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- Lost help -  作者: nau
牢獄篇
3/17

2 『頼まれた』

 声が聞こえてから、四日間が経過した。


(ほんとに今日でいいんだな)

『もちろん。今日以外はダメなくらいだ』

(よし、分かった)

『気合い入れろ。私たちは今日、この難攻不落の牢獄から脱獄しようっていうんだからな』

(分かってるさ)

『そろそろ来るぞ』


 フロアに響く足音。通路の奥からゆっくりとこちらに近づいてくる。


「飯だ」


 いつもの通りに看守はトレイに乗った食事を穴から差し入れる。今日の看守は四日前に夕凪を怒鳴りつけた男だった。夕凪はトレイを受け取るように手を伸ばしながら、今日のメニューをチェックする。

メニューはパンとスープ、それにいつもは見たことのないミカンのような柑橘系の果実が用意されていた。


「またこれかよ。代わり映えしねぇな。しかも何で今日に限ってミカンが付いてんだ。嫌になるぜ、全く」

「何だお前、どういうつもりだ」


 眉間に皺を寄せて、看守は夕凪を睨みつけた。


「別に、今日はあんまり食事って気分じゃないんだ」

『今だ』


 頭の中で声がする。それを合図に夕凪は伸ばした手でトレイではなく、それを持つ看守の手を握った。


「何の真似だ」

「だから、今日は食事って気分じゃないんだよ」

「お前、尋問室に入れられ…た……い………」


 看守の手から握力が失われていく。握っていたトレイが手から離れ、パンとスープが床の上に散乱した。そのまま看守は気を失い、手首を格子に引っ掛ける格好で通路に倒れ込んだ。


「あぁあ、またやっちまった。床の掃除は頼んだぜ、看守さん」


 夕凪はしゃがみ込み、看守の懐に手を突っ込む。指先に固く鋭いものが触れ、それを指で摘んで引き抜く。ジャラジャラと音を立てて、鍵の束が取り出される。


「ほんとに持っていやがった。普通見回りの時に鍵なんて持ってちゃダメだろ」

『それだけ看守体制がずさんなのさ』

「よくこれで囚人たちを管理できるよな」

『それでも囚人たちが出られない理由があるんだよ』

「理由……」

『運が悪ければ会えるかもね。さぁ、脱獄計画スタートだ』


   ◆


 四日前、


(何だ、声が聞こえる。どこから)

『探しても見つからない。お前の頭に直接喋りかけている』

(頭に直接って……、ほんとに)

『ほんとよ』

(考えてることも分かるわけか)


 頭の中に響く声。

 その声は確かに夕凪の言葉に対して返答をしていた。


『いきなりで驚かせてごめんなさい。でも直に慣れるから』

「慣れないよ、慣れるわけないだろ。ていうか、お前誰だよ。名を名乗れ」

『名前は顔を合わせた時に教えてあげる。それよりも』

「それよりもじゃねぇよ。人の頭勝手に覗きやがって。頭覗かれるってのはな、人間が一番やられたくないシリーズで絶対上位に入る行為だぞ。人の頭覗いてほくそ笑んでる顔が頭に浮かぶね」

『そんなくだらない使い方をするか。それに大丈夫よ、あんたの頭の中は他の奴らよりも遥かに天然で、大したことも考えてないから』

「大したことないって、つまりそれは俺の頭が悪いっていうことか。一応中学校の頃の成績は学年でも上位だったんだぞ」

『中学校ってのが何かは知らないけれど、それ以上声に出すのはやめなさい。周りの視線を集めるし、騒ぎ過ぎればさっきの看守がまた来るわよ』


 条件反射のごとく夕凪は両手で自分の口を塞いだ。


(そういうことは一番早くに言えよ)

『あんたはもう少し状況を考えられるようになれ』

(くそっ、現れて早々にバカにされるわ、説教されるわ、一体何なんだよ。いやでも、現れてはないのか。この場合は何ていえばいいんだろう。幻聴……、まさかこんな狭い部屋に閉じ込められたショックでそんな力にも目覚めてしまったっていうのか。てか、幻聴って病気だよな。てことはまさか、自分でも気づかぬ内に精神を病んでしまって、それによってこんな声が頭の中に響き始めて……)

