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妹が恋人になりました。  作者: 蒼龍 葵
ー弘樹 論文発表会編ー
12/26

第十二話「携帯電話に込められた深い愛情」

『雪――……』


 あの時、手を伸ばしても届かなかった僅か5メートルくらいの距離。

 三宅君と雪とのキスシーンが頭から離れない。


 俺は家に帰ってきても発表原稿が真っ白なまま机の上で何度目か分からないため息をついていた。

 あいつが雪にあんなことをしたのは分かっている……

 俺が、雪に対していつまでも中途半端な態度を見せているからなのだろう。


 だからって、他人のあいつに一体何が分かる。

 俺と、雪は――ずっと兄と妹として育てられて、雪がいくら俺に好意を見せても傍から見たら兄妹としか見られない。


 ……俺が、周りに自分の口で言わなかったから悪いのか?


 雪が学校で兄ちゃんと付き合ってるなんて知ったら可哀想だ…って。それは一体誰が決めたことだ。

 全部俺が勝手に何でも決めつけて……雪の気持ちも確認しないで……


「……はぁ……」


 こんな気持ちじゃどのみち発表原稿なんて纏まらない。

 俺はまだ読んでいない他の研究の内容の分厚い資料を見て頭が痛くなる思いだった。

 下に降りて珈琲でも飲もうと思い、階段を下りる途中で帰宅した雪と遭遇した。


「雪……」

「ひろちゃん、ひろちゃん……!」


 雪と視線が絡み合う。雪は顔をくしゃりと歪めながら靴を適当に脱ぎ捨てて一気に俺の方へ駆け寄ってきた。

 俺はまだ階段の途中に居るというのに、雪は肩にかけていたバックをフローリングに落として、全力で俺の胸にしがみついてきた。

 ……声を殺して泣いている雪の頭を優しく撫でる。

 俺は馬鹿だ……論文をずっと一緒に行ってきた仲間も大切だけど、何よりも一番大事な家族すら守れないなんて。

 

