表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/18

第八話【百鬼夜行を統べる牛鬼】

牛鬼さん再登場です!

牛鬼vor1.02 から牛鬼vor5.03

くらいにアップデートされています。



第八話【百鬼う夜行を統べる牛鬼】


 それから二週間が過ぎた頃、軍本部のみならず日本全国に点在している基地では、緊張状態が続いていた。それは当然、大和が率いる旧島根・松江基地も同様であった。

 発端は、十一月六日に起きた清国のバトルロイド襲撃だった。場所は旧新潟県沖、佐渡島の日本海監視拠点が四日間で占領され、兵士二百人以上の犠牲を出した。

 日本海の監視が目的であったこともあり、佐渡島の拠点に動員されていた三分の一の兵士が、水神系の神核の適合者だった。

 神核の保管、研究技術のない清国は、死体を荒神化する前に海へと放棄し、対馬海流の渦流を利用し、荒神化した犠牲者を日本へと流し込むという暴挙に出たのだった。

 八日の午後には清国の目論見通り、旧新潟県北部海岸より荒神が流れ着き始め、対荒神戦闘が開始された。一週間近く荒神との戦闘を新潟基地を戦い抜いた。しかし、新潟基地が荒神との戦闘を強いられている間、佐渡島での戦力集中に徹していた清国のバトルロイド軍が、疲弊している新潟基地を十四日の早朝強襲した。

 二日間の激闘の末、新潟基地は破棄と決断され、十五日の深夜、会津若松、十日町の二手に分かれて撤退するという結果に終わった。

 その後、三日間に渡る膠着状態が続いている。

「ったく、撤退が遅すぎたんだよなぁ。荒神が一段落した時点で内陸まで引くべきだったんだ」

 隊長室で一人、机に脚を乗せて壁に掛けられた日本地図を眺める大和は、腕を組みながらそう独り言を漏らした。

『コン、コン、コンッ!』

 独り言を終えた辺りから、外で忙しなく人が走る物音が聞こえ、荒々しいノックが静かな隊長室に響き渡った。

「入れ」

 ドアノブに手を添えているのが丸わかりなほど、扉は返答と同時に激しく開かれる。

「失礼します! 報告します!」

 入ってきた隊員は、息を切らしながら必死に声を出す。

「そんなに急いでどうしたんだよ?」

「はい、清国の侵攻の件に動きがありました!」

 三日間の膠着状態に入り、このところ隊長室に籠りっぱなしとなっていた大和にとって、吉報はもちろん、凶報であろうと状況の進展は望ましいものだった。

「すぐに話を頼む」

「はっ! 旧新潟県中欧部に集結していた清国のバトルロイド四百機が、本日二十三日明朝、全滅していることが確認されました!」

 どうせ凶報だろうと高を括っていた大和は、それが予想のやや斜め上を行く凶報であることに気が付き、あからさまな溜息をついた。

「なんだ、良かったじゃねえか。・・・・・・って言えるほど楽観はできなさそうだな」

「はい、そのようです。こちらに伝えられた状況は、バトルロイドと荒神による交戦の形跡が有ったようですが、荒神の生存個体及び、生存機体は発見できなかったとのことです」

「荒神とバトルロイドの状態は?」

「詳しいことはまだ・・・・・・」

「了解、以上なら下がって良いぞ。何か新しく分かり次第、すぐに報告を頼む」

「はっ! 了解しました! 失礼します!」

 隊員は敬礼をすると、素早く隊長室をあとにした。

「ふぅ・・・・・・」

 大和は、扉が確実に閉まっていることを確認し、懐から通信端末を取り出すと、数回指を走らせて耳に当てる。

『よう、お前から連絡してくるなんて珍しいじゃないか』

「そう言う大口も、俺に全く連絡して来ねえだろうが」

 大和が連絡を取っていたのは、同じ第零討伐部隊、現・旧石川、福井、富山の三県跨る防衛基地の隊長、大口 真吾だった。

『はは、お互い様さ。報せが無いのは良い知らせって言うだろ?』

「知るかよ。部下には、報・連・相をしっかりやらせる派なんでね」

『はっは、どの口が言ってんだかな・・・・・・それで電話してきたのは新潟の鉄クズの件か?」

「あぁ、相変わらず察しは良いんだな。お前なら、斥候と一緒に調べに出るだろうと思ってな。でも知りたいのはそっちじゃない。俺が気になってんのは、どうやって鉄クズになったかだ」

『どうも、こうも見事なもんだぜ? 奴さん、皆同じ方向に倒れてやがる。それに、荒神の死体も同様にな・・・・・・そういや、撤退してきた新潟の奴らが、変なこと言ってたな』

「変なこと?」

「あぁ。なんでも殆どの荒神が一様に、西南の方向に向かおうとしていたらしい」

「西南? どういうことだ?」

「さーてね。俺に荒神の考えることは解らんよ」

「そうか・・・・・・他に何か、特徴的な外傷とか分かったことはあるのか?」

『どうした? 今日はえらく遠回しに聞いてくるじゃねえか?」

 どことなく遠慮がある大和の問い。その本当の意味を理解している大口は、電話越しでも解るほど、厭らしい笑みを浮かべ、牽制の言葉を返した。

「・・・・・・」

 しかし、大和は無言を貫く。それを肯定だと判断した大口は小さな溜息の後、ゆっくりと語りだした。

「・・・・・・鉄クズどもも、死んだ荒神達も、皆そろって身体に風穴開けられて死んでんだよ。刳り貫かれている間に暴れた形跡も無えし、この綺麗すぎる切り口じゃ、高温で蒸発、強力な酸で溶けたなんて事もまずありえねえ。こんな芸当見たのはセントラルの地下と、岩手の山奥で

だけだ。まぁ、お前の予想通り十中八九・・・・・・奴だろうな」

「やっぱりあいつがっ!」

 大口の言葉に、すぐさま反応した大和は声を荒げる。

「まぁ待てよ。落ち着きがねえと、まーた律子に怒られんぞ?」

「・・・・・・大口お前、まさか律子隊長の・・・・・・」

「何言ってんだ。今は六つも年上で活躍しまくりの俺を差しおいてお前が隊長だろ? ・・・・・・俺はただ、自分の女の仇を取りに行くだけだ」

 その声には、有無を言わさぬ気迫があった。

「ふざけんな! あいつは俺の大切な家族を殺したんだぞ!」

「知ってるさ。だがな・・・・・・こういうことは早い者勝ちなんだよ。悪いな大和・・・・・・生きる理由を奪われた俺に残されてんのはこれだけなんだよ・・・・・・それに比べて、お前にはまだ生きる理由が・・・・・・あの子が残されてるだろ?」

「お前、まさか優希のこと―――」 

 大口の含みのある最後の言葉に、大和は優希の正体が知られていることに気が付いた。

「安心しろ、あの左大臣のジイさんが握るリストの中には俺も入ってる。それに、わざわざ俺が今、こんな話をする意味が、理解できねえほどガキじゃねえだろ?」

 音声のみの会話でなければ殴っていたと、大和は昂る思考を落ち着かせて反省する。それでもなお、怒りで掌は握り締められ、小刻みに震える拳を悟られぬよう、己を律して声を絞り出した。

