表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/114

カメラマンとその恋人(3)

 式次第によれば、まず隣接するチャペルにて挙式をしてから、建物内へ戻って披露宴をするのだそうだ。

 結婚式を専門に執り行うチャペルとあって、大勢いる招待客の全員が参列出来るらしい。営業課と秘書課の、花婿さんと花嫁さんを除く皆が招待されているとのことだったし、他の課からも何人かお呼ばれしていて、もちろんご親族の方も、ご友人の方も――と相当の招待客がいるようだったけど、その中でも参列させてもらえるのがうれしい。

 せっかくの霧島さんたちの結婚式、私だってこの目で見てみたかったし、一緒にお祝いもしたかったから。


 冬場だからか、それとも大勢が参列しているからか、チャペル内はほわんと暖かかった。

 席順はおおよそ決まっていて、私たち同僚は後ろの方へ並んで座った。主任は予定通りに撮影をすることになっていたから、席には着かず、会場の隅で片膝をついて待機している。私のすぐ隣には、人事課からたった一人だけ招待されている安井課長が座っていて、じっと真正面にあるステンドグラスを見据えていた。

 課長の姿勢の良さを見習い、私もきちんと姿勢を正す。

 祭壇の正面にある大きなステンドグラスには、穏和な顔つきの天使が描かれていた。昼間ならその向こうから陽を透かして、青や緑や黄色の光がチャペル内に射し込んでいるのだろうけど、夜のステンドグラスは逆に、内側からぼんやりと照らされている。淡い光を受けたガラスの表面は細波立って映り、壁に水面が広がっているように見えた。

「そこの明かり、キャンドルだ」

 ふと、安井課長が私に囁く。

 私が瞬きを返すと、課長は視線だけでバージンロードの方を示した。参列者に挟まれたチャペル中央を走る通路に、ゆらゆら揺れる小さな明かりがいくつも寄り添っている。丸い形の、少し変わったキャンドルだった。

 チャペルの中が暖かだったのもこの灯火のお蔭なんだろうか。少なくとも、ここで揺れている光はとても柔らかく感じられた。

「きれいですね」

 思わずうっとりすると、課長も軽く笑んだ。潜めた声で語を継いでくる。

「そうだな。とびきり可愛い花嫁さんをお迎えするのは、きれいな式場じゃなくちゃいけない」

 それは何となく安井課長らしい物言いだ。

 もしもこれが石田主任だったら、違う表現の仕方をしていたように思う。


 やがて、チャペルの照明が落ちる。

 建物内は一度だけどよめいて、それから潮の引くように静かになった。キャンドルの明かりが揺れると、ステンドグラスの天使はたゆたい、祭壇には牧師さんが現れた。日本人の、小柄な牧師さんだった。

 脇ではオルガンの演奏が始まる。曲目はメンデルスゾーンのウェディングマーチ。私でも知っている、有名な結婚式のメロディ。

 チャペルのドアが開いた瞬間は、息を呑むしかなかった。

 柔らかい光が差し、夜風が滑り込んでくる中に、花婿さんと花嫁さんが並んで立っている。白いタキシードとドレスが少し眩しい、濁りのない新雪の色をしている。透き通ったベールがふわり、風に舞った時、粉雪も少しだけ吹き込んできてチャペルの入り口辺りに散った。

 ――目の覚めるような一瞬だった。

 花婿さんはいつも以上に優しい面差しで、ほんのちょっとだけ照れているようでもあった。花嫁さんは伏し目がちにしている。横顔に浮かんだ静かな微笑みは、先日うどんを作りながら見ていたものと同じだった。

 お二人の背後でドアが閉まると、涼しい夜風も止んで、キャンドルの火がしゃきっと整列する。

 前に見た外国映画では花婿さんが先に入っていて、花嫁さんがお父さんと一緒に歩いてくるシーンがあったけど、この結婚式では違った。

 新郎新婦は入場時から既に腕を組み、隙間の見えないくらいに寄り添って、幸せそうな視線を交わし合いながらバージンロードをゆっくりと歩いてくる。同じ道を並んで一緒に、踏み締めるようにして一歩一歩、辿っている。その仲睦まじさも、気取っていない様子も、本当にお二人らしいなと思う。

 入場の時は拍手はしないものらしく、参列者は皆、眼差しで祝福を贈っている。私もそうしようと張り切って、花婿さんと花嫁さんが席の横を通り過ぎる瞬間、精一杯の祝福の気持ちを念じた。

