八話 失意と懐疑
ドMとは、スーパーヒーローのようなものです。
目を覚ますと、アランは自室にいた。
右の視界がない。
ぼんやりと思い、手で触れる。
ガーゼの感触があった。
意識がハッキリすると、彼は昨日の事をすぐに思い出した。
真っ先に考えが到ったのは、妹に拒絶された時の事だ。
その時の事が繰り返し思い出される。
情景を思い描く度に、痛痒が心を苛んだ。
気分が落ち込み、布団の中から起き上がる気力がわかない。
けれど……。
「お腹がすいた……」
昨日は隠れ家に帰りつくとすぐに、電気ショックでぐったりしたヴェロニカを自室のベッドへ転がした。
その後でアランも、目の手当てをしてから自分の部屋のベッドへ寝転がった。
体も心も疲れ果てていたアランは、ベッドに入ってすぐに眠ってしまった。
なので、夕食を食べていない。
空腹を覚えるのも当然だった。
「俺も同感だ」
呟いた言葉にそんな返事があった。
それも極近い場所から聞こえた。
アランは慌てて声のした方へ顔を向ける。
顔を向けたすぐ近くに、ヴェロニカの顔があった。
アランの隣、同じ枕に彼女の顔はあった。
「おはよう、アラン」
ヴェロニカは笑顔で挨拶した。
心なしか、名を呼ぶ声がねっとりしている。
「おわおっ!」
アランは素っ頓狂な声を上げて、上体を起す。
上に掛けていたシーツを引っ張った。
するとシーツの下から現れた彼女は、全裸だった。
全裸待機in彼のベッドだ。
本当に何も着ていない。
瞳の赤以外、色のない彼女の肌は白いシーツの中に溶け込んでいるようにも見えた。
アランは驚きのあまり、ベッドから転げ落ちる。
彼女の体が目に入らないよう、背を向けて立ち上がる。
今の彼は、パジャマ姿だ。
普段着を買った時に、ついでに買ってもらったものだ。
アランの慌てふためく様子を目に、ヴェロニカは面白そうな笑みを作る。
そして言葉をかけた。
「ああ、わかってる。確かに、俺の体は妹さんほどに女性的な魅力を宿しているわけじゃない。君としては貧相な物を見せるなと言いたいのかもしれないな」
そんな事は無い。
とアランは心の中で否定する。
ヴェロニカはとても綺麗だ。
彼女はドレスもスーツも普段着も、どれを着ても似合っていて可愛らしい。
でも、服を着ていなくても、余計な物がない分純粋な美しさが際立つのだ。
「けれど、同じ料理ばかり食べていても飽きるだろ? 特大のプリンばかり食べていれば、無性に薄っぺらいベーコンのチープな塩味が恋しくなるじゃないか。そうだろう?」
なにやらみもふたもない事を言っているが、今論じるのはそんな事じゃない。
「何で裸なの? しかも僕のベッドの中で」
アランは背を向けたまま問い質す。
「キスの次はベッドインが、この業界の相場らしいぞ。嬉しくなかったか?」
「わかって言ってるでしょ?」
顔を合わせた時に、彼女の赤い瞳はばっちりとアランの目を映していた。
なら、ヴェロニカは彼が懐いた感情を察しているはずだ。
察していながら、そんな事を問い掛けてきているのだ。
からかわれているんだろう。
それが恥ずかしく、少し悔しかった。
だから、アランの口から少し辛辣な言葉が出る。
「君はいつもそうやって男を誘うのか?」
とげとげしい彼の言葉に、しかしヴェロニカはまったく動じた様子もなかった。
「棘のある言い方だな。昨日の事がショックだったからかな」
傷ついた様子もなく、平然と言葉が返される。
「昨日の事……」
言われて思い出すのは妹との再会だ。
心と胃の腑がズキンと痛む。
「俺を淫蕩な女だと思って、腹が立ったんじゃないか? 昨日の妹さんの事を思い出して。それとも下腹に「CUM IN」と刺青しているような女の方が好みで、そういった女を罵りつつ抱きたいサディスティックなプレイに傾倒していたりするのか?」
「そんな趣味はないよ」
「よかった。俺も自分の肌は気に入っている。できるなら傷付けたくはない。それに俺はそんなはしたない女じゃない。男性経験は皆無だしな。女性経験が心配か? そっちは……あると言えないがないとも言えないな」