「たとえ・・・・・・勝っても、負けても・・・・・・俺は、お前を一生恨むかな」

 それが、今の大和にとって大口にかけてやれる精一杯の言葉だった。

「そんなの承知の上さ・・・・・・じゃあな」

 大和の言葉に、大口は酷く申し訳なさそうに通話を切ろうとした。

「・・・・・・生きて帰ってこいよ」

「・・・・・・ありがとな。また後で連絡する」

 その言葉を最後に、大口は大和の返事すら聞かずに通話を切った。

「相変わらず、勝手な奴だ」

 大和は通信端末を机の上に転がし、一度大きく伸びをする。そして、地図上で大口が居るはずの新潟を見つめて、信じてすらいない神に祈りを捧げた。

「死ぬなよ・・・・・・大口」

 しかし、その祈りが届くことは無かった

 通話を終えてから十五時間が経過し、日付が変わってまもなく大和の通信端末に一本の着信が入った。

「大口! 無事か!」

 大和は声を荒げ、すぐさま電話越しの安否を確認する。

『ははっ、開口一番それかよ。相変わらず俺って信用ねえんだな』

「そうか、無事な―――」

 大口の軽口に、大和は安堵の声を出す。しかし、それはすぐに大口によって遮られた。

『悪い・・・・・・俺、もう帰れそうにねえわ・・・・・・なんとかここまで、命からがら逃げて来たんだ』

「それって・・・・・・おい! どういうことだ!」 

「隊長・・・・・・まぁ、落ち着けよ・・・・・・さっきも言っただろ? 余裕の無え男は、ゴフッ、ゴフッ! ぐっ・・・・・・モテねえぞってよ」

 電話越しに感じる荒い吐息。気丈に振舞うも、途切れ途切れになっている声が、事態の深刻さをより際立たせる。

「茶化すんじゃねえ! 俺の質問に答えろ!」

「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・わかってるさ。そのために、逃げ恥を背負ってでもお前に電話してんだからな・・・・・・端的に言う、あいつは紛れ・・・・・・もないバケモノだった。俺なんかが、太刀打ちできる相手じゃゴフッ・・・・・・ガハッ・・・・・・なかったんだ」

 時折混じる鈍い咳。大和は、それが吐血によるものだと理解するのに時間は掛からなかった。

「ゆっくりで良い。しっかりと呼吸しろ」

「悪い・・・・・・奴の能力は睨み通り、俺と同じ【喰】。それは間違いねえだろう。だが・・・・・・奴は俺と違って直接食い付きには来ねえ・・・・・・なぜなら、奴は離れた空間ごと、全てを喰らうんだからな・・・・・・はぁ、はぁ、くそっ目が見えなくなって来やがった・・・・・・」

「しっかりしろ! 近くに誰もいねえのか!」

「はぁ、はぁ・・・・・・もう誰も・・・・・・仲間は、奴に食われたからな・・・・・・あと、一つ・・・・・・奴は喰った相手の・・・・・・神氣だけじゃ・・・・・・のう・・・・・・ごとうば・・・・・・」

 酷く弱々しくなった声は、もはや譫言のように力を無くしていた。

「おい、大口! 大口! 返事をしろ! おい!」

「り・・・・・・つこ、やま・・・・・・と・・・・・・すまん・・・・・・」

『ガザッ! ゴトッ・・・・・・』

 その言葉を最後に、大口の声が聞こえることは無かった。

「大口! おい、大口! 返事をしろ! 大口! 大・・・・・・口・・・・・・くそっ!」

 いくらその名を呼びかけようとも、その声に返事が帰ってくることは無かった。何もできなかった無力感と、大切な戦友を失ったことによる喪失感に耐え切れなかった大和は、強く端末を壁に投げつけた。床に落ちた端末のスピーカーからは、今だ大口の傍らで繋がっている端末を撫でる音だけが流れていた。



 その二日後、大口 真吾が率いていた石川基地、さらにその三日後、亀戸 清一郎より引継ぎ、曳舟 誠実(まさみ)大佐が指揮を取る京都基地が、大量の神核を喰らい肥え太った牛鬼と荒神の大群によって形成される【百鬼夜行】によって襲撃され、双方合わせて三分の一の兵を失うという甚大な被害を出し、内陸への撤退及び基地廃棄となった。

 大和の下へ京都基地廃棄の報告が来たのは、二十九日の正午の事だった。

「京都も落ちたか・・・・・・まぁ、牛鬼相手に二日は持ち堪えた方だな・・・・・・」

 大和はその名を呼ぶ時、昔の記憶が思い出される。

 優希と先生を失って丸一日が過ぎた夕方。目を覚ます度に酷く泣き出す○○○を宥めて寝かしつけること三回目の時だった。

 病室に入ってきた黒描 律子は大和にこう告げた。

『地下の調査に行っていた部下から報告を受けた。簡潔に言おう、牛鬼は生きている』

 黒描の説明はこうだった。神核の有無を確認するため、球体に炭化した牛鬼の死体の調査が行われた。しかし、それには刳り貫かれたような穴が開いており、不審に思った調査部隊が二つに割ったところ、中心は空洞になっていた。さらに、すぐ近くの床には、死体に開いていた穴と同程度の底の見えぬ穴があったということだった。

「もうすぐ・・・・・・もうすぐだ優希。必ず・・・・・・俺は・・・・・・お前の・・・・・・」

 手の中の紅い石の入った封神瓶を撫で、大和は静かに呟いた。

「時間か・・・・・・もう行かねえとな」

 卓上に置かれた時計を見た大和は、名残惜しそうに座り慣れた椅子から立ち上がると、今は解放されている絨毯の下に作られた階段を下り、壁一面に並んだ本棚の目立たない場所に設置された金庫の前で屈んだ。そして、大事に抱える封神瓶を中に入れる。

「俺とあいつを見守っていてくれ・・・・・・優希」

 その言葉を残し、大和は封神瓶から手を放して金庫を閉じた。

 階段を登る足は重く、大和はこれから自分が行う愚行に思いを馳せる。

「あの馬鹿・・・・・・めちゃくちゃ怒るんだろうなぁ・・・・・・」

 優希の怒る表情が脳裏を過った大和は、重い溜息を吐きながら隊長室を後にした。

 その足で向かったのは、二階の床面積の半分を占める会議室だった。

「怒られることを考える前に、会議を終わらせねえとな・・・・・・」

 扉を開けると、大和が呼び出していた二十人の隊員は、全員それぞれの階級に従い席に座り、大和の到着を待っていた。

「よう、揃ってるみてえだな」

「当たり前っすよ、隊長が時間ぎりぎりなだけっすよ?」

「良いんだよ、俺が決めた時間だ。ぴったりに来て何が悪い」

「社会人として致命的っすよ隊長?」

「俺は軍人だから気にすんな」

 入り口に最も近い末席に座る山岡が、いつものように大和に絡む。そのおかげか、沈んでいた気持ちも、幾分か軽くなったような気がした。

 気持ちに釣られてか、マシになった足で空席になっている上座に大和は向かった。

「忙しい時に、何度も会議で呼び出して悪いな。まぁ、開くたびに状況が悪くなるからしょうがねえんだけどなぁ」

「じゃあ、もう開かなかったら良いんじゃないっすか?」

 張り詰めた空気の中で、突拍子もない山岡の提案に、大和も含め出席している者達も噴き出してしまった。

「いや、本当にそうなんだよなぁ。・・・・・・そういや、まとめ役の杉本は第五に降りた隊員達の管理を任せたんだったな」

 調子の狂った大和は、痒くもない頭を軽く掻き、頭を会議へと集中させる。

「この辺でふざけるのも大概にして、本題に移るぞ。お前らも知ってる通り、状況は最悪だ。特級警戒神格に指定されている牛鬼の復活と、それに続く百鬼夜行。普段一、二匹を集団で狩ってる戦闘員が出ればまず死ぬ。そいつらは、予定通りに穴蔵の最下層、第五シェルターに非難させろ。それで料理長、指示を出していた食料の件はどうなってる?」

