第九話【離した掌の代償は】
ここで未来編は終了になります!
ぜひ読んでくださると幸いです(*´ω`*)
第九話【離した掌の代償は】
「おい、外はどうなってる!」
「もう戦闘は始まっているのか?」
「今、外に放してある虫に調べさせてますから、少し待ってください!」
騒がしい喧騒。それに混じって飛び交う怒声。それらは、眠る少女の意識を現実へと引きずり戻していく。
「な・・・・・・に・・・・・・?」
覚醒していく意識の中で、フラッシュバックする記憶に優希は跳び起きる。
「大和にぃ!」
周囲は百人以上の人間で埋め尽くされており、慌ただしく隊員達が走り回っていた。
「はぁ、はぁ・・・・・・」
額に浮き出る脂汗を拭い、急上昇した心拍数と、乱れた呼吸を整える。
「もう目覚められたのですか?」
「ひゃっ!」
背後から突然掛けられる男の声に、驚いた優希は再び飛び跳ね、転びそうになりながら立ち上がり、素早く振り返った。
「ニャッハッハ、まるで猫みたいだニャア!」
「あなた方は・・・・・・!」
優希は壁を背に座る二人の人物を睨みつけ、その名を口にする。
「入谷曹長、黒描医官・・・・・・!」
「おや、覚えててくれたかニャア? ニャけど、それは私じゃないニャー」
「え・・・・・・?」
「ちょ、ちょっと、バステト様! 勝手に身体を乗っ取らないでくださいと、いつも言ってるじゃないですか!」
「ニャハハ、そう堅いこと言うんじゃニャイニャー」
数回の言い争いを一人で続けた後、折り合いがついたのか黒描は優希の方へと顔を向けた。
「え、えと、仰る通り、私の名前は黒描 法子と申します。役職は医官で間違いはありません」
おずおずと答える法子が言葉を切らしたのを見計らっていた入谷が立ち上がり、口を開いた。
「殺気・・・・・・当然だな。先ほどは少尉殿に大変失礼を。誠に申し訳ございません」
「・・・・・・もう良いです。あれは大和大佐の命令でしたから。それに取り乱していた私にも非はありますので」
深々と頭を下げる入谷に対し、優希はそう答えることしか出来なかった。
「そんなことより―――」
優希が話を切り替えようとしたとき、後方で上がる大声に会話を遮られた。
「見つけた! 何だあのバケモノ・・・・・・大和隊長が押されてる!」
目を瞑り、頭を押さえる男が放ったその言葉に、誰よりも早く反応したのは、他でもない優希だった。
人の群れを掻き分けて走り、その小さな掌で男の胸倉を掴むと、有無を言わせぬ声色で問いただす。
「答えろ! 黒木場大佐は無事なのか!?」
「く、苦しいです、朝月少尉・・・・・・」
「聞かれたことに答えろ! 螻川内上等兵!」
普段は決して見ることのない、必死の形相で叫ぶ上官の姿に、周囲に居る隊員は静まり返る。胸倉を掴まれている螻川内の首は圧迫され、答えるどころか呼吸すらできずにいた。
「落ち着くニャ。このままだと話を聞く前に落としてしまうニャ」
きつく握りしめた拳の上に法子の掌が優しく添えられ、バステトの言葉によって優希は我に返ることができた。
「ふぅー、ふぅー・・・・・・・・・・・・すまない、取り乱してしまった。許してくれ螻川内上等兵」
「ケホッ、ケホッ・・・・・・い、いえ、申し訳ございません少尉殿。・・・・・・報告します。現在、黒木場大佐は、ここより南東の方角にて、六本脚と頭部の角が特徴的な荒神と、人間と龍を混ぜたかのような荒神と交戦されています」
「それで、状況は?」
「はい、全力で迎撃に当たられておりますが、戦況は芳しくなく・・・・・・防戦一方となっております」
「もっと詳しく状況を話せ!」
「おい、しっかりしろ!」
言葉を濁した螻川内に、外野からヤジが飛び交う。
「静かに! ・・・・・・ありがとう、状況の変化があればすぐに教えてくれ」
優希は、そのヤジを一声で鎮め、螻川内にそう指示を出した。
「は、はい・・・・・・そ、そうだ、あ、あの、外に放っている斥候虫の視覚情報を、共有できる映写虫というのが居まして、映像を映し出させることができるのですが・・・・・・」
「それは本当かい? ぜひ頼む!」
「わ、わかりました!」
螻川内は、胸ポケットの中から小さなケースを取り出すと、数粒の球体を取り出し、掌で包み込んだ。
「虫卵よ、我が氣を貪り成体と成れ・・・・・・」
その言葉が発せられると同時に、螻川内の両手の隙間から数匹の虫が這い出てきた。
虫というものを見たことが無い隊員達であったが、本能的に顔を引きつらせている。
「み、皆さん、そんな顔で僕の事を見ないでくださいよぅ・・・・・・そこの壁に映しますよ?」
螻川内が映写虫の頭を叩くと、その両目が光輝き、横に長い映像を白い壁に映し出す。
「なっ―――」
映し出された映像に、優希は目を見開いた。
そこには、濡れ女が大和に向けてドラゴンブレスを放つ瞬間が映し出されていた。
「「「「「「「「「「「隊長ぉぉぉぉおおぉぉぉおぉ!」」」」」」」」」」」「大和にぃ!」
強烈な閃光と爆音。あまりにも衝撃的な映像に、これを目の当たりにした優希と隊員達は一斉に叫んだ。
地形を変えるほどの威力に、大和が居たと思われる場所は砂塵に覆いつくされ、何も見えなくなっている。
「隊長・・・・・・俺達のために・・・・・・」
「あんな化物に隊長一人でだなんて・・・・・・」
「そんな・・・・・・」
シェルター内は、恐怖によって興奮した隊員達のざわめく声に支配され。優希はただ映像を祈りながら見つめることしか出来なかった。
その次の瞬間だった。濃厚な砂塵の壁を突き破り、巨大な身体を持つ漆黒の狼が現れ、一瞬にして濡れ女を屠ったのだ。
「「「「「「「「うぉぉぉおおおぉぉぉぉぉぉおぉぉ!」」」」」」」」」」
「あれが、体長の神格化・・・・・・」
「すげえ、あれを一撃で!」
「勝てる、隊長なら勝てるぞ!」
湧き上がる歓声。大和の生存と、圧倒的な神格化の力に歓喜する。しかし、その中に一人、優希だけは凍り付いていた。
「そんな・・・・・・やっぱり大和にぃが・・・・・・」
映し出される映像の中で、暴れまわる黒い狼の姿に優希は、震える身体を押さえつけるかのように、自らの肩を強く抱きしめる。その表情は恐怖に支配され酷く怯えていた。
黒い狼が、牛鬼に止めを指そうとしたその瞬間だった。
