3 『帰宅』
景色一面が瓦礫の山だった。見渡す限り粉砕された建物の屋根や壁、窓の破片などが散乱し、この地域の主要道路であったはずの場所は石畳が隆起して地面の至る所に亀裂が入っていた。
人の気配などまるでなく、荒廃した街並みを前に夕凪は立ち尽くすしかなかった。
「何だこれ、どうなってんだ」
驚きのあまり固まる夕凪を横目に、チャームとミロナは先へと進んでいく。人が住めるとは思えない街の中へと単調な足取りで入っていき、夕凪は恐る恐る彼らの後を追った。
「さっさと歩け」
「いやいや、少しは待ってくれよ。こんな場所怖くてなかなか先に進めねぇって」
「文句はいいからさっさと登って来て」
侵入者を阻むように崩れた瓦礫が小さな丘を作っている。左右の建物も半壊はしているものの、未だ原形を留めているものも多く、いつ崩れるかも知れない建築物が絶え間なく続いた。
(ここで何が起きたんだっつうんだよ。戦争か、こんなの戦争映画でしか見たことねぇよぅ。マジで可笑しいぜ。異世界に飛ばされるなら、もっと長閑で平和な村が良かった。暖かな日差しを浴びながら草原を駆け回り、そこで出会った可愛い女の子と恋に落ちて、そのまま平和にハッピーエンド。くぅぅぅ、最高じゃねぇか)
「何度も言わせるな、さっさと歩け」
ミロナの叫び声を聞き、夕凪は駆け出した。少しして小さな瓦礫に足を取られて、そのまま無様な姿で転んだ。頭を押さえながら体を起こすと、自分の倒れていた場所が赤黒く染まっていることに気が付いた。
その場所だけでなく、周りにも何かが飛散した痕跡があった。
「まさか、血なのか。うぉあぁぁぁああああ、やっぱりおかしいってこの世界。神様、頼むから今すぐ俺を元の世界に返してくれぇぇぇぇ痛っ!」
頭を叩かれ、夕凪は直ぐに我に帰る。
「静かにしろ。ここはあんたが思ってる以上に危険な場所なの。私たちとはぐれれば、二度と会うことは出来ないわよ」
「ほんとかそれ」
「周りを見れば分かるでしょ。こんな景観の街なんてこの国にもそうそう無いわ。それにあなたは気付いていないだろうけど、既に何人かの人間が私たちを見張ってる」
「見張ってる、マジかよ」
「きょろきょろしないで。黙って私たちのすぐ後ろを歩きなさい。分かった?」
「了解であります」
右手で敬礼し、夕凪はミロナの後に続いた。聞こえてくるのは瓦礫の砂が零れ落ちる物音や踏みしめる足が地面と擦れ合う音だけ。時折流れてくる風が周囲の建物から砂を巻き上げ、しばらくすると再び静かな時が訪れる。
(ほんとに誰かいるのか。何も分から)
夕凪の思考を遮るようにミロナが夕凪を押しのけた。今の今まで夕凪の頭部があった場所を一本のナイフが突き抜ける。
「そのままの姿勢でいて。じっとしていれば死ぬことはないから」
何かが空を引き裂く音が聞こえたかと思うと、短剣を引き抜いたミロナが飛んでくる凶器を次々に弾き飛ばしていく。
「ミロナ、そっちの二人をお願い」
「はい」
チャームの指示にミロナが動き出す。その場から大きく飛び上がると、壁の崩れた左側の建物の二階に飛び込んだ。
「ぎゃあああぁぁぁっ」
高らかな悲鳴が聞こえ、建物の影からミロナが現れる。夕凪の視点からはそれ以上奥の光景は見えず、薄暗い空の下、短剣を仕舞うミロナの姿があるだけだった。
「ちっ、こうなったらこいつだけでもとっ捕まえて」
目にも止まらぬ速さで夕凪の目の前に現れた大柄な男は、現れると同時にナイフの先端を夕凪の方に向け、次の瞬間、その鋭く尖ったナイフを振り下ろした。
(嘘だろ、死ぬっ!)