「はい、隊長。現在準備中ですが、あと二時間ほど頂ければ作業は終了致します」

 大和の問いに、座っていた料理長は立ち上がり即座に報告を終える。

「了解だ。次に管制部隊の平山中尉、敵さんとの距離と先頭の到達時刻は?」

「はっ! 報告します! 現在、牛鬼は旧京都及び兵庫間で海に入り、沖合を時速二十キロでこちらへ向かっています。また、百鬼夜行も同様に時速十五から二十五キロのペースで山岳地帯を超えつつ進んでおります。到着予想時刻はこれより四時間半後、午後九時と予想されます」

「了解、あとそれぞれの到着予想地点を頼む」

「はっ! 牛鬼の到着予想地点は美保湾より、旧米子市内で陸に上がると考えられ、その後、中海を渡って松江基地に到達すると考えられます。百鬼夜行は、これまで最短距離を移動していることから大山の海側ルートを通り、旧安来市の市街地を通過して、松江基地に到達する見込みです!」

「了解。次は衛生部隊、成瀬中佐」

「はい。衛生部隊は予定通りに私を含む三名が基地医務室に残り、ほかの医療従事者は全員シェルターに向かわせました。報告は以上です」

「了解。大尉も危なくなったらすぐに逃げてくれ」

「かしこまりました」

「次は・・・・・・あぁ俺か。今回は、俺が選んだ一七名に迎撃部隊として出てもらう。選考基準は純粋に個の強さだ。配置は安来市に十一名、東出雲町に六名で百鬼夜行を食い止めてもらうことになる。難しければ、松江市内の矢田町で戦力合流しても構わん。あとで各自、地図を確認しておけよ。それと牛鬼のことだが、美保湾・・・・・・どうもきな臭く感じる。退避してもらう予定だったが、平山中尉には一応、俺が戦闘に入るまで管制室にて奴の監視を頼む」

「了解しました」

 一区切りついた所で、大和は伸ばしていた背筋をだらしなく崩し、椅子に身体の全体重を預ける。

「そんじゃ、手筈は整えた。迎撃部隊はあまり休ませてやれねえが、一時間半前に行動開始だ。伝達事項は以上、指定時刻まで解散」

「「「「「「「「「「了解!」」」」」」」」」」

 その言葉を言い終えられると、皆一斉に立ち上がり、大和に対して一糸乱れぬ動きで敬礼が行われる。それに対して大和もゆっくりと立ち上がり、敬礼で返した。



 会議を終えて自室に戻る。扉を開けて中に入ると予想通り、第五シェルターに避難を命じたはずの優希がまだ部屋の中で待っていた。

「あっ、大和にぃ・・・・・・おかえりなさい・・・・・・」

「あぁ、ただいま」

 優希は大和のベットの上で待っていたが、大和はそれに関して特に何か言うことは無く、そのまま優希の隣に腰を下ろした。

「・・・・・・ったく、シェルターに退避しろって指令を出しておいたはずだぞ?」

「ごめんなさい。でも、どうしても大和にぃと話がしたくて・・・・・・」

「そうか・・・・・・それならしょうがねえな!」

「ちょっ、大和にぃ!」

 怒られることを覚悟した、今にも圧し潰されそう表情を浮かべる優希を、大和はそれ以上咎めることはしなかった。しかし、その代わりに頭を鷲掴みにして揺さぶりながら撫で、整えられていた白銀の髪を、盛大に掻き乱した。

「それで、どうしたんだ?」

「うん・・・・・・でも、今から話すことは怒らないで聞いてほしいの」

 優希は、乱れた髪に手を当てながら前置きの言葉を口にした。

「わかったよ、怒らねえから話してみな」

 大和はベットの上で背中から倒れて寝転がり、これから話されるであろう内容を予測しつつ、天井を見上げる。

「私も・・・・・・私も大和にぃと一緒に牛鬼と戦いたい!」

「・・・・・・やっぱ、優希に隠し事はできなかったか・・・・・・牛鬼に関する情報封鎖は、完璧だったはずなんだがな・・・・・・」

「うん、それは完璧だったよ。私と下級隊員の権限で触れれるデータに漏れは無かった。それに隊長室に入れてくれなくなってから、大和にぃのIDも使えなくなった。管制室で得られる情報は何も無かったよ」

「当たり前だ。俺と平山で抑え込んでたからな」

「でも、大和にぃは昔、ある物を内緒で私にくれたよね?」

「回収で見つけた旧時代のノートPCか・・・・・・」

「そう、だから私はそれを持ってサーバールームに忍び込んだ。知ってた大和にぃ? 今でも使われてるOSはそんなに進歩していないんだよ? 新しいOSを開発する余裕が無かったんだろうね。まぁ、でもその必要性も無かったのかもしれないかぁ・・・・・・」

 優希は自分が見つけた発見を嬉しそうに話し、それらに疎い大和の顔を歪ませる。

「おいおい、俺は電気系は苦手なんだ。難しい話は分からないぞ?」

「あはは、そうだったね。大和にぃはパソコンの操作が解らなくて、私に泣きついてきたくらいだもんね・・・・・・大和にぃが帰らないことを確認して、私はサーバールームでハッキングしたの。何重にもプロテクトがかかってて、それを解いて中身の暗号化されたデータを変換して読み解くのに二日もかかっちゃった」

「おい、なんのことかさっぱりだが、お前は簡単に言ってるけど、それって本当はすごいことなんじゃないか? それよりも、どこでそんなことを覚えたんだよ?」

「それは、大和にぃの集めてる本の中にそういった本の初級者用があって、勉強を始めたけど情報が少なすぎて、もうほとんどは独学かな?」

 優希は隣に仰向けで横になっている大和と同様に背中から倒れ、すぐ傍らにあるその傷だらけの掌を握る。

「今回の牛鬼の事を隠そうとした理由もわかってるの。あの日、大和にぃがこの手を離さずにいてくれたから、今こうして私が大和にぃと一緒に生きていられる」

 大和の掌を握る強さが徐々に強まっていき、その必死さが熱となって伝わっていく。

「私は大和にぃを失いたくない。ずっと隣に居たいよ・・・・・・だから、今度は私から大和にぃの手を握らせて・・・・・・お願いだから」 

「それは・・・・・・できない。優希を危険に晒すわけにはいかない。これで話は終わりだ。さっさとシェルターに―――」

 大和は身体を起こし、強引に優希から手を離そうとした。

「いやっ!」

 不意に後ろへと引っ張られる力に、大和は抗うことができず、再びベットに倒れ込んでしまう。

「この手を離さないで・・・・・・お願いだから・・・・・・」

 瞳を固く閉じ、ゴツゴツと硬くなっている大和の掌を、必死に離すまいと強く握り締める小さな掌。もう片方の腕は大和の腕に絡み、離すまいと全身で抱え込む姿勢で優希は言った。