「ごめん。失礼な事を言ったよ」
恐らく、彼女の言う通りなのだ。
昨日の事で、アランは苛立ちを覚えてしまったのだろう。
それを他人に当たって晴らすなんて……。
そんな自分が嫌になる。
「構わないさ。君が望むなら、罵詈雑言だけで達してしまうドMにでもなってやる」
「さっきからどうしたの? なんか妙にいやらしい事ばっかり言っているけど。裸でベッドの中にいたし」
「こっちに向いていいぞ」
返事ではなく、そんな言葉をかけられてアランは振り返る。
ヴェロニカは体をシーツで隠していた。
向き直り、顔を合わせてからヴェロニカはアランの言葉に答える。
「弱気な君に付け込もうと思ったのさ。今俺は、女性的な魅力だけで君を繋ぎとめている状態だ。
それがなければ君はとっくに出ていってしまっているだろう。
たとえ辛い路上生活に戻るとしても、君の道徳心は俺の悪行を許せない。
それくらい君は高潔だ。でも、年頃の男の子でもある。
だから、その繋がりの補強をしておこうと思ったのさ。
男の子はいやらしい女の子が好きだろ?」
偏見だよ。
と咄嗟に思ったが、間違ってないかもしれないと思い直し、アランは言葉を飲み込んだ。
代わりに、別の疑問を口にする。
「どうして? どうしてヴェロニカは僕に好きになってもらいたいの? 僕はそれが不思議でならない」
「前にも言ったじゃないか。俺は君に恋をしているんだ」
彼女の答えはとてもシンプルで、ダイレクトだった。
あの時から、彼女が口にする理由は変わらない。
「そんなに僕は魅力がある?」
「ああ、もちろん」
彼女の声音に迷いは無い。
少なくとも彼女の態度は、嘘偽りない本心を語っていると相手に思わせるものだった。
けれどどうだろう?
本当に彼女は本心からそう思っているのだろうか?
彼女は、平然と人を貶める事もできる人間だろう。
自分が騙されていないと、どうして言い切れる。
自分が助けたから恋をした? それは本当なんだろうか?
アランの心は荒んでいた。
妹すら自分を拒絶したのだ。人を信じるのが怖くなり始めていた。
信じれば最後、きっとまた自分の心は傷付けられるのではないかと恐ろしくなるのだ。
無力な自分は、そんな悪意に対抗する手段がない。
アランは俯いた。
そんな彼を見下ろしながら、ヴェロニカは「ふむ」と唸った。
今日の朝食はアランが作った。
それは昨日の甘ったるいハニーチーズトーストを避けたかったという事もあったが、何もせず彼女の好意に甘えている事に申し訳なさを覚えていたからだった。
せめて料理は、と思って彼は料理当番を申し出た。
もしかして、冷蔵庫にははちみつしかないのでは? と恐る恐る開けてみたが、ちゃんと卵やベーコン、レタスなどそれなりに食材は揃っていた。
ちなみに、ヴェロニカは自分のハニーチーズトーストだけは自分で作った。
たっぷりはちみつを含んだトーストが焼けるのを、オーブントースターの前で楽しげにじっと眺めていた。
そしてヴェロニカは朝にハニーチーズトーストしか食べないので、アランが料理したのは自分のベーコンエッグだけだった。
料理を作っても、彼女に一宿一飯の恩義は返せないらしい。
食事を終えると、ヴェロニカはリビングのテレビをつけた。
チャンネルを合わせると、丁度朝のニュース番組が始まる。
一つ目に、昨日のパラダイスロスト襲撃事件が報じられていた。
襲撃によって、数名の死傷者がでているらしい。
犯人側にも、死亡者がでたそうだ。
「せっかくのボーナスタイムを生かせなかった奴がいるらしいな」
「…………」
次のニュースに移る。オーディ・グランニルの死亡と屋敷の爆破についてだった。
その内容に、アランは首をかしげた。
その事件は一昨日に起こった事のはずだが、何故か昨夜あった事だと報じられていた。
「この事件が明るみに出ると、ロッキーが行動を変えるかもしれなかったからな。テレビ局にコネのある知り合いに、情報の統制をしてもらったんだ」