恐れのあまり夕凪が目を瞑った直後、何がぶつかる衝撃音が二度響き、目を開けると眼前にはミロナが立ち、右側の壁の傍で先程の大柄の男が倒れていた。
「怪我は無い?」
「たぶん」
「じゃあ痛むところは」
「ないです」
「そう、なら直ぐ立って」
「腰が抜けて立てません」
「ったく」
ミロナに手を引かれ、どうにか立ち上がる。ふら付く体で歩き出すと、前方に広がる光景に夕凪は息を呑んだ。幾人もの男たちが倒れている場所にたった一人、毅然とした姿で立つチャーム。彼女は表情一つ変えず、横たわる男たちの間を通って、こちらへとやって来る。
「人攫いの連中だ」
「そうみたいですね。最近この辺では人攫いが横行しています。前にも増して人が消える」
「私のいない間にこの場所もかなり物騒になったみたいね」
「どうやら裏の市場が活気づいてるみたいで。人身売買もそこで執り行われているようです」
「一年で色々変わってる。その辺の情報は早めに集めておいた方が良さそうね」
倒れている男たちをそのままに、一行はまたかつての通りらしき道を進んでいく。
「バジルグにはまだつかねぇのかよ」
「何言ってるの。もうついてるわよ」
「え?」
「この荒廃した街がバジルグ地区。五年前、魔物の使いとの戦闘があった場所」
「それじゃあ、ここが目的地。ここに家があるってのか」
「そういうこと」
三人は細い路地を抜け、噴水の残骸が残る広場へと辿り着く。足元のひび割れは噴水の縁にまで伸びており、かつての美しい彫刻は見るも無残な姿で横たわっていた。
「ここで何があったんだ」
「言ったでしょ。魔物の使いとの戦闘よ」
「その魔物の使いって一体何だ」
「平たく言えば化け物ね。巨大な頭に細い体、尖った耳に赤いぎょろ目を付けた歪な生物。犬や猫、馬や牛にも姿を変え、ただひたすらに破壊を繰り返す。あの化物が何処で生まれ、どういう理由でこの国を襲うのかは分からない。けれど奴らは必ず現れる。現れては破壊し、また森へと帰っていく」
「その魔物の使いってのはそんなに恐ろしい生き物なのか。街をこんなにしちまうほどに」
「正直生き物なのかすら分からないわ。形は他の動物を真似ているけど、全身は真っ黒で生物という気がしないから。奴らは大群で襲ってきたのよ。何の前触れもなく突然……」
俯きながらミロナは言った。悲しげなその表情は今までのミロナとは別人のようで、彼女は胸の内に秘める思いを押し込めるようにきつく瞼を閉じた。
夕凪は不思議そうな顔でミロナを見つめ、それから辺りの景色に視線を泳がせた。
「なぜ、魔物の使いの霊気を身に纏っている……」
「えっ……」
「バラなんとか牢獄に入れられた時、ゼム婆とかいう婆さんにそう言われたんだ。どこから来たのか。なぜ魔物の使いの霊気を身に纏っているってな。その時は訳が分からなかったけど、俺はどうやらその魔物の使いとやらの霊気を纏っているらしい」
「チャーム様っ!」
夕凪の話を聞き、ミロナは直ぐにチャームを呼んだ。チャームは振り返り二人の方を見た。
「私もその話は聞いた。信じられないことだがゼム婆がそう言っていたのなら間違いないのだろう。私もその事が気掛かりだったんだ。だからこそ連れてきた」
「それって、俺を助けるためについて来いと言った訳じゃなく、ただ俺をその、観察するために連れて来たって事か」
「誤解をするな。あの場所にいれば夕凪は間違いなく研究室の一室に閉じ込められていたはずだ。魔物の使いの霊気を纏う特異な実験体としてな。だから連れ出した、夕凪をそんな目にあわせたくはなかったから」
「でもじゃあ、俺がその霊気って奴を纏っていなかったら俺を助けはしなかったのか」
「それは分からないな。何故ならその場合、夕凪は別の場所に入れられていたはずだからだ」
「別の場所……」
「前にも言ったが、あの牢獄は他とは違う力の持つ者が入れられる場所なんだ。夕凪は魔物の使いの霊気を纏っていたから入れられた。何の因果か、結果はこうして二人とも外に出ることが出来たんだ。今は過去を振り返るな。何も分からない者が頭を巡らしても、待っているのは混乱だけだぞ」
言い終えるとチャームはまた歩き出した。広場を抜け、通りに入るとそこから曲がり角を三度曲がった先に目的の家が建っていた。
見た目はただの荒びれた西洋風の建物。入り口は小さな扉が一つだけで、一階には窓一つない。中へと踏み込めば、そこは真っ暗な広いフロアで、チャームとミロナは二階へと繋がる階段を登っていく。
おぼつかない足取りで夕凪も建物へと入り、二人と同様に二階へと続く階段を登る。二階の踊り場へやってくると、チャームとミロナは二階フロアへと通じる扉の前に立っていた。穴し合う二人の傍で夕凪は黙って扉を見つめた。
(この先に二人の住まいがあるのか……)
間の抜けた顔で佇む夕凪の横でミロナはチャームに事情の説明をしていた。
「チャーム様、今はこの向こうの部屋には一人の少年がいます」
「少年だと、どういうことだ」
「それがその、私が牢獄に入るための手伝いをしてくれた少年で、名前は」
「誰かそこにいるのか。構わないから入ってこい。私は既に着替えを終えている」
扉の向こうから子供の声が聞こえる。チャームは扉に手を掛け、静かに部屋へと踏み入れた。
明かりの灯った一室。
外の暗闇から切り離された空間には、テーブルに椅子、キッチンやタンスなど生活感の溢れる家具が並んでいた。
「ようやく帰ってきたか、ミロナ。私をいつまで待たせる気だ」
部屋の奥手にあるゆったりとしたロッキングチェアに、その少年は座っていた。ぎこぎこと椅子を揺らし、ふんぞり返るような姿勢でこちらを向いている。
初めにミロナを、それからチャームと夕凪を順に見る。
「成功したのだな」
少年は勢いよく立ち上がり、チャームの前までやって来る。
「私の名はラドミル=トレイス。会って早々だが本題に入ろう。チャーム=ナフィビエント、私のために働いてくれ」