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三年と二十三年(2)

 営業課の飲み会では、仕事の話はあまり出てこない。

 皆無という訳じゃなくて、ちょっと愚痴っぽく『こんなことがあったんですよ』と零す人もいるにはいたし、取引先とのトラブル案件を話し出す人もいる。

 でもお酒が進むと気分がよくなるのか、愚痴や憂鬱な話はどこかに飛んでいってしまって、お座敷のあちらこちらから笑い声や冗談を言い合う声が聞こえてくる。

 学生時代とは盛り上がり方が違うけど、飲み会が楽しいって言うのには変わりないみたいだ。

 私はこっちの飲み会も好き。馬鹿騒ぎをしなくても、まだ緊張気味でいても、それでも十分に楽しかった。


「もうじきグラスが空になるな」

 そう言って、主任がメニューを差し出してくる。

「次、何頼むか決めとけ。他の連中も追加オーダーするだろうし」

「あ、ありがとうございます」

 メニューを受け取ってから、私は自分のグラスがもう残り少なかったことに気付いた。あと二口くらいで空になる。主任はさすが、ちゃんと見ていらっしゃるんだなあ、と驚く。

 こういう気配りこそがビジネスのマナーなんじゃないだろうか。私ももうちょっと、周りを見るようにしよう。食べてばかりじゃなくて。

「遠慮しないでしっかり食べてるか?」

 隣に座っているからか、主任は私のことをよく気に掛けてくれた。 あれこれ話し掛けてもくれたし、お蔭で年上の人ばかりの飲み会でも疎外感を覚えることがなかった。もしかするとそれを踏まえた上で、気を配って隣に座ってくださったのかもしれない。

「はい、食べてます。すごく食べてます。今は餃子の冷めるの待ちで」

 目の前では鉄鍋餃子がじゅうじゅう音を立てている。取っ手すら持てない熱さの鉄鍋は、まだ油が撥ねていた。出来立てだった。

「やっぱ肉か。本当お前は肉食だな」

 愉快そうな顔をする主任は、そのくせお魚ばかり食べている。さっきはお刺身で今は焼き魚。本当にお魚が好きらしい。

 そう言い返そうかとも考えたけど、そんなに観察してると思われるのも恥ずかしいから止めた。

 私の場合は、気配りで見ている訳じゃないから。

「ま、お前はそうやってもりもり食ってる方がいいよ」

 照れたくなるような言葉を、途轍もなく優しく言われてしまう。

 私が食いしん坊だと言わんばかりのからかいは、『わかってるから今更取り繕うな』って意味なんだ、と今頃になって気づいた。お蔭で食欲は一向に減退していないし、頬っぺたはのぼせたように熱い。

 一番下座の席にいるから、隣にいるのは石田主任だけだ。

 必然的に――その方がうれしかったのももちろんあるけど――主任とばかり話をしているような気がする。

 これでもう、十分に元は取りました。来てよかった。現金な私。

「じゃああの、お言葉に甘えます」

 小声で応じてから、すぐ隣の横顔を、メニュー越しに覗き見る。

 主任はウーロンハイを飲んでいる。何杯目かまではわからないけど、酔いが顔に出ない人なのは知っていた。そういうところも大人っぽい。


 視線をメニューに戻す。梅酒サワー、カルピスサワー、カルーアミルクと、甘いお酒ばかりが欲しくなる。苦いのよりは甘い方が断然好き。私はまだ、大人っぽくはないみたいだ。

 ページを繰れば、ふとデザートのコーナーが目に留まった。

 ――あ、デザートもいいなあ。お酒は甘くないのにして、デザートでも頼もうかな。だけどどれにしよう。ミニパフェもいいけど、こっちのあんみつも美味しそうだ。ティラミスに豆乳プリンもあるんだ。すごい充実ぶり。

 カラフルなメニュー写真を前に、少し迷う。


「何だ小坂、飲みながら甘いもの食うのか」

 すかさず主任に突っ込まれて、私は慌てふためきつつも笑ってしまう。ツッコミ待ちだった訳じゃないんだけど、構ってもらえるのが訳もなく、うれしい。

「す、すみません。何となく目についちゃって……こういうのもいいかなあって」

「飲んでる最中に食べるものじゃないだろ」

「そうかもしれないですけど、でも、締めはご飯ものですから、デザートを食べるタイミングも重要だと思ったんです」

 メニューを手に訴えると、主任はさもおかしそうに笑った。笑われた。

「まあな、タイミングは大事だよな」

「ですよね!」

 頷きかけた私に、

「でもデザートは止めといた方がいい」

 主任はそっと、声を落としてくる。ほんの少し顔を近づけられて、それだけでどきっとしてしまった。囁きほどのトーンで言葉が続いた。

「こんな居酒屋よりもっと美味い店があるから」

「……え? そう、なんですか」

 意味が把握出来ずにぽかんとすれば、主任は意味ありげに目配せしてくる。

「ああ。だから、ここでは注文するなよ。後でな」

 つり目がちの眼差しにまた心臓が跳ねる。垂直跳びだった。


 こんなに目配せの格好いい男の人って他にいるだろうか。

 いないと思う。どきどきする。恐ろしい速さで酔いが回ったような気がする。

 ――でも、後でってどういう意味だろう。二次会があるとは聞いてなかったんだけどな。主任的に、この居酒屋はお薦めじゃないってことなんだろうか。お料理は十分美味しいのに。

