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第五話【神核】

今回は、大和の過去のお話です。

皆さんも昔の夢を見て((((;゜Д゜))))「うわわああわあわああわわああああああああああああああ!」

ってなったりすることはありませんか?

筆者は当然ありますよ(´・ω・`)


今回は文字数が若干多いですが、どうぞよろしくお願いいたします。

第五話【神核】



 ヘリの中では、衰弱した大和の身体に大量の氣を含有する輸液が投与された。点滴はその名に反し、クランプが全開にされたことで点滴筒の中に落ちる輸液は、水滴になることなく流水の姿のまま静脈の中へと流れ込む。

「一時的ですが、これで血圧と体内氣圧は安定するはずです。ただ、数日間は絶対安静ですよ?」

「ったく、心配しすぎなんだよ。俺はそんなやわじゃねえ」

「はぁ、まったくこの隊長は・・・・・・。このまま無茶し続けると、いつか本当に死んでしまいますよ? それに残される隊員の身にもなってください」

 隊員の言葉を聞いた大和は微かに顔を俯けた。

「・・・・・・うるせえよ、これくらい少し寝れば治るんだよ」

 微かに下がった声のトーン。それを感じ取った隊員は、大和の強がりをそれ以上咎めようとはしなかった。

「基地を目視。あと五分ほどで着陸になりますが大丈夫そうですか?」

 パイロットは後方をチラリと振り向き、大和に確認を取る。

「あぁ、何とかなるだろう」

「まったく、何がどうなるんですかねぇ。こっちも輸液が無くなったんで針を抜きますよ」

 基地に帰還した際の出迎えに、どんなに傷を負い疲弊していたとしても、疲労の顔一つ見せず毅然としてそれに答える大和とって。戦闘のサポートを担当するこの二人の隊員は、弱みを見せることができる数少ない隊員だった。

 大和がボロボロになった軍服から新しいものに着替え終えると、ヘリは着陸態勢に入った。

 着陸すると同時に、外で待機していた隊員によって勢いよくハッチが開かれた。

「黒木場隊長殿、お疲れ様です!」

「おう、出迎えご苦労さん。俺が居ない間に何かあったか?」

「いえ、特に異常等はありません!」

「了解だ。ヘリの中に俺の装備が乗ってる。お前はそれを取り出して整備班の所に持って行ってくれ」

「かしこまりました!」

 大和から支持を受けた隊員は、五指のそろった綺麗な敬礼をすると、素早くヘリの中に乗り込み、大和の装備品を取り出す作業を開始した。

「いやー、本当にご無事で何よりだぜ隊長!」

 そう声を掛けながら近寄ってきたのは、夜間の指揮を執っている杉本だった。

「あぁ、心配をかけたな杉本」

「それよりも早くこいつを受け取ってくだせえや。毎回預かってますがね、やっぱ俺には重すぎるわ」

 そう言って差し出されたのは、出撃前に預けた金の懐中時計だった。

「あぁ、確かに受け取ったぜ。毎回悪いな、重荷を背負わせちまって」

「しかたねえよ。一応、それなりの地位に立たせて貰ってまするからな」

 大和は差し出された金時計を受け取り、懐に仕舞った。その一連の動作を見ていた杉本は隊員達に向かって即座に指示を出した。

「よし、お前ら! 隊長も無事に帰還した! 今回は特にやることもねえから、速やかに各持ち場に戻れ!」

「「「「「「「了解!」」」」」」」

 杉本の一声で、隊員達は蜘蛛の子を散らすように駆け足で走り去っていった。残ったのはヘリ内で作業を行う三人と、杉本だけだった。

「・・・・・・へっ、バレねえと思ったのによ」

「大人になると、色々と見えてくるようになるんだよ」

 大和の言葉に、杉本はいつもの口調でそう答えた。

「肩かすぜ? 大和隊長」

「いや良い、まだ歩ける。それにシャワー浴びてかねえと血の匂いが酷いからな」

「そうかい・・・・・・それなら俺も持ち場に戻るとするさ」

「あぁ、頼んだ」

 大和は正面にいる杉本にそう返答すると、その横を通って穴蔵の方へと向かった。

「あいよ。・・・・・・まぁ一言、老婆心で言わせてもらうがね、もう少しだけ大人を頼ってくれても良いんじゃないか?」

 大和は杉本の言葉を背中で聞き流し、それ答えるように軽く手を振った。杉本はそれ以上、何も口にすること無く、ただその背中を見つめるだけだった。

 穴蔵に戻った大和は、浴場へと真っ直ぐ向かった。ふらつく身体では全てにおいて動作が倍以上の時間を有していた。

 服を脱いだ大和の身体には、どちらのものか解らぬ乾いた血液が付着していた。その血は酸化して茶色く変色しているものの、依然として血液独特の生臭さを発している。

「あいつ、鼻が利くからな・・・・・・よく洗わねえと」

 大和は脱いだ服を籠の中へ雑に押し込み、浴場の中に入った。

 蛇口を捻り、熱いシャワーを頭から浴びる。頭にこびり付いた血液は、砂と一緒に凝固し、手櫛の感触は多少のザラつきがあった。身体にかかるお湯は、茶色く硬くなった血液をいとも簡単に溶かしていく。

 すでに意識は朦朧としている。身体と髪に使う洗剤の容器も、その瞳にはブレて映っていた。

「すぐ・・・・・・戻るからな・・・・・・」

 大和の身体は大きく揺れ、後方へと倒れ始める。

「・・・・・・」

 すでに自分の身体が倒れていることすら気が付かなくなるほど、意識はその身体から離れてしまっていた。

『ザァァァアアァァァァァァアアァァァ』

 シャワーは放射状にお湯を噴出し、その水の音は依然として浴室内で反響し続けている。しかし、その音の中に異音が混ざることは無かった。

「おかえりなさい・・・・・・大和にぃ」

「・・・・・・」

 倒れかけた大和は、その身体を強く抱きしめる優希によって転倒を免れていた。

「もう、こんなに汚れてるの先生に見つかったら・・・・・・また叱られちゃうよ?」

「・・・・・・」

 優希の問いかけに大和の声は返ってこなかった。

「ねぇ、大和にぃ・・・・・・一緒にお風呂入るのは久しぶりだね・・・・・・昔はよく一緒に入ってたのになぁ・・・・・・別々になったのはいつからだったっけ?」

「・・・・・・」

「あの頃に比べて大和にぃは大きくなったよね。筋肉が付いて逞しくなって、身長も肩幅も・・・・・・それに比べて私は、大和にぃの身体を支えるのがやっとだよ・・・・・・。重たいよ大和にぃ・・・・・・こんなに重たいものを全部一人で背負ってたら・・・・・・いつか壊れちゃうよ・・・・・・」