ヴェロニカはアランの疑問に答えた。
「そんなすごい友人がいるの?」
「オーディの殺害に協力してもらった奴だ。オーディの側近で、今はグランニル一家の新しいボスだ。いや、厳密にはもうグランニル一家ではないかな」
「ふぅん」
そのニュースを確認しておきたかっただけなのか、ヴェロニカはテレビの電源を切った。
「そういえば、あのヴァイスって何者なの? 知り合いなんでしょ」
昨日、唐突に襲い掛かってきた人物だ。
ヴェロニカは奇人の類だが、あれは怪人と呼べるものだ。
何故昨日襲われたのか、アランは気になっていた。
「一月くらい前から名前を聞くようになった悪党だ。目に付く悪党を片っ端から殺している。半端者だ」
「半端者?」
「あれには相手を殺す事への躊躇いがある。だから、俺を殺しそこなったんだ」
「それってもしかして、あの日の事?」
ヴェロニカは頷く。
あの日、とはアランがヴェロニカと初めて出会った日の事だ。
今ではすぐにわからないくらい薄っすらとしか残っていないが、あの時の彼女には刀傷があった。
あれはヴァイスによるものだったらしい。
「殺す事に慣れてないんだろうな。何人も殺してるくせに往生際が悪く「殺したくない」と思い続けてる。そうでなければ、俺は死んでいたし、君の右目も完全に潰れていたな。だから、半端者なんだ」
なら、その事に感謝するべきだろうか。とアランは思う。
あの時は、本当に目が潰れたかと恐怖したのだ。
アランは目のガーゼを剥がした。
血がこびり付いたガーゼを捨てる。
傷をそっと撫でた。
ピリッと少し痛むが、かさぶたで塞がっている。
ヴェロニカの傷を見るに、この傷もいずれは消えるだろう。
気付けば、ヴェロニカがアランの顔をじっと見ていた。
「何?」
「なかなか迫力のある顔になったじゃないか。元の顔も好きではあるが、今の方が断然にいいな。言ったろう、俺は美醜の入り混じったデザインが好きなんだ」
「この傷も塞がると思うよ。深いから、時間はかかるだろうけど」
「それは残念だ」
会話が途切れ、リビングに沈黙が下りた。
「一ついいか?」
ヴェロニカに問われ、アランはそちらに向いた。
一つ頷く。
「俺は君に嫌われたくない」
「それはわかってるよ」
「いいや、君は信じていないだろう」
彼女には取り繕いや嘘は通じない。
だから、アランはそれ以上誤魔化す事をしなかった。
けれど、肯定もしない。
「これは俺の本心だ。わかってほしい気持ちなんだ。疑われたくはない。
でも、こんな少しの言葉だけじゃ信じられないんだろ?
今の君はナーバスだ。失意に見舞われている。人間、そんな時は素晴しい人間性を持っていてもどこか彼方に消えてしまうもんだ。
だから、それを責める事はしない」
「……そうだね。僕は君を信用できていない。君には悪い事をしていると思うよ。でも、今の僕には無理だ。人を信頼できない」
アランは顔を俯けて、ヴェロニカの視線から逃げた。
「言っただろう。責めるつもりはない。君にわかってもらう努力が俺には足りないんだ。冴えた方法一つだって思いつきはしない。でも、わかってほしい。言葉では信じられなくても、言葉を尽くす以外、今の俺にはできない」
椅子を引き摺る音が聞こえた。
右手側、すぐ近くに椅子を置きなおす音がする。
向けば、アランの隣で椅子に座るヴェロニカがいた。
「だから俺は、今から俺自身の事を話す。自分の中にある価値観と世界観の話だ。それを話して、どうして君なのか。どうして恋に落ちたのか。それをわかりやすく伝えようと思う」
ヴェロニカはアランの顔を両手で挟み、自分の顔と見合わせた。
そして、首を傾げて問いかける。
「ところで、君は人生というものをどう捉えている?」
彼女はそんな壮大なテーマを切り口に、自分の世界観と価値観を語り始めた。
君は人生というものをどう捉えている?
難解でも曖昧なものでもなく、簡潔で明確な評し方がいい。
一言で言うなら人生はどんなものだ?