 私たちのいるお座敷だけじゃなく、居酒屋は店内のどこもかしこもざわついていた。もしかしたら何か聞き違いをしたのかもしれない。確かめるには心臓もうるさくて、とりあえず、デザートは諦めておくことにした。


 選び終えてメニューを置いた頃には、鉄鍋餃子がいい具合になっていた。

 箸を取り、いそいそと齧りつく。まだ若干熱かった。負けじと噛み切る。中身の具も肉汁も熱い。だけどジューシーで美味しい。美味しいのに熱いって結構な苦行だと思う。もっとばりばり食べたいのに、それをさせてもらえないというのが。

「よしよし、張り切ってるな」

 餃子と格闘している最中に、主任がそう言ってきた。返事が出来ず、恐る恐る視線だけを向けてみる。目が合うと、吹き出された。

 ここは笑われたくなかった。と言うか、食べてるところを見られるのが恥ずかしい。食いしん坊なのはもう周知の事実なんだろうけど、それでも何と言うか、恥じらいが皆無な訳ではないんです。

 言い訳がしたくなって、手早く餃子を飲み込んだ。


 その時、

「――楽しそうですね」

 ぼやくような霧島さんの声がして、私は視線をそちらに移す。

 真向かいの席にいた霧島さんが、不満げな顔をしてビールを呷っている。私じゃなくて、ちらと主任の方を見た。

「さっきから先輩、小坂さんのこと独り占めしてませんか。俺、真向かいにいるのにほとんど口を利けてないんですけど」

 言われて、そういえばと思い当たる。せっかく向かい合わせに座っているのに、霧島さんとはあんまり話をしてなかった。こういうところが私、ばればれなのかもしれない。

 どぎまぎする私をよそに、石田主任は平然と答える。

「別に独り占めなんかしてない。話し掛けりゃいいだろ」

「こっち見てくれないんですよ。先輩が構い倒してるから」

「何だよ。長谷さんだけに飽き足らず、小坂まで狙ってくるってのか」

 主任の口ぶりはからかいの域を出ていなかったものの、私は少なからず驚いたし、霧島さんはそれ以上にうろたえていた。むっとした顔で言い返している。

「や、止めてくださいよそういう言い方は!」

「いや、言うね。長谷さんにばっちり言いつけてやる」

「先輩! 何で俺が悪いみたいな流れにしたがるんですか!」

 二人のやり取りはいつもこんな調子だ。主任は霧島さんを慌てさせる方法をよくわかっていて、霧島さんはほぼ百パーセントの確率で言い負かされてしまう。

 主任の切り札は長谷さんの名前で、出されると霧島さんは狼狽してか、反論の言葉が鈍くなる。

 いつだったか、霧島さんに言われていた。私のことで主任をからかえるようになりたいって。

 でもそんな日が来るとは思えないし、そもそも霧島さんは、長谷さんの件に関しては脆過ぎると言うか、効果覿面過ぎた。

「いいからお前、とっとと長谷さんにプロポーズしろよ」

 自分が優勢と見ても、主任は攻撃の手を緩めない。余裕をうかがわせる口調で続ける。

「大体、机の引き出しに指輪のカタログなんて入れっ放しにしとくなよなあ」

 霧島さんの表情が一瞬、凍りついた。

 その後たちまち真っ赤になって、

「――ど、どうして知ってんですかそれ!」

「こないだ修正液借りようと思って引き出し開けたら見つけた」

「勝手に開けないでくださいよ!」

「いいだろ、もう五年の付き合いなんだし。で、結局買えたのか。付箋つけてたペアリング」

 主任の発言に、お座敷は俄かにどよめき立つ。うろたえる霧島さんに注目する営業課一同。皆が冷やかし半分、祝福半分の視線を送っているのがわかる。私もちょっと、期待したくなる。

 ぐっと詰まった霧島さんは、数秒後、深く息を吸い込んでから叫んだ。

「絶対に教えません!」


 以降、場の空気はすっかり変わってしまって、飲み会と言う名の『霧島さん尋問会』が始まった。

 皆が席を立って真っ赤な顔の霧島さんを取り囲み、あれやこれやと質問を矢継ぎ早に浴びせかける。主任は率先して突っ込んだ質問をぶつけていた。

 霧島さんは黙秘を貫こうとしていたけど、難しかったみたいだ。


 最後の方はもう投げやりな様子で受け答えしていた。

「もういいですどう思ってもらったって。そりゃあ長谷さんは好きです愛してますよ。いいじゃないですか結婚なんて結局そのうちにはするんですから。ええそうですよ、今でも名字にさん付けで呼んでますって。それが何か?」

 皆の関心も課長が仲人をするのかどうか、営業課で出し物をするなら何がいいかという方向へ移り変わっていって、その後の飲み会は実に和やかなムードだった。

 傍で見ている分には、ちょっとかわいそうな気もしたけど。


 でも、幸せそうで羨ましいなとも思う。

 恋人がいるって素敵だな。特にそれが、結婚を考えられるほどの相手だったりしたら。

 霧島さんと長谷さんは結婚するのかな。

 そう考えると、自分のことでもないのにちょっとどきどきした。  

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