 シャワーから噴出されるお湯は、優希の瞳から溢れる涙も、己の無力さに震えて吐き出される言葉も、等しくそれらを洗い流していった。



 大和が目覚めたのはそれから数時間後の事だった。

「なっ!」

 自分が気を失った場所すら記憶にない大和は、ベットの上で勢いよく身体を起こした。

「あれ・・・・・・俺はたしか・・・・・・?」

 周囲を見るとそこはいつもの自室だった。

「んっ、大和にぃ・・・・・・起きたの?」

 その声の主は隣のベットで、包まっている毛布から顔だけを出し、眠たそうな瞳で大和を見つめていた。

「昨日、帰ってきてすぐ倒れるように寝ちゃってたけど、いきなり起きて大丈夫なの?」 

「あ、あぁ大丈夫だ・・・・・・そうか、俺は自分でこの部屋に戻れたんだな・・・・・・」

 優希はベットから降りて大きく背伸びをする。

「ふわぁ・・・・・・もう仕事の時間だねぇ」

 いつも寝起きの良いはずの優希にしては珍しく、眠たそうに眼を擦っていた。

 優希は洗面所で顔を洗い、軍服に着替える。

「あれ? 大和にぃ、朝ご飯食べに行かないの?」

「あ、あぁ。今日は腹減ってなくてな。俺の分も食べてしまって良いぞ?」

「本当に? 私、お腹空いてたんだ! それなら、大和にぃ疲れてるみたいだし、ご飯食べたら起こしに来ようか?」

 優希の提案に大和は頷いた。

「そいつは助かる。お言葉に甘えさせてもらうぜ」

「それじゃあ、また後でね大和にぃ!」

「あぁ・・・・・・」

 優希はそう言い残すと、部屋から出て行ってしまった。

「・・・・・・」

 静かになった部屋の中で、大和はゆっくりとベットから立ち上がった。

「くそっ・・・・・・足が笑ってやがる」

 大和はふらつく身体に鞭を打ち、自分のクローゼットに向かった。数歩踏み出すだけで簡単に息が上がる。いつもなら数秒もかからない道のりが遠くすら感じた。

「血を流し過ぎたな・・・・・・ちく・・・・・・しょう」

 クローゼットの取っ手に手を伸ばして開く。その中には部屋着と仕事着がハンガーにかけられ、綺麗に整頓されていた。大和は服と服の間に手を入れて引き抜くと、小さな型紙でできた箱がその手に握られていた。

「ストック分は、これで最後か・・・・・・」

 大和は箱を開け、中身を取り出した。それは、【高濃度氣合成生理食塩水】と書かれたパックと細いチューブだった。

 大和は自分のベットへと戻り、枕側の壁に付いている帽子を掛けるためのフックに、パック設置してベットに横たわった。

 大和はパックから伸びるチューブの先にある針を右手で握り、左手でクランプを緩めると液体が針の先端から溢れ出した。それを確認した大和は、その針を左手の甲に浮いている静脈に突き刺した。

「これで、一時的だが動けるようになるだろうよ・・・・・・」

 クランプは全開にされ、点滴筒の中には滝のようにパックから液体が流れ落ちていく。大和は手早く同封されていたテープで針を固定した。

 大量に出血し、深刻な低血圧に陥ってしまった大和が身体を動かすためには、輸液を大量に流し込み、血圧を無理やりにでも上げる他なかった。しかし、全体の赤血球濃度が上昇するわけではなく、常に酸欠状態であることに変わりはない。

 大和は、箱の中に残っていた物を取り出した。それは真空パックの中に入ったシリンジとアンプルだった。

「後はこいつだな・・・・・・」

 真空パックを開きシリンジを取り出すと、左手に握るアンプルを歯で上手く割った。そして右手に握るシリンジで中身を器用に吸い取ると、その吸い口を点滴チューブの途中にある三方活栓に突き刺した。

「何度やっても嫌なもんだな・・・・・・こいつはよ!」

 大和は三方活栓の弁を開き、シリンジの中身を注入する。

「ぐぅ・・・・・・あぁあっ!」

 注入されると同時に、大和はベットの上でもがき苦しみ始めた。床に落ちたアンプルには、【即効性造血幹細胞活性化剤】と記されていた。

 大和は胸を強く抑え、身体からは激しく汗が噴き出していた。それも当然で、造血幹細胞を多く保有する胸骨骨髄内では、注入された薬剤と氣が反応し、その刺激で強制的に造血幹細胞が爆発的に増殖をさせられているからだった。

「うぐぅぁあぁぁぁあぁぁ!」

 想像を絶する激痛が全身を襲い、気絶することなど赤子の手を捻るより容易かった。しかし、大和はその瞳を決して閉じなかった。充血する瞳が見つめる先にあるのは輸液のパック。