 そもそも天秤にかけた訳ではないが、あの時、俺が去らなければ三宅君を殴り殺していたかも知れない。

 生まれて初めてだ。あんなにも人を憎いと思ったのは。


「……雪、ごめんな……」


 くしゃりと髪を撫でる。俺の詫びの言葉の意味を悟っている雪は、ふるふると首を左右に振っていた。いつも一本に纏めている長い髪が、少しだけ乱れている。

 泣いている顎を掴み少しだけ顔を上に向かせる。その小さな唇にそっと指で触れるとよほど何かで強く擦ったのか、唇がかさかさしてうっすらと血が滲んでいた。

 いつも綺麗にケアしているピンク色の唇が、血で赤くなっている。


「こんなにして……痛かっただろ」

「だって……ひろちゃんじゃないと…やだ」


 ぽろぽろと大粒の涙を零す雪を、俺は無言で抱きしめる。こんなにも傷つけてしまって……胸が痛い。

 俺は乾燥した指の腹で雪の荒れた唇をすっと撫でた。少し痛かったのか、僅かに眉尻の下がった顔を顰められる。

 両手で小さな顔をそっと包み込み、俺は雪の唇を軽く食んだ。渇いた唇からは少しだけ血の味がする。


 雪は、三宅君のキスを消したくて、消したくて――こんなにも自分で無理矢理擦ったのか。


 恐怖の記憶を上書きするように、俺は何度も雪の唇にそっと己のを重ねた。雪も泣きながら眸を閉じて俺の背に手を回してくる。

 ぎゅっと密着した身体は、ほんの少しだけ震えていた。




*************************************************




 雪の小さな手を握り、俺はゆっくりと階段を上り彼女の部屋に入る。

 相変わらず全体がピンクな部屋のシングルベッドには、半分くらい寝床を占領するような大きな熊のぬいぐるみが陣取っていた。

 一体いつまであの子供っぽいぬいぐるみを置いているのだろう、と俺は苦笑しか出ない。

 そんな俺の態度を見た雪は、俺の手をそっと離して先に自分の部屋に入り、大きな熊のぬいぐるみを抱きかかえながら俺の前まで戻ってきた。


 ばしっ。


「ひろちゃんのばか……」

「え……?」


 素手ではなく、ぬいぐるみの手を使って俺の身体をべしべし叩いてくる。

 片手でガードできる程の弱々しい攻撃なのだが、雪は何かに取りつかれたかのように執拗にそれで叩いてきた。


「ひろちゃんの、ばか…!」

「ゆ、雪…?」


 綿がしっかり入っている熊のぬいぐるみの手はさほど痛みはなかったが、雪がどうして俺を叩いてくるのかその理由がさっぱり分からない。

 しかもぬいぐるみ越しから見える雪の眸には、新しい涙が滲んでいた。

 俺は熊を片手で退かすして雪の両肩をしっかり掴む。


「……ひろちゃん……携帯、女の人に渡しちゃダメだよぉ……」

「ごめんな、雪……」

「ひろちゃんが、取られちゃったかと思った……」


 ぐすっと鼻を鳴らしながら雪は俺の肩口に顔を埋めてくる。

 酔っぱらった俺を雪が介抱してくれた昨日のことだ……

 雪は俺からの着信に慌てて出たら、その電話口から聞こえた声が女性で相当驚いたらしい。


 俺は可愛い雪を抱きしめながらポケットの中に入れたままの携帯を取り出した。

 待ち受けは勿論、雪と一緒に写っている自分で、フォルダーの中には幼少時から現在に至るまでの雪の写真が沢山入っている。


『ひろちゃん!』


 小学校の運動会の動画を流す。たった5秒のそれは、俺を見つけて走り寄ってきてどすんと俺にぶつかったところで終わる。

 たった5秒の短い動画は、雪が俺に対する深い愛情で溢れていた。

 俺が、父さんの携帯を借りて、生まれて初めて撮影した動画で、雪が一緒の家族になってから初めて俺に抱き着いてきた動画。

 懐かしい自分の小さい姿を見た雪は泣きながら笑っていた。頬を伝い落ちる涙を指の腹でそっと拭う。


「――これでも、俺の愛が信用できない?」

「ふふっ……ひろちゃん、これじゃあ、ちょっと危ない人みたい」

「失礼だな。小さい頃の雪は本当に可愛いぞ、運動会のこれとか……あと――……」


 慣れないスマートフォンで別の動画を探し始めると、雪は小さい頃と同じように頬を膨らませて途端に不機嫌になる。


「もうっ……昔は昔だよっ。今のユキは?」

「勿論、今の大人になった雪も大好きだよ」


 鼻頭に触れるだけのキスをすると、雪は大人しくなってそれ以上抵抗を見せなかった。

 再び触れそうな距離まで唇を近づけると、ただいま~と一階から呑気な母さんの声が聞こえてくる。

 二人同時にビクリと身体を強張らせ、短い沈黙と同時に顔を見合わせて小さく笑った。


「……残念。タイムアップ」

「ひろちゃん……」


 名残惜しそうな眸を向けてくる雪の顎を掴み、ちゅっと音を立ててキスを残し、俺は部屋のドアを閉めた。

 このお姫様の部屋を出た後でいつも思う……雪のいつも初心な反応に、心が乱される――……

 俺は熱くなった頬を冷ましながら、発表原稿に取り掛かる為に再び自室に戻った。




*************************************************




 翌日――


 俺達はスタバのソファー席を陣取り、1時間だけドリンク2杯で粘らせてもらうことにした。

 もう女子達の疲労がピーク過ぎて甘いものが無いと集中してくれない為、こういうことになったのだ。

 喫茶店でも良いのだが、5人席となると多少スペースが広い場所に案内されてしまって落ち着かない。

 そういう意味ではこのスタバの環境はかなり落ち着いて作業に取り掛かれた。

 寺内さんと、嶋さんは二人掛けの席に座って他のチームの論文を吟味している。


「弘樹、新薬開発から10年前の参考資料集まった?」

「確か添付資料の188ページに入れてたはず」

「うげぇ……辞書かよお前……あ、サンキュー。マジで弘樹サマサマだな」


 俺は昨日の嶋さんの突然のキスの意味を考えながら、資料のページを尋ねてくる森田に相槌を打ちながらも少しだけぼんやりしていた。

 そんな俺の様子を見た森田が目の前で大丈夫か?と手を振っている。


「弘樹、お疲れだよな。発表まであと1週間だからここが踏ん張り時だぜ」

「田嶋~あんたももうちょっと弘樹の手伝いしなさいよ。他の班の質問考えたの?」

「じぇんじぇ~ん」


 鼻の下にボールペンを当てながら口笛を吹いている田嶋は完全に集中力が切れていた。

 森田も何度も寺内さんに文句を言われているから辛うじて稼働しているだけで、質問の前に論文を読む段階だけでストップしている。

 そりゃあ英語が苦手な二人からしてみたら、5班の掲げている海外のデータの検証および、英語の羅列は解読するだけで骨が折れるだろう。

 遊びモードになっている田嶋を見かねて寺内さんが大きなため息をついていた。


「はぁ……言うと思ったわ。ちょっと甘いもの欲しいな。由紀奈、下でもう一杯買ってこよ?」

「うん。みんな何飲みたい?」


 優しい嶋さんがみんなの分の注文を取ってくれたので、俺もそれに便乗して甘えた。

 再び発表原稿を纏めていると、向かいに座っている森田が神妙な面持ちで俺に耳打ちしてくる。


「……なぁ弘樹。お前さ、嶋と何かあった?」

「え?どうして……」

「噂なってるぞ。テニスサークルの王子が、薬剤部のミステリアスマドンナと堂々と白昼の下キスしてたって」

「はぁ?」


 根も葉もない噂に、俺は噂の出所が間違いなくテニス愛好会の誰かだと分かり軽く舌打ちしたい気分だった。

 大体、そんなありえない話が広まったら嶋さんだって迷惑に決まっている。

 俺には、彼女がどうしてそんな軽率な行動を取ったのか分からない……今まで嶋さんから一切好意らしい好意を向けられたことは無いのだから。


 温くなった珈琲を飲みながら俺は発表原稿の中核部分に視線を落とし、女性の気持ちは分からないな、と心の裡でひっそりと呟いた。


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