六本木のトラブルシュータ―(短編連作) 紛失
「夏祭りの準備を始めようとね、倉庫を開けたらさ、神輿の上に着ける鳳凰の飾りが見つからないんだよ」
水滴が付いた冷たいレモネードを一気に飲み干し、商店街の自治会長 岩下充成は当惑気味に語った。裏通りで不動産屋を営む、古くからの住民の一人だ。
「確かに、去年、祭りの後に仕舞ったんだ。取り外したのはわしだし、新聞紙で丁寧に包み、箱に入れたことも覚えている。なのに、箱ごと消えている。リックさん、どうすればいいと思う? 警察に盗難届を出すのが一番かね」
この街に「ランサー」を出して6年、町内会の祭りに参加したり、神輿を担いでもう3年になる。最初の頃は「日本語を話すアメリカ人」扱いだったが、いまでは「英語を話せる日本人」のような扱いだ。
それにしても・・・おかしな話だ。まず、神輿は10年ほど前に六本木に本社を置く企業が「新しい神輿代に」とポンと300万円寄付してもらったのをきっかけに、町内会でも寄付を集めて製作したと聞いている。つまり、アンティークではない。さほどの貨幣的価値があるわけではない。
となれば、祭りの邪魔をしたい悪戯、岩下さんへの嫌がらせと考えるのが妥当な線だ。
じゃ、なぜ邪魔をしたいのだ? この人のいい町会長に責任を負わせて後釜に座ろうという策略も考えられるが・・・それにしては姑息で回りくどい。
「岩下さん、その飾りがないと神輿は出せなくなる?」
「鳳凰の飾りなしじゃ、格好がつかないよ。代わりにといってもね・・・」困惑でさらに顔を暗くした。
「倉庫の鍵は、ちゃんとかかっていた?」
「ああ、一緒に行った箕輪君が開けてくれた」
「ミノワ?」
「ほら、裏通りにある印刷会社、箕輪印刷。社長だった親父さんも昔からの仲間だったけど、去年亡くなって、次男の康ちゃんが会社を継いだんよ。若いけど、町内活動にも参加してくれて、助かってんだ」
「じゃ、彼が倉庫の鍵を預かっていた?」
「いや、鍵は町内会の事務所で保管している。そして事務所は」
「岩下さんの会社の地下にある」と私が言葉を継いだ。
「ああ、その通り。倉庫の前で《俺が開けるよ》と鍵を受け取ったんだ」
ゴロウが一つの情報を持ち帰ったのは2日後だった。
「夏祭りのとき、ポスターやチラシを作りますよね。あれ、いつも箕輪印刷が引き受けていたんです。前の社長の顔ってやつなのかな。でも今年は、ネットで安上がりに仕上げようって、若い連中が動いているんですよ」
どこでも「コストカットは正義」なのだ。
「気になりませんか、この情報」
「なるほど、状況証拠だな」犯人よりも鳳凰を見つけることが先決だ。
「なぁゴロウ、もしおまえが盗んだとして、どうする?」
「どうするって・・・あれ結構大きいし、売るわけにも捨てるわけにもいかないでしょう。どこかに隠すといっても自分の所じゃ犯罪証拠を残すだけだし」
「いい線だ。そう、自分のそばには置けない、ではどこだ? 関係のない場所。不特定多数が立ち入るようなところが一番さ。たとえば、祭りの後に見つかっても、犯人に結びつくような証拠は出てこない」
「って、どこです?」
当てはないが、遠くではない。両手で持てるぐらいの大きさの段ボール箱の行方。重量は20kgぐらいだろう。とりあえず、徒歩で10分ぐらいの距離にあるビル工事に足を運んだ。
現場監督が黄ばんだタオルで首の汗を拭きながら対応してくれた。
遺失物が現場のどこかに置かれている可能性があるので、見せてくれないか、と頼んだ。「なんだ、騒音や渋滞のクレームだと思いましたよ」と苦笑を浮かべ、「ヘルメットさえ被っていただけるなら、いいですよ」と気軽に請け負ってくれた。
鉄骨や内装資材が置かれている現場を見て回ったが、それらしい箱はなかった。現場監督も見ていないようだ。
「第一打席、空振り三振」と帰り道、自販機で買った缶ビールをあおった。