「こんな、情けねえ姿を・・・・・・あいつに見せれるかよ・・・・・・!」

 十数分間の激痛に耐えた頃、ようやく、点滴筒に落ちる液体が無くなった。

「ぐっ、あぁぁ!」

 大和は全身の力を振り絞って身体を起こすと、フックにかかるパックを取り外し、手の甲に刺さる針を引き抜いた。

「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・ぐっ・・・・・・!」

 大和はそれをマットの下に隠し終えると、糸の切れた人形のように倒れ込んだ。身体は動かない。視界は黒く染まっていき、全てを塗りつぶして飲み込んでいった。



「大和! 起きてくれ大和!」

 少年の声と身体を揺する感覚が意識を覚醒させていく。

「もうなんだよ・・・・・・まだ起きる時間じゃないだろう・・・・・・?」

「先生が言ってただろ? 今日はセントラルに行くから早く起きなさいって」

「嫌だよ、俺は眠てたいんだ・・・・・・」

 俺は少年の声に毛布をさらに深く被った。

「・・・・・・だそうだよ○○○? さぁ、行っておいで」

「うん! 大和にぃ! 起っきろー!」

「ぐふぉぁっ!」

 突然腹部に衝撃が襲い、毛布は剥ぎ取られる。

「痛ってえなぁ・・・・・・おい、早く腹の上から○○○をどかしてくれ・・・・・・優希」

 目を開けるとそこには、長い白銀の髪を揺らしながら笑う少女と、その傍らに同じ髪の色をした少年が、優しい笑みを浮かべて立っていた。

「お兄ちゃん! 大和にぃ起きたよ!」

「うん、上出来だよ○○○」

 優希は○○○を褒めながら頭を撫でている。

「えへへー」 

「えへへじゃねえよ・・・・・・おい優希、○○○に降りるように言ってくれ」

「ははは、すぐに起きない大和が悪いんだろ? ○○○、反省してないようだから、軽く跳ねてあげると良い」

「うん、わかった!」

「おい優希てめえ! ○○○やめっ―――ぐふぅっ!」

 優希はケタケタと笑いながら、容赦なく俺の腹の上に全体重を乗せて揺すってくる。

「それぐらいにしておいてあげなさい、優希、○○○」

「あっ、先生! おはよう!」

 その声を聞いた○○○は、ベットから飛び降り先生と呼ばれた女性に抱き着いた。

「大人の人には、おはようございますって教えたでしょ○○○?」

「えへへ、ごめんなさーい」

「もう、しょうがない子ね・・・・・・おはようございます○○○」

 先生も同じように○○○を優しく抱きしめた。

「二人も、おはようございます。よく眠れたかしら?」

「おはようございます先生。僕はよく眠れました」

「俺はこいつらに邪魔されたけどな」

「あらあら、そうなんですね大和。でも、先生は起きていてくれて嬉しいですよ?」

 俺はその言葉にこれ以上文句を言う力を失ってしまった。

「ほら三人とも、今日はセントラルに行かなくてはなりません。服を着替えてらっしゃい」

「はーい!」

「わかりました」

「へいへい」

 俺たちは身支度を済ませると、セントラルに向かうバスに乗った。

 日本には一般市民が主に暮らすコロニーが4カ所にある。九州コロニー、四国コロニー、北海道コロニー、そして最も規模が大きい関東コロニーの四つだ。

 俺たちが暮らすのは、関東コロニーの第八十三地区で王都であるセントラルから最も遠い地区の一つだ。ここに暮らすのは、今の政権から危険視された人物、又はその子孫。そして親を政治犯、もしくは凶悪な犯罪者として処刑された俺たちのような孤児だけだった。

「すごいよお兄ちゃん! バス速いよ! 風が気持ちいいよ!」

「そうだね、○○○。だけど窓から顔を出しちゃだめだよ?」

「えー、せっかくバスに乗れたのにー」

 ○○○は、優希の言葉に渋々窓から顔を引っ込める。それもしょうがなかった。娯楽が少ない孤児院で暮らす俺たちにとって、バスに乗ることでさえかけがえのない娯楽の一つであることに違いはなかったからだ。

 バスに揺らされ続けて三時間半。ようやくセントラルにたどり着いた。元より身体の弱い優希は既に車酔いでグロッキーだった。



「おい優希大丈夫なのか、顔色が酷いぞ?お前、心臓弱いんだから少し休んでいこうぜ」

「これくらい・・・・・・大丈夫だよ」

 強がってはいるが、すでに額にはじっとりと脂汗が滲んでいる。

 普段は小まめに休憩を取る優希がそれを拒むのには理由があった。

 日本には、数え年で十一歳の誕生日を迎える男子と、十歳を迎える女子は、神核適正の有無を調べる義務が課せられていた。

 つまり今日、セントラルに来たのは、条件に該当する俺たち三人の適正を調べるためだった。

「神核を身に宿せれば身体が強くなるらしいし、そうすれば僕の心臓も良くなるかもしれないしね。ずっと作業を休んでばかりだった僕が役に立てるかもしれないんだ」

 優希は無理に笑顔を作ってそう答えた。

「ですが優希、あまり無理しないで。まだ時間はありますから」

「いえ先生、僕は大丈夫です。バスも遅れてしまいましたし、先を急ぎましょう」

「わかったわ、でも無理しないでね優希」

「・・・・・・はい」

 優希の表情から、今日という日にどれほどの思いを掛けていたのかを、俺は悟った。

 セントラル地区のさらに中央に位置する建物に俺たちは到着した。巨大な門、屈強な門番。ここまで歩いて来て、これ程までに厳重な警備を敷いている施設は無かった。

 それは当然で、ここは日本の中枢であり特権階級を持つ重要人物が暮らし、そしてこの国の維持に最も重要な神核の保管場所であるからだった。

 先生は門番と話し、建物の中へと通された。中に居たのは、慌ただしく行きかう者と、上等な服を着てゆっくりと歩く者、この二種類の人間だった。

 エントランスの中央、二人の若い女性が座る受付に向かった。

「こんにちは。本日のご用件は神核適正検査の件でよろしかったでしょうか?」

「はい、この二人が受けます。これが身分証明のIDです」

「確認致します」

 先生が差し出した四枚のカードを受け取った受付の女性は、機械に読み込ませるとそれらを返却してきた。

「確認がとれました。それでは、そちらの昇降機で地下2階までお降りください。なお、現在検査待ちの皆様で込み合ってるようですので、列を乱さないようお願い致します」

「はい、かしこまりました。ご案内ありがとうございます。さぁ、行きますよ」

 カードを受け取った先生は、受付の女性に丁寧にお礼をすると、○○○の手を繋いで歩き始めた。

 地下に降りると、俺たちと同じ年頃の子供とその保護者が並び、長い列をなしていた。

「着きましたよ優希、やはり顔色がよくありません、少しでも休むべきです」

「いえ・・・・・・。少し苦しいですが、列に並んでいる間に休めますので大丈夫です。それに、制止を聞かなかったのは僕です」

 先生は優希の背中を摩っていると、不意に声を掛けられた。

「キッシッシ・・・・・・朝月 優希君と黒木場 大和君ですね?」

「は、はい。この子達がそうです」

 声の主は真っ白な白衣と対象的な浅黒い肌と、大きな眼鏡が印象的な痩せた老人だった。

「お待ちしておりました。あなた方は別室で検査を受けて頂くことになっているのですよ、さぁ、どうぞこちらへ」

 老人の声は、ねっとりと耳に絡みつくようだった。○○○は怯えてしまい、完全に先生の後ろに隠れてしまっている。

「行きましょう・・・・・・」

 老人の雰囲気に圧倒された先生の表情は、酷く強張っていた。俺は先生の言葉に頷き、優希の肩を支えながら老人の背中を追った。

 何度も昇降機を乗り継ぎ、見当もつかないほど地下深くへと降りた俺達を待ち受けていたのは、薄暗い空間と、あまりにも巨大な金属の扉だった。

「さぁ、ここなのです・・・・・・キッシッシ!」

 老人は何本も歯が抜け落ちた歯列をむき出しにして笑い、傍らにあるパネルに首に掛かるカードをかざした。

『ガチャンッ! ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!』

 扉は轟音と共にスライドしていき、中から漏れ出す強烈な光に目を細める。三十秒ほどで扉は全開となり、光に目が慣れた俺は、その扉の奥の光景を見て絶句した。

「キッシッシ! ここが日本の最も地下深き場所。高位神核実験場へようこそ」

 非常に分厚い鉄の扉をくぐると、そこには広大な空間が広がっていた。四方、天井、床、どこを見ても金属の壁で覆われていた。

「そういえば自己紹介がまだでしたな。私は国立神核研究所所長兼、神核管理最高責任者にして国家貴族序列第三位、百目鬼 鬼一郎と申します。以後お見知りおきを・・・・・・キッシッシ!」

 国家貴族それは日本という国における、全ての決定権を握る者達。その殆どが軍、または主要な機関のトップに君臨している。

「さーて、それでは検査を始めましょうか?」

 百目鬼と名乗った老人は、そう言葉を発すると広大な空間の中央へと向かう。そして百目鬼が立ち止まりこちらを振り向くと、右手を掲げて指を鳴らした。

「キッシッシ、機材と神核をここに」

 その言葉が発せられて数秒後に床が開き、その中から台が出現する。その上にはゴムの付いた試験管と針のついたチューブにつながるシリンジが数本入ったバットと複数の機械。そして何かの宝石と思われる、石ころが入った円柱状の透明な容器が四つ並んでいた。

