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第三話 「喧嘩する程愛が深まる」

 俺は薬剤師の資格を取る為の必要最低限の関門として、あと2年教授の下で出来るだけ研究をしながら学ばせてもらうことにしていた。

 何度か海外での研修参加の要請もあったのだが、此処で海外に行ったら雪がどうなるかわからない。

 家庭の事情で…と苦笑しながら教授のアプローチを断っていると同じ学部の桑原が声を殺して笑っていた。


「……そんなに笑うなよ……」

「あははっ。だってさぁ、あんたが海外研修行かないのって、雪ちゃんの為でしょう?もうおかしくって…ぷぷっ」

 

 桑原くわはら 恵美えみ――彼女は俺が大学1年の時にブラコンの妹と俺の関係性を心配して『フリでもいいから恋人になろう』と言って来た女だ。

 性格はサバサバしていて裏表もないので、男女問わずモテる。しかし未だに彼氏を作らずに独身貴族を貫くと豪語しているつわものだったりする。


「……まぁ、あと3年だからその間に強制的に行けって言われたら行って来るけど……」

「学部一緒なんでしょお?もしそのうち行けって言われたら一緒に行けばいいじゃん」

「簡単に言うなよ……だってあいつの友達は俺と雪が付き合ってるなんて知らないんだから」


 研究室を出てため息をつくと、何故か向かいから不満そうな顔をした雪が近づいて来た。この時間は確か3限の講義があったはず。

 まさか講義を早速サボリかと思い俺は訝し気な顔で雪を見返した。


「ひろちゃん、また桑原さんと浮気してる……」

「またって何だよ……つーか、桑原は学部一緒だし、今アメリカで症例検討してる新しい抗がん剤についての合同研究仲間だから仕方がないだろ」

「やだっ!ひろちゃん、ユキも一緒に……」


 こういう駄々っこモードの雪に何を言っても通用しない。

 小学校の頃だったら雪が多少我儘にゴネてもどうにか対処できてたと思う。

 しかし今は違う。もう二十歳を過ぎた大人だと言うのに、雪は全く変わらない。


 最近睡眠不足も重なっていたせいか、俺は少しだけ苛々していたのだと思う。

 腕に縋りついて来た雪の手を少しだけ強く離す。

 驚いて目を丸くしている雪が俺の顔を見上げて来た。動揺した眸がどうして?と言っている。


「……雪、お前は一体何の為にこの大学を選んだんだ?母さんだって、父さんだって俺達を大学に行かせるのにどれ程苦労してると思ってる?」

「ひろちゃん……」


 雪の顔がみるみるしょんぼりしていく。悲しませたいわけではないのだが、一度言ってしまった言葉は止まらない。

 泣けば済むという問題じゃないんだ。俺達はもう子供じゃない。

 ――だからこそこうやって中途半端に公私混同していちゃいけないんだよ。


 はぁと重いため息をつき、俺はショルダーバックを持ち直すと顔色を無くしている雪をそのままにして背を向けた。


「お前が薬科に興味があるとは正直思ってない。俺と一緒に居たいだけだったら今すぐ家に帰るんだな」

「ちょ、ちょっと弘樹……」


 言い過ぎじゃないの?という桑原の声は俺に聞こえなかった。

 遠くで雪がすすり泣いている声がする。それでも俺は、あの手を取ったらまた同じことの繰り返しになると思い、突き放してしまった……。




*************************************************




 大学4年目になると講義というより殆どが実習と論文と研究で追われている。

 今もグループに分かれて共同研究を行っており、同時に論文を提出する予定となっている。

 他にも大学病院に実習として勉強に行かせて頂き、その病院の特色だったりどういう指導や薬の管理をしているのか学んでいる。

 目まぐるしい忙しさに、毎日帰宅は22時を過ぎることが多かった。


「ただいま……」


 帰宅しても母は既に眠っているので返事なんてない。

 奥の閉められた部屋に明かりが漏れないようにキッチン側の電気をつけると、テーブルに突っ伏して眠っている雪の姿があった。

 目の前には二つ並んだ茶碗と箸。ラップにかけられた雪お手製のおかずが並んでいる。

 眠っている雪の目は真っ赤で、いつからここで寝ていたのか、いつから泣いていたのか……そんなことを考えたら急に胸が苦しくなった。


「ごめんな、雪……」

「ん……う~。ひろちゃん?」

「うん。ただいま」

「……ごめんねひろちゃん…ユキ、ひろちゃんに迷惑かけたよね」


 眠いのと泣いていたせいで頭が痛いのか、雪は赤く腫れた目をごしごし擦っていた。

 ウサギのような真っ赤な目になっている雪は、それでも俺におかえり、と笑顔を向けてくれる。

 愛おしいその笑顔を見て、俺は何て馬鹿なことを言って傷つけたんだろうと自分の言葉を猛烈に反省した。

 俺は腫れているその眸を指で触れながら、瞼の上に触れるだけのキスを落とす。


「ひろちゃん……?」

「俺も、きついこと言ってごめんな雪……」


 愛おしい雪をぎゅっと腕に抱きしめ、もう一度唇に触れるだけのキスをした。

 恥ずかしいね、と雪が言った言葉で俺はこんなトコで何してんだと我に返ってかっと顔が熱くなるのを感じた。


「ひろちゃん、ご飯食べて?ユキお腹空いちゃった」

「お前なぁ……俺は遅くなるんだから、ご飯先に食べろって……」

「だって、ひろちゃんと一緒にご飯食べたいんだもん」


 レンジでご飯やおかずを温めながらそう言う雪はぷぅっと口を尖らせながら不満を漏らした。

 そうやってストレートに自分の感情を言ってくれる雪は本当に可愛いと思う。

 確かに一人でご飯を食べるよりも、一緒に食べた方が美味しいかと納得しながらテーブルに二人で座り頂きます、と手を合わせる。

 雪が作ってくれたハンバーグをつつき、俺はふと時計を見た。既に日付が変わろうとしている。


「……雪、早くお風呂入った方がいいぞ。明日早いだろ」

「じゃあご飯食べたら、ひろちゃん一緒にお風呂入ろ?」


 思いがけない雪の言葉に俺はハンバーグの肉が喉にひっかかって思い切りむせこんだ。

 お茶をもらって危うく窒息しかけていたところから救済される。

 はーはーと息を整えながら雪にちょっと待って、と手を伸ばす。


「おま……そ、そんなの無理に決まってるだろっ!」

「どうして?」


 きょとんとしている雪を見ていたらこっちの方が恥ずかしくなってきた。

 家で…しかも母さん寝てるのに、それでこの歳で一緒に風呂なんて入ったら……俺は今晩大人しくゆっくりと眠れる自信が全くないのです。

 一体、それをどうやったら雪に分かってもらえるのか。

 ……せめてお互い負担のない時だったら…とか、家じゃなければ…とか少し邪な考えがふと脳裏を過る。


 俺は答えの出ない問いに悩まされながら、楽しそうに鼻歌を歌いながら食器の片付けをしている雪の背中を見て聞こえないように小さなため息をついた。


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