「逃げるニャ、大和ちん!」
バステトが叫んだ。
『ボッ―――』
それと同時に映像から黒い狼の姿が消え去った。
「お姉・・・・・・ちゃん・・・・・・?」
優希の隣に居た、黒描 法子は涙を溢しながらそう呟いた。バステトと視覚を共有していたことで、微かに映し出されていた、セクメトが牛鬼に産み出される瞬間を黒描 法子は見てしまったのだ。
「いやぁぁあぁぁぁあぁぁあぁぁぁ!」
悲鳴を上げ、法子は泣き崩れる。とっさに優希はその身体に手を伸ばし支える。
「「隊長ぉぉぉぉぉぉおおぉぉ!」」
悲鳴はさらに続く。斥候虫が映し出すは、セクメトに尾を弾かれて蹴り飛ばされる大和の姿。
「朝月少尉、少々よろしいですか?」
不意に声を掛けられ、振り返るとそこには入谷の姿あった。
「私は杉本大佐と共に大和大佐の援護に向かいます。それと申し訳ありませんが、落ち着くまで黒描医官のことを頼みます」
入谷はそう言い残すと、返事を聞くより早く立ち去って行った。
分厚い扉の開かれる音が、シェルター内に響き渡ると隊員達は一斉に声を上げた。
「二人だけで行くつもりですか!」
「俺も戦います!」
「俺も連れて行ってください!」
しかし、それらの声を杉本は斬り捨てる。
「駄目だ。お前らはここに残れ、危険すぎる」
上官の言葉に一度は黙り込む隊員達。だが、それでも彼らは一切引かず。その内の一人が叫んだ。
「俺達は大和隊長に散々守られてきたんだ! 大佐なんだから机仕事だけしていれば良いのに、大佐のくせに、寒くて辛い資材回収に出てきて、俺達以上に働いて・・・・・・理由を聞いても俺らがサボらねえように見張ってるんだと答えるけど、本当は俺達が荒神に襲われねえように守ってくれてるって皆分かってたんだ!」
この言葉に、次々と隊員達は声を上げる。
「荒神が出ても、真っ先に隊長が出てることも俺達は知っていた!」
「俺達が戦場に行かなくて良いように、他の基地に移動させられそうになった時に止めてくれていたのも俺は知ってる!」
「俺たちは知ってたんだよ! 俺達大人は、あの少年の背中に守られ続けてるって! でも、臆病者の俺達は気付かない振りしか出来なかったんだ!」
「あの人が居たから、俺達はまだ生きていられるんだ! だけど、俺達が居たから隊長は、大人を頼ることができなくなっちまったんだ! 頼む、副隊長! 俺達に大和隊長を救わせてくれ!」
「今ここで俺達大人が動かなきゃ、大佐は俺達を頼ってくれなくなっちまうんだ!」
中には涙ながらに訴える者も居た。杉本は目を瞑り、数秒間苦悶の表情で考えて口を開いた。
「あーくそ! だから俺は残りたくなかったんだ! 覚悟のある奴だけついてこい! あとで隊長に怒られても知らねえからな!」
杉本は諦めたようにそう答える。それに対し、隊員達は一糸乱れぬ敬礼で答えた。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「了解!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
「時間がねえ! 急ぐぞ!」
杉本は通路の方へと振り返り進み始めた。敬礼を解いた隊員達も同様にその背中を追った。シェルターを後にする彼らの中に、迷いのある表情の者は誰一人として居なかった。
残されたのは優希と、今も泣き続ける法子の二人だけだった。
「大和にぃ・・・・・・」
優希は、映写虫が映し出す映像から決して目を背けなかった。その姿を見た法子は、涙を手の甲で強く拭い、その瞳を流れ続ける映像に向ける。
「・・・・・・お姉ちゃん」
黒い狼は全身を縛り上げられ、身動き一つ取れない状態だった。それでも尚、抵抗する黒い狼にセクメトが飛び掛かり、振り上げられた拳が顔に触れるその瞬間。突如巨大な、白い狼が現れ、セクメトを一飲みにした。
「真吾・・・・・・さん・・・・・・?」
法子が口にした名に、優希は耳を疑った。その言葉は、白い狼が死んだはずの大口 真吾が宿す大口真神であることを示すからだ。
だが、深く考える暇は与えられなかった。その次の瞬間、黒い狼の胸から下は突然に消失し、大量の血液を噴出させた。
「嘘よ・・・・・・こんなの・・・・・・嘘だと言ってよ、大和にぃ!」
身体の三分の二を失い、動かなくなった黒い狼の身体を大口真神が加え、二体の荒神と距離を取る。
「やめて! これ以上! 大和にぃを傷つけないで!」
しかし、その言葉は映像の向こう側に届くことは無かった。大口真神は、大和の胸に喰らい付き、その純白の毛を血で赤く染め上げていく。
「やめて! やめてよっ! 大和にぃに酷いことしないでよ!」
優希は叫び続ける。大口真神は頻りに黒い狼の体内を弄り、口と鼻全体を入れ込んだ瞬間、引き千切るように体内から顔を引きずり出した。
大口真神の顔は血で真っ赤に染まり、顎先からは血液が滴り落ち続ける。その牙には血で染まった球体が加えられ、優希はそれが何であるか悟った。
「それだけは、やめ―――」
『パキンッ―――』
大口真神は躊躇うことなく、それを嚙み砕いた。そして、地面に顎先を付けると唾液と共に砕いたものを吐き出し、その場から去っていった。
「や、大和にぃ・・・・・・よかっ・・・・・・た・・・・・・」
それを見て、優希は安堵の涙を溢した。
大口真神が加えていたものは、大和を包みフェンリルの身体と繋ぐ外神核だった。
『おい、ここに隊長が倒れているぞ! 衛生兵! 早くこっちに来い!』
『なんなんだ・・・・・・あの白い狼。牛鬼に喰らい付いてるぞ!』
映像には大和の下に辿り着いた隊員達の姿が映し出され、大和にまだ息があることが確認されると、彼らが乗ってきたと考えられる資材運搬用のトラックの荷台に、大和の身体は乗せられた。
優希は涙ながらに、その光景を見届けると、瞳から溢れる涙を袖で拭い、ある決意を固めた。
「黒描医官、私はもう行かないといけません。もう、具合は大丈夫ですか?」
「はい、私はもう大丈夫です。先ほどは肩を支えてくださり、ありがとうございました」
「お姉様なんですから、当然ですよ・・・・・・気になさらないでください」
「お心遣い感謝します。ですが、姉はもう救われました。だから私は、義兄を助けに行こうと思います。大和大佐の方は成瀬中佐が居るので安心してください」