「キッシッシ! 少々、演出が派手すぎましたかな? ですが、今日は最も喜ばしい一日となるのです。これくらいの遊び心があったとしても罰は当たりますまい・・・・・・さぁ坊やたち、どちらから検査を受けますかな?」

 百目鬼は老人とは思えぬほどギラギラとした瞳で俺と優希を見つめている。その問いに俺が答えようとしたその時、優希が先に口を開いた。  

「僕から・・・・・・お願いします」

「君からだね? さぁ、こちらに来るのです」

 百目鬼の言葉に優希は従い、支える俺の手から離れて歩き出した。

「お兄ちゃん・・・・・・」

 その様子を見ていた○○○が不安そうな表情でそうつぶやいた。先生は顔を強張らせたまま優希の背中を見つめている。

「きみが朝月 優希くんなのですね?」

「はい、そうです」

「キッシッシ! じゃあ早速で悪いがねぇ、少しだけ血を抜かせてもらうよ?」

「はい」

 百目鬼は銀色のバットから一本のシリンジを取り出し、そこから伸びる蝶の羽のようなものが付いた針からキャップを抜く。

「さぁ、こちらに腕を出しなさい・・・・・・おぉ、君の髪と同じで白くてきれいな肌だねぇ。血管が浮いていて、これなら縛らなくとも刺しやすそうなのです」

 優希が差し出した左腕を掴み、まじまじと観察すると迷いのない手で針を優希の腕に突き刺した。血液はチューブの中を勢いよく走ることを確認した百目鬼はシリンジで軽く血液を吸い上げるとシリンジを外し、代わりにゴムの付いた試験管を差し込み、血液で半分ほど満たすと優希から針を抜いた。

 百目鬼は、血液の入った試験管を容器に入った紅い石に近づけた。

「こ、これは素晴らしい反応なのです!」

 血液を近づけられた石は自ら光を発し、試験管の中の血液は磁石に吸い上げられる砂鉄のように無数の鋭い突起を作り出した。

 百目鬼は試験管を置き、シリンジを手に台の上に置いてある機械の上部カバーを外し、複数ある内の一本の棒状のものを抜き出すと、その中に血液を注入して再び機械に挿入した。そして依然として輝きを放ち続ける、石の入った容器を機械の下部にある蓋を開けて中へと入れた。

「キッシッシ、いよいよなのですよ!」

 数回のボタン操作の後、機械は低い音を出し数秒でそれは止まった。

「おぉ!なんとも素晴らしい・・・・・・適合率九十八パーセント! これは予想をはるかに上回る結果なのです! これなら皮膚接触でも十分に融合できる値なのですよ。今すぐにでも神核の投与を行いたいのですが、まだ役者がそろって・・・・・・キッシッシ! 噂をすれば到着したようですねぇ・・・・・・」

 俺はその言葉に、入り口の方へと振り向いた。そこには、白衣を着た男二人と共にこちらへと歩いてくる無表情な少年の姿があった。

「ようやく来ましたねぇ。では早速、神核の投与を始めましょう。あなた達二人はその子達の採血を頼みます。モニター班は速やかに防護扉を閉じるのです!」

 その言葉と同時に、扉は轟音を立てながらしまり始めた。そして俺ともう一人の少年は、白衣の男に腕を掴まれ、有無を言わさず採血が行われた。

 百目鬼は機械の中に入れた石の容器を取りだすと、それを優希に差し出した。

「さぁ、神に選ばれし太陽の子よ、この中にある神核を取り出しなさい。そうすればあなたを苦しめる病すら治すことが可能なはずなのです! キッシッシ!」

優希は百目鬼の言葉に頷き、それを受け取った。その細い腕が容器を開けたその時、俺は炎がこの部屋全体を覆う幻覚を見た。

「これが、神核・・・・・・」

 優希は容器をゆっくりと傾け、燃えるような紅色の石を、掌の上に落したその瞬間だった。

『ボッ―――』

 優希の身体全身を炎が包み、その火柱は高く舞い上がった。

「優希!」

「お兄ちゃん!」

 突然の出来事に、俺と○○○は叫んでいた。しかし百目鬼はこれまでにないほどの笑顔で炎を見つめている。

「キッシッシ、これはなんと美しい! さぁ、今こそ目覚めるのです! 太陽神 アポロン!』

 炎は激しく渦を巻き、勢い良く燃え上がる。そして、徐々に濃縮されていくかのように炎は球体状にまとまった。それは以前本で読んだ太陽のようだった。

「どうやら成功のようですねぇ、キッシッシ!」

 小さな太陽は音もなく爆発し、炎を周囲に爆散させる。しかし、その炎が身体に触れても熱くなく、火傷もしなかった。

 炎は完全に消え去り、爆発の中心に居た優希は放心状態だった。

「・・・・・・」

「キッシッシ、気分はどうかね?」

 百目鬼の言葉にハッとし、我に返った優希はすぐに返答した。

「は、はい。大丈夫です」

「君の胸の苦しさも消えているはずだ、まだ動悸や息苦しさといった感覚はあるかい?」

「・・・・・・いえ、とても気分が良いです」

「よろしい! まだ君からは、取らなくてはならないデータが沢山あるんでねえ。他の子が終わるまで、少々待っているのですよ?」

 百目鬼は優希の頭に手を添え、自らの顔を近づけながらそう伝えると、手を離し俺の方へと優希を解放した。

「では次は・・・・・・ふむ、メインディッシュは最後に取っておくとしましょう。ホムンクルス二〇四二、こちらへ来るのです。キッシッシ!」

 百目鬼は無表情な少年と、その傍らにいる白衣の男に軽く手招きをした。

「・・・・・・」

 少年は表情一つ変えることなく、百目鬼の元へと歩み寄る。白衣の男は採取した血液のシリンダーと試験管を百目鬼に手渡した。それは優希と同じ手順で機械かけられた。

「三六パーセント・・・・・・キッシッシ、なんとか及第点といったところなのですよ」

 そう呟いた百目鬼は、機械の中から焦茶色の神核が入った容器を取り出すと、中の石をピンセットでつまんで取り出し、別の機械にセットした。

「私は、長年この神核に適合する人間を探してきたのです。しかし、誰一人として見つかることは無かった。しかし、それは当然の事だったのです! この神核は、自らが人間に吸収されることを拒絶していたのですからねぇ・・・・・・」

