第一話 「雪が同じ大学に来るらしい」
俺、雨宮 弘樹は、義妹の雪音と晴れて恋人同士になった。
妹――と言っても雪は厳密な妹ではなく、両親の連れ子再婚によって必然的に家族になった血のつながっていない妹だ。
だから、戸籍上も特に問題があるわけでもないし、最初っからお互い「お兄ちゃん」とか「妹」とか呼び合ったことがない。
大学の薬剤部に在籍している俺と3歳離れた妹は、最初っから俺のことを「ひろちゃん」と呼んで、まるで小鴨のように俺の後ろをついて来ることが多かった。
恋人同士になった経緯を説明すると非常に長くなるのだが、雪は最初から俺のことが好きだったようで、両親共にどうしようもないと諦める程のブラコンだった。
俺に少しでも女の影が過ぎると別人のように拗ねて何とか気を引こうとしたり、夜中にこっそり布団の中に入って来たり。
……よくまあ今まであんなにも積極的なアプローチがあったのに、俺のムスコがこの歳になるまで大人しくしててくれたもんだと自分の忍耐力を褒めてやりたい。
長い黒髪にアーモンド型の二重の真っ黒の瞳。手のひらで包みこめそうな小顔に、小さな唇はピンク色でとてもふっくらしている。
そして、純粋無垢という言葉がぴったりな程邪気のない笑顔。この笑顔は雪と初めて会った時から何一つ変わっていない。
しかし今日の俺は不機嫌だった。雪が持っている入学のしおりを見てはぁとため息をつく。
「……俺、全く聞いてないんですけど……」
「だって、ひろちゃんと同じ大学って言ったら絶対反対するじゃない?」
――あれから時は過ぎ、俺は4月から薬剤部4年生になる。3月に雪は高校を卒業した。
雪は元々頭の良い子だったので、何と推薦入試で大学に受かり、4月からは同じ学部になるらしい。
俺は雪が同じ大学に行くと知ったのは、彼女の卒業式に参加したその日だ。
……丁度論文や教授の手伝いでしばらく帰宅が遅かった間に、母さんと一緒に水面下で動いていたのだろう。
「……一言言ってくれりゃよかったのに。雪の頭だったらもうちょい上の大学行けただろ」
「だって……ひろちゃんと1年でも一緒に居たかったんだもん」
ぷぅっと頬を膨らませながらピンクのクッションを抱きしめている雪は俺に喜んでもらえると思っていたようで、俺の反応にしょんぼりしている。
そんな顔をさせるつもりは無かったのだが、せめて入学決定の前に一言だけでもこの大学に行きたいんだけどって相談くらい欲しかった。
一応、俺だって兄ちゃんのつもりなんだ……雪がどういう進路を考えてるかとか、将来のこととか……一緒に考えたいじゃないか。
俺の気持ちを全く真逆に捉えていたのか、雪の顔はどんどん暗く沈んでいった。
「……ひろちゃん、ユキと一緒の大学って嫌?」
「そんなことは無いけど……」
俺は雪に背中を向けたまま自分の母校の入学のしおりを改めて見ていた。大体、雪が薬剤部って一体何の目的で?
どう考えても薬なんて興味無さそうな雪が将来何を目指したいのか分からない。
……まあ、途中から転化できなくもないから、1年目でやりたいことを模索していけばよいのかと解釈する。
無言でしおりを見つめている俺の背中にずっしりと体重が圧し掛かって来た。
「じゃあ、ユキと一緒で嬉しい?」
「う……うん。まぁ……」
歯切れの悪い返答だったが、それでも雪は満足だったのか、俺の背中に成長した女性の身体を押し付けながら全体重を預けて来た。
……流石に重い。昔の雪じゃないんだから、こんな…おんぶとか無理だぞ……
「えへへっ。ひろちゃんが嬉しいなら、ユキ頑張った甲斐あった」
「わかった……わかったから」
ぷらんと雪の足がフローリングから浮いているのがわかる。完全に俺の首にしがみついているモードだ。
俺は小さくため息をついて雪をベッドの上に下ろした。それでもまだ何か不満なのか、雪は俺の顔をじっと見ており首に巻き付けていた腕を離してくれない。
「雪、腕離して?」
「ひろちゃん、ユキね、大嫌いなお勉強頑張ったんだけど?」
「……それで?」
「ご褒美が欲しいなぁー」
えへっと笑う雪はココと指で頬をとんとんしていた。
完全に甘えん坊モードだ。こういう雪のお誘いを断ると膨れられてちょっと後が面倒くさい。
別に今となってはやっと雪を妹としてではなく恋人として考えるようになったので、それを拒否する必要もないのだが、雪は何も変わっていない気がする。
きちんと雪は俺の一世一代の告白を真摯に受け止めてくれたのだろうか?と疑問に思えるくらい彼女の態度は昔も今も…恋人になっても全く変わっていない。
無邪気に俺に絡みついて来て、一緒に居られたらそれだけでいい、という雰囲気が感じられる。
雪に引っ張られて一緒にベッドの上に沈む。無邪気だった雪の顔が少しだけ真面目になったように見えた。
妹としてではなく、一人の女として見せるその顔に、胸がどきりとする……
「……お勉強ったって、雪は推薦入試だろう?――小論文と面接」
甘い声で耳元で囁き、雪の頬にそっと唇で触れる。静かな部屋のせいか、唇が触れる音がして猛烈に気恥ずかしくなった。
口元を押さえて赤くなっている俺とは対照的に、雪はすぐに女から妹の顔に戻り、ご褒美がもらえたと喜んでいる。
……いくつになっても彼女は無邪気で変わらない……一体この兄妹の延長線上みたいな関係がいつまで続くのだろう。