「私にはアルテミスが居るから大丈夫。それに、武神だから弓が上手ですごく強いし、アルテミスとはいつもお話する仲だから、絶対に暴走もしない。だから・・・・・・」

 優希は必死に言葉を並べて訴える。それは大和自身良く知る内容だった。確かに優希の宿すオリュンポス十二神が一柱のアルテミスであれば、第零部隊に入ることは容易かったはずだ。しかし、優希が女であることが周囲に露見することを意味していた。そして何よりも、泣いて取り乱してしまう程、その心を恐怖に陥れるフェンリルがこの身に宿っているという事実を優希に知られる訳にはいかなかった。

「わかってる。前にも言ったろ? 優希が戦わない部隊に居るのは単純に俺の我儘で、それを軍に押し通したからだ。お前が戦えるのは良く知ってる」

「だったら!」

 その言葉を活路だと見出した優希は、その言葉に割って口を開いたが、それを無視して大和は喋り続ける。

「それでも、俺は優希に守ると誓ったんだ。危険に晒すなんてできる訳が無い」

「・・・・・・なら、もう大和にぃとは口きかない。もう居ないお兄ちゃんの姿だけを見て、今ここに居る私の事を、見ようとしない大和にぃなんて・・・・・・大っ嫌い!」

 この言葉を受け、ここまで表情を崩すことのなかった大和は、初めて動揺の色を見せた。

「それは・・・・・・困る」 

「どうしてよ、お兄ちゃんと誓ったんでしょ・・・・・・なら、無事に生きてさえいれば、私の気持ちや、思いなんてどうだって良いんでしょ?」

「違う! 俺が戦うのは、お前が大切だからだ! 優希と話して、一緒に飯を食って、笑ってくれるから、俺にとってそれは掛け替えの無い宝だから! ・・・・・・だから俺は、どんなに辛くても戦えるんだ・・・・・・」

 大和は身体を優希の方へと向け、決して離さないようにしがみ付く優希の髪を撫でる。

「だから、そんなこと言うなよ・・・・・・頼むから、また優希の笑う顔を俺に見せてくれ・・・・・・俺を嫌いにならないでくれ・・・・・・」

 大和にとって、その言葉は存在理由そのものだった。

「・・・・・・無理だよ・・・・・・大和にぃを嫌いになんてなれるわけないじゃん・・・・・・」

「なら―――」

「でも、私は絶対に譲らない。これ以上、大和にぃが一人で背負い続けるっていうのなら、私は心を殺して、戦う理由を奪うから!」

 頑なな優希を見て、説得が不可能だと察した大和は、自らが折れる決断を下した。

「・・・・・・わかったよ」

「本当に・・・・・・?」

「あぁ、本当だ。俺が今まで嘘をついたことがあるか?」

「・・・・・・それなりに」

「でも大切なことは?」

「・・・・・・ない」

「だろ? だから安心しろ。お前の気持ちは俺に伝わってるから・・・・・・それに今まで、お前は肩時も離れずに俺の傍に居たんだからな」

 その言葉に、優希は伏せていた顔を上げて大和の顔を見つめる。それを確認した大和は、自分の上着のボタンを外し、胸元をはだけさせて、首にある物を見せた。

「それ・・・・・・まだ付けてくれてたんだね」

「当たり前だ。お前が言ったんだろ? これを私だと思ってくれって」

 それは、細い革紐で作られた黄色い石のペンダントだった。

「お前は俺の後方支援を頼む。 背中は任せたぞ?」

 思いが通じたことの喜びで、優希は瞳に涙を浮かべたまま、頬を綻ばせる。

「うん! 私、大和にぃを守ってみせるから」

「あぁ、頼りにしてるぜ?」

 二人はそのままの状態で、時間が許す限り話し続けた。

「そろそろ時間か・・・・・・あと五分したら出るぞ?」

 大和は通信端末で時間を確認し、それを優希に伝える。

「もう、そんな時間なんだね。私、準備してたものがあるから少し待ってて!」

 優希はそう言って、自分のクローゼットの方へと向かい準備を始めた。その間、大和は端末を少し操作すると、すぐに手を止め、軍服に身を包む優希の後ろ姿を見つめるだけだった。その眼差しは全ての覚悟を決めた険しいものだった。

「・・・・・・そろそろ出れるか?」

「うん」

 クローゼットが絞められたのを見計らって、大和は立ち上がって優希に声を掛ける。

 優希も神妙な面持ちであるが、スタートラインに立てたということに、どこか安堵した表情で返事を返した。先にドアの前で立っている自らの隣に、優希が並んだことを一瞥した大和は、ドアノブに手をかける。

「ごめんな―――」

 その言葉と共に扉は開け放たれた。

「えっ・・・・・・?」

 優希の足はすぐに止まった。

「悪い、急に呼び出して悪かったな」

 廊下には、全身を黒い装束を纏った三人の人物が並んでいた。

 それは黒描 律子の死によって優希が女性である秘密が漏れていないか確認する役目を与えられた者達だった。それは第零討伐部隊、通称、懐刀より選抜され、その中には律子の妹である黒描 法子の姿もあった。

 そしてその中の一人の男が、二人の方へと歩みを進める。しかし、大和は何も言わず彼の横を通り過ぎ、二人の下へと進む。状況が理解できない優希は固まったまま動けなかった。