 百目鬼は機械の操作を終え、こちらへと振り向く。

「災害となる程の戦力を持つ神核を持て余すなどありえない! そう考えた私は、ある答えを導き出したのです・・・・・・」

 百目鬼はホムンクルスと呼ばれた少年の頭と顎を掴み、強制的に俺たちの方へと向ける。

「適合者が居ないのであれば・・・・・・作り出せば良いのだと!」

 その言葉を発した百目鬼の瞳はすでに狂気そのものだった。

「私はありとあらゆるデータを見直しました。そして私はこれを作り上げたのです!」

 僅かに振動音を出していた機械が止まったのを確認した百目鬼は、その中から拳銃のような形をした物を取り出した。それには、神核と同じ色に濁った液体で満たされたタンクが付いており、先端には鋭い針が付いていた。

「結晶化した神核は、波長に合った電流を流すことで液体化するのです。そして、それをこの注神器を使って人体に打ち込むことで、人と神は文字通り一体化するのです! キッシッシ!」

 すでにホムンクルスは自ら上着のボタンを外し、胸部を露出させている。

「キッシッシ、! 良い子なのですよ。さぁ、君が生まれた理由を受け取るのです!」

 百目鬼は注神器の針をホムンクルスの胸に突き刺し、指を掛ける引き金を引いた。

「さぁ、今こそ私の前にひれ伏す時が来たのです・・・・・・牛鬼!」

 タンクの中の焦茶色の液体は、急速にホムンクルスの中に注入されていく。興奮している百目鬼は、中身を一滴残らず注ぎ終えた注神氣を勢いよく引き抜いた。

「うぅ・・・・・・うぁああぁ!」

 その時、これまで無言、無表情を貫いていたホムンクルスが初めて顔を歪めた。

 それは明らかに優希の時とは、反応が違っていた。ホムンクルスは床に倒れ、胸を押さえてもがき苦しんでいる。しかし、それを笑みを浮かべて観察する百目鬼はもちろん、白衣を着た二人の男もそれを無言で見つめていた。

 数分が経過すると、額に汗を浮かべていたホムンクルスはゆっくりと起き上がった。

「素晴らしい、実に素晴らしい結果なのです!」

 百目鬼が立ち上がったホムンクルスに近づいていく。その時俺は見てしまった。これまで感情を出さなかったホムンクルスが、笑みを浮かべたその瞬間を。そして俺の身体は反射的に動きだしていた。気が付いた時には優希と○○〇、先生を押し倒していた。その瞬間この空間に衝撃が走り、周囲には大量の血液が飛び散った。 

『ゴギャァアアァァァアアァァァアァァァアァ!』 

 それはとうに人の形など保っては居なかった。その六本の足で毛で覆われた巨大な胴体を支え、牛の角を持つ人と、獅子が混ざり合った頭がニタニタと笑う。

「牛鬼め・・・・・・暴走せずに肉体を奪い取りましたか・・・・・・これは実に面白いのです・・・・・・」

 衝撃で牛鬼の正面に吹き飛ばされていた百目鬼が、羽織る白衣を赤く染めながら、よろりと立ち上がった。

「一度人間に敗れた神風情が私に歯向かうおうなど、おこがましいのですっ!」

 激昂した百目鬼は白衣の内側から針が短い注射器を取り出し、キャップを口で外すと、それを首に突き刺し、中身を注入した。

「神格化するのです! リョウメン―――」

『ベシャッ」

「えっ・・・・・・?」

 その瞬間を見ていた俺にも、何が起きたのか理解できなかった。それは声を漏らした百目鬼も同じなのだろう。

「神核・・・・・・をうば・・・・・・い・・・・・・」

 胸より下が突然消失した百目鬼は、重力に逆らうことなく床に落下し、数秒間血の海の中でもがいた後、それは動かなくなった。

 何かを放った訳ではない。ただ、そこには胴体を無くした百目鬼の亡骸と、その向こう側の壁には抉り取られたかのような巨大な穴が、音も刻みこまれていた。牛鬼と呼ばれたバケモノは、身体を動かすわけでもなく、ただ口を動かしているだけだった。

『ゴギャァアアァァァアア!』

 雄叫びを上げる牛鬼は、死角にいる俺たちにまだ気が付いていないようだった。

「キャァアァァァ!」

 その時、先生に強く抱きしめられていた○○○が、死体を目の当たりにして悲鳴を上げた。先生がすぐに○○○の口を押える。しかし、それはもう遅かった。

 牛鬼は轟音を立てながらその足を動かし、その身体をこちらへと向け始める。

「皆! 逃げるわよ!」

 先生はそう叫ぶと、○○○の身体を抱えて走り出そうとした。しかし、あまりの恐怖に足腰に力が入らず倒れてしまう。それは俺も同じだった。何度も何度も立ち上がろうとしても、百目鬼の最後を見た恐怖で、足が震えて立ち上がることができなかった。