 お二人が、ずっと幸せでありますように。


 誓いの言葉が、映画で見たのとほぼ同じだった。

 全く同じだったと言い切れないのは、その時点で私がすっかり上せてしまって、牧師さんのお言葉を上手く聞き取れなくなっていたからだ。無性に高鳴る鼓動と共に、花婿さんと花嫁さんそれぞれの、誓います、と答える声を聴いていた。お二人とも一片のためらいも迷いも澱みもなく答えていた。

 指輪の交換は、息を止めて見守ってしまった。

 花嫁さんが手袋を外し、そのほっそりした手を花婿さんが優しく取って、静かに指輪を通していく。それが終わると今度は花嫁さんが、花婿さんの大きな手を支えて指輪をはめる。同じ手元を見つめている横顔が揃って真摯でひたむきだった。ごく小さな銀色の指輪は、明かりを受けてきらりと光り、後ろの方に座っていた私にもちゃんと見えた。どきどきした。

 指輪の交換ですらどきどきしたくらいだから、誓いのキスは、それはもうもじもじしてしまった。

 でも目を逸らしちゃいけないと思って――お二人に失礼だし、お二人の幸せな門出を見守って、お祝いする為に招いていただいたのだから、しっかりしていなくてはと姿勢を正して、拝見することにした。

 どんな様子だったかと誰かに聞かれても、多分言えない。言葉にしては説明出来ない。

 見ているだけで甘いと感じたのは確かだった。


 お二人の退場は拍手で見送った。また腕を組み、同じ道を一緒に辿っていくのを見ていた。

 折からの雪はまださらさら降り続いていて、チャペルのドアが再び開け放たれた時には、ライスシャワーみたいにぱっと広がった。きれいだった。

 ゆきのさんって、今日の日に相応しいお名前だ。

 だから一月の式にしたのかな、と取り留めなく考えを巡らせてみる。


 式と披露宴の合間にはほんの少し間があって、そこで私は、デジカムを手にした石田主任と顔を合わせた。

 見るや否や言われた。

「お前、新郎新婦より赤い顔してるな」

「あの、何て言うか、すみません」

 私は項垂れる。神聖なる結婚式に出席して、こんなにもどきどきしている私はいっそ不謹慎なのではないかと思ってしまう。でも結婚式がこんなに甘くて幸せなものだと、初めて知った。

「小坂さん、誓いのキスの時にすごくもじもじしてたよな」

 とは、居合わせた安井課長の弁だ。

「あんまり真っ赤になってるから、倒れるんじゃないかと思ったよ。何事もなくてよかった」

「本当にすみません……」

 私、最早返す言葉もなし。恥ずかしい。

「誓いのキスなら、ベストアングルでばっちり録画したからな」

 胸を張った主任が、直後声を落として、

「後日、新婚さんの新居で上映会してやろう。肝心のシーンだけ延々とリピートさせてな」

「いいなそれ。キスシーンだけエンドレス再生しても面白そうだ」

 こういうことに関してはやたら意気投合するお二人だった。

 私の立場的に面と向かって駄目ですよとも言いにくいし、どうしていいのかもわからなかったから、この件についてはノーコメントでいることにした。

「主任は、披露宴の間もずっと撮影ですか?」

「ああ」

 私の問いに頷いた主任が、何気なく問い返してきた。

「俺がいないと寂しいか?」

「えっ? ……も、もちろんです」

 一瞬どきっとさせられたけど、考えてみれば当然のことだ。だからあたふた肯定しておく。

「どっかで食事しに席戻るから心配するな。せっかくごちそうが出るってのに、全く手も付けないんじゃもったいない」

 宥めるようにして主任は言う。

 だけどそれなら、ごちそうを食べる時間以外はずっと撮影しているってことなんだろうか。それってすごく大変そうに思える。

「私にお手伝い出来ること、ありませんか」

 せっかくの結婚式だ。主任だって少しゆっくりする時間があったっていいはず。私の手でよければお貸ししたかった。

「なら、これを頼む」

 主任が略礼服のポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。

 金属のパイプのような、小型の、関節のある三本足の何か。

「これは三脚だ。ちっちゃいだろ?」

 三脚。確かにそういう形をしていた。足はジョイントの部分から伸ばせるようになっていたし、カメラを固定する為の金具もついている。

「小さいから落っことすと困る。だから披露宴の間、お前が預かっててくれるか」

 主任の大きな手の上、その三脚は余計に小さく見えた。私の手で受け取っても小さかったけど、見た目よりはずしっと重みがあった。

「披露宴が進んで、余興が始まる頃になったら、それ持って俺を迎えに来てくれ。俺はそれでカメラを固定して、余興の間に食事を済ませる。その時にちょっと手を貸してもらえるとありがたい。頼めるか?」