……厳しいもの、か。
確かに、君の人生は君にとって厳しいものだろうな。
正義感の強い父親のせいで両親は死亡、その上一家離散。
無一文でホームレスになって、妹はクソビッチに堕ちてしまった。
おっと、失礼。
謝るから睨まないでほしい。
君には嫌われたくないんだ。
俺も人の心をもっと理解しないといけないな。
……俺かい?
俺の人生は一言で言うならぁ……。
そうだな……。
三センチ程度のヤマとタニが断続的に続く、高尚な文学作品のようなものだよ。
ちなみに、どちらかと言えば俺は荒唐無稽で刺激的なヤングアダルトが好きだ。
さらに言うなら、コミックが一番好きだな。
話がそれたな。ふふ。
刺激は勿論ある。
楽しい事も辛い事も盛りだくさんだ。
けれど、そのどれもが許容できてしまう物である。
予想できる範疇だし、予想を外されても多寡が知れている。
あまりにも薄すぎて、疼痛にもならないわずかな刺激だ。
気持ちいいかも、痛いのかもわからないそんな無感動なものだ。
知っているか?
人間の触覚は痛みなんだ。
弱いか強いかだけで、感じ方が違うように思えるだけさ。
尻を撫でるのも叩くのも強弱以外に違いは無い。
叩かれても気持ちいいと言う奴だっているだろ? 同じなんだよ。
……え? そんな事は知ってる?
それは失礼した。流石は医者志望だ。
とにかく、言い換えてしまえば退屈なものなんだ。
退屈なくせに、申し訳程度の刺激を伴う。
その刺激に目を向けてみても、取るに足らないくだらない物だ。
世の中が悪いわけじゃない。
俺が鈍感なだけだ。
でも誰だって、退屈は嫌だろう?
刑罰にもなるレベルの苦痛だよ。
だから、俺は自分の力で苦痛を和らげようとしている。
でも、どうすれば楽しくなるのか、人生経験の薄い俺ではまだわからない。
四十歳ぐらいになればわかるかな?
ジャパンでは四十代を「フワク」と言うらしい。
ファックじゃないぞ? 語感が似ているけど全然意味の違うものだ。
惑わない、という意味の言葉だ。
東方の人間は四十代になれば惑わなくなるらしい。
たいしたもんだよ。
この国では、五、六十の政治家が愛人のスキャンダルをよくすっぱ抜かれているというのにな。
きっと、ジャパンはとても真面目で一途な人間ばかりが住んでいるんだろうな。
ふふふ。
で、だ。俺は知るために試行錯誤しているんだ。
人生を楽しくする方法を。
退屈を許容できないからな。
そんな中で俺はきっかけを見つけた。
最初は町の路地で見つけたゴロツキを殴ったんだったかな?
特に意味もなく、そうしてみようと思った。
試行錯誤の一環だよ。
ニット帽子を被った髭面の男だったな。
レンチで顎を叩き砕いてやった。
帽子の下は髪が無かったな。
一つだけ点いた街灯の下で、ミラーボールみたいに輝いていたよ。
そうしたら、ちょっと楽しくなったんだ。
思った以上に刺激的だった。
俺の人生を楽しくできる刺激は、犯罪の中にあるんじゃないかと思った。
それから俺は一つ一つ、色んな犯罪を試しているんだ。
少しでも人生を楽しくできるように。
効率的に人生の刺激を確保するために……。
そういう行き方をし始めて、気付けば俺は世界の裏側にいた。
悪党と呼ばれるようになって、裏の世界にお引越しだ。
そんな場所に二年ほど住んでいたら、ハートレスなんてオシャレな名前を着けられた。
でも、実際は違うと思うんだ。
俺は悪党じゃない。
……どうしてかって?