その言葉に優希は頷くと、黒描と別れてシェルターを後にした。
衛生兵に回収された大和の身体は、基地内の集中治療室に運ばれていた。
「レントゲンとCTの結果は?」
手術着に着替え、手術台の上で眠る大和を前に、執刀医である成瀬中佐は、急いで取らせた術前の検査結果を、隣でパソコンを操作する助手に問いかける。
「はい、前進打撲と圧迫による内臓の破裂が三カ所、複雑骨折が四カ所、それに加えて肩甲骨の粉砕骨折が見受けられます。目撃者の証言によりますと、大和大佐の発見場所に巨大な荒神と思われる神格が居たそうで、周囲に散らばった外神核片からみて、外神核を噛み砕かれたことによる負傷だと推測されます」
「バイタルは?」
「GCS三点、脈拍六十、血圧、上は七十五、下が三十五、呼吸はクスマウル、体温三十四度五分。腹腔内への出血が原因と考えられる、血圧の低下が見られます!」
「生きているのが奇跡だな・・・・・・長丁場になる。なんとしてでも、隊長の命を救うぞ!」
「「はい!」」
手術道具を準備していたもう一人の助手が、大和の首元に下がるペンダントを見つけ、首から外そうとした時だった。
「これに・・・・・・触るな!」
革紐に触れた助手の腕を強く握り締め、大和はそれを阻止する。
「先生! 大佐が意識を取り戻しました!」
「なんだって! 早く麻酔の準備だ! 急げっ!」
「は、はい!」
助手は革紐から手を離すと、成瀬の指示に従い、麻酔の準備に取り掛かる。
「大佐、気付かれましたか!」
「あぁ・・・・・・ここは?」
成瀬は意識の朦朧としている大和に駆け寄り、質問に答える。
「ここは集中治療室です。これから手術を始めます。苦しいでしょうから、すぐに麻酔を掛けますのでお待ちください」
「手術はどれ・・・・・・くらい掛かる?」
「三カ所の内臓破裂、四カ所の複雑骨折と一カ所の粉砕骨折もあります。どんなに早くても七時間は必要かと」
「二時間だ・・・・・・二時間で、終わらせろ」
「そんな無茶です! 内臓の縫合はまだしも、骨の接合を行うんですよ?」
「これは命令だ。骨折は人工筋膜で固定して繋ぎさえしてくれりゃ・・・・・・後は神格化して強制的にくっつけれる・・・・・・」
「そんな、無謀です!」
「良いからやれ! ・・・・・・それと、麻酔は使うな」
「ふざけないでください! 死ぬおつもりですか?」
「ふざけてなんかねえ、俺が早く戻らねえと・・・・・・俺がここに居るってことは、あいつらが戦ってるんだろ・・・・・・?」
「・・・・・・後悔しても知りませんよ?」
「覚悟の上だ・・・・・・頼む」
「わかりました・・・・・・麻酔の準備は中止! 固く絞ったガーゼを口に加えさせろ!」
成瀬は覚悟を決め、助手達に指示を飛ばす。
「正気ですか先生!」
「これは命令だからな。我儘な患者には、精々叫び声を上げてもらおう」
「わ、わかりました!」
「アルコールありったけ持ってこい、それと吸引機と血液濾過過装置もだ! 自己血輸血に使う!ヘパリンのセットは済ませておけ!」
「「はい!」」
慌ただしく手術室の中を走りまわる助手からアルコールを受けとった成瀬は、脱脂綿にアルコールを染み込ませて大和の腹を拭いた。
「頼ん・・・・・・だぜ?」
「まったく、簡単に言ってくれますね」
大和の言葉に成瀬はそう答えると、絞ったガーゼを口に加えさせ、メスは腹部に当てられる。
暗い空間の壁一面には、本棚が並べられ、さらにその中には、大量の本が所狭しと詰まっていた。
「やっぱり、ここに居たんだね・・・・・・お兄ちゃん」
その本棚の隅に設置され、硬く閉ざされていたはずの金庫は開かれている。
「優希お兄ちゃん、大和にぃを助けて・・・・・・」
手に握る紅い石の入った容器を胸に抱しめて、少女は祈るように呟いた。
しばらく目を伏せていた少女が顔を上げると、この場から足早に出て行ってしまった。少女が居なくなった空間には、大量の本と空になった金庫、そして静寂だけが取り残されていた。
手術が開始されて、二時間が経過しようとしていた。
「皮膚用の縫合糸と針の準備は?」
「できてます!」
「では、最終縫合に移るぞ! コッヘルとピンセット!」
「はい!」
道具を受け取った成瀬は、そのまま縫合針をつまみ取り、左肩甲骨の処置のために切開した皮膚の縫合を手早く行っていく。
「ハサミ!」
「はい!」
成瀬は右手に持つコッヘルを、使用済み機材用のバットに投げ入れてハサミを受け取ると、縫合を終えて傷口から飛び出ている余った糸を切った。
「時間は?」
「はい、一時間五八分三八秒です」
「なんとか、間に合ったな・・・・・・隊長、生きてますか?」
「・・・・・・なんと・・・・・・かな」
「ショック死してないのが不思議ですよ」
「権能・・・・・・使っただろ?」
「えぇ、こんな時にしか使いどころがありませんからね」
成瀬は手袋を外し、血で汚れたマスクを外し、新鮮な空気を肺に取り込む。
「できる限りのことは尽くしました。ですが大佐、やはりこの身体で戦うのは無茶です。僅かでも動くことですら命の保証ができません」
「そんな・・・・・・こと、俺が一番・・・・・・分かってんだよ・・・・・・!」
「大佐、あなたが医の道を志しているのは知っています。だからこそ、医療に携わる者として、せっかく救った命をすぐに投げ出すような真似をされるのは不愉快極まりますな。さて、小言はこれで終りにしましょう」
「肝に銘じておく・・・・・・出るぞ。せっかく拾った命だ、しっかり使わねえとな・・・・・・」
「出口まで送りましょう」
「助かる・・・・・・」
大和の身体はストレッチャーへと移し替えられ、穴蔵の入り口へと運ばれる。
「ここまでで、良い。この状態で乗っ取られ・・・・・・ねえとは限らねえからな・・・・・・すまん、ありがとな」
「ご武運を・・・・・・」
素肌の上に軍服を羽織った大和は、成瀬から松葉杖一本と活氣剤の入った注射器を受け取り、成瀬の声を背に穴蔵の外へと向かった。
外へ出ると、そこは地獄絵図だった。
「こいつは、酷ぇ・・・・・・」
既に牛鬼は数百メートルの位置にまで接近し、それを襲うのは、神格化状態にあるのか、荒神に成ってしまったのか、判別がつかない多数の神々の姿だった。
「無茶しやがって・・・・・・今、助けるからな・・・・・・」