『何一人で語り出してるの』

(うわっ、まさか疑問まで投げ掛けてくるなんて、俺以外の誰か、つまり、二重人格って事か)

『いい加減にしろ。最初の方で既にこの状況に納得してただろうが、それがどうして後々になって幻聴やら、二重人格やらの話になるんだ』

(別に納得なんてしてねぇよ。ただ自分の中で整理がつくまで適当に会話を合わせていただけ。いきなり、頭の中に直接話しかけました、なんて誰が信じられるんだよ。今だってパニック寸前で油断したら叫び出しそうだよ。ほんとに何なの、この場所、この世界。はっきりと俺の中で異常事態宣言だよ)

『それでも信じる気にはなってるようだな。異常事態ではあるが、これが夢や幻ではなく現実のことであると、理解は出来ている』

(何だよその言い方。まさか何か知ってるのか。俺がこんな目に遭っている理由を)

『いいや、それは知らない。ただあんたがここに来て目覚めてからずっと、あんたのことを見ていたからね。目覚めた時の動揺がようやく収まりつつあるのが分かっただけだ』

(動揺って……)

『心の声だけでなく、心の動きもある程度ならわかる。目覚めた時のあんたはまるでここが夢の世界であるかのように、目の前に見えることを信用していなかった。だが今は違う。今なら目に見える物がそのまま真実であることを理解できるだろう』

(理解って、ここが牢獄で俺が本当に囚人扱いされているってことか)

『そうだ。そして私の声も、二重人格とかのせいではなく、他の場所からあんたの頭に話しかけていることを理解できている』

(………)

『やはりあんたはいい意味での天然だよ。余計なことを考えず、真っ直ぐに目の前を見据えることが出来る。それに大したことも考えてないっていうのも、別にあんたをバカにしてるわけじゃない』

(じゃあどういう意味だよ)

『ここにいる者は罪の大小に関わらず、何かしらのことを仕出かした連中だ。こいつらの頭の中ではそういった犯罪行為に関係することや犯罪に対する罪悪感や反省なんかが渦巻いている。それに対してあんたの頭の中にはそういった考えや思考そのものが見られない。言ってること分かるか』

(犯罪者特有の考えを持っていないってことか。それが大したことも考えてないって言葉の意味なんだな)

『そうだ。そしてそんなお前だからこそ、私は声を掛けたんだ。このバラディオン牢獄から出たくはないか、出たいなら私に協力してほしい』


   ◇


 牢の鍵を開け、通路へと飛び出す。

 直ぐに看守服に着替え、帽子を被る。


(サイズがデカすぎる……、でも、これで行くしかない)


左右に伸びる通路はどちらも突き当たりの壁が見えた。


(右だ)


 目覚めた日にたった一度だけ通った通路を思い出しながら、夕凪は速足で歩き出した。


「おい、俺の牢の鍵も開けてくれ」

「俺も」「おれも」


 鉄格子の隙間から腕を突き出し、夕凪の体を必死に掴もうとする囚人たち。数十本の手が蠢く通路を抜け、突き当たりを左に曲がり、螺旋階段へと辿り着く。

 階段に一歩足を掛け、動きを止める。大きく唾を飲み込み、更にもう一歩。


(登ったら左へ)


 自分でも驚くほどに鮮明に記憶されている出口までの道程。真っ直ぐ進んだ先には広いフロアがあり、正面には見覚えのある大きな扉があった。

 細い窓から射し込む光を手で遮りながら、下の階よりも遥かに薄暗い入り口フロアへと踏み入れる。


(あの扉を抜ければ外に出られる)


 フロアの角に設置された看守用の小部屋を横目に、夕凪は真っ直ぐ扉の方へと歩いていく。部屋の明かりに人影が揺れ、その度に胸の鼓動が速まった。


(頼む、気づかないでくれ)