「かしこまりました」

 預かった三脚を握り締め、私は力一杯頷く。

「ありがとう。頼りにしてるからな、小坂」

「はいっ」

 お礼を言われたのも、頼りにされたのも、すごくうれしかった。頑張ろうって気持ちになる。それはもう、むちゃくちゃ張り切りたくなる。

「何でそんなに喜んでんだよ。面白い奴だな」

「頼りにしていただけてうれしかったんです、すごく」

 頬っぺたの緩みを自覚する。けどどうしたって誤魔化せそうにもなくて、そのまま放っておいていた。

 そうしたら、

「お前らのその会話も、誓いのキスにひけを取らない甘さだよ」

 傍で聞いていた安井課長には呆れたように突っ込まれた。

 返す言葉もありません。恥ずかしい。


 披露宴の会場は大きな窓のあるホールだった。

 窓の向こうには夜の海を臨むパノラマの眺めが広がっていたけど、夜色の窓ガラスに映り込む花嫁さんの方が美しくて、注目を集めていたのは致し方ない。真っ赤なカクテルドレスにお色直しを済ませて、一番奥に座っている。

 会場の中央にはパーティ用のビュッフェテーブルが一つあって、それを囲むように丸テーブルがいくつも配置されている。これは着席ビュッフェという形式らしくて、一応席順は決まっているものの、料理を取りに行く際、あるいは歓談の際など自由に席を立つことが出来るらしい。席次表によればご親族席やご友人席、それに職場の同僚席と分かれている。

 我が営業課は三つのテーブルに分かれて座り、そのうちの一つが私と主任と、それから安井課長の席があるテーブルだった。

「何だか俺だけ外様って感じがして、寂しいな」

 営業課員で固められたテーブルにて、元営業課のはずの課長がぼやく。

「外様なんてことないですよ。石田主任もご飯を食べに戻ってくるって言ってましたし」

 私がフォローのつもりで言葉を選ぶと、課長は片目を瞑って、

「どうせなら秘書課の女の子たちと一緒の席がよかったなってことだよ」

 居合わせた営業課の皆には、それが目的だろうと一斉に突っ込まれていた。そろそろ見慣れてきた顔の見慣れないやり取りが、ちょっとおかしかった。


 私は安井課長が営業課にいた頃のことを知らない。

 まだ人事課長になる前の課長も、営業課主任になる前の石田主任も、ちょっとだけ大変なルーキー時代を過ごしていた霧島さんも知らない。私の入社前のお三方がどんな風にあのオフィスで過ごしていたのかをほとんど何も知らない。

 三人にとって、或いは他の営業課の皆にとって、長谷さんがどれほどの存在だったのかも詳しくは知らない。

 知っているのは入社してからのことだけだ。安井課長はもう人事課にいて、霧島さんはとても頼りになる先輩で、長谷さんは既に霧島さんの彼女だった。そして石田主任は、お会いした時からずっと『優しくて立派な主任さん』だった。

 ルーキーの私には誰もが仕事の出来る人に見えたし、誰もがすごく大人だ。そうじゃなかった頃の皆さんも、ほんの少しでいいから見てみたかった。主任のあのデジカムに映っていたらいいのにな。

 私の目に映っているのは今の光景だけだ。

 でもこれはこれで素晴らしい光景だから、十分かなと思っておく。

 営業課員に戻ったみたいに、同じテーブルの皆と笑い合っている安井課長。一番奥のテーブルに座っている優しい顔の花婿さんと、その隣に寄り添うとびきり素敵な花嫁さん。私の隣の席は空っぽだけど、お預かりしたミニ三脚は静かに出番を待っている。丸テーブルに掛けられたクロスは結婚式らしい白。その上には赤いバラが、小さなバスケットに飾られている。

