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三十歳と二十三歳(2)

 石田主任はしばらく咳き込んでいたけど、直に落ち着いてきた。私もほっとする。

 深呼吸の後で、改めて問われた。

「厳かで真面目な誕生祝いって何だよ。ビールのジョッキ片手に、真面目も何もないだろ」

「それはその……硬い話題を中心にして行こうかと」

「へえ、例えば?」

 しゅっと、主任が眉根を寄せる。

 そうですね、と私は考え、それから思いついたことを切り出してみる。

「石田主任は社会人の先輩でもいらっしゃいますから、そういう社会人としての心得とか、ありがたいお言葉をお願いいたします」

「嫌だよ」

 また主任が吹いた。今度はビールを飲んでいなかったので、むせずに済んだみたいだ。

 でもいつもよりも更によく笑っていらっしゃるなあ、と思う。笑い上戸なのかな。

「何だってそんな頭使う講釈を、お前に垂れてやらなきゃならないんだ」

「でも私、主任のことを尊敬しているんです!」

 そこはめいっぱい強調した。いつもお世話になって、ご面倒もたっぷり掛けてしまっている人。それでいて優しくもしてくれるから、私も脱ルーキーを華麗に決めて、主任のようになりたいと思う日々を過ごしている。

「尊敬?」

 石田主任が聞き返した目は、どういう訳か疑わしげだったものの。

「はいっ。私もルーキーイヤーを無事に切り抜けて、立派な社会人になりたいと思っています!」

「そっか。頑張れよ」

 私が上げた気炎とは裏腹に、主任の反応は素っ気ない。どうしたんだろうと目を瞬かせれば、やがて溜息交じりに名を呼ばれた。

「小坂」

「はいっ」

「今日は何で誘ってやったのか、忘れたのか」

「ええと、主任のお誕生日のお祝い、ですよね?」

 答えた私に、石田主任は呆れたような目を向ける。

「デートだろ」

 ぐさり、と来た。

「え、いえ、その……」

「お前は何のつもりで来たんだ、小坂」

「それはもちろん、えと、存じておりましたけど」

 鋭い視線に晒されて、つい、しどろもどろになってしまう。

 それは、ちゃんと、わかっていたんだけど。


 デートと言っても、ただのデートではないと思っていた。

 今日のこの集まりはあくまでも主任のお誕生日祝いであって、三十歳という節目の年齢を、あまりお祝いする気のないらしいご本人の代わりに私が、華々しく、とびきりの気持ちでお祝いする会だと思っていた。

 だから頑張って、精一杯いい日にしたいと思ったし、楽しく盛り上げようと思った。主任にとって今日が、最高のお誕生日になればいいって。その為の全責任が私の肩に掛かっている、そう思って今夜は臨んだ。