 扉の前まで辿り着き、取っ手に手を掛ける。

 その時だった。


「おい」

「は、はい」


 部屋の中にいた看守の一人が窓口から叫びを上げる。


「見回りはどうした」

「え、あの、もう終わったので、ちょっと外の空気でも吸おうかと……」

「今日はえらく早いな」

「たまたまですよ」

「たまたまねぇ。サボるのも大概にしとけよ。ゼム婆様か、ミスタスの野郎に見つかったら半殺しじゃ済まねぇぜ」

「ははは、そうですね。それじゃあ僕はこれで」

「待ちな」


 開きかけた扉を一度閉め、夕凪は受付の方に目を向ける。


(バレたか……)


 窓口にいた看守は部屋の中へと引き返していく。


「出るなら出るで外出届を書いていけ。勝手に出られたらこっちの責任になるんだからな」

「そ、そうだったな」


 帽子の唾を下げ、顔を下に向けながら細かい足取りで受付へと向かう夕凪。看守は一枚の書類を手にして戻ってきた。その書類とペンを夕凪に手渡すと,受付台に頬杖を突きながらくたびれた様子でこちらを見てくる。


「ほらよ」

「すまない」


 書面を置き、ペンを握る。

 見たことのない文字で記された書類を前に夕凪の動きが止まる。横書きされた文章は題名を入れて十行ほどあり、その下に細い線が引かれている部分があった。


(全く読めねぇ。けど、ここに名前を書けばいいんだよな)


 入れ替わった看守の上着にピンで止められた名札を盗み見ながら、夕凪にとっては記号に近い文字を一文字一文字丁寧に書き記していく。書き進める間、震えるペン先が紙面に押し込まれ、染み込んだインクが所々に黒い点を作っていた。


「おい、お前字も読めないのか」

「えっ」

「これは外出届じゃねぇよ。というより、そもそも外出届なんてここにはない」


 夕凪は言葉を失う。看守の鋭い視線が夕凪の顔に突き刺さる。


「お前、誰だ」


   ◆


(ここからは出たい。だが協力するのはごめんこうむる)

『ど、どうしてだ。ここから出られるんだぞ』

(いやいや、確かにメリットは大きい。今の俺にとってはこれ以上ないメリットだ。だが、大前提を忘れてる)

『大前提……』

(お前もここの住人ということだ。そして恐らく俺がいる階よりも下の階の住人だ。螺旋階段は下にも続いていたしな。ということは、お前は俺よりも凶暴な犯罪者である可能性が高い。そうだろう)

『……確かにあんたの言う通りだよ。だからこそ、ギブアンドテイクだと言ったんだ。ただ助けてやるわけじゃない。助ける代わりに私の脱獄にも協力してほしい』

(だから協力できないって言ってるんだよ。お前は犯罪者だ、信用できない)


 夕凪はベッドに座りながら腕を組み、一人しかいない部屋で首を横に振った。


『……私が、ここに入ったのは、ある資産家の家に盗みに入ったからだ。目的はお金。私には事故で重傷を負った恋人がいるんだ。これからずっと一緒にいようと誓った恋人がね。本当に優しい人だった。家族はもちろん、周囲の人にも優しく接し、いつも明るくて元気をくれる。心から好きな人だ。けれど事故に遭い、意識不明の重体になった。当然お金がいる、莫大なお金が。私一人では絶対に稼げないほどの治療費だ。だから私はそのお金欲しさに……』


 声の主はそこで一度言葉を切った。

 悲しい沈黙が流れ、夕凪は俯いた。


(それが盗みの理由……)

『そうだ。そして、その資産家はこの国でかなりの権力を持つ一家だった。その家の当主は激しく怒り、彼の一言で私は最下層のフロアである地下五階の部屋に入れられることになった』

(その恋人は今どうしている)

『分からない。ここは完全に閉じられた空間。外からの情報の一切が遮断されて入ってこない。私はただ会いたいだけなんだ。もう一度、あの笑った顔を見たい。それだけなんだよ』