「朝月少尉・・・・・・いや、朝月 優希。あなたを国家機密不当閲覧の容疑で拘束する」

「ど、どういうこと?」

 優希は男から目を離して大和を方へと視線を向ける。しかし、大和はこちらを振り向くことすらなかった。

「黒木場大佐、これはどういうことですか?」

 その質問に答えたのは大和ではなく、目の前に迫った入谷という第零討伐部隊の隊員だった。

「そのままの意味だ。お前の階級では許されていない機密情報を閲覧した疑いがある。これは、重大な軍法違反だ。容疑が固まるまで拘束させてもらう」

 戸惑いながらも気丈に声を発する優希に、入谷は無機質にそう言い放った。

「どうして!」

 前方で立ちふさがる男の横をすり抜けて、大和の下へと駆け寄ろうとした優希の腕は、すぐに入谷によって掴まれてしまう。

「その手を離せ、僕は大佐と話をしなければならないんだ!」

 優希の訴えに、男は落ち着いた声で答えた。

「その必要はない。これは大佐が下した決断だ」 

「関係ない!早くこの手を離せ、入谷軍曹!」

 いくら腕を振りほどこうと抵抗しても、優希のか細い手首を握りしめる屈強な腕はビクともしなかった。

「予定通り最下層第五シェルターに幽閉しろ」

「了解しました」

「入谷、もう連れていけ」

 男は大和の言葉に頷き、優希の腕を強く引っ張った。

「どうして! どうしてよ大和にぃ! やめてよ! 引っ張らないでよ! 離して!」

 すでに優希は気丈さを失っていた。両親に泣きながら引きずられる子供のように、そこにいたのは手を伸ばして泣き叫ぶただの少女だった。

「耳障りだ。眠らせろ」

「大和に―――」

 入谷はその命令を即座に実行し、優希の細い首を軽く握ることで、そこを流れる動脈の血流を数秒間遮断した。

「軽く尊敬してしまうくらい冷酷っすね」

 その一言は、大和の監視役の一人である山岡のものだった。

「山岡・・・・・・首から上を飛ばされたくなかったらその口を閉じろ」

「物騒っすね。了解っす」

 山岡は口元を僅かにニヤリと歪めて後方に下がった。

黒描(こくびょう)、お前は今回の戦闘には向かない。入谷と合流して優希の監視に当たれ」

「了解にゃ!・・・・・・あっ、了解です!」

 黒描の金色の瞳が黒く染まり、焦ったように返事を繰り返した。

「バス、気まぐれで宿主の身体を乗っ取るなよ」 

「良いじゃんかにゃー。今日の大和ちん、ご機嫌斜めできびしいにゃー・・・・・・ちょ、ちょ、ちょっとバステト様! 今は本当に駄目ですよ! 切り殺されますよ!」

 一人であたふたと慌てふためいている黒描は、大和と目が合うと凍り付くように固ってしまった。その表情は酷く怯えている。

「ひぅっ・・・・・・す、すぐにむ、む、む、向かいましゅ!」

「おう、頼んだぞ」

「はいぃぃぃぃぃぃ!」

 黒描は俺の返事を聞くよりも早く、脱兎のごとく走り出していた。

「本当にあいつは、あの隊長の妹なのか?」

 大和の言葉に山岡は苦笑する他なかった。

「隊長・・・・・・そろそろ」

「そうだな。襲撃想定時刻に変化は?」

「残り一時間三十五分、時刻に変更は無いっす」

「あまり時間は無いか・・・・・・行くぞ山岡、外で皆が待ってる」

「了解っす」

 二人が外に出ると、入り口を囲むようにして、十六人の黒装束を着用する者達が立っていた。

「よし、全員そろってんな? 配置は手筈通りだ。毎回、零のお前らには損な役回りばかり押し付けて悪いと思ってる。だが、これは持てる者の義務だ・・・・・・・・・・・・ははっ、何小難しいこと言ってんだ俺は」

 大和は自分が語る内容に意味がないと自嘲気味に笑い、目を閉じて大きく息を吸った。肺に空気が満ちたその時、閉じだれていた瞳は開かれた。

「この戦いは酷いものになる、俺からの命令はたった一つ。死ぬな! それだけだ!」

「「「「「「「「「「「「「「「「了解!」」」」」」」」」」」」」」」」

 一糸乱れぬ敬礼の中、大和は歩き出した。

「さっさとこの仕事終わらせていつものように一杯やろうぜ!・・・・・・さぁ、行くぞお前ら!」

「「「「「「「「「「「「「「「「おう!」」」」」」」」」」」」」」」」

 指示通りにヘリに乗り込んだ第零討伐部隊の隊員達は、迎撃予定地である旧安来、東出雲へと向かっていく。小さくなっていくヘリの尾翼を見送り、大和は残された一機に乗り込んだ。

 基地から二十キロメートルほど離れた、旧米子にある空港跡付近の海岸に降り立った大和は、目の前に広がる暗い海原を見つめていた。

 今回の戦いでは、負ければ基地に居る全員が全滅することになるため、杉本に預けられなかった懐中時計を懐から出し、大和は時間を確認する。

「残り、三十分か・・・・・・」

 北部の海岸沿いに降り立った大和は、激しく波打ち、並々ならぬ気配を発し続ける海を見つめた。しかし、到達時刻間近になっても海面に異常は見られなかった。

「おかしい、美保湾は比較的水深が浅いはずだ・・・・・・」

 その疑問は次の瞬間答えが出た。

『ピリリリリリリッ!』

 けたたましく着信音が鳴る端末に、すぐさま反応した大和はそれを耳に当てる。

『管制の平山です。現在、安来市にて交戦が開始されました。それと、牛鬼が進路を変更。現在スピードを上げて平田山方面へと進んでいます!」

 その言葉に、大和はこの一帯の地形を脳内に呼び起し、思考をフルスピードで回転させ、ある答えを導き出す。

「くそっ、やられたっ! 奴の狙いは・・・・・・恵曇港の古浦海水浴場だ! 陸地の最短距離で基地を狙うつもりだ! すぐにヘリをこっちに戻せ!」

『了解っ! ですが、どうして牛鬼がこの周辺の地形を?』

「牛鬼はもともと中国地方に伝わる妖怪だ。特に、島根・鳥取の海周辺での人食い伝承が多い。つまり、ここは奴の庭だ・・・・・・」

 通話を終了して十分足らずでヘリは大和の下へ到着し、恵曇港へと全速力で向かった。

「牛鬼の進路はどうなってる?」

 ヘリから砂浜に飛び降りた大和は、海岸線にいまだ目標が居ないのを確認し、平山に確認をとる。

『はい! 隊長の読み通り、牛鬼は恵曇港方面に進行しています!』

「読み通りだな」

『なっ・・・・・・! たった今、倉内湾に差し掛かった所で、牛鬼と同等の反応を示す荒神反応を、突如確認しました!』

 しかし、その報告に対して大和が返した言葉は、平山にとって意外なものだった。

「やっぱ、そうなったか・・・・・・それで、そいつの反応は?」

「牛鬼を上回る凄まじい速度で、恵曇港の防波堤・・・・・・いや、海水浴場沖一,一キロメートル地点に到達しています!」

 平山が叫ぶように言ったその次の瞬間だった。

『ザパンッ』

 それは厳かに押し寄せる波の音に紛れて現れた。

『・・・・・・』

 砂浜から約百メートル地点には、旧時代に作られた三つの波除ブロックが並んでいる。しかし、その向こう側には一切、岩礁など存在しない。しかし、海岸から約500メートル。突如、海面から不自然に現れた岩礁のような物が、この白い荒波の中でさえ微動だにせず立ち続けている。その物体の頂点から長く垂れ下がる、黒い海藻類に見えるそれは、目を凝らすと全てが濡れて束になった髪の毛であることに大和は気が付いた。 

「文献通りになったか・・・・・・」

 牛鬼について調べていた時に、濡れ女についての記述に目を通していた。しかし、記されていた三町(三百二十四メートル)という数字を大げだと信じていなかった大和にとって、その巨大さを現実のものに感じさせる、黒く染まった周囲の海面を目の当たりにして、思わず冷えた生唾を飲み込むこととなった。

 そして、大和はその遥か後方の海面の異変に気が付き、今回の主役が到着したことを知った。

「やっぱ、一体ずつという訳にはいかねえよな・・・・・・」

 直立する濡れ女の二キロメートル後方に発生する不規則な波と巨大な影が出現し、一気に海面が膨れ上がったかと思うと、次の瞬間には爆発に近い轟音と水飛沫を上げ、本来の目標が姿を現した。

『ゴギャァアアァァアァァァァァァアァアアァァアァァアァアァアァァァアァ!』

 高らかに上げられる咆哮に、大気は激しく揺さぶられた。一キロ以上離れた距離に居るはずの大和の頬は、その大気の震えをひしひしと感じ取った。

「・・・・・・家族も、師匠も、戦友も・・・・・・お前は全部、俺から奪っていったよな・・・・・・」

 大和は、普段空になっているはずの、肩部に取り付けられたホルダーに収まる注射器を引き抜いた。

「楽に死ねると思うなよ!」

 低く鋭い声と共に、注射器のキャップを抜き去り、露出した短い針を首筋に突き刺して、内液を一気に頸動脈へと流し込む。

「ぐっ、うおぉぉぉぉぉぉおぉぉおぉぉぉおぉっ! 神威・・・・・・解放っ!」

『ブチィッ―――』

『バキンッ―――』

 雄叫びと共に、革と金属が同時に千切れて弾ける音が鼓膜を擽った。大和の皮膚は一斉に黒い毛で覆われていき、黒く長い尾が高く掲げられ、鼻と口は大きく前へと突き出ていく。