 後ろを振り返ると、牛鬼はすでにこちらを向けて巨大な口を開いていた。

「大丈夫、皆は僕が守るよ・・・・・・」

 その時、辺り一帯に紅い炎が巻き起こった。

「神格化・・・・・・弱い僕に守る力を貸してくれ、太陽神 アポロン!」

 優希の髪の毛は金色に染まり、宙に浮くその身体には、炎の衣を身に纏っている。そしてその手には黄金に輝く弓が握られ、炎の矢が弦を強く歪めていた。

「プロミネンス・ヴェロス!」

 放たれる炎の矢。それは鷹の姿となって牛鬼へと突き進む。

『ゴグラァアッアァァァァァアアァ!』

 鷹は一直線の牛鬼の口へと襲い掛かり、黒煙を立ちのぼらせ燃え上がっていく。

「ぐっ・・・・・・はぁ、はぁ・・・・・・」

「おい、優希!」

 矢を放った優希は片膝を付き、必死に肩で呼吸する。

「僕は大丈夫だから、大和は二人の傍に・・・・・・僕が時間を稼ぐから・・・・・・」

 優希は、俺の肩を掴みゆっくりと立ち上がる。

『ゴアァアァ!』

『ボシュゥッ―――』

 牛鬼は大きく開いた口を勢いのままに閉じ、燃え盛る炎を一瞬にして消して見せた。

「どうやら、あまり効いてないみたいだね・・・・・・」

 牛鬼は再びその巨大な口を開けこちらへと一歩ずつ迫まっている。

「僕は今まで皆に守られてきた・・・・・・だから今は、僕が皆を守る番だ!」

 覚悟を決めた優希は、纏う炎を一層激しく燃え上がらせた。

「全てを焼き払え、フロガ・スィエラ!」

 優希はその炎から一本の矢を紡ぎ出し、牛鬼に向けて放った。矢は弓から放った瞬間、渦を巻く巨大な炎の竜巻となって襲い掛かった。

 しかし、それは一瞬だった。牛鬼は迫りくる炎の奔流に向けて、その巨大な口を閉じ、並ぶ鋭い歯を鳴らしたその瞬間、優希が放った炎が消滅した。

「なっ―――」

 それだけでは無かった。優希の真下には血の海が出現し、そこにあるはずの右脚は、膝から下を失っていた。

「ぐぁっ!」

 右脚を失った優希は、力を失ったかのように纏っていた炎が消え、髪の色も白く抜けてしまった。浮遊していた身体は重力に従えず、作り出した血の海に落下する。

 牛鬼はそれをあざ笑うかのように、背中にある虫のような羽を広げた。

「優希!」

 俺は牛鬼が起こす次の行動を本能的に察知し、優希を抱き上げだ。

『ゴギャァアアァァァアアァァァアァァァアァ!』 

 雄叫びと共に羽が振り下ろされる。

「うわぁああぁあぁぁぁぁあぁ!」

 巻き起こされた暴風に、この空間に存在する全てのものが同じ方向へと吹き飛ばされる。

「先生! ○○○!」

 目を開けることすらできない暴風に身体を転がされながら、俺は必死に叫んだ。しかし、返答はかえって来なかった。

 風が止み、すぐさま俺は目を開き、二人の姿を探した。

「○○○! 先生!」

 二人は壁際に倒れていた。俺は気を失った優希を背に抱え、二人の下へと急いで駆け寄る。

 背中からは牛鬼の足音が轟き、徐々にこちらへと近づいていた。だが、恐怖に足を縺れさせるわけにはいかない。守る力すら無いはずなのに俺は必死に足を動かし続けた。

「先生! ○○○!」

 二人とも息はあった。だが、暴風に吹き飛ばされ全身を強く打ったのか、気絶していた。意識があるのは俺だけ。振り返るとすぐそこにまで牛鬼が迫っている。まさに絶体絶命だった。救いなどありはしないと思った―――その時だった。

『小僧、家族を守りたいか?』

「なんだ・・・・・・?」

 突然、その声は脳に響いた。

『お前に迷う暇など残ってはいないはずだ!』

「いきなり何なんだよ!」

『答えろ!お前は家族を守りたいのか!?』

「当たり前だろ!だけど、俺には抗う力がねえ!」

 その一方的な質問に、俺は声を荒げて答えた。

『力ならある! お前の傍に我は居る!」

 その言葉が頭に響いたとき、足元に転がる容器が目に入った。

「これは・・・・・・」

 それを拾い上げると、中には黒く輝く石が入っていた。無意識に手が動き、容器の中から石を出して力強く握り締める。

『あぁ・・・・・・この時をどれほど待ちわびたか・・・・・・』

 それは酷く慈愛に満ちていて、酷く悲しげな声だった。

 石を握り締めた腕から黒い靄が溢れ出し、周囲一面を覆い尽くした。

『石へと封印され、多くの氣を奪われた。今、お前に与えられるのは小さな器だけ。だが、それは奴とて同じはずだ』

 その言葉と共に、視界を覆ていた晴れていく。そして眼前に広がる光景に俺は目を疑った。 

「いったい・・・・・・どうなってんだよ?」

 遥か上から見降ろされていた牛鬼と目が合った。警戒しているのか、前足を高く掲げて威嚇している。

『何を呆けている! 来るぞっ!』

 その声に我に返った俺は、とっさに右へと跳んだ。その次の瞬間、後方にあった壁に巨大な穴が音もなく穿たれた。

 何が起きたのか理解ができなかったが、回避はできたようだった。しかし、宙に跳んだ身体は上手く着地できず、足がもつれて倒れ込んだ。

「なんなんだこの身体は!」

 俺は、転んで初めて自分の身体に起きた異変に気が付いた。着地が失敗したのは当然だった。なぜなら、身体は元の十数倍にまで巨大化し、全身は黒い毛に覆われていた。その姿はまさしく四本脚の獣だった。

『立て、器にはすぐに慣れるはずだ』

 俺はその言葉の通り、すぐさま立ち上がることができた。

「どうすりゃ良いんだよ!」

『お前が守りたい物を脅かす全てを、強く消し去りたいと拒絶しろ!』

「守りたいもの・・・・・・そんなもの決まってるだろ!」

 牛鬼を強く睨みつけ、俺は叫んだ。

「俺の家族に手を出すな!」

 ただ俺は守りたかった。大切な家族を奪おうとする目の前の敵が憎くくて仕方がなかった。

『これが俺の力だ! 叫べ! 我が絶の咆哮の名を!』

 その言葉は自然と俺の口から吐き出された。

「フェンリル・カノン!」

 牛鬼に向けて吐き出される黒き奔流。それは一直線に牛鬼を襲い、その胴を貫いた。 

『ゴギャァアアァァァアアァァァアァァァアァ!』

 響き渡る牛鬼の悲鳴。足は折れ、浮いていた腹はだらしなく床に着けられている。

「・・・・・・やったのか?」

『馬鹿! 油断するな!』

 その時、地に伏している牛鬼は、こちらの方を睨みつけると、鋭い牙が並ぶ口で、空を噛み締めた。

「えっ―――」

 次の瞬間、突然足場が消えた感覚と共に、俺は床に倒れ込んでいた。

「何が・・・・・・起きた?」

 襲い来る足の激痛。そして俺は、左の前足と後足が跡形もなく消滅しているのを目の当たりにした。そこからは大量の血液が溢れ出し、血溜まりを形成していく。

『グチュッ、グチュ、グチョッ、バキッ・・・・・・』

 唐突に生々しい不快音が鼓膜を擽った。まともに動かない身体で、なんとか音の発生源を探る。しかし、それはいとも簡単に見つかった。

 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も咀嚼をし続ける牛鬼の顎。人と混ざり合った獅子の顔。その表情はどこか光芒にも似た笑みを浮かべていた。

「喰いやがったのか・・・・・・?」

 そう悟った瞬間に猛烈な吐き気が襲う。

『考えるのは後だ! 前足だけでも再生させる! 早く集中しろ!』

 直接脳に響く声。だが、それを理解するよりも早く、言葉は頭の中で溶け去っていく。

「あ・・・・・・うあぁ! 嫌だ! 俺は食われたくない!」

『大和! 我の言葉を聞け! 大和!』

 風穴を開けたはずの腹を持ち上げ、牛鬼はゆっくりと、こちらへ近寄ってくる。

「い、嫌だぁ! 来るなぁ!」

『やま―――我―――声を―――耳を」

 すでに牛鬼は目の前にまで迫っていた。腹に開いた穴はすでに塞がり、傷跡すらも消失している。今までにないほど大きく開かれた口からは涎が滴り落ち、牙をテラテラと輝かせていた。

 頭の中に響く声は、すでに恐怖に圧し潰され、牛鬼が放つ威圧感に身体は凍り付いていた。

 勢い良く俺に食らいつかんと迫りくる巨大な口。身動き一つ取れない俺に、もはや成す術はなかった。

「スピキュール・ヴェロス!」

 凄まじい速度の黒き疾風の矢が牛鬼の横顔を貫いた。その瞬間、猛烈な熱気と共にその巨体は軽々と浮き上がり、吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。