激痛によって朦朧とする意識の中、大和は女神像の社の前まで辛うじて歩くと、震える手で注射器のキャップを外し、露出した針を首筋に当てようとしたその時だった。
『ドスッ―――』
「えっ・・・・・・?」
突然走る胸への衝撃。顔を下ろさずとも、胸骨ごと貫通した矢の先端である鏃が視界に入る。
本能的に大和は、倒れざまに振り向き、この矢を打ち込んだ犯人の顔を確認する。
「なぁ、嘘・・・・・・だと・・・・・・言ってくれ・・・・・・・・・・・・優希・・・・・・!」
そこに居たのは、紛れもなく朝月 優希だった。だが、その手には金色の光沢を放つ弓が握られている。
「ボロボロだね。大和にぃ・・・・・・どの痛みが射抜かれた物なのか分からないくらい、激痛に襲われているんでしょ?」
うつ伏せに倒れる大和に優希は、再び弓を向けて矢を構えた。
「肩・・・・・・痛そうだね・・・・・・」
優希は大和の肩の縫合部に染み出す、痛々しい血痕を見てそう呟くと、そこへ目がけて容赦なく再び矢を放った。
「うぐぁああぁぁぁぁぁああぁあぁ!」
射られると同時に上がる大和の叫び声。
「ぐ、ああ! 何で・・・・・・何でこんな・・・・・・ぐぅ・・・・・・ことをするんだよ・・・・・・」
「なら、私からも聞かせて・・・・・・どうして私の手を離したの?」
大和は、その問いに目を見開かせた。
「ぐぅ・・・・・・はぁ、はぁ・・・・・・」
大和は女神像が安置された社に掴まり、どうにか身体を起こすと、背中を社に預けて優希と向かい合う状態で座り込んだ。
「離さないでって・・・・・・私は言ったよね?」
その瞳に溜まった涙が零れ落ちた時、三本目の矢が放たれ、縫合跡の目立つ腹部が的確に射抜かれる。
「うわぁぁぁああぁぁぁぁああぁぁ!」
二本目までの痛みにまで耐えていた大和であったが、三本目の矢には耐え切れず発狂し、気を失った。
「金の月、月桂樹の冠を頂きし純潔の乙女よ、我が身に宿り、その姿を示せ、神格化・アルテミス!」
その神の名が呼ばれると同時に、優希の身体を光が包み込む。身に着けていた軍服は、ヒマティオンと呼ばれる純白の一枚布へと再構築され、ショート丈だった髪は風になびくほど長く伸び、白金のように光り輝いていた。
『これはどういうことだ・・・・・・答えろアルテミス!』
大和の顔は神々しい後光を放ち続けるアルテミスへと向けられる。その二つの瞳は怪しく輝き、発せられる声も大和のものではなかった。
『これは久しいのう絶狼よ。どういうことか? 決まっておろう! その小僧は我が愛し子である我が娘を泣かせたのだ。裏切りには罰を・・・・・・当然の報いであろう?』
『ふざけるな! 我が主はその娘を守るために辛い決断をしたんだぞ!』
『そんなことは、我の知ったことではない。物事を人間の尺度で測るなど、よほど今の主人が気に入っているらしいな』
『ふざけるな! 我が主が、お前の愛し子に傷を負わせたか? 否! 全く持ってこのような仕打ちを受ける義理は無い・・・・・・ぐ、主よ・・・・・・なぜ檻を・・・・・・破る・・・・・・』
フェンリルの言葉はそこで途切れ、糸が切れたかのように上げられていた頭が倒れた。
「糞犬が・・・・・・俺の身体を、乗っ取るんじゃねえ!」
意識を取り戻した大和は、そう叫びながら再び顔を上げた。
「その姿・・・・・・あんたがアルテミスか・・・・・・?」
『いかにも、我が名はアルテミスである。その矢を三度受けてなお、意識を保つとは流石と褒めるべきか・・・・・・』
「よくも・・・・・・優希を唆しやがったな・・・・・・。その身体を返しやがれ!」
『唆すとは人聞きの悪い。我が心は常に愛し子の傍にあり、その逆もまた然りである」
「ふざけるな・・・・・・優希が、俺に矢を向けるはずがねぇだろうが!」
大和の言葉に、アルテミスは嘲笑とともにこう答えた。
『その矢は紛れもなく、お前が知る我が娘の手で放たれた一矢である。あの娘が決断し、あの娘が弦を引き、あの娘が放った、紛うことなき感情である』
「そんな訳が・・・・・・」
『あるであろう? お前は、離さぬと誓った我が娘の手を離したのであろう? あの愚行が、我が娘の心をどれだけ傷つけたか! お前に理解できるはずがない!』
アルテミスは激昂し、激しい口調で大和を責める。
「・・・・・・」
『沈黙か? ・・・・・・まぁ良い。 私は娘に言ったのだ。あの男の行いは万死に値する。この私の手で殺してやるとな! だが娘は、涙ながらに私を止めるたのだ!』
アルテミスの瞳からは熱い一粒の涙が溢れ、頬を伝った。
『私は我が愛し子を絶望させたお主を、金の矢で射抜きたかった。だが、あの娘が放ったのは癒の矢だった。さぞ苦しいであろう。その矢は傷を癒す代償に、射抜かれた者の傷が深いほど激しい苦痛を与える物なのだからな・・・・・・』
アルテミスは弓の弦に矢を構えた。
『それでもあの子は、苦しむお主の姿を見るのは辛いと、私に助けを求めてきたのだ。ならば私がしてやれることは唯一つ。我が娘の望みを叶えることであり。お前の身体をこの矢で封じ込むだけだ』
アルテミスは、続けざまに二本の矢で大和の脚と脇腹を射抜き、握り締める弓を下ろした。
「ぐぅあぁあぁああぁぁ・・・・・・あぁああぁ!」
五本の弓は共鳴し合うかのように痛みが増幅されていく。もはや大和にはのた打ち回ることも、目を開く余裕すらなかった。
『痛みで気絶しようとも、その痛みが気付薬となろう。その苦しみこそが、お主の犯した罪の大きさなのだ。これから襲う絶望が罰であり、償いであることを忘れるな!』
アルテミスは、苦悶の表情を浮かべている大和を一瞥し、空を見上げた。
『まだ時間がある・・・・・・身体を返そう。最後の別れを済ませておくと良い』
「ありがとう、アルテミス。貴女のおかげで私は、大和にぃを守ることができる・・・・・・」
身体の支配権が優希へと返され、最初に発せられたのは、アルテミスへの感謝の言葉だった。
「大和にぃ・・・・・・」
優希は目の前で悶え続ける大和の隣に座ると、今にも倒れそうな身体を倒し、その膝の上に大和の頭を乗せ、優しい手付きで硬い髪の毛を撫でた。
「ごめんね・・・・・・痛いよね。でも、こうでもしないと大和にぃは、死んじゃうまで戦い続けてしまうから・・・・・・」