「すげえな・・・・・・活氣剤なんざ初めて使ったが、革と鉄の戒めが吹き飛びやがった」

 大和は大量の毛によって窮屈になった上半身の衣服を全て脱ぎ去り、その手と尾は、腰に差す四本の刀剣に伸ばされて抜き取るられると、三方それぞれに、鋭い刀身の半分を砂の中に突き刺される。

「今こそ、我が顎に咥えし全ての刀剣を抜き取らん!」

 最後の一本を右手で抜き取ると、力強く正面突き刺した。

「神威完全開放っ!」

 大和を中心に巻き起こる大気の奔流。その肉体は骨格ごと巨大化していく。

「行くぞっ!」

 その声と共に、大和は海の方へと駆け出し、まるで硬質化したかのような水面を駆け抜ける。

「纏え、絶刀装!」

 その声が発せられた次の瞬間、疾走する大和の後方に続く四本の刀剣は、その美しい刀身を絶が黒く染め上げる。

『あぁ・・・・・・あぁあぁぁあぁぁぁあっぁぁぁ!』

 海面上を駆け抜ける大和の接近に気が付いた濡れ女は、悲鳴じみた不気味な声を上げると、水中から身体の四分の一を出し、まるで一本一本が生命のように蠢く果てしなく長い髪を逆立たせて、迫り来る大和を迎え撃った。

 先手を取ったのは濡れ女だった。硬質な毛髪を操り、死角である水面下からその足を捉えて水中に引きずり込もうと繰り出す。しかし、大和は自らが走るルートの水面下に絶空を放ち、水面下に忍ぶ毛髪を斬り裂いて進む。そして、絶空の射程圏内に入ったところで、濡れ女目がけて黒い斬撃をを放った。しかし、その攻撃を読んだ濡れ女は、水面下に潜ませていた尾を大和の直ぐ傍で暴れさせ、足場を不安定にさせると、その飛翔する斬撃の軌道を逸らさせた。

「ぐ・・・・・・くそっ!」

 水飛沫の中から放たれた黒き刃は、濡れ女の首を真っ二つに斬り裂くことは叶わず、鱗に覆われていない、人間でいう上半身の左肩を掠めた。

『あぁ、あぁあぁぁああぁぁぁぁぁああぁ!』

 白い肌から噴き出す血液。右手で肩を抑える濡れ女は苦悶の表情を浮かべ、甲高い悲鳴を上げる。しかし、それは長くは続かなかった。

『あ、あぁぁあぁ・・・・・・あぁあーぁ』

 濡れ女は不敵な笑みを浮かべ、傷口から手を離した。

「ち、やっぱ即回復型か・・・・・・これだから龍族はめんどくせえんだ」

 すでにその肩は、血で汚れているだけで傷一つ残ってはいなかった。

 このまま海面に留まるのは危険だと判断した大和は、中央の波除ブロックまで撤退することにした。

『あぁあぁあぁあぁっぁあぁ!』

 甲高い声を上げながら、濡れ女は無数の毛髪を操り大和を捕えようととする。四方八方から襲い来る襲い来る脅威に対し、四方に散る絶の刀剣によって対抗する。

 その攻防が数十秒間続き、大和も攻撃の流れというものを理解して余裕が生まれてきた。もちろん警戒はしていたが、三キロメートル後方から接近してきていた牛鬼を最後に目視したのは、身体の半分が海面から出ている状態だった。この海岸は遠浅で、水深が五十メートルに達するのは六キロメートル先だ。つまり、牛鬼の体長が五十メートル弱と報告を受けていた大和は、すぐそばにまで迫っていた濡れ女と合流される前に、片方の戦力を消すことを選択した。

「どういうことだ・・・・・・?」

 牛鬼がそこに居たと示す、激しい波紋が海面には確かに刻まれている。しかし、当の巨体は見当たらないのだ。

「どこに消えた!」

 波紋が確認できる区域は、海岸線から約三キロメートル。すでに水深三十メートルを切った今、牛鬼に身を隠す術はない。大和は刀剣を高度に舞わせつつ、再度海面を確認する。

 荒れている海面をよく見ると、窪みが形成され、その中心は微かに渦を巻いていた。それに気が付いた大和は、最悪の予想とともに嫌な汗が頬を走るのを感じた。

「まさか、このまま・・・・・・!」

 しかし、激しく揺れ動きだす足場によって、その予想は正しいことが証明される。

「なっ―――」

 その揺れに脅威を感じた大和が、素早く後方へと飛び退いて数瞬、足場にしていた波除ブロックは周囲の海水ごと音もなく消失した。

「これが奴の・・・・・・喰・・・・・・」

 あまりのスケールの大きさに、大和は絶句を禁じえなかった。

『ゴギャアアァァアァァァァアアァァァァ!』

 文字通り海底を喰い破って作った洞穴を通り、爆発に近い水飛沫と共に牛鬼は、海中に隠れていたその巨体を初めて露にさせる。

 獅子と混ざり合った人面に牛の角、蜘蛛のように膨張した胴体は、爬虫類が身に纏う鱗に覆われ、その背には無数の突起を蓄えている。その姿は、あの日この目に焼き付けた牛鬼の姿と、途方もなくかけ離れて居た。

 目の前に現れた畏れの権化は、あまりにも無慈悲なまでに心を恐怖で浸食して行くのだった。

 刻み込まれる恐怖に硬直していく心と身体。

 それでも戦う意志の灯が消えないのは、大切な存在を奪った牛鬼への憎しみが、劫火となって凍りつく心を燃やし続けるから。

 それでも尚、身体が動き続けるのは守るべき存在が、俺の背中に居るからだった。

「うおぉぉぉおぉぉ!」

 宙に舞う二本の刀剣を掴み取り、大和は牛鬼へと駆け出した。

 小回りの利かない牛鬼の背後に回り込み、六本ある内の後足二本を斬り落とすと、重心を後方に崩した牛鬼の背へと跳躍する。

「喰い破れ、絶空乱舞!」

 全ての物理法則を無視する【絶】を纏う刀剣を直接握り締める両腕は、任務のためでは無く、復讐のためだけに振るわれる。

『ゴグガアアァァアァァァァァアアァァァッ!』

 宙に舞う二本の刀剣は、絶えず襲い来る濡れ女の頭髪を斬り裂き、握られる二本の刀剣が放つ絶空は、次々に牛鬼の巨体を食い破り、抵抗なく貫通していく。

「情けなく鳴いてんじゃねえよ・・・・・・どうせ、効いてねえんだろっ!」

 大和は再び跳躍して牛鬼の背より飛び降りつつ、攻撃の成果を確認する。

「ちっ、最近こんなんばっかだな・・・・・・」

 既に切断されたはずの後足は完全に修復され、その身体に刻まれるはずの傷は皆無。全くと言って良いほど損傷を与えることは叶わなかった。

 大和の脳裏に浮かぶのは、苦渋を飲まされた玄武との戦いだった。刃を振るい、肉を斬り裂いた瞬間、いや、肉の中を走るその刃が走り抜けたその瞬間には、傷を修復する再生力。玄武と同等、それ以上の能力を牛鬼は備えていた。

