1 『外の空気』
久々の外の風を体に浴びながら一行はとある飲食店を目指していた。
「脱獄して早々にこんな人目につく街中を歩いてていいのか」
前に並んで歩く二人の背中を見つめながら夕凪は呟いた。金髪を靡かせながらチャームが振り向く。
「心配するな。用心はしてある。何かあったら直ぐに身を潜めればいい」
「いちいちうるさい。そんなことはあなた以上に分かってるわよ。あなたは黙ってついてこればいいの」
隣を歩くミロナが夕凪を睨みつけた。
牢獄を出て直ぐに潜伏先に戻ったミロナは、白のシャツにベストを着て、赤のラインが入ったスカートを身に着けて帰ってきた。腰には短剣が巻かれ、柄の装飾が陽の光に煌いている。
(妙に冷たいよな。確かに助けられた身ではあるからあれこれ言える立場ではないけど。どうしてこんなに冷たい目で見られなくちゃいけないんだ)
鋭い視線にたじろぎ、夕凪の歩幅が少しばかり縮まる。
牢獄を出てから東の方角へ伸びる大通りを一時間ほど進んでいるが、周囲の様子にこれといった変化はなく、行き交う人々の活気に夕凪は圧倒されていた。
(見る物全てがまるで違うな。ここが何処だか聞く気すらおきない。フェンブリナ王国とかいう場所で何やらまじないだか何だか、変な力を使える奴がいて、それから来て早々に牢屋に入れられ、それからそれからその牢屋からも一週間もかからずに脱獄しちまった。何が何やら考えるのも馬鹿らしくなってくるぜ。体の至る所が未だに痛いし、かと言って病院行きたいと言っても行けるわけもなく、あぁもうくそ、何なんだよこの状況はよ)
「なに後ろで頭抱えながらナヨナヨと腰振ってるのよ。気持ち悪い」
ミロナの一言にすぐさま直立する夕凪。目は虚ろなまま、頭もぼんやりとしていた。
「あのさ、その、ここは何処なんだ」
「はぁ? 何を言ってるのあなた」
「俺の名前は夕凪颯也だ」
「あぁそう、自分の名前が分かるってことは記憶喪失って訳じゃないみたいだけど。で、何が言いたいの?」
「だからここは何処なんだよ」
肩眉を上げながら怪訝そうに見つめてくるミロナに夕凪は両手を組んで仁王立ちで凄んで見せる。
「頭打ったの。それとも馬鹿なの」
「馬鹿じゃねぇよ。こっちは真剣に話を聞いてるんだ」
「真剣にって、真剣にこの国が分からないって言うんじゃないでしょうね」
「その通りだ」
顎を上げて満面の笑みを見せる。ミロナはため息を吐き、興味を失ったように前方へと体の向きを変える。
「質問に答えろよ」
「嫌よ、面倒だし」
「そんな風に言ってあげるな。夕凪は本当にこの国を知らないんだ。記憶はあるが、その記憶はこの国のものではない」
「どういうことですか、チャーム様」
「夕凪が言うには、自分はどうやら異世界から来たらしい」
「い、いせかい、って、そんなの馬鹿げてます。転移のまじないでもあるまいし、いや、転移のまじないでも不可能ですよ」
「だが本人が言うんだ。絶対とは言えないが信じてもいいじゃないか」
「本人が嘘をついているという可能性もあります」
ミロナは再び振り返り、人差し指を夕凪に突き立てた。
「私はまだあなたを信用してはいないから。どこの誰とも分からない、ましてやこの国の名すらも知らない人間なんて信用しようったって出来るわけがない」
「この国の名前くらいは知ってる。確か、フェンブリナ王国とか言うんだろ」
「名前は知ってるのね。ならますます怪しいわね。信用させるためにわざと嘘をついてるようにも見える」
「嘘をついてるかどうかはチャームに聞けば分かるだろ。テレパス使えるんだから」
「どうかしらね、何かしらのまじないでそれを阻止している可能性もある」
「あのなぁ、一緒に脱獄したんだし、少しくらいは」
「ともかく、私はあなたを信用していない。例えチャーム様が大丈夫と言っても、私はそうは思わない」
チャームは呆れ顔を浮かべてまた歩き出した。前方を歩く二人と後方を歩く夕凪の距離が少しだけ広がった。
細い路地を突き当たりまで行くと川へと辿り着き、その川に沿って更に東へ。振り返ると、川の上流へと登った遥か先に巨大な城が聳え立っていた。
(大きなお城だ。漫画でしか見たことねぇよあんな城。聞くか、いや聞いたらまたさっきみたいな感じになるし。かと言ってあれはどう見てもランドマーク的な代物だし、というか王国ってことは、あれは恐らくこの国の……)
「いつまでつっ立ってるのよ」
ミロナの声に驚き、夕凪は駆け出した。二人は既に次に曲がる通りの角に立っており、ミロナは腰に手を当てて眉間に皺を寄せていた。
「城にでも見惚れてたの」
「いや、まぁそうだな」
「はっきり話しなさいよね。いやとかまぁとか、鬱陶しい」