「大和、無事・・・・・・じゃなさそうだね」

「優希・・・・・・?」

 もはや、優希の姿は炎その物のように思えた。下半身は完全に炎と同化し、保たれている上半身の輪郭も炎のようにぼやけている。

「うん・・・・・・そうだよ大和。お互いに、すごい姿になってしまったね。君の名を叫ぶ彼が居なかったら、僕は君ごと吹き飛ばすとこだった。ははっ」

 優希の表情は穏やかだった。しかし、その言葉と笑い声は諦めのようなものが含まれていた。

「大和、君は僕の英雄だ。僕と大切な家族を守ってくれてありがとう。そして僕にもう一度、家族を守るチャンスを授けてくれたことに感謝を・・・・・・」

「俺、皆を守ろうとして! でも何もできなくて・・・・・・っ!」

「うん、わかるよ。それは僕も同じだから」

 恐怖からの解放と、優希と話すことができた安堵感で俺は、溢れる涙と震える声で、優希に思いを必死に伝える。優希はそれに優しい声で、共感の言葉を俺に与えてくれた。

「僕も一度倒れた。もう目を開けることは無いと思いながらね。でも、君がボロボロになりながら戦ってくれていた。一人では無理かもしれない、でも大和・・・・・・君と二人ならあのバケモノに勝てるかもしれない。怖くて恐ろしいと思う。だけど、もう一度だけ立ち向かってくらないかい?」

 恐怖で氷のように固まっていた俺の心を、その炎が宿る言葉でいとも簡単に溶かしていた。

「当たり前だ! バケモノなんかに俺の大切な家族を奪わせやしねえ!」

「それでこそ、大和だよ。・・・・・・速いな、もう回復したのか」

『ボッ―――』

 優希が呟いたその次の瞬間、一瞬にして左半身が消失し、大きく炎が揺らいだ。

「優希!」

「・・・・・・大丈夫。今の僕に、物理は無意味だ」

 その言葉と共に、一瞬にして失われた身体は復元される。

「だけど、僕が出せる最大の技でも、奴の再生力の前では力が及ばない。だから大和、君が放ったあの一撃を、僕の最大の一撃と同時に打ち込んでくれ」

「あぁ、わかった!」

 すでに前足は修復されていた。俺はゆっくりと身体を持ち上げ、牛鬼と正面に向き合う。

「行くよ!」

「おう!」

 優希は炎を一転に凝縮し、強い輝きを放つ一本の矢を作り上げると、弓を軋ませるほど強く弦を弾いた。

「爆ぜろ、フレア・ヴェロス!」

「穿て、フェンリル・カノン!」

 一直線に放たれる、白と黒の対極を成す二撃。黒き咆哮は、牛鬼の身体に巨大な風穴を開け、光の矢が放つ凄まじい熱は、容赦の一片も無く傷口を焼き固めて行く。

『ゴギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァ!』

 轟く断末魔。身体は炎に包まれ、生物の焼ける匂いが鼻を突いた。俺と優希は肉を焼く炎が消える瞬間まで油断することは無かった。

 数分ほどで炎は消え、焼け焦げた黒い炭の塊が姿を現す。

「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・ぐっ」

 呼吸すらままならない優希の炎は勢いを無くし、浮遊していた身体は床に堕ちた。

「優希!」

「は・・・・・・ははっ。ごめん大和・・・・・・僕はここまでだ・・・・・・」

 身体から炎が消え、優希は元の身体へと戻っていた。

「何言ってんだ! やっとあいつを倒したんだ! 皆で一緒に帰れるんだぞ!」

「そう・・・・・・だね。だけど僕は・・・・・・力を使い過ぎた。皆を守るため・・・・・・には、必要だったから・・・・・・アポロンに頼んだんだ。肉体が滅んでも構わない・・・・・・僕に力をくれってね」

 そう語る優希の身体は、足先から徐々に灰へと変化し始めていた。

「優希お前! 身体が!」

「うん、わかっているよ。これは仕方のないことなんだ。底をついた器から無理矢理、力を取り出そうとすれば、当然その代償は器にくる」

「何で、何でこうなるんだよ! 俺は・・・・・・お前と一緒に・・・・・・」

「はは、泣くなよ大和・・・・・・男だろ? 僕は灰になる。この事実を変えることはもう不可能だ。だから、君に三つ頼みがあるんだ」

 俺は優希の言葉を聞いて、首を激しく振るうことで涙を吹き飛ばした。そして、その問いに強るように返答する。

「あぁ、何だって頼まれてやる! どんと来い!」

「うん、それでこそ大和だよ・・・・・・一つ目は、僕の妹を君に守って欲しい。あれはすごく寂しがり屋だから、大きくなるまで傍にいてあげて欲しいんだ」

「あぁ、わかった! あの泣き虫は俺に任せとけ!」

「二つ目は、僕たちを救ってくれたアポロンの神核を・・・・・・君に託す。彼を、こんな所に置いて行くわけにいかないから・・・・・・」

「あぁ、わかった」

「三つ目は・・・・・・僕を・・・・・・食べて欲しい。僕は・・・・・・灰になんてなりたくない! 僕は、生まれつき身体が弱くて、情けなくて辛かったけど! それでも僕は、君や○○○と触れ合ったこの身体で、人の身体のままで死にたいんだ・・・・・・っ!」

 穏やかだった優希の表情は崩れ、その頬には涙が走っていた。俺は最後の問いに答えることができなかった。

「大和・・・・・・頼む」

 優希の泣き顔など見たことが無かった。いつも穏やかに微笑み、俺と○○○を優しく諭す姿は、同い年のはずなのに兄のようにすら感じられた。その優希が感情を爆発させ必死の形相で訴えている。俺がそれに応えないなどありえなかった。

「・・・・・・わかったよ」

「大和・・・・・・ありがとう」

 優希は俺の答えに、安堵したかのように礼を口にした。

 優希は、右腕を胸の前に掲げる。

「へーリオス・ヒェリ・・・・・・」

 優希の右腕は白熱を帯び、熱気が鼻先に伝わる。そしてその腕を自らの胸に押し当てる。

「う、がぁぁあぁ!」

 その腕によって革は気化し、肉は蒸発し、骨を溶解した。そして、その手は目的の物を掴むと、一気に引き抜かれ、優希は勢いのままに腕を床に投げ出した。その掌からは、燃えるような紅い石が転がり落ちた。