 全てを消し去る絶の権能に対し、即回復型の荒神は非常に相性が悪い。切断面を焼き固めることができれば時間を稼ぐこともできるのが、絶は触れたものを消滅させるのであり、その切断面は、どんなに砥ぎ鍛えられた刃の切れ味よりも鋭く、摩擦すら生まない斬撃は傷口をずらさず、細胞同士を繋ぎ合わせるのは赤子の手を捻るより簡単だった。

 だが、危害を加えられて激昂しない荒神は皆無だ。

『ゴグロロォォアァァアァアアァ!』

 雄叫びと共に身体全身に力を籠める牛鬼。その数秒後、背に生える無数の突起は頂点から真っ二つにひび割れ、中からは先端が丸みを帯びた触腕が伸びていきた。

『ゴギャァアアアァアアアアアァァアァァァ!』

 二度目の咆哮と同時に、その背から生えた触腕は花のように咲き乱れる。

「おい・・・・・・冗談だろ・・・・・・」

 目の前の光景に眩暈すら覚える。

 丸みを帯びた触腕の先端は、四方に切れ目が入り、花弁のように裂けた。その中からは人、獣、虫を象る様々な神の顔面が次々と這い出し、悲痛の呻き声を上げている。

「こいつら、まさか・・・・・・」

 大和は気が付いてしまった。触腕の先にいるこの者達は、牛鬼に食われて捕らわれた神達なのだと。

「許せねえ・・・・・・食うだけに飽き足らず、弄ぶのか・・・・・・!」

 喰われた神の末路たちは、その一柱ずつが持つ様々な権能を振るい、容赦なく攻め立てる。大和はそれらを対処しつつ、触手を斬り落とすが、それらはすぐに再生してしまう。

 攻防は圧倒的だった。牛鬼は確かな足取りで基地の方向へと進み、大和は濡れ女と触手による攻撃の隙を見て、すぐに再生される牛鬼の脚を斬り落とすことで僅かでも足止めを試みる。

 その攻防が始まって五分も経過する間もなく、戦場は大地へと舞台を移した。

「くっそ、止まらえねえ!」

 既に海岸線から一,五キロメートル地点にまで牛鬼の侵攻は及んでいた。濡れ女は距離を取りつつも、海に流れ込む佐陀川に沿って大和に執拗な攻撃を続けている。

 だが、大和にも勝機はあった。あと数分もすれば、最後の呪縛を解くために必要な氣圧が溜まり、神格化することができる。

 海岸線から三キロメートル地点にある旧世界の学舎跡。ここは、大和の考える最終防衛ラインだった。なぜなら、ここを曲がり山間部を抜けると旧松江市街に出てしまうからだ。

「もう少し、通用できると思っていたんだがな・・・・・・頃合いか」

 想定していた事態とかけ離れた状況に、大和は顔を顰めて決断を下す。

 二体の荒神が繰り出す猛攻を掻い潜り、大和は素早く距離を取る。しかし―――

「なっ―――ドラゴンブレスだとっ!」

 牛鬼から距離を置いたことで、巻き込まれる惧れがなくなった今、濡れ女は咆哮に乗せた龍族の一撃を繰り出す。

『ギイィィアアアァァァアァァァァァアアァァァァァアアァァアァァァァアアァ!』

 その一撃は大地を抉り、音速を優に超えるスピードで大和に迫る。

「絶か―――」

 力の奔流は一瞬にして大和を飲み込み、山一つを崩壊させる。

 轟音と共に巻き起こる砂塵。訪れた静寂を迎えてもまだ、それが晴れる様子はない。

「俺は無様だな・・・・・・守るために手を伸ばした力なのに・・・・・・こんな姿じゃ、あいつの傍にいてやれない・・・・・・」

 砂塵を突き破った黒き狼は、濡れ女へと一直線に走り抜ける。

「それでも、この姿でなきゃ・・・・・・あいつを守れないんだ!」

 フェンリルの姿となった大和は、その巨大な口を最大限に開くと、人間の上半身と龍の胴体の繋ぎ目に喰らい付き、勢いのままに噛み千切る。

 致命傷には至らないものの、力なく川の中に落下する濡れ女と倒れる胴体を一瞥し、再生には時間がかかると判断した大和は、基地へと歩みを進める牛鬼との距離を一気に詰め、正面に回り込み、その進路に立ち塞がる。

「これ以上、先には行かせねえ!」

 牛鬼はニタニタと笑う口を開き、粘液が糸を引く禍々しい黄ばんだ歯を見せつけると、一気に噛み締める。

「絶界!」

『ガキンッ―――』

 牛鬼の権能が発動されると読んだ大和は、牛鬼との間に一枚の黒い壁を出現させる。それに一瞬遅れて牙と牙を打ち鳴らす音が鼓膜を擽る。

「なっ・・・・・・!」

 噴出する血液。焼けるような右肩の痛み。大和と牛鬼を隔てる絶界には噛み痕が残され、激痛を訴える右肩は、肉も骨も関係なく抉り取られていた。

「こいつ、空間ごと絶界を喰らいやがった・・・・・・」

 大和は素早く牛鬼との距離を取った。肩の傷口には黒い靄が覆い、すでに新たな出血は見られない。

「危なかった・・・・・・ほんの少しズレてりゃ・・・・・・」

 先ほどの最悪な結果を想像し、背筋が凍る。

「だが、喰にさえ気を付ければ怖くねえ・・・・・・やれる!」

 傷口を覆ていた靄が晴れると、そこに傷口など始めから無かったかのように再生されていた。

「行くぞっ!」

 大和は小回りの利かない牛鬼の背後を取ると、襲い来る触腕を絶を纏わせた尾で薙ぎ払う。そして、四本の脚で大地をきつく踏みしめると、黒炎が漏れだす口を全開に開き、持てる全てをこの一撃に込めた。

「全てを喰らえ! 絶狼砲(フェンリル・カノンッ)!」

 放たれる絶の咆哮。一直線に走る漆黒の一線は、牛鬼の身体を音もなく貫いた。

『ゴグガアアァァアァァァァァアアァァァッ!』

 牛鬼の身体には巨大な風穴が開き、醜い悲鳴と共に六本の脚は力無く折れた。

「はぁ、はぁ、まだ動くってことは神核が残ってるってことだろ。良いさ、お前が死ぬまで、何度でも打ち込んでやる!」

 大和は再び脚に力を籠め、二度目の咆哮を放つ構えを取る。

「終わりだ・・・・・・」

 勝利を確信した。だが、それは間違いだった。喰を警戒するあまりに牛鬼の頭と正反対の位置を取ったことで、大和は気が付くことができなかった。この状況に陥っても尚、牛鬼の表情は苦悶でも怒りでもなく、あのニタニタとした不気味な笑顔であることを。