「はいはいそうですか。それはわるぅございました」
「何その言い方、まさかとは思うけど喧嘩売ってるの」
「まさか、喧嘩売ったらコテンパンにされるのは目に見えてますからね」
「だったら黙ってなさいよね。次そんな口叩いたらぶん殴るから」
「ご忠告どうも。せいぜい気を付けさせていただきます」
道を遮るようにいがみ合う二人。互いに首を横に振り、相手から視線を逸らす。横目で相手の顔を見てから、今度は背中を向け合った。
「二人ともその辺にしておけ。もうすぐで店につく」
チャームの言葉通り、通りの突き当たりにその店はあった。佇まいは飲食店のようで扉の上に大きな看板が掛けられ、扉には木の板が掛けられている。左右に伸びる道には同じような店が並んでおり、昼を過ぎたにも関わらず通りには人が溢れていた。
「『ゴータス』に来るのは久しぶりですね」
「私が投獄される前だから、一年くらいになるか」
扉を開け、中へと入る。
入って初めに夕凪が目にしたのは正面に見える厨房だった。客が中を覗けるように開けた厨房には白い煙が薄く立ち上り、作り出される料理の香ばしい匂いが漂ってくる。時折中華鍋にお玉を打ち付けるような音や食材の焼ける音が聞こえ、料理人の声が厨房に響き渡る。
店内は広く、厨房に向かい合うように並んだカウンターの他に、テーブル席が入り口の右奥と左側に計十二席設置されていた。客はその内の半分ほどの席を占めており、頻繁に注文が飛び交っていた。
「お客様三名でぇす」
「「いらっしゃいっ!」」
厨房からの叫び声が聞こえ、少し遅れて鍋が床に落ちる音が響いた。見ると白い煙の向こうに立つ男が口を半開きにし、目を丸くしたままチャームの顔をじっと見つめていた。
「オメェ、何でここにいる」
「戻った」
男が顎で指示を出すと、白シャツに深紅のベストを着たふりふりスカートのウエイトレスが三人を右奥のテーブルへと案内した。
奥側の長椅子にチャームが座り、反対の席に夕凪とミロナが並んで座る。
「妙な真似をしたら直ぐに切る」
隣に座ったミロナが囁き声で夕凪に告げる。
「お飲み物などはお決まりでしょうか」
「タルタルバールを一つ。それからカンミジュースを二つ」
「かしこまりまぁした」
にっこり笑顔で注文を取り終えると、ウエイトレスはスキップで厨房へと入っていった。少しして三本の飲み物を両手に持って現れたのはウエイトレスともう一人。先程厨房でチャームを見て驚いていたつるぴかの頭の男だった。
「どぉぞ」
可愛らしく首を傾けて飲み物を置くとウエイトレスは扉の方へと戻っていく。その後ろに立つ男はテーブルの横に立ったままチャームを睨みつけた。
「ずいぶん遅かったじゃねぇかよ」
「あぁ、思ってた以上に時間が掛かった。出来ればもう少し早く出てきたかったんだが」
「ふん、一生ぶち込まれときゃ良かったんだよ。そしたらワシも犯罪者相手に商売しなくて済む」
男の言葉にミロナが殺気立つ。急な雰囲気の変化に僅かに身を引く夕凪。
「売り上げにはなるんだ。店主としては嬉しい限りだろう」
「馬鹿言え。お前さんの注文が一つ減ろうがここの利益には大した影響はねぇよ。それよりも間違っても店の評判を下げるようなことはすんじゃねぇぞ」
「また働かせてはくれないのか」
「冗談は止めろ。騎士としてのお前さんなら未だしも犯罪者に成り下がった野郎じゃあ害にしかならねぇよ。それ飲んだらさっさと帰れ」
「つれないな。昔ここで必死に働いていたウエイトレスに言うセリフか」
「ふん、騎士を辞め、行くところの無かったお前に仕事をやってやったんだ。それだけでも感謝してもらいたいくらいだ。注文の取り方も知らず、水一つまともに運べねぇ。挙句、客とは喧嘩するわ。こっちは踏んだり蹴ったりだったんだ。覚えてねぇとは言わせねぇぞ」
「それについては反省しています」
店主は肩を落としチャームの背中側の壁に凭れながら、
「ったく、何で戻ってきた」
「まだ何も果たせてないからだよ。私はまだ真実を知らない」
「何が真実だ。見つめるもんを間違えてんだよオメェは。もう少し利口になれ。前から言ってるだろ馬鹿が」
バンッ、と勢いよく右と叩きつけ、ミロナが立ち上がる。凄まじい剣幕で店主を睨みつけながら腰の方へと左手を回す。
「落ち着きな、ミロナ」
「しかし……」
「いいからそこに座ってジュースでも飲んでいろ」
僅か唸り声を上げ、ミロナは席に着いた。細く息を吐き出しながら平常心を取り戻していく。その様子を見ていた夕凪は、下を向くミロナを横目にテーブルに置かれた『カンミジュース』なる物に手を伸ばす。