震える声。それはまるで、自分に言い聞かせるように発せられた声だった。
「うぐぁ・・・・・・あぁぁ!」
身を襲う激痛によって、気絶と覚醒を繰り返す大和は、朦朧とする意識の中で、力を振り絞って腕を伸ばし、優希の掌を掴み取った。
「・・・・・・もう・・・・・・一度・・・・・・この、手を・・・・・・俺に・・・・・・掴ませて・・・・・・くれ・・・・・・」
痛い程の力で掌を握られた優希は、自分の覚悟が揺れ動くのを感じ取った。
「遅すぎるよ・・・・・・大和にぃ・・・・・・」
優希の瞳からは止め処なく涙が零れ落ち、堪らなくなった優希は大和の肩に顔を押し付けて泣きじゃくる。
「今の大和にぃの身体じゃ、この戦いを収めることなんてもうできない・・・・・・隊員の皆は、大和にぃを守るために神格化して・・・・・・でも、精神が耐え切れなくて荒神になってしまう・・・・・・」
優希は、その小さな掌で大和の手を力強く握り返して、緩む決意を固め直した。
「だから・・・・・・私が、この悲しい戦いを終わらせる。この手を私から離すその時まで、この覚悟が揺らがないように・・・・・・独りで戦い続けたその勇気を、私に与えよ大和にぃ・・・・・・」
その言葉を最後に優希はその時が来るまで沈黙を守り続けた。
幾ばくかの時が流れ、回復によって痛みで気を失うことができた大和は、目を覚ました。依然として激痛によって身体を動かすことは叶わなかったが、周囲の状況を見渡すことができる程度には回復していた。
「優・・・・・・希?」
「起きたんだね・・・・・・大丈夫、私はここに居るよ」
「行かないでくれ・・・・・・俺は、お前を守るって・・・・・・誓ったんだ・・・・・・!」
「知ってるよ・・・・・・私はちゃんと全部知ってるから。清一郎おじいちゃんのことも。大和にぃがこれまでボロボロになって戦い続けてきたことも。薬で身体をごまかしてきたことも。お兄ちゃんを食べた狼が大和にぃの中に居るということも・・・・・・私、全部知ってた・・・・・・でも、大和にぃがいくらボロボロになったとしても、大丈夫だって笑て隠し通そうとするから、私・・・・・・大和にぃが傷つくのが怖くて何も言えなかった」
優希の口から語られる真実に、大和は目を見開いた。
「隠し通せていた・・・・・・つもりだったんだけどな・・・・・・」
「だけど、私はそんな大和にぃに甘えっぱなしだった・・・・・・だから、今度は私が背負う番。牛鬼も、この戦いで犠牲になった皆も私が全部背負うよ」
「おい・・・・・・待て、何を・・・・・・」
「そのままの意味だよ・・・・・・私が全部終わらせる」
優希は迷いの無い言葉で答えると、途切れることなくさらに続けた。
「大和にぃの願いがそうだったように、私の願いも同じだから・・・・・・大和にぃは生きて」
膝の上から大和の頭を優しく下ろし、最後に髪を撫でながらかきあげ、額に口づけをした。
「あの日のお返しだよ・・・・・・時間だから、もう行かなきゃ・・・・・・」
「なっ・・・・・・」
立ち上がり、離れていく優希の掌に、咄嗟に大和は手を伸ばした。
『スッ―――』
しかし、無情にもそれは僅かに届かず、伸ばした手は空を切り、自重にすら耐えれない腕は乾いた地面に音を立てて倒れた。
「待てよ優希・・・・・・お前が居なくなったら・・・・・・今まで俺が戦ってきた意味が無くなっちまうだろうがっ!」
その言葉に優希は立ち止まり、振り向かずにこう答えた。
「私は大和にぃが傷つくだけの世界で、生きたいだなんて・・・・・・思えないよ・・・・・・!」
再び歩みを進める優希は、背中から聞こえる大和の言葉に立ち止まることも、振り返ることすらしなかった。もし、そのどちらかでもやってしまった時には、大和に貰った勇気と、固めた覚悟が崩れ落ちると優希には解っていたのだ。
「行こう? アルテミス」
『別れは済ませたのか?』
「うん、大丈夫」
『ならば共に行くとしよう。我が命は、愛し子のために捧げると決めたのだから』
「ありがとう。あなたと出会えて本当に良かった」
『それは、私とて同じだ』
優希は大地を蹴りって飛び跳ねる。その身体は再び大地に足を付けることはなく、天を目指し上昇し続けていった。
上空三百メートルに達した所で、優希は上昇することを止めた。足元に広がる下界を見渡すと、基地のすぐ傍にまで牛鬼は迫っていた。その周辺には牛鬼に群がり、あるいは追従する神々の姿が見て取れる。
しかし、そこには事前に出撃していた第零討伐部隊の神々どころか、杉本副隊長の宿す神格の姿すら見受けられなかった。
「皆、大和にぃを守ってくれてありがとう。今、楽にしてあげるから・・・・・・」
優希はその言葉を荒神となっても尚、戦い続ける隊員達に捧げ、胸元からある物を取り出した。それは、封神瓶に納められたアポロンの紅い神核だった。
「私に力を貸して・・・・・・アポロン」
封神瓶から取り出した神核を胸の抱き、何度も優希は念じた。
『我が名を呼ぶのは誰だ・・・・・・?』
その声は優希の頭に直接響き、微かに神格が輝きを放っているかのようだった。
「私です。私があなたの名を呼びました」
『お前は・・・・・・我が最後の愛し子の血を引く者か?』
「はい、それは私の兄です。どうか、私に力をお貸しください』
『どうか兄上、私からも頼みます!』
『その声、アルテミスか・・・・・・久しいな我が妹よ』
アポロンは、その神核の輝きをさらに強める。
『残念ながらそれは無理だ。我は男神であり、女人であるお前にこの身を宿すのは代償が大きすぎる』
「元より死を覚悟した身です。どのような代償も受けます。だから力をお貸しください!」
『・・・・・・よかろう。だが、一つ聞かせよ。我が力を得て何を為す?』
「この空を覆い尽くす曇を焼き払い、もう一度、月と太陽を取り戻したいのです!」
『ふん、お前程度が持つ器でそれを成せるとでも? 兄妹諸共、我が炎で灰となるつもりか?』
「確かに・・・・・・ですが方法ならあります」
そう言って取り出したのは、小指程の有色透明な黄色い石がいくつも入った小瓶だった。
「これを全て使います」
『ふふ、ふはは。確かにそれならば、この厚き雲も我が劫火を以て焼き払えるだろう・・・・・・よかろう・・・・・・お前に我が力を与えよう』