翌日、少し離れたマンション工事現場を訪ねてみた。第二打席も空振り三振でツーアウト。祭まで一週間あまり、情報がないと手の打ちようもない。
「ボス、遊んでいないで店に出てください。ボスと話すのを楽しみ来るOLさんもいるんですから」
午後3時、店に帰るとフロアを仕切る絹子がふくれっ面を見せた。
「ゴロウも出てこないし!!」
そっちがふくれっ面の原因かもしれない。
ランチの営業は絹子に任せて3年になる。おかげで、わたしは夜の営業だけに専念できた。
ゴロウから連絡はなかった。ディナータイムの準備をしながら待つしかなさそうだ。
「ランサー」はテキサス風のBBQをメインに酒を楽しむ店だ。3kg ほどの肉の塊に各種スパイス、ハーブ、塩を擦り込み、隠し味にバーボンをたっぷり飲ませて、一日寝かせる。それを200℃の大型オーブンでじっくり焼き上げる。和牛のランプやイチボ、仔羊背肉、豚肩ロース、チキン、それに数種類のサラダを用意している。いたってシンプルな店だ。
私の仕事は、肉の仕入れと下ごしらえ。あとはときどきフロアに出て、バーボンやワイン片手に笑顔を振りまく。
ゴロウの仕事は主にオーブン係。温度と肉の焼き加減に目を光らせる。いまでは触っただけで絶妙な焼き加減がわかるほど腕を上げた。これも才能だろう。
そのゴロウが息を切らせながら全力疾走で店に戻って来たのは、ディナーの準備を始めた頃だった。
「10日前ほどの話なんですが、深夜に箕輪印刷のバンに大きな段ボールを積んで、二人で走って行ったのを南国フルーツのおばちゃんが見ていたそうなんです。こんな深夜まで仕事なんて珍しいこった、と覚えていたんです。今の社長、先代と違って遊び好きらしいですよ」
その店は六本木界隈の飲食店に青果やフルーツを納めている。深夜遅くまでやっているので、水商売の店に重宝されている。しかも、箕輪印刷の会社がある通りに店を構えている。
「一人は若社長として、もう一人は?」
「それがわからないんです。ジーンズに白っぽいシャツの背の高い男だった、とばあちゃんは言い張るんですねど。箕輪印刷に社長もより背の高い男なんていないみたいだし」
「サンキュー、グッドジョブ」とゴロウの肩をたたいた。本音は「このクソガキ!すごい情報仕入れやがって」とハグしたかった。
その夜は雷雨があり、客が途絶えたのを幸いに0時にランサーを閉めた。
雨あがりの黒いアスファルトにヘッドライトが幾筋も走る様をみながら、とある社交ビルに入っている小さなスナックを訪れた。暗闇の中に大理石の白いカウンターだけが浮かび上がり、フロアのソファは薄闇に沈んでいる。客は皆無だった。
「あら珍しいじゃないの、ランサーのマスター」
「ハイ、京子。儲かっている?」と指で札束をはじくジェスチャーと笑顔を浮かべる。
「こんなもんよ」とチラッとフロアに目線をやった。
雨宿りを兼ねた客も来ていないようだ。誰もいないカウンターに座り、酒棚からハイランド シングルモルトを見つけ、オンザロックをダブルを頼んだ。
「この店、箕輪印刷の若社長の贔屓だって?」
「どこからそんな情報を仕入れてきたの? やきもちなら嬉しいけど」
「ジェラシーもある。でも、町内会の岩下さんの頼み事でね、ちょっとした調べ事だ」
「ねぇ、それって、あの神輿飾りのこと?」
「話を聞いているのか?」
「このあいだね、箕輪の社長さんが、岩下さんが売っ払ったんじゃないか、って息巻いていたわ」
「その社長だけど、大学生の頃からこの店に通っていたんだろう?」
「高校生の頃からよ。ガールフレンドを連れてきて酒を飲ませたり、店の若い子にちょっかい出したり、どうしようもない先輩を連れてきたり。でもカネ払いは良いのよね」
「最近、誰か連れてこなかった?社長と同じぐらいの身長の男」
「男はいないけど、スレンダーな女の子なら」
「ワォ! うまいな、このスコッチ。おかわりくれる?」