 会場はさざめく笑い声といい匂いに満ちて、映るものの全てが幸せに感じられた。


 チャペルでの式と同じように、披露宴もごく和やかに行われた。

 ご親族とご友人の代表の方々が、それぞれ挨拶を兼ねて新郎新婦を紹介する。お話を伺ったところによると、霧島さんは中学時代から既に大変真面目な方だったそうで、長谷さんは幼稚園時代から男の子に人気があったのだとか。そしてお二人の人柄が表れているのか、挨拶に立つ方もそれを聞く方々の反応も、実に温かで優しかった。挨拶自体もユーモアに溢れていたし、何よりごく手短にまとめられていたのがよかった。

 うちの営業課長も負けじと、ごく手短な祝辞を読み、そのまま乾杯の音頭を取る。それからは順次お食事とご歓談の時間となる。

 お料理は和洋折衷のメニューをビュッフェから好きなだけ持ってきて、自分の席でいただく形式。びっくりしたのは新郎新婦も一緒になって席を立っていたことだった。食べ物をお皿に取りがてら招待客と話をしているのをお見かけしたし、席に戻ってからも入れ替わり立ち代わりお話しをしに行く方々が大勢いて、その度に花婿さんと花嫁さんご自慢の笑顔で応じていた。

 私もご挨拶に行きたかったけど、安井課長が言うにはこういうのにもちゃんと順番があって、まずはご親族やご友人の方が優先らしい。だから今は食べる方に専念することにする。

 レストランウェディングと聞いていただけあって、お料理はどれも出来たてでとても美味しかったし、肩肘張らずに食べられるのがありがたい。ナイフとフォークの他にお箸も用意されていたから、遠慮なくお箸で食べた。

「小坂さんは美味しそうに食べるな」

 安井課長に言われて、私は恥じ入りながらも答える。

「とっても美味しいです」

 せっかくお呼ばれしたんだから、後で、どのお料理が美味しかったかを霧島さんたちにお伝え出来たらなと思っている。

 それと、食べる時間の少ない主任の為に、どれが特にお薦めかを教えてあげられたらいいなと――なんていうのはただのお節介かもしれないけど、それでもついつい魚料理ばかり選んでしまう。

「石田が言ってたよ。小坂さんは食べさせ甲斐のあるタイプだって」

 主任はどうして、私が後で困ってしまうようなことばかりを、課長や霧島さんに話してしまうんだろう。

「すみません、私、すごく食いしん坊って感じですよね」

 正直にそう告げると、課長は全く否定せず応じた。

「悪いことじゃないよ。君に食べさせたいって張り切ってる奴もいるようだから、存分に食いしん坊でいるといい」

 それから肩を竦めて言い添えてくる。

「ただ、俺の歌は聴いていてくれるとうれしいな。女の子に聴いてもらうと歌い甲斐があるから」

「わかりました。ばっちり拝聴しています」

 営業課にいた頃は契約を取ってきたことさえあるという歌声だ。すごく楽しみ。さっき司会のお姉さんが、もうじき余興を始めるとアナウンスしていた。安井課長の出番はどの辺りなんだろう。他にはどんな余興があるのかな。わくわくしてきた。

 と、そこで私は質問してみたくなって、

「ところで、どんな歌を歌われるんですか?」

 課長は間を置かずに答える。

「ユア・ソング。ベタだけどな」

「エルトン・ジョン、ですよね?」

「そう。小坂さんも知ってるんだな」

「CMで聴いたことがあります。とってもいい曲ですよね、ラブソングらしくて」

 お正月にお会いした時はわざと縁起の悪い歌にする、なんて言っていたけど――やっぱりこういう時にはそれらしい選曲をするんだ。私が得心したのを察してか、課長はそこでわかりやすい照れ笑いを浮かべた。

「ま、今日くらいはな。あれでも一応は可愛い後輩だ」

 相手が石田主任なら突っ込んでるところだったけど、さすがに止めて、にやにやするだけに留めておく。

 それにしても本当に仲が良いんだなあ、お三方。

「何で笑うの、小坂さん」

「いえ、男の友情ってこんな感じなのかなって思って……」

「変なこと言わない。それほど大したもんじゃないんだから」

 照れとたしなめる口調を見事に両立させた課長が、その後でふと言った。

「ところで、石田を迎えに行ってもいい頃じゃないか」

「あ、そうですね」

 余興の始まる頃と言われていたから、そろそろいいかな。

 私はお箸を置いてから、預かってきたミニ三脚を片手に立ち上がる。


 宴たけなわの披露宴会場を、目立たないように中腰の姿勢で、うろうろと主任を探し始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