 でも、その頑張りが効を奏しているかというと甚だ疑問だ。

 というかさっきから空回りばかりしてるような気がする。

 いや、確実にしてる。


 ちょうどその時、テーブルに注文したお料理が運ばれてきた。

 全てが並べ終わって、店員さんが立ち去るまでの間、会話は気まずく途切れていた。

「あの……」

 店員さんがいなくなってから、改めて私は口を開く。

「主任、楽しんでいらっしゃいますか」

 満面の笑みで主任は答える。

「まあな。面白いよ、お前の言動見てると」

 楽しんでくれているというより、やっぱり、笑われてる。

「けどちょっと、張り切り過ぎだよな」

 言いながら主任は、私に割り箸を差し出してくれた。会釈をして受け取ると、今度は取り皿もくれた。何だか恥ずかしくなる。もてなされてるのはどっちなんだろう。

「別に気負わなくてもいいんだぞ、小坂」

 内心を読んだみたいなタイミングで、石田主任はそう言った。

 どきっとした。

「誕生日なんて祝う気もなかった俺としては、祝ってくれる相手がいるだけでありがたいくらいだ」

 しかも掛けてくれる言葉まで、むちゃくちゃ優しい。

「主任……ありがとうございます」

 私は感激して、両手を合わせてから割り箸を割る。主任もにこにこしながらこちらを見ている。

「礼を言うのはこっちの方。でもまあ、どうせならもっと可愛い話をして欲しいものだがな」

「可愛い話、とおっしゃいますと?」

「何かあるだろ、デートっぽい話」

 促され、考え込んでしまう。デートっぽい話……ってどんなのだろう。

「お言葉ですけど私、デートなんてしたの、高校生の時以来です」

 言い訳みたいに答えれば、主任が吹いた。本日何度目になるかわからない。数えておけばよかったかなあ。

「高校時代以来? 真面目なんだな、小坂」

「いえ、真面目というか、要は機会がなかったんです」

「もてなかったのか」

「ずばりと言わないでください、主任……」

 一番新しいデートの記憶は高校時代だ。

 その話を、成り行きで主任に打ち明けることとなった。私に関わる可愛い話といえば、そのくらいしかなかったからだ。もう五年以上の昔の話なのに、ちょっと照れた。

「相手は一つ年上の先輩だったんです。朝尾さんっていう人で」

「へえ」

「友達に仲介してもらって、デートに行ったんですよ。遊園地に」

 周りの友人たちはやたら協力的で、私と朝尾さんとの仲を取り持とうとしてくれた。私も意気込んでデートに臨んだ訳だったけど――。

「ものの見事に失敗しました」

 苦笑いで告げると、主任が案の定と言いたげな顔で問い返す。

「何をやらかした?」

「ええと……私、すごくはしゃいじゃったんです。待ち合わせ場所で顔を合わせてからずっと喋りっ放しで。緊張するとそうなんです、余計なことまでぺらぺら喋っちゃうタイプで」

 一方の朝尾さんは、真面目な優等生だった。生徒会役員もやっていたくらいの。そういう人だから、私のお喋りには付き合いきれなかったらしい。

「朝尾さんは口数も少なくて、終わりの方はほとんど無言でいました。当たり前ですけどそれっきりで……」

「光景が浮かぶようだ」

 主任もしみじみと相槌を打つ。

「友達にもよく言われるんですよ、好きな人がいると態度でわかっちゃうタイプだって。小中高大とずっと言われ続けてきました。どうも緊張しちゃうっていうか、テンション上がっちゃうっていうか。それでばればれなんだって、皆に言われるんです」

 なぜか、好きな人が出来たと申告する前にばれた。ばればれだと毎度のように言われた。朝尾さんの時もそうだったし、それ以前も、それ以降もそう。だから今日だって、同期の子たちにトイレで見つかった時は、既にばればれなのかもと思ってしまった。自覚も、多少あるんです。

「すごく納得した。小坂は絶対そういうタイプだと思った」

「で、ですよね。そうなんですよ」

 テーブル越しに主任がげらげら笑っている。

 私も笑いつつ、心の中ではどぎまぎしていた。

 これってばれてない……よね。当の本人には。


 ともあれ、どんな経験でも積んでおくものだ。

 私のデート失敗談は石田主任の心を掴んだようで、九十分間の食事中、主任はずっと楽しそうにしてくれていた。朝尾さんにも感謝だ。その節はすみませんでした。

 食べ飲み放題の特性を活かして、大いに食べて、飲んだ。

 そうして私ははしゃぎつつ空回りしつつ、主任は吹いたり声を立てて笑ったりしながら、つつがなくお誕生会は終了した。


 帰り際、主任はわざわざ駅まで送り届けてくださった。

「送ってくださってありがとうございます。それとご馳走様でした、とっても美味しかったです」

 一息に私がお礼を述べると、主任はまた笑った。

「気を遣うなって。こっちこそ付き合ってもらえて楽しかった」

 最後まで笑っているから、その言葉は嘘じゃないんだろうと思う。主任にとって、いいお誕生日になったのかな。そうだといいなあ。

「また機を見て誘うから、のこのこついてこいよ」

 そう言った主任は、酔いのせいか機嫌のよさそうな顔をしている。

 言われて私は、思わず背筋を伸ばした。

「あの、はい、喜んで! でも出来れば、次回こそは割り勘にしていただきたいのですが……奢っていただくのはどうしても心苦しいです。だって日頃からお世話になってますし、ご迷惑もお掛けしてますし」

「嫌だ」

 妙に意地悪そうな物言いをした主任。私がでも、と言いかけると、すかさず遮るように口を開く。

「小坂はやっぱりわかり易いよな」

「……え?」

「ばればれなんだよ。だから誘ってやる、楽しみに待ってろ」

 ばればれ……?

 私がぽかんとしていれば、主任は私の肩を叩いて、お疲れ、と言い残して踵を返す。

 そのまま駅前を離れていく後ろ姿を、しばらくぼんやり見送った。結構飲んだはずなのにしっかりした足取りだった。

 大人の余裕、なんて言葉がふと頭を過ぎる。


 帰宅しようと、電車に乗り込んだ時にやっと気付いた。

 ――もしかして、ばれてた? 当の本人に!

 吊り革に掴まりつつ、顔が赤くなるのを自覚する。

 もしも主任が、本当に気付いてしまったんだとしたら、明日はどんな顔をして出社すればいいんだろう。ばればれの態度になってしまわないか、すごく不安だ。


 この苦境、ルーキーにはいささか、難しい。

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