「・・・・・・ごふっ・・・・・・大和!」

 吐血し、呼吸すら儘ならぬ中、優希は俺の名を強く呼んだ。

「○○○を頼んだよ」

「あぁ・・・・・・俺に任せろ・・・・・・」

 自らの熱で焼かれ苦しむ優希を、俺は楽にした。

 沈黙は長く続かなかった。

「お兄ちゃん・・・・・・? いや・・・・・・いやぁあぁぁぁぁぁああぁぁ!」

 響き渡る絶叫。俺はその声に背筋が凍り付いた。

「先生! お兄ちゃんが―――」

「イムプーベース・ソムヌス・・・・・・ごめんなさい○○○」

 先生が言葉を発し、取り乱す○○○抱きしめて額に口づけをした瞬間、深い眠りに落ちた。

「大和、こちらにいらっしゃい」

 先生の言葉は、酷く優しいものだった。

「先生・・・・・・」

「えぇ、わかっています。どんな姿であろうと、あなたは私の可愛い子供ですよ」

 その言葉に、俺は駆け寄らずにはいられなかった。

「優希が、優希が! 俺は何もできなくて・・・・・・俺は優希を―――」

「えぇ、わかってます。怖くて、何もわからなくて、心細くて、辛かったでしょう。とりあえず人の姿に戻りましょう?」

「先生・・・・・・俺は、人間に戻れるの?」

「えぇ、もちろんですよ。・・・・・・フェンリル様、もう大丈夫ですから、大和を離してくださいますか?」

 先生の問いに答えるかのように、俺の身体は黒い炎とともに霧散し、元の身体へと戻った。

「先生!」

「大和!」

 俺は先生へと駆け出して抱きついた。俺の目からは涙が溢れ出ていた。

「辛かったでしょう・・・・・・でも、あなたは優希を救ったのですよ」

「うぐぅ・・・・・・あぁあぁぁ!」

 止めどなく涙が溢れ続ける瞳を先生の服に押し付け、嗚咽を漏らして俺は泣きじゃくる。

「あぁ、あなたが泣き疲れて眠るまで、私の腕の中で甘やかしたい。ですが私には、時間が残されていないのです。大和、役目を果たせない私を許してください」

「先・・・・・・生?」

 言葉の意味が理解できず、嗚咽を漏らしながら俺は先生を見た。その瞳は赤く充血し、一滴の涙が頬を走っていた。

「私は頭を強く打ってしまったようです。徐々にではありますが、左腕が麻痺してきています。おそらく頭の中で、出血が起きたのが原因でしょう」

「そんな、先生!」

「残された時間はあまりにも短いのです。大和・・・・・・あなたに私の使命を託します。だからよく、お聞きなさい」

「・・・・・・はい」

 有無を言わせない気迫の籠った言葉に、俺は素直に答える事しかできなかった。

「良い子です大和。・・・・・・私はある人から課せられました、それは人類の希望である、あなた達三人を立派な大人にするというものでした。しかし今、私は優希を失いました・・・・・・私は、これ以上あなた達を失うわけにはいかないのです。ですがこの先、あなた達二人を守ることが私にはできません。だから、大和・・・・・・あなたが○○○を守りなさい」

「そんなの、俺一人じゃ・・・・・・」

「大丈夫。あなたには、とても頼りになる方が傍に居るのですから」

「どこに!?」

「その方はとても意地っ張りで、乱暴で、素直じゃなくて、子供の貴方には、その愛情が解りにくいかもしれません。ですが、必ずあなたを守ってくれるはずです」

 俺の問いに、先生は答えにならない答えで返すと、俺の頭をくしゃくしゃと強く撫でた。

「○○○のことですが・・・・・・このままでは、あなたと離れ離れになってしまうことでしょう」

「それは嫌だ! そんなの、俺もあいつも一人ぼっちになってしまうじゃないか!」

「えぇ、だからこれを・・・・・・○○○の中に」

 先生が取り出したのは、黄色の神核が入った容器だった。

「これは、アルテミスの神核です。優希に入れられたアポロンの双子に当たります」

 俺はその容器を受け取る。

「この国に、この子が優希であると偽りなさい。あの子に宿る神も、アポロンであると偽りなさい。アルテミスの神核はアポロンの炎によって燃え尽きたと偽りなさい」

「アポロンの神核ならあそこに・・・・・・」

 俺は優希に託されたアポロンの神核を指差す。

「それはできません、アポロンは男神、アルテミスは女神なのです。おそらく、薬では抑えられない程、酷い拒絶反応に襲われることでしょう。それはあまりにも酷すぎます」

「さぁ、その神核を○○○の胸に・・・・・・押し当てなさい。アルテミス様は必ず○○○を受け入れてくださるはずです」

「・・・・・・わかったよ先生」

 すでに、先生の瞳は虚ろだった。俺は○○○の身体を抱き上げ、指示通りにオレンジ色の神核を胸に押し当てる。

 神核は神々しくも優しい光を放ち、○○○の身体を包み込んだ。

『・・・・・・あぁ、我が愛し子は眠っておるのか?』

 それは頭の中に直接響いた。その声は、とても美しい女性の声だった。

『我が娘を抱く童よ・・・・・・どうか、我が愛し子の守り手となっておくれ・・・・・・』

 輝く神核は、その言葉を残して俺の掌から消え去った。

「ありがとう、大和・・・・・・おいで」

 先生は、力なく下げられた左腕とは対照的に、右腕を力強く広げて俺を呼んだ。その姿を目の当たりにしてもう残された時間が無いということを無言で悟った。

「先生っ!」

 俺は抱きかかえる優希と共に、先生の腕の中に縋りついた。先生はそんな俺たちを、右腕で力強く抱きしめた。

「これから先に、あなた達に待ち受ける運命は・・・・・・とても険しいものとなるはずです。しかし、二人が手にした力は、全てを無に還すことすらできるほど・・・・・・絶大なものです。それは、この国が十年という月日を賭けて得ようとした力でもあります。だから・・・・・・その力を振るってでも・・・・・・○○○の手を離さないで・・・・・・」

 背中に当てられた腕の抱きしめる力は徐々に弱くなっていく。

「大和・・・・・・不甲斐な・・・・・・い先生をど・・・・・・うか許して」

 途切れ、途切れになっていく先生の言葉。無念さに零れ落ち続けるその涙は、薄い服をすり抜けて、その熱を俺に伝えた。その頬は、俺たちを残して逝く不安で小刻みに震えていた。

 それを全身で感じ取った俺は、先生に叫んでいた。

「俺が! 必ずに○○○を守り抜いてみせるから! こんな、こんな糞ったれな運命なんかに、ぜってえ負けねえから! だから・・・・・・だから先生、安心して良いよ・・・・・・俺、頑張るから!」

 強く、強く歯を食いしばり、一粒の涙すら溢さなかった。だが、この二つの瞳は赤く腫れていた。それがこの時にできた俺の精一杯だった。

「・・・・・・ありがとう・・・・・・大和・・・・・・」

 俺の背中を抱いていた腕は、力なくずり落ちた。先生は俺に寄りかかるようにして、息を引き取った。

「うあぁ・・・・・・うああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 力の無い先生の身体を強く抱きしめる俺は、天に向かって叫んだ。

 それはまるで発狂した獣のように、一心不乱に全てを呪うかのように、託された願いに応えるように、遥か高くにある無機質な天井に、薄れ行く意識の中で俺は吼えることしかできなかった。

読んで頂き本当にありがとうございます!

次回は夢の続きです。優希と大和の秘密が公開されます。

それでは、またのお越しをお待ちしております!


あ、感想、評価、どうか、何卒、お願いいたします( ;∀;)

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