(そうか、それは確かに出たくもなるよな。いや絶対に出てその恋人に会わないと)


 目をそっと瞑り、夕凪はベッドで横になった。

 胸の奥から感情が沸き上がって来る。


(分かったよ、協力する)

『ありがとう。ただ一つだけ言わせてくれ』

(何だ)

『今の話は全てウソだ』

「んだとっテメェっ! ふざけんじゃねぇぞくそ野郎がっ! ちくしょう騙しやがったなっ、思わずうるっと来ちまったじゃねぇかよ。バカにしやがって……」


 夕凪は飛び上がり、ベッドの上に立って叫びを上げる。


『だから声を出すな』

「命令してんじゃねぇ。何が声を出すな、だ。ふざけんなっ!」

『人の話は最後まで聞け』

「お前の話なんて聞けるか」

『いいから黙って聞けっつってんだよクソガキィィィイイっっっ!』


 足を滑らせ、夕凪はベッドから転がり落ちた。


『今のであんたがどれだけ騙しやすいかが分かっただろう。こっちはわざわざウソであることを言ってやったんだ。あのまま協力させればいいことなのに、だ。だからもう一度よく考えてみてほしい。私と手を組まずここに残るか、私と手を組んでここから出るか』

(わざと嘘だとばらして、俺を信用させようとしてるってことも考えられる)

『確かにそうだ。だから今日一日考えてもらいたい。その上で結論を聞かせてほしい』


 夕凪はベッドに飛び乗り、そのまま横になる。


(いや、考える必要なんてない。協力するぜ、ここから出るためにな)

『そうか、ありがとう』

(それはここから出られた時に言ってくれ)

『そうだな』


   ◇


 夕凪が言葉を失い、同時に全身を硬直させた次の瞬間、窓口に立っていた看守の左手が襟首を激しく掴む。

 そのまま夕凪の顔面を台の上に叩きつけ、続けて固く握った右拳を顔面目掛けて振り下ろす。


「ぐはっ」


 看守帽が飛び、持っていたペンが床に落ちる。


「お前は、この前ここに連れて来られた新人じゃねぇか」


 驚きと共に看守は薄く笑みを浮かべた。


「おいおい、まだ一カ月の経ってねぇってのに、随分とやるじゃねぇかよ。だが、あと一歩足りなかったな。あのまま外に飛び出してりゃ、少しの間くらいは外の景色を拝むことが出来たってのに。まぁどの道、直ぐに捕まえられて懲罰房行きだがな」

「くっそ」


 抑えられた状態で夕凪は懸命に右手を伸ばし、看守の左腕を掴む。


「悪いけどな。地下一階に入れられるような奴にやられるほど軟な鍛え方はしてねぇんだよ」

(だめだ、離れられない)


 看守の拳は止むことなく、噛み締める歯の隙間から赤い液体が筋を描いて流れていく。


『看守の肌の部分を掴むんだ』


 頭の中に響く声。

 痛みを堪えながら、夕凪は相手の左腕を掴んでいた手を下ろし、襟首を掴む看守の手に触れる。


「ギブアップか。生憎だったな、ここではそんなルー…ル……は………」


 見回りに来た看守同様に突然手から力が抜け、看守はそのまま床に倒れ込む。


「すまない、助かった」

『こんな所で足止め食らってる場合じゃない。早く看守棟へ』

「分かってる」


 喉を押さえて呼吸を整える。頬に広がるじんとした痛みと口の中に広がる鉄のような味。久しく忘れていたその感触を思い出し、夕凪の体に一気に震えが走る。


(思い出したくないことを思い出しちまった)

『大丈夫なのか』

(……問題ない)


 拳を握り、全身に力を込めて震えを無理やり静める。

 牢獄棟の出入り口である扉を開けると、眩いばかりの光が視界を覆った。


『前にも言った通り、ここから先は私のテレパスも届かない。あんた一人の力でやり切るしかない』

(分かってるさ。ちゃんと指示通りに熟してくる)

『頼んだから』

「頼まれた」



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