「あ、ありがとうございます!」
『さぁ娘よ、我が名を叫べ!』
「来たれ! 太陽神、アポロン!」
その名を口にしたその瞬間、優希の身体は劫火に飲まれ、燦然とした輝きを周囲に放った。
『掴みとれ、我が金の弓を!』
燃え盛る炎の中で優希は手を伸ばし、金の弓を掴み取った。それと同時に炎は爆散し、全身を飲み込んでいた炎は衣となって身体を包む。そして、その長い髪は短く揃えられ、その色は黄金に輝いている。
「うっ・・・・・・はぁ、はぁ・・・・・・」
既に身体は、理に反する神を宿した反動に蝕まれ始めてた。長時間、アポロンの神格化を保つのは不可能と判断した優希は、小瓶を開けて中にある全ての石を口に含むと、金の弓の弦に矢を掛け、天に向けて構えた。
「その光を以て、万象を焼き尽くす一矢となれ!」
矢を抑えていた三指が矢から離れ、張り詰めていた弦は緊張から解放され、その反動を以て矢は天空へと放たれる。
「穿て! フレア・ヴェロス!」
弓から離れると同時に、目視できぬほどの強い輝きを放つ矢は大炎を尾に引き、その速度が緩むことは無い。
放たれて数瞬の内に、矢は雲の中へと吸い込まれた。しかし、その次の刹那―――
『ボッ―――』
轟音、暴風、爆炎、それら全てが混じり合い、数秒にして上空を覆っていた周囲の雲は、放たれた矢を中心に跡形も無く消滅した。
天には七五年ぶりに日が昇り、陽光が大地に降り注いだ。しかし、その光はあまりにも弱々しく、その姿は黒い太陽と呼ぶにふさわしいものだった。
その光に感動する暇も無く、優希は言うことを聞かぬ身体に鞭を打ち、太陽に手を伸ばした。
「ありがとう・・・・・・アポロン・・・・・・」
『礼を言うのは我の方だ。我が愛し子の仇を頼む・・・・・・』
二人は言葉を交わし終えると、本来混じり合うことの無い存在は反発し合い、優希の胸から紅い石が排出される。それと同じくして優希の姿も、アルテミスのものへと変化した。
優希はアポロンの神核を両手で受け止めて再度お礼を告げると、紅い神核は炎に包まれて灰になり、風に攫われていった。
優希は肩に掛けていた弓を手に、再び矢を構える。
「これでお別れだね・・・・・・アルテミス」
『・・・・・・だが、愛し子のその身が滅びようとも、この魂は永久に傍に寄り添うと誓おう』
「ありがとう。貴女に出会えて本当に良かった・・・・・・!」
二人は最後の言葉を交わし、その鏃は天へと向けられる。
「銀の月、金の太陽、その二つが重なりし時、その黒き光を以て、この世界を終焉へと誘う滅びの矢となれ・・・・・・サテライト・カタストロフィ・・・・・・!」
黒き太陽に向けて放たれる一本の矢。その矢は大気を斬り裂き宙へと消える。
数瞬の静寂の後、この戦いに終焉を告げる膨大な数の飛矢が大地へと降り注いだ。
降り注ぐ矢は、地上で蠢く荒神を無慈悲に、全てにおいて平等に、次々と貫き、大小様々な神々は、阿鼻叫喚となって逃げ場のない矢の雨の中を逃げ惑う。しかし、それも長くは続かない。その身に矢を受けた者達は例外無く矢傷を中心に石化が始まり、その呪いは全身を浸食していく。
『ゴギャァアァァァァアアァァアァァァアアァァァァアアアァァアァァァ!』
雄叫びを上げる牛鬼は全身に矢を受け、その姿は急速に石へと変化させていく。身体を支えきれなくなった六本の脚は、自重に耐え切れずに砕け散った。
牛鬼は上空へと顔を向け、天から襲い来る災いの元凶を探しだす。
『ゴガルァアァァァ!』
激昂するその瞳は、後光を纏う女神を遥か上空に見つけ出し、その口を向けた。
既に口以外、石と化した牛鬼は己の全てを、女神に向けて放った。
『グロロォォオォオォォォオ!』
その開かれた口からは、これまで喰われた神々が吐き出され、その神の口からは、さらなる神が連鎖的に吐き出されて繋がっていく。それは、歪な形で積み重なり、遥か上空にて佇む優希へと、猛烈な勢いで迫っていった。
「そう、ここへ来るのね」
牛鬼から伸び、迫りくる歪な柱を見つめる優希は、焦りの無い小さな声でそう呟いた。
『グロロォォロロォォ!』
伸び続ける柱は、その先端を追うように土台となった神々は石化していく。そして、一直線に伸びる柱は目指していた優希へと届き、最後の神がその口から吐き出された。
「これが、あなたの本当の姿だったのね・・・・・・牛鬼」
その開かれた口は不揃いの牙を並べ、優希の鼻先に突きつけられていた。その神は太く短い蛇のような身体に目も鼻も耳も手足すらも無く、ただ一つ大きな口だけを持った歪な神だった。
「声を聴く耳も、温もりを感じる掌も、世界を写す瞳すら持たないあなたは・・・・・・食べることでしか触れ合う術を知らなかったのね・・・・・・でも安心して。あなたもちゃんと、私が連れて行くから」
その手向けの言葉と共に、怒りでも、恨みでもなく、ただ慈悲の念を持って石化した神の身体を一撫でした。
天へと延びる歪な石柱は、全体に亀裂が駆け巡り、大地に倒れるよりも早く、空中で砕け散るように崩壊した。
優希はただ、夥しい数の石像で埋め尽くされた下界を眺め、悲しげな表情を浮かべるだけだった。
その光を発っするその身体からは、徐々にその輝きは失われ、ついに空に留まることすらできなくなり、大地へゆっくりと墜落した。
大地を埋め尽くす石像の中、動くこともできず訪れる死を待つだけとなった優希は、次第に光を取り戻していく太陽と、雲一つない澄み渡った青空を眺めていた。
「全部終わった・・・・・・これで大和にぃは死ななくて済む・・・・・・」
優希は心から臨んだ結果に、晴れやかな気持ちで死を待つことができた。しかし、その穏やかな時間はあっという間に幕を閉じてしまう。
「なんで・・・・・・動けないはずなのに、お別れも済ませたはずなのに・・・・・・どうして、ここに来ちゃうのよ・・・・・・大和にぃ!」
石像を伝って歩いてきた大和は、何度転ぼうと歯を食いしばって立ち上がり、その脚を止めることなく優希の下へと辿りついた。
「はぁ、はぁ・・・・・・この、馬鹿!」
「何で来るのよ! せっかく死ぬ覚悟もできてたのに、大和にぃの顔を見たら、全部台無しになっちゃうじゃない!」
振り払ったはずの後悔。それはたった一人の少年が現れたことで、その覚悟はいとも簡単に圧し折れてしまう。