「フェンリル・カノ―――ぐはぁっ!」

 全身の筋肉を収縮させ、放たれるその咆哮は絶を纏い、牛鬼を襲うはずだった。

 突然襲う横腹の衝撃と、吹き飛ばされる身体。  

 あまりの痛みに掻き消されそうになる意識を繋ぎ止め、大和は空中で体勢を立て直し、何とか足から着地する。

「ごふっ、ごはっ・・・・・・はぁ、はぁ」

 冷汗が全身から噴き出した。なぜなら、大和はこの痛みを良く知っていたからだ。その痛みは記憶を強制的に呼び起こし、ある予感を無理やり打ち立てる。

 大和は恐る恐る顔を上げ、ひたすらその予感がどうか外れていてくれと祈りながら、その痛みの原因となった正体を確かめる。

「あ、あぁ・・・・・・何で・・・・・・」

 その予感は無情にも的中していた。あまりにも残酷な現実に、大和は無意識に声を荒げる。

「何であんたが・・・・・・ここに居るんだよ! 律子隊長!」

 太陽を象る冠を乗せた雌獅子の頭。そこに居たのは神格化した黒描 律子その人だった。

 律子が宿すセクメトは、体長二メートル強の身体を持ち、体術に特化した神格である。同じ体格の相手であれば、拳一つで楽に吹き飛ばせるほどの力を持つ。だが、体術特化型の弱点として挙げられるのは、あまりにも体格差がある場合、ダメージを与えることができないというものだった。しかし、セクメトは違った。その特殊な権能は、拳に触れた相手と同等の体格で得られるパワーを、その拳に宿すことができる【イコール】というものだった。

 覆すことのできない体格差という概念を破壊し、その鉄拳で全ての者を叩き潰していく姿に人々は、彼女の事を怖れてこう呼んだ。【巨人殺し(ジャイアント・キラー)】と。

「律子隊長! あんたの帰りを妹は、ずっと基地で待ってたんだぞ! 荒神になってる場合じゃねえだろ!」

 その必死の訴えがセクメトに届くことは決して無い。かつての部下であり弟子である大和を前にして、何の迷いも無く大地を蹴り、弾丸のような速度で大和の眼前に踊りでる。しかし、その動きを眼で追うことができた大和はタイミングを合わせて身体を捻り、その長い尾を遠心力で振り回し、セクメトを薙ぎ払う。しかし、セクメトは迫りくる尾に対し裏拳を放ち、難なく弾き返した。

「なっ―――」

 セクメトは尾に触れた反動を利用して、無防備となった大和の眼前に舞い戻ると、鋭い蹴りを鼻っ面に叩きこんだ。

「うおあぁああぁぁぁ!」

 何度も反転を繰り返す大地と曇天。激しく大地を転がる身体をどうにか起こすも、蹴られた鼻からは大量の血液が噴出し続けている。

「どこに・・・・・・」

 次の一撃を警戒した大和は、素早く周囲を見渡すが、その行動は一足遅かった。

「ごふっ―――!」

 胸部から天に向けて垂直に衝撃が走り、呼吸が強制的に止められる。宙に浮きあがった身体は回転し、天に腹を向けた状態で地面に叩きつけられる。だが、これで終わりではない。

 セクメトは高く跳躍し、天に向けて隙だらけになった腹めがけて、自由落下の力と共に拳を振るった。

「がっはっぁ―――!」

『バキィッ―――』

 折れ曲がる身体は、背骨の耐えうる角度を大幅に超えて折れ曲がり、力なくその身体は横たわった。

 セクメトを倒す手段などいくらでもあった。進路や打撃を加える部位を先読みし、上手く絶界さえ展開すれば、懐に飛び込んでくると同時に消滅させることができたはずだった。だが、大和にはそれができなかった。たとえ荒神となったとしても、師である律子を消し去る決断を下すことが、できるはずがなかったのだ。

「ひゅー・・・・・・かひゅー・・・・・・」

 潰さた肺は空気を取り込むために歪に膨らみ、呼吸機能は著しく低下していた。

(何やってんだ俺は・・・・・・)

 大和は律子の鉄拳を受けて、ようやく正気に戻ることができた。

(久しぶりに隊長から拳骨貰ったなぁ・・・・・・はは、全く動けねえ・・・・・・だけどよ・・・・・・)

 大和は歯をきつく食い縛り、ゆっくりと身体を起こし、震える脚で立ち上がり叫んだ。

「動けよ馬鹿が・・・・・・一番苦しんでんのは・・・・・・律子隊長だろうがぁっ!」

 大和は怒りに任せて氣を昂らせ、再生速度を限界まで高めることで、破裂などの損傷を受けた臓器を急速に修復させる。

「今、俺が楽にしてやる!」

 大和は辛うじて動ける身体で、仁王立ちで佇むセクメトへと疾走する。覚悟を決めたその脚には一片の迷いもない。しかし、時間がそれを許すことはなかった。

『あぁ・・・・・・あぁぁあぁあ!』

「嘘・・・・・・だろ?」

 あまりにも現実は残酷だった。傷を癒した濡れ女の頭髪が、駆け抜ける大和の後ろ脚に絡みかせ転倒させる。大和は素早く判断し、その髪を断ち切るために絶を発現させようとした。

「・・・・・・何で、出せねえんだよ・・・・・・?」

 それは当然の結果だった。絶狼砲を放った上、めちゃくちゃになった臓器や骨、筋肉を再生させるために、産生さえれている氣の大半が使われている。その上、濡れ女はその髪に触れた者の精気を奪う【吸氣】という権能を持ち合わせていた。

 だが、不幸は悪夢のように連鎖的に続いていく。この絶体絶命の状況下で、最悪の凶災を告げる雄叫びが轟いたのだ。

『ゴギャアァァァァァァアァアアァァァアァァアァァァ!』

 身体に開いた風穴は綺麗に閉じ、力を失っていた六本の脚は、しっかりと大地を捕え、その巨体を支えている。そして、その脚を器用に動かし、捕らわれた巨狼の方へゆっくりと振り返ると、脳にこびり付くあの笑みを大和に向けた。

「まずい、このままじゃ・・・・・・」

 濡れ女の頭髪は、身動き一つ取れぬほど大和の身体全身を縛り上げ拘束する。

『グロロロロォァアアァ!』

 牛鬼は喉を鳴らし、その口は開かれる。

「離せっ! 俺はまだ、何一つ守れてねぇ! こんなところで死ぬわけにいかねぇんだよ!」

 大和は必死に抵抗し脱出しようと試みる。しかし、その抵抗を許さぬかのように、セクメトは飛び掛かり、拳を大和の顔面目がけて振り被った。

 瞳に映るのは迫るセクメトの拳と、その背後に居る牛鬼が牙う打ち鳴らそうとする姿。終わった・・・・・・死を覚悟したその瞬間、視界の端に白い影が走った。

 大和は目の前の光景を疑った。白い影に見えたのは、フェンリルと同等の体格を持つ、純白の狼だった。

「大口・・・・・・真神・・・・・・?」

 大和が大口真神と呼んだその狼は、巨大な口を開きセクメトを一瞬にして一飲みにすると、濡れ女の毛髪に覆われたフェンリルの首筋に喰らい付き、力強く引っ張った。

『ガキンッ―――』

 打ち鳴らされる牙の音。それと同時に、止め処なく噴出する紅い鮮血。

「うごぁあぁあぁぁぁああぁ―――!」

 響き渡る断末魔。牛鬼の喰を受けた大和は、巨狼の身体の胸から下を全て失っていた。胸から上の身体は大口真神によって加えられ、喰によって断ち切られた毛髪ごと引きずられていく。

 想像を絶する痛みを数瞬感じた後、血を失い過ぎた身体は何も感じなくなっていった。薄れゆく意識の中で大和が最後に見たのは、力なく倒れる身体に喰らい付く、大口真神の姿だった。

次回、急展開を向かえます。

ぜひ、また足をお運びください

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