「一杯いくらするか知ってるの?」
「カネ払いはいい方だ」
近くのバァで働いている女の子だった。水商売の店の情報網を侮ってはいけない。どの店に新しい女が入り、誰が辞めたか、その理由は・・・などの情報は瞬時に流れる。あるいは新規オープンの店のママやその裏にいる真のオーナーの噂も。とりわけ京子はそういう噂を収集するのが趣味であり、もう一つの仕事だった。
スコッチ2杯5万円の対価と別途情報料で「水原ヒカルが本名かどうかはわからないけど、カクテルが得意なんだって」と、教えてくれた
スコッチはボトルだけは本物だが、中身は国産ウイスキーだ。酒も女も同じ、騙されるのは客にも責任がある。だが、そういう店は、やがて客が離れ、街から消える。これも事実だ。
熱気が冷めた深夜の街を歩き、京子に教えてもらったバァにやってきた。この春にオープンした店で、ママは新宿から流れてきたという話だった。
「あら、外人さん!大歓迎よ~」
久しぶりに聞いた「外人さん」という言葉に自分で驚き、驚いている自分にさらに驚いた。
「日本語なら話せる」とカウンターでおどけて見せる。
「何にします?」
ステンレス製の大きなシェーカーが置いてあるのを確かめ、「よくシェイクしたサイドカー」と注文した。
ちょっと困惑気味のママが「ヒーちゃん、お仕事よ」とフロアに声を投げた。深紅のドレスを身に着けた女の子が「ちょっとお仕事してくるね」と立ち上がった。
たしかにスレンダーだった。ショートヘアで背が高い。黒いヒール込みで6フィートはある。
カウンターをくぐり、私の前に立って「サイドカーですね」と、ひんやりした声で訊いた。
「できれば、ブランディではなくアルマニャックで。良く冷えたやつを」
「おじさま、どこから来たの? フランス?」
「アメリカの片田舎。テンガロンハットとバーボンが似合う街さ」
「なのにアルマニャック?」と初めて笑顔を見せながらも、手は休むことなくスムーズに動き、スレンダーな胸の前でシェーカーを躍らせるように光らせた。
「お名前、うかがってもいい?」
「リック、君は?」
「ヒカルって呼んで」とクープドグラスに黄色い液体を注ぎ込んだ。
「ヒカルは背が高いね。まるでファッションモデルみたいだ」
「バスケットの選手もしていたし、男の子見たいでしょ。背が高いのって、女にとってはコンプレックスなの」
「店が上がったら、寿司を摘まみにいかないか?朝までやっている築地の店だ」
「それだけ?」
「そう、それだけ」
「リックのケータイ教えて、1時間もしたら電話する」
薄い口元に媚のような笑みを浮かべた。
築地にあるなじみの寿司屋で「田酒」を飲みながら話をした。水原はすぐにとろんとした目になり、肩にもたれかかってきた。旧知の寿司屋の主人は「本当にしょうがない不良外人だ」と呟きながらも目は笑っていた。
話は簡単だった。彼女を目当てに店に通っていた若社長と自分の店を出したいという水原の希望が合致したというわけだ。その手始めに二人で悪戯を計画した。
彼女は何を運んだかも知らなかった「裏帳簿じゃないの?父親の遺産や会社のカネを脱税しているみたいなこと言っていたから」
眉唾っていうんだよ、酒を飲んでいるときの話は、と言おうとしたが、彼女は肩にもたれかかり、軽い眠りに落ちていた。
紛失物は、ゴロウが偶然に覗いた工事現場で発見されたことにして一件落着とした。
「悪戯ですよ」と、ほころんだ顔の岩下に箱を渡した。
「でも、誰が? 犯人は誰なんです?」
「わからない。でも、見つかった。夏祭りができる、神輿を担いで楽しく騒げる。終わったら、ランサーで打ち上げですよ」
「箕輪印刷の若社長はどうします?」ゴロウが不満そうにつぶやいた。
「別にどうもしない。だけど地元からもう仕事はもらえないだろう」
噂は拡がる、そして拡がるうちに尾ひれが付く。
その時、失った大切なもののありがたさを知ることになる。