「俺を置いて、どこへ行くつもりだ!」
力の入らない腕で必死に抱き上げられる身体。もう二度と触れることができないと思っていた体温とその言葉に、大粒の涙をぽろぽろと溢して優希は口を開いた。
「大和にぃ・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」
「なんで俺を・・・・・・なんでだよ! 優希!」
「だって、どうしても・・・・・・大和にぃを・・・・・・守りた・・・・・・かったんだもん・・・・・・」
「ふざけるな! 俺はお前を守ることが、お前さえ生きて隣に居てくれさえすれば!」
「私も・・・・・・同・・・・・・じだったんだよ?・・・・・・私のせいで大・・・・・・和にぃが死ぬなんて・・・・・・そんなの耐え・・・・・・られないよ・・・・・・!」
優希の身体からは、微かに光が発せられ、それは徐々に強まりながら全身を包み込んでいく。
「おい・・・・・・おい!しっかりしろ!ふざけんな!俺を置いていくな!」
「私も、大和にぃと離れたくない・・・・・・ずっと傍に居たい・・・・・・死に・・・・・・たくないよ!」
その言葉に大和は目を見開き、優希の身体を全力で抱きしめて必死に声をかける。
「死なせない、俺の氣を優希に流し込む! 絶対に死なせてたまるか!」
「もう、駄目なの・・・・・・私が最後に放ったのは・・・・・・滅びの矢・・・・・・その矢に触れた全てを石に変える代償に・・・・・・私は氣核を対価として払った・・・・・・もう、意味は解るよね・・・・・・?」
「だったらこれを、お前がくれたこれなら!」
そう言って大和は、首に掛かっている黄色い石のペンダントを優希の手に握らせる。
「無理だよ・・・・・・氣を作り出せない氣石は・・・・・・氣核の代わりにはできないから・・・・・・」
「方法はねえのかよ!」
大和の悲痛の叫びに優希は、微かに首を横に振って答える。
「・・・・・・。大和にぃ一人を生かすために、私は多くの人を利用して、沢山の犠牲を出した罰を受けないといけない・・・・・・これは、あの矢を放った私の罪だから・・・・・・」
「だったら! 俺はすぐに優希を追いかける! お前が居ない世界なんて、生きる意味がねえだろ!」
「一緒に・・・・・・地獄の底まで・・・・・・付いてきてくれるの?」
「当たり前だ! もう二度とこの手は離さない!」
大和は優希の手を握り締め、力強く即答する。
「嬉しい・・・・・・でも大和にぃは・・・・・・生きて・・・・・・私の死を無駄にしないで・・・・・・この悲しい世界を変えて・・・・・・こんな、希望の無い世界に・・・・・・生まれるのは・・・・・・もう嫌だよ・・・・・・」
「あぁ!絶対に変えてやる! だから俺が変えた世界を一緒に見てくれよ! 頼むから生きていてくれよ!」
しかし、優希の身体からは光の粒が空へと飛び始め、腕の中に抱く優希の力が抜け落ちて行くのを、ただ感じ取ることしか出来なかった。
「私の、名前・・・・・・呼んで・・・・・・欲しかった・・・・・・ずっと大・・・・・・和・・・・・・にいが・・・・・・す・・・・・・き・・・・・・だった・・・・・・」
焦点の合わない瞳から零れ落ちる大粒の涙。透き通っていく身体。殆ど重みを失った優希を、大和は必死に抱きしめ続ける。
「さよ・・・・・・なら・・・・・・大・・・・・・和に・・・・・・ぃ・・・・・・」
「嫌だ・・・・・・行くな・・・・・・俺を置いて行かないでくれ!」
その呼びかけに答える声は無く、黄色い石のペンダントは音もなく地面へ落ちた。
『ブワッ―――』
優希の肉体は、光の粒となって空へと飛び散った。
「うわぁああぁ!」
触れることのできない淡い光に、大和は必死に掴み取ろうと手を伸ばし続けた。
「うああぁあぁぁぁあああぁぁぁぁあぁぁぁああぁぁぁあああぁあぁ!」
それはもはや雄叫びではなく発狂だった。
命よりも大切な存在を失った。生きる理由を失った。戦う理由を失った。立てた誓いを守れなかった。最後まで少女の名前一つ呼んでやることができなかった。その掌からは全てが零れ落ちていく。そして何一つ残らなかった掌には、代わりに深い絶望が無理矢理握らされた。
『ブチッ―――』
心の支えを失い、力なく地面に倒れる大和の身体から、紐の千切れる音が発せられた。
「俺は、何も守れなかった・・・・・・笑えよ糞犬』
『・・・・・・』
大和の言葉に答える声は無い。
「お前が待ち望んでいた結末だろう・・・・・・? 呪いは解けたはずだ・・・・・・もう、お前は自由だ。好きなようにすれば良いだろ・・・・・・」
自嘲的な笑みを浮かべる大和は、己に宿すフェンリルへと再び問いかける。
『・・・・・・』
だが、フェンリルは何も答えなかった。大和は目の前に転がるペンダントを手に取り、握り締めた。
「何で俺は・・・・・・いつも大事なもの一つ守ることが出来ねえんだ! 何で・・・・・・俺は名前を呼んでやることすらできねえんだ! 何で・・・・・・俺は一粒の涙すら出てこねぇんだよ・・・・・・くそっ!」
優希を失った喪失感は、涙などで誤魔化せるものではなかった。
この世の全てがどうでも良くなっていった。立ち上がる気力も、生きる気力も残ってはいなかった。抜け殻同然となった大和は、優希が消滅した場所に横たわって動かなかった。
『ジャリ、ジャリ―――』
誰かが歩く砂利の擦れ合う音が、動かない大和へとゆっくりと近づき、すぐ背後の場所で足音は止まった。
「まだ生き残りが居たのか・・・・・・丁度良い。顔は見ていない。だから俺を・・・・・・殺してくれないか?」
自暴自棄に陥った大和は、背後に居る誰かに力なくそう頼んでみた。だが、その返答は予想だにしないものだった。
「なんじゃ? せっかく生きた人の子に会えたと思うたら、そなたは死にたいのか?」
聞きなれぬ女の声と時代錯誤な喋り方。大和は幻聴かと思い聞き流そうとしたが、次はその声の主が話しかけてきた。
「妾は、今しがた目覚めたばかりでな、状況が掴めずにいて困っておるのだ。少しでよい、話を聞かせてはくれぬか?」
「・・・・・・」
大和は幻聴でないことを確信したが、答える気にはなれず、無視を決め込むことにした。
「なっ、貴様! 高天原を統べる神である高貴な妾を無視するつもりか!」