だって悪党と呼ばれる人間は、みんな素直な人間なんだよ。
俺みたいなひねくれ者が貰える称号じゃない。
不思議そうな顔をしているね。
でも、間違いない。
人間は誰でも欲しい物があるんだ。
社会の表にいる人間は、みんなその欲しい物を素直に欲しいと思えない人間ばかりだ。
会社の物だからと目の前の大金を使わず、スレンダーな美少女が抱きたいのに抱き慣れたファッティーな奥さんで我慢したり、健康を害するからお酒や煙草を控えたり、素直じゃない人間ばかりだよ。
全部簡単に手に入るものなのに、みんな素直じゃないから逃してしまってるんだ。
悪党と呼ばれる人はとても素直で、欲しい物のためならどんな手段もいとわない人間なんだよ。
手段さえ選ばなければ、金銭の不足は盗みなり恐喝なりで解決する。
性欲を解消したければ、女の子をレイプすればいい。もしくは男の子でもいいな。
健康なんて無視すればお酒も煙草も好きに呑める。
あは、怪訝な顔だ。
話がずれたね。
自覚しているよ。
簡単にまとめれば、俺にはそういう欲しい物がないって事なんだよ。
俺にとって犯罪は欲求を解消する手段じゃない。
もし欲しい物があるとすれば楽しい人生が欲しい。
でもそれは物と定義できるものなのかな? 概念と呼べるものじゃないか?
ま、どうであれ、手に入れたとはっきり確信できる物で欲しい物はなかったんだ。
……お、するどいね。
その通り。
「なかった」んだ。今まではね。
ようやく、話の本題に入れそうだ。悪いねぇ、話を脱線させるのが好きなんだ。
その方が長く話をできるだろう。
何の話だよ? ってところから始めるのがいいんだ。
俺が唯一、ママと似ていると自覚できる部分だよ、この趣向は。
遺伝かな?
ママとは血が繋がってないけどな。
ふふ、また脱線した。
大丈夫、今度こそ話を戻すよ。
俺は、人に恨まれる生き方をしてきたんだ。
悪党かどうかは別として、多くの悪事を成してきた。
そんな俺だから、あのゴミ捨て場でただの生ごみに成り果てる未来を疑わなかった。
数十分ほど痛みに苛まれながら、ゆっくりと死んでいく。
人生を振り返っている途中で意識は途切れるだろう。
そう思っていた。
だから驚いたね。
こんな俺を助ける人間がいた事にさ。
あの場所で、俺を見つけたのが他の人間だったら、まず間違いなくトドメを刺されていただろうさ。
あの辺りには顔見知りも多いからな。
だから、助けられた時に感じたんだ。
今まで覚えた事のない感情さ。
ママは好きだが、その「好き」ともまた違った「好き」だ。
きゅん、と胸が締め付けられたのさ。
きっとこれは、恋だよな?
俺は、君に恋している。君の心が欲しい。
今の俺が欲しいものはそれなんだ。
俺にとって人の感情は、概念ではなく明確に把握できる物だからな。
判断に困る話だった。
アランはどう受け取っていいのか解からなかった。
彼女の語る根拠は理解できる。
結局の所、社会に対する不安へ彼女がどう対抗しているか、という話だ。
それは思春期を経た人間なら誰もが模索するものだろう。
自分を取り巻く環境への不満は、アランにもある。
だから彼女のしている事は、人として真っ当な事だ。
けれど、彼女の取る方法はあまりにも苛烈に過ぎる。
ただ、自分の楽しみのためなら平然と人を傷付ける。
そんな価値観をもっともらしく口にする彼女をアランは改めて恐ろしいと思った。
彼女の事が少しだけわかった気がする。
きっと、彼女にとって自分など試行錯誤の一環に過ぎない。
今の彼女は恋という刺激を覚え、人生の楽しみになりえるかを吟味しているんだ。
果たしてそれは愛情と呼べるのだろうか?
彼女が恋愛を見極めた時、試行錯誤が終わった時、僕はどうなってしまうのだろう?
それを考えるとアランは恐ろしかった。
「君を傷付ける事はしないさ」
椅子の背もたれに体を預けた彼女は、手を振って答えた。
アランの目にある恐怖を読んだのだ。
「心がないと言われているが、実際は俺が無感動なだけだ。ただ一つ、好意という感情だけが強い刺激を与えてくれる。それだけの話さ。そして俺は一途に尽くす女だ。君の嫌がる事は言わないし、しない」
アランは椅子から立ち上がった。
難しい顔をして、自室へ帰っていった。
「溝を深めただけか」
一人になって、ヴェロニカは呟く。
「でも、人間は自分に無い物を相手に求めるんだ。だから、君には俺が必要だろ?」