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妹が恋人になりました。  作者: 蒼龍 葵
ー弘樹 論文発表会編ー
9/26

第九話 「お兄ちゃんという壁」

 ――雪とは気まずい空気のまま、すれ違いの日々が続いた。

 もう論文もラストスパートに入っているので、家に帰ることは着替えを取りに帰るくらいで、それ以外は誰かの家か図書館でずっと作業をしている。

 風呂に入るために家へ帰るのも、勿論雪が大学に行っている時間なので、この数日間、家族の顔を見ていない。


 今日は論文の最終仕上げにかかる為、珍しく嶋の家を借りて5人で活動をしていた。

 彼女は一人暮らしをしているので、何人知人を上げても問題ないといつでもウェルカムな態度を見せてくれる。

 夕飯までしっかりご馳走になり、残りのラストスパートをかけたところでようやく分厚い論文が完成した。

 添付資料も含めると既に本が一冊出版出来そうなくらいの分厚さだ。

 しかしこれだけの裏付け資料がないとすぐに教授に見もしないで突き返されてしまうので本当に大変な作業だった。


「くぁ~~~~っ。長かったぁ~!!」


 森田は大きく伸びをして完成した論文を置いて、どさりとフローリングの上に倒れ込んだ。

 俺も論文が仕上がったことでやっと肩の荷が下りた。これで少しはサークルの方にも顔を出せるし雪にも……

 ふと雪のことを思い浮かべて俺は表情を暗くした。その微妙な変化を悟ったらしい嶋さんが不安そうに俺を見つめてくる。


「弘樹君、どうかしたの?」

「あ、いや……やっと終わったなって」

「そうだね…でも残念。折角弘樹君と同じチームになれたのに、今回でチーム解散だもんね」


 少しだけ嶋さんがそう寂しそうに言っていた。そういえば、いつもは桑原や坂田、山村と4人で活動していたので、このメンバーでの論文は初めてだ。

 森田と寺内さんは前々から同じチームで活動していたが、俺を含め他の3人は専攻分野が違っていたのであまり一緒になる機会すら少なかった。

 何やらしんみりしてしまった空気を打ち消す為、寺内さんがそうだ、と手を叩く。


「ちょっち早く終わったし、このまま飲み会しない?」

「はぁ!?溝口教授からオッケーもらってからに決まってんだろ!?」

「堅いこと言うなぁ森田は~。ねねっ、弘樹はどう?」


 隣に座っていた寺内さんがずいっと顔を近づけてくる。確かに今は気分もちょっとむしゃくしゃしてて飲みたい気ではあった。

 時計を見るとまだ時刻は確かに21時だった。終電までに帰れればいい……そんな気分で俺はいいよと軽く返事をした。




*************************************************




 田嶋は車で来ていたのと疲労が蓄積したのでパスと言い、今日は家に帰ってしまったが、残りの4名で俺達は近所の居酒屋へ足を向けた。

 軽くハイボールを飲みながら話は互いの最近の恋愛事情に移る。


 先ほどさっさと帰った田嶋は疲労が、とか言っていたがどうやら最近彼女が出来たらしい。勿論同大では無いのでどんな子かは誰も情報を知らない。

 一方の森田と寺内もこの4年間同じ研究を重ねてきて、喧嘩の絶えない二人だったが、それでも馬が合うのか、半ばもう恋人同士なくらい仲が良い。

 しかし二人は恋人同士なのか?と尋ねると見事なユニゾンで違う!と答える。息までぴったりじゃんともはや出るものは苦笑しかない。


 肉を焼いていた森田がそういえば…と思い出したように俺の顔をじっと見つめてきた。


「こないだ弘樹んトコで作業してたんだけど、1年の雪音ちゃんいるじゃん?」

「あぁ~桜田さん?超可愛いよね。なんか、お人形さんみたい。ふわっとしてていつもニコニコしてて感じいいよねえ」

「そーそー。だからさあ、雪音ちゃんを狙う猛者が多くて、お兄ちゃんの弘樹は大変だろうなーって」


 ――お兄ちゃん……

 だよなぁ……そう思われても仕方がない。

 どうして苗字が違ってもはたから見たらそういう風に……


「……」

「弘樹?」

「え、あ?あぁ……そう、だな……」


 訝し気な森田の声に漸く我に返った俺は少し氷の溶けたハイボールをぐっと一気に煽った。

 他の男の所になんて行くな。

 そう言えたら楽になれるのに……


「ほら、弘樹焼けたよ。あんた細いんだからちょっと食べなさい」

「寺内さん、母さんみたいだよ、その言い方」

「はあ!?そんな大きい子を持った覚えはありませーんっ。」

「俺にも上カルビくれよ」


 箸を伸ばしてきた森田の手をぺしっと叩き、寺内さんは勝ち誇ったような笑みで肉を振り分けていた。