「・・・・・・」
「ムキーッ! こちらを向けと言うておるであろう!」
「うわっ!」
神と自称した女は、無視し続ける大和の背中を引っ張って仰向けにすると、腹の上に馬乗りとなって顔を見合わせた。
「なんじゃその死んだ魚の目は・・・・・・全く、辛気臭いのう。じゃが、そなたどこかで見覚えがあるのう・・・・・・」
それは大和も同じだった。その顔も、身に纏う見たことも無いはずの着物も、見覚えがあり、それはすぐに思い出された。
「・・・・・・お前、あの時の銅像か?」
「おぉ! やっと口を聞いたな? いかにも! 妾は封印を受け、そなたらが崇めていた女神像じゃ! とは言ったものの、封印されとった間の記憶は朧気なんじゃなのう・・・・・・だが、そなたは覚えておるぞ?妾に向かって、意味は分からなんだが、無礼なことを言っておったわっぱであろう?」
口を聞いたのが大層嬉しかったのか、神の開いた口は止まることを知らなかった。
「はて、なぜそなたは一人なのだ? あの隣に居た娘はどうした? わが妹である月読と似た力を感じたのでな、記憶に残っておるのだ」
神を自称する女の言葉が、優希がもうこの世に居ないという事実を、強制的に再認識させられる。
「あいつは・・・・・・もう居ない・・・・・・俺を置いて逝きやがったんだよ・・・・・・!」
「なるほどのう、だからそなたは自棄になっておるのだな」
大和は女が口にする、わかったような言葉に対し無意識に激昂していた。
「お前に何が分かる!」
伸ばした腕は女の胸倉を掴み、大和はその言葉を乱暴にぶつけた。
「ふむ、分かると答えたいところであるが、あえてこう答えよう・・・・・・分からぬとな!」
女は大和の胸倉を掴み返して上半身を持ち上げ、顔を近づけてさらに続けた。
「ならば問おうぞ、妾は最も愛した男に封印された。もう一度、この身に日の光を浴ることで、解くことのできる封印をな! 男は妾を封印する時に言ったのだ! お前が目覚めて最初に目にするのはこの俺だと! 全てが片付いたら俺が必ず迎えに行くと! 確かに奴は言ったのだ! ・・・・・・妾に掛けられた封印が解け、嬉々としてこの瞳を開いた時、そこにあの者は居なかった。周囲は見渡す限り荒廃し、空を見上げれば、日と月が重なっておった・・・・・・その時、妾は思い知らされたのだ・・・・・・あの男はもうこの世に生きてはおらぬとな!」
その紫色の瞳には涙が溜まり、女は必死に堪えているのが見て取れた。
「そなたに・・・・・・あの男を待ち続けた妾の気持ちが・・・・・・分かると申すかっ!」
溜まっていた涙は決壊し、大和の頬に数滴の雫が零れ落ちた。
「・・・・・・分かると・・・・・・申すかっ・・・・・・!」
女は胸倉を掴んだまま、自分の両手首に顔を当て泣きじゃくる。大和はその女が落ち着くまで、唯見守ることしかできなかった。
四半刻ほど泣き続けた女は、ようやく落ち着きを取り戻し、赤く充血した瞳で大和を見つめて口を開いた。
「・・・・・・なぁ、わっぱよ」
「・・・・・・なんだよ?」
「あの娘を取り戻したいか?」
大和は、その言葉に心臓の鼓動が早まるのを感じた。
「生き返らせることができるのか!」
しかし、大和の答えに女神は首を横に振った。
「死者を生き返らせることなどできぬ・・・・・・」
「なんだよ、期待させやがって・・・・・・」
「じゃが、死を無かった事にはできるやもしれん・・・・・・」
大和はその言葉に再び食い付いた。
「どういう事だ?」
「うむ、妾は約束を破った男の面を一度殴りたい。じゃが、もうあの男はこの世にはおらぬ・・・・・・だから、時を越えようと思う」
「はぁ?」
大和は話の流れを掴めずに困惑した。
「そういえば、まだ名を名乗っていなかったな・・・・・・妾の名は天照大御神。他にも名は、腐るほど持っておるが、天照と呼ぶがよい」
天照はそう名乗ると立ち上がり、大和の身体から離れた。
「妾は太陽神であり、太陽と暦を司る。言わば、この日本の最高神と言ったところかの」
天照は泣き腫らした瞳で、堂々と胸を張り、名乗って見せた。
「妾は決めたのだ。例え力を失おうとも、過去へと舞い戻り、契りを破ったあの男を殴りに行くとな! そうせねば気が済まぬ。 それに、ここにおっても信仰が無ければ、妾はどのみち消滅する運命であるからのぅ・・・・・・」
大和は気が付いた。天照は自分と同じなのだと。この世に生きる意味を見いだすことのできない、弱い存在なのだと。
「どうじゃ、わっぱよ。妾と共に来ぬか? 過去を改変し、この不条理な現実をマシな物へと共に変えぬか? この世界で生きた人間は、そなた以外の記憶は全て消え去るだろう。もちろん、あの娘も例外ではない。じゃが、違う世界で生きるあの娘に会うことができるやもしれん」
優希は言っていた。この悲しい世界を変えてくれと。希望のない世界はもう嫌だと。
「どうじゃ、わっぱよ・・・・・・新たなる世界を求め、望むのなら、妾の手を掴め!」
確証はどこにもない。ただの天照の妄言という可能性もあった。だが大和は、その提案に迷うことなく、差し出された掌に手を伸ばした。
「俺を連れていけ! 例え、違う世界の優希が俺を忘れても、俺が覚えてる! あいつが苦しまずに生きれるのなら・・・・・・あいつが俺を知らなくとも構わない。俺は過去を変えて、あいつが死んだこのクソったれな世界をぶっ壊すだけだ!」
死んでいたその瞳には再び光が宿り、その掴む掌には力が籠っているのを天照は感じ取った。
「ならば我らは運命共同体じゃ! 共に行こう、この世界を変えに!」
天照は、もう片方の手で空を薙ぎ払い、紅く輝く光の陣を形成させる。
「開け! 時と空間の扉よ! 我が代償を受け取り、我らをその奥へと通せ!」
その陣からは大炎が巻き起こり、二人を包み込んでいく。
「暫しの暇を授けよう。よく眠り、傷を癒すがよい・・・・・・」
天照は、大和の耳元でそう囁く。
二人を包む炎はさらに強まり、完全な炎球となり白い輝きを放つと、急激にその球経が縮小されていき、ついには米粒ほどの大きさとなり消滅してしまった。
二人が消えた世界に残されたのは、風に攫われて舞い上がる土煙と、夥しく並ぶ神々の石像だけだった。
次回、過去編スタート!
また来てくださると幸いです!




