第四話 「喧嘩はダメだよ?」
大学病院実習が一段落して俺はテニス愛好会に久しぶりに顔を出した。そこでは雪がもう既に部員達とすっかり打ち解けており、楽しく打ち合いをしている姿があった。
「お、雨宮久しぶりだな?実習終わったん?」
「はい。今日は神崎さんはお休みですか?」
いつも一緒にいるはずの彼女の姿が無かったので、俺はテニスコートの方に視線を向けた。
煙草を吸っていた御岳さんは照れ臭そうに頭をぽりぽり掻きながら実は…と歯切れ悪く答える。
「あぁ。菜穂は家で寝てる。昨日ヤりすぎちゃって……」
「……そういうプライベートな情報はいりませんよ……ったく」
てへっと笑うテニス愛好会部長の御岳さんは、副部長の神崎菜穂さんとお付き合いしている。
皆が公認する程の爽やかイケメンと知的美女のカップルで、二人がテニスをしている姿は見ているだけで心が癒されるという。
その二人を見る為だけにやってくる新人の見学の部員も多いくらいだ。
久しぶりに俺はポロシャツに半ズボンに着替え、あまり使っていないテニスのラケットにボールを乗せる。
「雨宮先輩っ!!」
「きゃ~~っ!先輩、実習終わったんですかぁっ!?暫くまたサークル来ます??」
俺は今日に限って女子の部員が多くいることに驚きを隠せないでいた。
一体何事かと思って御岳さんを睨み付けると、どうやら確信犯の彼は今日俺が来るってことを部員に漏らしていたらしい。
「あの……俺は幽霊部員みたいなもんだから、テニスやるんだったら三岳さんと……」
「雨宮先輩がいいんですぅ~っ!!」
「先輩のフォーム、超カッコいいから、それを拝めるだけでも幸せなんですっ!!」
まるで王子様を拝む小人たちのような反応だ……俺は苦笑しながらじゃあ1セットだけね、と言いコートに向かった。
同じ男子部員の後輩は黄色い声に囲まれる俺を見てさも面白くない反応を見せる。特に2年生の三宅君なんかはこっちをものすごい目で睨み付けているくらいだ。
「……雨宮先輩、俺と1セット勝負しませんか?」
「ははっ…無理だよ、だって三宅君強いもん」
三宅君は中学校の頃からテニスの強化選手として育てられていた子なので、勿論ド素人の俺が戦っていい相手なんかじゃない。
本来だったら海外の大会にでも行ける程の腕を持っていたのだが、筋肉疲労が重なり、4年前に腱断裂を起こしてから長時間の試合に身体が耐えられなくなり、泣く泣くプロを諦めたのだと言う。
それでも、大好きなテニスを捨てる気はなかったので、こうして今もサークルとして続けている。
そういうスポーツに真っすぐな性格だからこそ、俺みたいにふわふわ参加している連中が気に入らないのかも知れない。
「逃げるんですか?そういうの卑怯ですよ」
「……う~ん。俺と戦ってもつまんないと思うよ?」
「つまる、とか。つまらない、とかそういう問題じゃないんですよ、俺にとっては」
少し苛々した様子の三宅君と俺の空気をぶった切ったのはいきなりコートのど真ん中にずかずか入って来た雪だった。
「三宅先輩、ひろちゃんと喧嘩しないで」
「はぁ?」
「ひろちゃん、何も悪いことしてないでしょ。ひろちゃんは、毎日論文と研修で疲れてるんだからっ!」
ぽかんと口を開けてフリーズしている三宅君をそのままに、俺は雪の腕を引っ張ってちょっとこっちに…と呼びつけた。
あぁ、頭が痛い……どうしてあのタイミングで雪が来るんだ。これで絶対三宅君はますます俺に対して苛々してくるだろう。
別にサークルに入るという強制は無いのだが、御岳さんが企画するイベントは結構面白いので、出来れば卒業まではこのままテニス愛好会に在籍していたい。
いつもたまり場として使っている3号館の裏ラウンジに雪を連れて来たところで俺はその細い手首から手を離した。
「あのなぁ雪……俺と三宅君は喧嘩していたんじゃないんだ」
「でもね、三宅先輩、一方的にひろちゃんに文句言ってた。ユキはとってもおこです」
「…………」
お、おこ……?
おこって何だろう……
最近の若い子が使う言葉はよく解らない。
「ユキ、三宅先輩におこおこ。あんなの、ひろちゃんに対してのイジメだよ」
「いや、虐めって程じゃないと思うんだ。彼はテニス愛が強いから、ちょっと俺みたいに出席率の悪い奴が気に入らないだけで……」
「ほらぁ~。気に入らないって言った!そういうのユキ赦せない。三宅先輩とっちめる」
「ま、待て待てっ!俺は三宅君と喧嘩なんかしてないからっ!」
本気で雪が三宅君に説教しそうな勢いだったので、再び手首を掴んでその暴挙を止める。
一度スイッチが入ると雪は何をしでかすか分からないのが玉に傷だ。それ以外は本当に良い子なんだが……。
「ひろちゃん、ユキに嘘ついてない?」
「ついてない。ついてないよ」
雪の両肩を押さえながら俺はまずは話をしよう。と雪をこの場に足止めする。
俺のたじたじになっている顔を訝し気に見つめる雪は、ちょっとだけ小首を傾げてきた。
「ホント?」
「うん。三宅君とは仲良しだから大丈夫。あれはな、俺と勝負したかったけど、俺が忙しくてなかなか顔出さないからちょっと寂しかったんだよきっと」
適当に苦しい言い訳を並べると、それで雪は納得したのか、じゃあユキと一緒だね!とにっこり微笑みながらコートの方へ戻っていった。
――翌日、再び俺はサークルに顔を出すと物凄い剣幕で三宅君に怒られた。
あんたの妹が三宅先輩は俺のことが大好きなんだねって言ってるんですけど!と。
一体雪が俺の言葉をどういう風に解釈をして、彼にどう伝えたのか…
――俺はその真相を知らないので、よく解らない。