かるわけでもない。
そんなノエルの気持ちも知らず、ダリアはとどめを刺すよういい捨てる。
「万が一気を変えてわたくしのことを告げ口してごらん。お前がもし罪に問われなかったとしても、我がローレル家がお前を私刑にかけてやりますからね」
パワハラだけではもの足らず、今度は脅迫であった。
ローレル家はゲームの舞台であるバルディア王国の最有力貴族の一つである。
権力を盾にメイド一人くらい消すことなど簡単であろう。
「もっともお前のような賤しい平民のメイドのいうことなど誰も信用しないでしょうね」
……酷い。
ノエルはさすがにショックを受けはじめていた。
前世でゲームをプレイしていた時には、ヒロインとして断罪イベントをただ見守るだけだった。
ダリアがノエルに対してどんな態度であったかなどは、プレイヤーとしては知る由もなかったのだ。
しかし、舞台の裏側で見るダリアの悪役令嬢っぷりはまさに非道であった。
意地悪そうな顔を檻に近づけて、ダリアはニンマリと笑った。
「お前が助かる道はどっちみちないんですのよ。ですから、素直に罪を被ることですわ! ホホホホホ!」
口に手を添えて高笑いをキメるダリアを、ノエルは能面のような表情で見つめていた。
どっちみち助かる道はないなどといわれたら、恨みを買うに決まっているのがわからないのだろうか……。
そんなことをいわれて、素直に「ハイ、そーですか」という相手はなかなかいない。
このお嬢様、かなりのバカであった。
査問委員会ではやっぱりダリアを道連れにするべきかな……と、思った時、ノエルは気がついた。
ゲームの断罪イベントでは、ノエルは主人であったはずのダリアを口汚く罵り、あれもこれもダリアに指示されてやったことだと、これまでのセシリアに対する嫌がらせの数々を暴露するのだが、なるほどこういうことだったのか、と『今の』ノエルは冷静に分析していた。
ノエルは忠義深い性格。
物静かで、感情をあらわにすることもない。
命じられたことはどんな無理難題でも主人のためにやってきた。
それはひとえに、真面目で、主人思いだからなのだ。
ダリア嬢は、残念な性格ではあるが、若く美しい侯爵令嬢なのには違いない。
皇太子であるジュードと結ばれるべきなのは自分であると堅く信じて疑っていない。
確かに、身分からいえば伯爵令嬢であるセシリアよりダリアの方がずっと上だ。順当にいけば、ダリアがジュードと結婚するはずだったのかもしれない。
それを目の前で他の令嬢にかっさらわれていくのを、ただ手をこまねいて見ていられない気持ちもわかる。
ノエルなりにダリアの恋を成就させようとこれまで精一杯やってきたのだ。
それが、いざ悪事が明るみに出たら、罪を被れ、どっちみち助かる道はないと裏では宣言されていたとは。
ノエルがゲーム中でやぶれかぶれになって主人を道連れに断罪されたのも頷ける。
しかし……とノエルは思う。
ゲームとは異なり、これまでにそれほどひどい嫌がらせをセシリアにしてきた覚えがない。
ダリアが命じるままのひどい嫌がらせではなく、ちょっとしたイタズラ程度の内容に、ノエルの独断で変えてしまっていたからだ。
やり過ぎだったのは、今回の毒針くらいである。
それも、高熱が出るような毒薬を仕込めとの命令に代わり、ごく弱い痺れ薬をほんの少しつけた針を用意したのだ。
まさにメイドの心、悪役令嬢知らず、である(そんな言葉があるのなら、だが)。
ノエルなりに誠心誠意ダリアを助けようとしてきたのだが、その気持ちは女主人にはまったく伝わっていなかった。
ダリアにとってノエルは使い捨ての駒に過ぎない。
いい返す気力もなくなったノエルの沈黙を都合よく了解ととらえたのか、ダリアは高笑いを残しながら牢屋を去っていった。
独房には一人、下を向いて唇をかむノエルが残された……。
◇◆◇◆◇◆
そして、その夜。
ノエルは硬いベッドに一応横になるも、なかなか眠りにつけない。
本当に、明日には死刑になるのだろうか。
今さらながらに恐怖が胸にじわじわと押し寄せてくる。
逃亡しようにも、頑強な牢は一日二日で破れるようなものでもなさそうだった。しかも、牢屋の扉には、鍵破りの魔法が効かないよう、ご丁寧に魔封じが施されているのだ。
「鍵破りの魔法だったら、得意なのに……」
恐怖と戦いながら逃げ出す方策を考えていたら、脳がパンクしてしまったのだろうか。
こんな時だというのに、どうやら浅い眠りが訪れてきたらしい。
ウトウトとしたノエルは、夢を見た気がした。
夢の中では、独房に入れられているノエルの元を、一人の人物が訪れていた。
扉の向こうで、その人物はしばし立ち止まり、ノエルの様子を伺っているようだった。
囁くような声がする。
「明日……必ず、助けてあげますから」
まだ少し幼さが残る声。
いつか、どこかで聞いたことがあったような気がしたが、思い出せない。
ーーそこで目が覚めた。
なぜか泣きたいような気分になったノエルだったが、泣いている暇はなかった。
夢の人物ではなく、現実では牢番がノエルの元へやって来て、非情に告げたからである。
「出ろ。時間だ」
ノエルにとってはまさに死刑へのカウントダウンーー査問委員会が始まろうとしていた。