(う、うまいッ! 何だこの芳醇な果実の甘みと喉を通り抜けていくしっとりとした後味。口に残る風味はまるで太陽を浴びた果物の新鮮さそのもの。一見して、少しドロッとしたような印象を受けるが、その実、百パーセント果汁を幾つもブレンドし誕生した思考の一杯。あぁ、俺はこれを飲むためにこれまでの人生を生きてきたに違いない。喉が鳴る。まだ飲みたい。このまま一気だ、全ての旨味をこの体に)
「ジョッキに口を付けながら、まるでストローを吸うように頬を凹ませ、なぜか腰をくねらせながら満面の笑みを浮かべて一杯を一気に飲み干し、そこから更に口の周りに残った液体を舌で舐めとる。本当に気持ち悪い。マジで今すぐにでもその汚い舌を切り落としたい気分だわ」
一瞬にしてミロナの怒りが夕凪に対する不快感によって拭い去られる。腰の短剣を僅かに抜き、一度深呼吸をしてから再び鞘に戻す。
「働けないのは残念ね」
「働けるわけねぇだろ。まぁせいぜい頑張るこった。脱獄者を雇うような頭のおかしい奴がいるとはとても思えねぇがな」
チャームの言葉を軽くあしらい、店主は厨房へと戻っていった。店主の背中を見送ると、チャームはタルタルバールを煽り、テーブルにほんのりとアルコールの香りが漂った。
「チャーム様、これからどうするおつもりですか」
つかの間の沈黙を遮るようにミロナが口を開く。
「一度バジルグに戻ろうと思っているよ。家の場所はまだ王国軍の連中にバレてはいなんだろう」
「はい。アジトについては特定されないように細心の注意を払っていました」
「なら、久しぶりに家に帰るとしよう」
「そうですね」
「あのさ、バジルグってどこだ」
間の抜けた声で夕凪が呟く。カンミジュースを既に飲み干し、その手にはメニューが握られていた。
「行けば分かるわ。あんたは黙ってればいいの」
「ちっ、またそんな扱いかよ」
ミロナの返答を聞き、物寂し気にメニューに視線を落とすと、読めない文字列から必死に『カンミジュース』の文字を探し始めた。
「まだ注文する気なの」
「別にいいだろ。お前には関係ない」
「あんたの金じゃないのよ。分かってるの」
「うるせぇな、分かってるよ」
「なに、その口の利き方」
「ミロナよせ、そのくらいにしといてやりな。構わないよ、お金は後で私が返すから。すまないが、今回はあんたの財布を貸してくれ」
不快感を前面に押し出しながら、ミロナは渋々頷いた。
「チャーム様の分を払うのは何の問題もないのですが。わざわざこの男の分まで払うのは正直嫌です」
「すみませーん」
ミロナが肩を落とした隣で夕凪がウエイトレスを呼んだ。軽やかな足音が聞こえ、テーブルに先程のウエイトレスがやってくる。
「はーい、ご注文はいかがなされまぁすか」
「さっきの『カンミジュース』をもう一つ」
「かしこまりましたぁ」
明るく元気な声で注文を取り終えるとウエイトレスは厨房の方へと消えていく。ミロナは夕凪を横目で睨みながらため息を吐いた。
「分かりました。今回は私が出します」
「ほんとにぃ、じゃあ僕も何か頼んじゃおっかなぁ」
瞬間、ミロナは短剣を素早く抜き去ると、振り返りながら背後に立つ何者かにむけて短剣をふるった。
「くっ」
ミロナの一振りはいともの容易く剣を握る拳を掴まれることで防がれ、お返しにデコを中指で弾かれた。眼前に立つハットを被った男は、不敵な笑みを浮かべながらミロナではなくチャームの方を見ていた。うっとりと目を細め、その者を愛おしむような視線にミロナの警戒心がさらに高まる。
短剣を握っていない右手で男に殴りかかる。それすらも男は軽く交わして見せ、今度はゆっくりとミロナの方へと顔を近づける。
「だめだよ暴れちゃ。ここはお店なんだから」
相手をうっとりさせるような優し気な声で男が囁いた途端、
(体が…動かない)
自らの異変に気付いたミロナだったが、時すでに遅く、ミロナは男の両手に操られるがまま固まった姿勢で席に着かされた。
席に着くと同時に身体の自由が戻り、呆然とチャームに近づく男を睨みつけていた。
「隣の席いいかな」
「治安維持隊なんてお断りだ。今すぐに店を出て行ってもらいたいね」
「それなら今だけ治安維持隊を脱退するとしよう。それなら問題ないだろ」
紺のジャケットに身を包んだ男は、ジャケットの左胸の辺りに付けられていたバッジを外し、そっとポケットへと仕舞った。チャームの隣の席に座ると、帽子をテーブルの上に置く。
「そんな簡単に職務放棄が出来るものなのか」
「職務放棄じゃないよ。だって僕は脱退中だからねぇ」
「相変わらずだな。その振る舞いと言い、喋り方と言い」
「君への気持ちもあの頃のままだよ、チャーム=ナフィビエント」