「森田はそんなに仕事してないでしょ。今回の功労賞は人一倍データ纏めてくれた弘樹なの。上カルビは弘樹と由紀奈にあげるね~。はいどーぞ」

「くっそおおお肉寄越せ~!食べ物の恨みは怖いんだぞっ!!」

「はいはい、カルビやるから、貸し1な?」


 俺は半泣きの森田に今もらった肉を皿に移す。それだけで嬉しかったのか、彼はウルウルしながら俺の首に抱き着いてきた。


「弘樹~!お前だけだぜ友情に感謝!!」

「肉一枚で友情を語られるのはちょっと……そして暑苦しいから離れろ」

「弘樹優しすぎ~。そんなんじゃあまたファンが増えちゃうじゃない。ねえ?由紀奈」


 森田とのいちゃつき具合を横目で見ていた寺内が、隣に座る嶋へいきなり話題を振る。


「えっ……な、何で私に……」

「んっふふ~。何でだろうね~。そういや、弘樹って彼女いるの?」


 漸く森田の抱擁から解放された俺は唐突な質問に思わずいないよ、と答えてしまった。


「マジで?弘樹彼女いねーの!?お前激モテんじゃん。女子が今の発言聞いたら戦争が起きる」

「んなわけ無いって……みんな俺が持ってる薬の研究データ知りたいだけでしょ。結構海外のデータ集めたし」

「違う、違う!お前、薬剤部以外でもモテてんの知らねーの?法学の三好に今の発言聞かれたらやべーぞ」


 三好さん…そういうえば雪の歓迎会の時にやたら寄って来た子だ。ノーコメントでスルーしてきたけど、流石に居ないと言うのは危険だろうか。

 かと言って雪と付き合ってると言っても誰も信じてくれないし……またそういうお付き合いのフリを桑原に頼むのも気が引けるし、もう彼女はそういうことはしないだろう。

 もう一杯ハイボールを注文して、俺は言ってしまった軽率な言葉を恥じた。




*************************************************




 追跡から逃れる為に俺はちょっと酒を飲み過ぎたらしい。時間はさほど遅くなかったのだが、タクシーに乗り込んだ時には半分眠っていた。


「弘樹君、ちゃんと帰れる?」

「ん……大丈夫」


 タクシーの後部座席に乗り込み、シートに沈み込んだが半分意識は朦朧としている。

 その光景を見た寺内がにやりと口元に笑みを浮かべ、おろおろしている嶋を一緒のタクシーに突っ込んだ。


「由紀奈、後よろしくぅっ。ほら、私らも帰るよ」

「お、お~お疲れなぁ、弘樹、由紀奈」


 寺内と森田はそのままにこにこしながら自分達の家の方へと帰っていった。

 俺の記憶はかなり朧げで、ふっつりと途切れていたが、隣に座っている嶋さんの手が妙に温かくて気持ちよかったから、まどろみの中に落ちていた。


 家の住所を何とか告げてタクシーに運ばれる。優しい嶋さんはそのままタクシーを待たせておきながらわざわざ重い俺を抱えて玄関まできた。


「ねえ、弘樹君……お家の鍵は?」

「う……吐きそう」

「ちょ、ちょっと座って。あと、携帯貸して?」

「んー……」


 俺は頭がふわふわしたままポケットに入れていた携帯を取り出し、彼女に渡す。

 ロック解除について聞かれたので誘導されるまま番号を伝えると、彼女はすぐさま誰かに電話をしていた。

 数秒後に真っ暗だったはずの家に明かりがつき、玄関まで慌てた様子の雪が降りてきた。

 

「あ……」


 カチャリと開けられたドアの前に立っていたのはピンク色の可愛いパジャマを着ていた雪音の姿だった。

 あまりにもラフで、弘樹と一緒に住んでいるという事実。それが例え義妹としての関係だとしても、自分には越えられない壁。

 嶋はパジャマ姿の雪音を見て、きゅっと唇を噛みしめていた。


「桜田さん?ごめんね、弘樹君、飲み過ぎちゃって……」


 彼女の僅かに抱いた嫉妬に気付かない雪音は、酔っ払ってふらふらの弘樹を嶋と交代して自分の肩に腕を抱えて玄関まで歩く。


「――すいません……ひろちゃん、立てる?」

「んー……ゆきぃ?」


 俺は少しだらしない声を出したような気がする。もう寝ている時間の雪を起こしてしまったことは申し訳なかったが、わざわざこうして雪が迎えに来てくれたことに俺は心から安堵した。


「ありがとなぁ、嶋さん……また明日……」

「あ、う、うん……お疲れ様、弘樹君」


 俺はドアの向こうで嶋さんが抱いている感情に気付かなかった。

 ――すれ違いで殆ど雪と喋ってなかったのに、たったワンコールだけで雪が来てくれた。ただそれだけの事に安堵してしまって。



 そして、酔っていた俺は、そのまま嶋さんに携帯電話を渡したまま別れてしまったことを――後に後悔することとなる……

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